■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話14
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カーシュが身じろぎ、舌打ちした。
そして、この場にふさわしい、適切な言葉を口にした。
「──ご落胤かよ」
それは、鈍く光る、いかめしい指輪だった。
その意匠は「鳳凰印」 ディール領家の紋章だ。かつては領主ニコラスの指にはまっていた──。
コリンの無邪気な顔立ちを、ふっくらとした柔らかな頬を、素直な髪と大きな瞳を、言葉もなくダドリーは見つめる。その光景が、目に浮かんだ。
外光射しこむガラス窓。
ひっそりとおごそかな執務室。壁に掲げた「飛翔」の旗章。深緑の生地の鳳凰旗。
コリンの前にひざまずき、頭を垂れる痩せぎすの秘書官。「民」をかたどり、主を奉迎する構図。それを見届ける立会人──略式の即位式。
そして、指輪が受け渡された。かの者の「領主たる証」が。
だから、軍は滞りなく動いていたのだ。当主ニコラス亡き後も。
あのコリンの母親は、以前メイドの職に就いていた。領主ニコラスのいる領邸で。
運命の皮肉に絶句する。
トラビア潜入の目的は、もうすでに果たされていたのだ。投獄された翌日に。あれほど待ち望んでいた「ディール当主との対面」は。
無言で立ち尽くす大人たちを、コリンは不思議そうに見まわしている。
「ねえ、ぼく、いっぱいお仕事したんだよ? 名前を書いて、これをその横に押すんだ。でも、お迎えが今日もこなくって、だからぼく、一人でもお仕事しようかと思って」
ダドリーは苦い思いで嘆息する。コリンが言っていた"王様ごっこ"の内容も、もう見当がついていた。
「お仕事」「書類」「名前を書く」──だから女の子は、仲間に入れては駄目だったのだ。あのお喋りなマリーベルは、彼女が大好きな父親に、きっと話してしまうから。
当主亡きあと秘書官は、当主の血を引くコリンの存在を突き止めて、言葉巧みに連れ出した。そして、コリンに署名をさせた。責のすべてをコリンに負わせ、自分の盾にするために。
「──お前、コリン、なんてことを!」
たまりかねたような叱責があがり、ヒースがコリンに近づいた。
肩をつかんで、強く揺さぶる。「自分が何をしたか、わかっているのか!」
「……な、なんで」
コリンは戸惑って薄い眉をしかめる。「なんで怒るの? ぼく、お仕事しただけなのに。だって、ネグレスコさんが言ったんだ」
きゅっと唇を噛みしめて、柔らかな頬を振りあげた。
「ぼくがきちんとお仕事すれば、ママが帰ってくるって言ったんだっ!」
机の子供を注視したまま、誰もがその場を動けない。その幼い瞳には、強い決意がみなぎっている。母を必ず呼び戻すのだと。
ヒースは絶句でコリンを見、脱力したように手を放した。その手で自分の額をつかみ、もう片方の手で、よろめきかかった机をつかむ。
「……なんてことを」
強くつかんだ手の甲が節立つ。眉をひそめて双眸をつぶり、奥歯を噛んで、頭を振る。
広い机の天板が、窓からの夏日を浴びていた。
執務机の羽根付きのペン。積まれたままの手付かずの書類。高価な飴色の調度品。誰もが次の言葉を紡げない、昼下がりの執務室。
のろり、とヒースが身じろいだ。
疲れきった動作で顔をぬぐい、掠れた声で問いかける。「どうなるんだ、もし、身柄を渡したら」
ダドリーは気鬱に腕を組んだ。
「まず、極刑は免れない」
ヒースが弾かれたように顔をあげた。
