CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話15
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 カーシュが足を踏みかえた。
 すっ、とかたわらで気配が動く。
 振り向いたその時には、真横を通りすぎていた。軍服の肩、襟にかかるオールバック、そして、あの銀縁めがね──。
(ヒース?)
 ダドリーは息を呑んだ。
 一拍遅れて、意図に気づく。そうだ。早く奪還せねば。コリンはまだ、カーシュの肩の上にいる──。
 後を追いかけ、床を蹴った。
 赤い蓬髪の胸倉に、ダドリーは歯を食いしばってつかみかかる。
「見損なったぞ! カーシュ!」
 ぐっ、と手首をつかまれた。
 突入の勢いを受け流され、赤い蓬髪が間近に迫る。たたらを踏んだ耳元で、押し殺した声がした。
「──行くぞ」
 ぐい、と引っぱりあげられた。
 手を振りほどく暇もなく、たたらを踏んで走り出す。とっさに仰いだ視界の先に、重厚な飴色の両開きの扉。執務室からの
 ──脱出口・・・
 引っ張られるがまま、ダドリーは駆けた。
 銀縁の横顔が肩を並べる。あっけにとられた軍服が、我に返って追いすがる。
 赤の蓬髪が振り向いた。
 突っ込んだ軍服を肘打ちで斥け、後続の兵を蹴り飛ばす。剣を振りかぶった軍服の手から、ヒースが刃を叩き落す。
 体当たりして道をひらき、明るい廊下へ転げ出た。
 バタン──と左右から、部屋の扉が叩きつけられる。カーシュとヒースがすぐさま背をつけ、体重をかけた。
「貸せ! 早くっ!」
 カーシュがもどかしげに"それ"をもぎ取り、取っ手の隙間にすかさずねじこむ。かませているのは"警棒"だ。
 壁に、灰色の制服が立っていた。
 先ほどカーシュに追い出された、ヒースの部下の、守備兵の一人。
「──どうして」
 ダドリーは訳が分からず守備兵を見やる。カーシュに睨まれ、ほうほうの体で逃げ去ったはずだ。
 その疑問を察したようで、守備兵が目線を動かし、カーシュを示した。
「この方が、皆さんが出たら封鎖せよ・・・・、と」
 絶句で、ダドリーはカーシュを見る。いつの間に、そんな指示を──。 
 あの時か、と気がついた。いや、カーシュが守備兵に接触したのは、後にも先にも一度きり。だしぬけに彼らに言いがかり・・・・・をつけたあの時をおいて他にない。
 扉の向こうで、ガタガタ荒っぽい音がした。
 閉じこめられた戸を叩き、軍服たちが取っ手を力任せに引っ張っている。
 それを見、戸惑った顔をした守備兵の肩を、ヒースの手が、ぽんと叩いた。
「よくやった。たいした機転だ」
 笑ってねぎらうその顔を、あっけにとられてダドリーは見る。「けど、なんでヒースまで……」
 彼はカーシュに殴りかかったはずだったが、そのカーシュには指も触れずに後に続いた。
 ヒースは苦笑いで振りかえり、立てた親指でカーシュをさした。
「通りすぎ様、耳打ちされてな」
 コリンに近づいたあの時に。
『 出るぞ、おっさん。遅れんなよ 』
 ダドリーは絶句でカーシュを見る。
「じゃあ……」
 遅まきながら合点した。カーシュの不自然な行動の意味を。コリンを抱きあげたカーシュの動きに、ヒースが反応しなかった理由を。ヒースはそれを・・・無条件で許した。
 そう、おかしいではないか。相手は、つい今しがたまで、刃を向けていた脱獄囚なのだ。大事な子供に近づけば、斥けるなり、制止するなり、なにがしか対処するはずだ。というのに、ヒースはあっさり見逃した。まして、あの切迫した局面で、肩車をする必要など、どこにもありはしないのに。
 あの時ヒースは、軍服の一団と対峙しながら、その・・頃合を計っていたのだ。
 そして、カーシュは合図を出した。あの言葉だ。
『 今すぐ決めろ 』
 ──今すぐに・・・・
 速やかに、ヒースは動いた。
 扉に拳を打ち付ける音は、更に激しさを増している。ここを開けろ、と怒鳴る声。
「そう長くはもたねえな」
 カーシュは首からコリンを下ろし、肩に抱きあげ、引っかかえた。
 その肩に張りつきながら、ひょい、とコリンはカーシュを覗く。「ね。ぼくの勝ちだよね。ぼく、最後まで落ちなかったでしょ?」
 カーシュは顔をしかめた。「まだだ。──たく。まだ、外に出てねえだろ」
「なんだよ、お前ら。勝ちとかなんとか」
 ダドリーは怪訝に二人を見た。
 コリンは口を尖らせる。「落ちたら、ぼくの負けなんだ」
「だからさ、それ、なんの話よ」
「だって、このおじちゃんが " ぼうず、勝負だ " って、さっき、ぼくに」
 ぱちくり、ダドリーはカーシュを見た。一体いつ、子供と賭けを?
 扉への打撃音が、ぴたりとやんだ。
 複数の足音が、忙しげに彼方へ遠ざかる。カーシュが守備兵を振り向いた。「おい、上は!」
「あの二人が行きました。どの扉も開きません!」
 守備兵がきびきび、直ちに応えた。
 扉の向こうの執務室には、領主一家が住居としていた四階に通じる階段がある。だが、それに気づいて駆けつけても、いずれの扉も既にあかない。三人いた守備兵の内、あとの二人が封鎖している──つまりは、そういう話のようだ。
 じろじろ強面に直視され、守備兵は直立不動の体勢だ。
 強ばったその顔を、じろり、とカーシュは睨めつけて、組んだ腕をおもむろに解いた。
「やるじゃねえかよ」
 一転、にっか、と相好を崩す。
 守備兵は、ぽかんと口をあけ、ぱっと顔を輝かせた。「は、はいっ!」
「おい、誘惑するなよ。俺の部下だぞ」
 ヒースが顔をしかめて釘をさした。真顔で守備兵を振りかえる。
「いや、本当に助かった。あの二人と合流し、楼門に急行、待機してくれ」
「──はっ!」
 姿勢を正して敬礼し、守備兵は階段に向かって駆け出した。
 上階へのぼる足どりは軽く、顔つきはどこか誇らしげだ。カーシュが身じろぎ、目配せした。
「こっちも、とっととずらかるぞ。仲間を呼ばれりゃ、騒ぎになる」
 背を向け、階段に足を向ける。
 ヒースも速やかにその背に続き、肩越しに目を向け、促した。「ほら。行くぞ。ご領主さま」
「──ま、待てよっ」
 あっけにとられていたダドリーも、我に返って、あたふた続いた。
 
 下りの階段に急ぎつつ、カーシュは片頬で笑いかける。
「あんたなら、うまくやると思ったぜ」
 