言葉を失い、コリンを見る。きょとんと仰いだ幼子を凝視し、気を取り直すようにして首を振った。「いや、事情を話して、謝罪してまわれば──。たかだか七つの、幼い子供のしたことだ」
「そう、七つ、だ」
この事の重要さに、ヒースはまだ気づいていない。
「この子の年齢がなんだっていうんだ」
「 コリンの責任は回避できない」
「──馬鹿な!」
ヒースが頬をゆがめて吐き捨てた。
「馬鹿な。何を言っている。たかが子供の遊びだぞ。落書きしたその紙が、重要な文書だっただけで」
「──ヒース」
「分別はおろか、まだ満足に読み書きもできない、まして書類の内容なんか、子供にわかるわけがないだろう! いや、手引きしたのは秘書官だろう。あいつこそ諸悪の根源だ。年端のいかない子供を騙して──」
「七つは成人とみなされるんだ」
きっぱり、ダドリーは首を振った。
王族ならびに領家の子弟は、庶民の子とは立場が違う。日々の生活が豪勢なかわりに、その言動の一々には常に責任が付いてまわる。ひとたび何がしか事が起これば「子供の戯れ」では済まされない。ましてコリンは、既に正式に就任してしまっているのだ。ディール領家、当主の座に。
彼は国家転覆を目論んだのだ。
絶句したヒースの肩の向こうで、コリンはふっくらとした頬を向け、細い足をぶらつかせている。どれほどの重罪をしでかしたのか、まるで分かっていない顔で。
胸苦しいほどの浅い呼吸で、ダドリーはその顔を見つめる。出征したラトキエには、事の次第と主犯を伝え、事態は収束するはずだった。事を起こしたディール領家は、むろん責任を問われるだろうが、責めを負うべき当主ニコラスは既に亡く、大きな累は及ばない、そのはずだった。だが──
手を強く握りしめ、ダドリーは奥歯を食いしばる。
「──引くに引けなくなっちまった」
ディール領家の当代領主は、現にこうして生きている。
はっとして、ダドリーは顔をあげた。
目端で捉えた何かの動き──。
それはカーシュの一瞥だった。何かを見つけたように視線を向けたその先は、階段下にいた守備隊の三人──いや、更に向こうの、廊下へと続く両開きの扉だ。
執務室の出口付近に、持ち場に戻りかけていた軍服の一団が立っていた。扉手前に五人が並び、険しい視線を向けている。
右端の一人が踏み出した。
「その子の身柄を渡してください」
有無を言わさぬ威圧的な視線。それは、面食らったヒースを捉え、次いで、机の男児を捉える。
「我々はその子供を──ディール領家当主の身柄を、ラトキエに渡して降伏する。いや、我々には、彼を引き渡す義務がある」
「そうだ! 戦を始めた張本人だ!」
上ずった加勢が飛んだ。
「責任をとらせろ! 領主だろう!」
「そいつは、それだけのことをした!」
不穏な気配をすばやく察し、ヒースがコリンの前に立ちふさがる。「よせ。まだ子供だぞ」
「それがどうした!」
「そうだ! 知ったことか! そんなこと!」
「現に、そいつはディールの領主だ!」
言い募るどの目も、どこか異様にギラついている。力尽くでも連れ去る覚悟が見て取れる。
一人がぎこちなく剣を抜いた。
「どうしても渡さないと言うのなら!」
銀縁めがねの眉をひそめて、ヒースが慎重に身構えた。抜刀した軍服が叫ぶ。
「早く渡せよ! そのガキを!」
「巻き添えにされちゃたまんねえんだよっ!」
凪いだ昼下がりの執務室に、殺気立った緊張が走る。
「剣を引け!」
一喝、ダドリーは軍服を見据えた。
報復に出たラトキエに、突き出すべきはあの男だ。領邸秘書官ネグレスコ。
そう、責めを負うべきは秘書官だ。領主の死亡をいいことに、密かに張り巡らせた糸を操り、商都に軍を差し向けた、あわよくば国を乗っ取ろうとした、この件の真の首謀者。そして、それに迎合した、軍を動かす幹部たち──。
軍刀の切っ先を向けたまま、制服たちは動かない。耳を貸す気配は、誰一人ない。
机のコリンを背にかばい、一歩踏み出したヒースを見据え、間合いを詰めるように、じりじり動く。ヒースの腕前は承知のようだ。
「たく。冗談じゃねえぞ、おい!」
不意の大声に、軍服がひるんだ。
怪訝に一同、声の出所を振りかえる。
腹立たしげに顔をしかめて、カーシュが蓬髪を掻いていた。
もたれた壁から肩を起こして、つかつか扉へ歩み寄る。「なんで俺が、こんな目にあわなきゃなんねえんだ」
カーシュに気圧され、軍服があわあわ、たたらを踏んで後ずさる。「な、な、なんだ、お前はっ! わ、我々は、当然のことをするまでで!」
壁際まで追い詰められて、切っ先を振って牽制している。
それをながめてカーシュは舌打ち、階段下へと足を向けた。そこにいたのは、おどおどうかがう守備兵たち。
その内の若い一人の胸倉を、ぐいと片手でつかみあげた。
「おいこら! ガセじゃねえだろうな! 来たのは本当にラトキエか!」
顔をくっ付けんばかりに迫られて、守備兵は目をみはって硬直した。「たっ、確かに、そう聞きました。ラトキエの家紋 《 天駆ける馬 》 と」
「つまり、てめえは、又聞きです、って言ってんのか?」
カーシュは一蹴、顔をしかめて舌打ちする。「ガキの使いじゃねえんだぞ! 上に報告をあげる前に、確認するのが仕事だろうが!」
「しっ、し、しかし、確かに門衛が──っ」
言い返す声は悲鳴まじりだ。圧しかかられた守備兵は、カーシュの背中で顔さえ見えない。とばっちりをくった腹いせに、カーシュが脅しているらしい。
守備兵の二人が我に返り、あわててカーシュに取りついた。だが、カーシュを仲間から引きはがすどころか、胸倉を吊るしあげている片腕一本動かない。
ダドリーは嘆息、手を振った。
「よせ、カーシュ。放してやれ。弱い者いじめをするのはよせよ。門番が嘘をつく理由はないだろ」
赤い蓬髪が肩越しに一瞥、舌打ちで手を突き放した。
たたらを踏んで転げ出た守備兵は、仲間二人にかかえられ、腰が抜けたようにカーシュを見ている。
「なに見てんだ。とっとと失せろ」
ぎろり、と一喝で凄まれて、飛びあがって踵を返した。
三人そろって出口に突進、両開きの扉を転げ出る。
バタン、とあわただしく扉が閉まり、カーシュが舌打ちで肩を返した。
「事情が変わっちまったな」
逃げ去った守備兵には見向きもせずに、しかめっ面で歩き出す。
不機嫌そうな横顔を、意外な思いでダドリーは見つめる。肝の据わったカーシュがまさか、弱い者に当たるとは。軍服のところへ憂さ晴らしに行ったものの、剣の切っ先を向けられて、より弱い守備兵に行った……? ラトキエ襲来の一報で、まさかカーシュは
──動揺している?
実戦経験がまるでない、軍服たちなら、まだわかる。だが、カーシュは部下を率いる、場数を踏んだ傭兵だ。彼が苛ついているということは、それほど不利だということか──。
カーシュはぶらぶら、陽の射す窓へ歩いていく。コリンの前で、背をかがめた。
「おう。ちょっとこいや、坊主」
もそもそ両手で子供を抱きあげ、肩車して振りかえる。
「降参するなら、今だと思うぜ」
窓にまぶしげに顔をしかめ、夏日を浴びた机を離れる。「こうなっちまっちゃ否も応もねえ。ガキをラトキエに引き渡し、俺たちはきれいに退散する。あの軍服の言う通りにな」
「──カーシュ、何を」
ダドリーは詰まり、目をみはった。一体どこへ向かっている? まさか、カーシュは部屋の出口へ?
ぶらりとカーシュが足を止め、及び腰で構えている軍服に視線をめぐらせる。
「こいつらの言い分ももっともだ。てめえの身は誰だってかわいい。当然だぜ」
無言で成り行きを注視する、ヒースを一瞥、吐き捨てた。
「こんなガキ一人のために、危ねえ橋を渡る義理はねえよ」
ダドリーは絶句でカーシュを見つめた。淡々と言い放った冷淡な顔。まさか、カーシュが裏切るとは。
軍服の刃に、気をとられていた。連れの無造作な動きになど、注意を払っていなかった。
だが、今にして思えば、カーシュは一度も、立場を表明していない。こちらに付くとも付かぬとも。そして、それに気づいた時には、コリンを何気なく手中に納めて──
「カーシュ! お前っ!」
「トラビア全土が攻撃を受けるぞ」
固唾をのんで、足を止めた。つかみかかりかけていた右の手を、ダドリーは強く握りしめる。
「ここでガキをかくまえば、街ぐるみと見なされる。──癖っ毛。何か忘れちゃいねえか。今ここにいるこのガキこそが、ラトキエを攻撃した張本人だぜ」
硬直した目の端で、ヒースが無言で眉をしかめる。
「だ、だが──コリンをラトキエに突き出すわけには」
「まともに矢なんか食らってみろ。領民たちがばたばた死ぬぞ。なんの咎もない大勢がな。そういう中にはこいつと同じ、七つのガキだっているだろう。力のねえ女子供や足腰たたねえ年寄りも。戦ってのは弱い奴から、逃げ足の遅せえ奴から死んでいく。いや、結局のところ皆殺しだな。先にこっちが手を出したんだ。しかも、風通しがいいからな。前も後ろも入り放題だ。軍兵に押し入られ、家に火がかけられて、街にいる全員が、炎に巻かれて死んでいく。こいつの悪さのお陰でな」
「……だ、だが、そう仕向けたのは秘書官で」
「今いねえ奴は突き出せねえだろ!」
一喝、カーシュが睨み据えた。
「首がいるんだよ! 誰かの首が。四の五の言ってる暇はねえ。敵はもうすぐそこだ。謀られようが嵌められようが、これだけの大事を引き起こした以上、誰かが戦の責任とらなきゃ収まらねえだろ」
唇の端をわななかせ、ダドリーは唾を飲みくだす。
その光景が脳裏をよぎった。
夏日に振りあげた鋭い太刀。頭を垂れるコリンの姿──。
「お前には、どっちが大事だ。数千って数の無辜の命と、遊び半分で戦を始めたくそガキ一人の命とよ。お偉い領主だからガキをとるか? てめえのダチだから、かくまうか? 代わりに大勢を犠牲にしてか?」
「──お、俺は、」
「よく考えて答えろよ。とれるのは、どっちか一方だ」
ぐうの音も出ず、ダドリーは奥歯を食いしばる。
コリンをラトキエに差し出せば、もう極刑は免れない。真の首謀者がいないのでは、経緯と事情を明らかにし、申し開きをすることができない。だが、コリンをかばって抗えば、領民の命の保証はない。コリンの命を守ること即ち、民の命を差し出すこと。ラトキエの攻撃の矢面に。
『 領主の一番大事な務めが、一体何だかわかるかね? 』
在りし日のニコラスが、ほがらかな笑みで振りかえる。
『 領主の務めは、民の暮らしを守ることだ。
間違っても見捨てたり、敵に差し出すことがあってはならない 』
進退窮まり、ダドリーは強く拳を握る。「──だが」
「なんにもしてねえ連中を、ガキをかばって見捨てるつもりか? どっちに理がある。一体どっちに咎がある! いいか。ここが正念場だぜ。ちんたらやってる暇はねえぞ」
カーシュが正面から目を据えた。
「ガキか、領民か、今すぐ選べ」
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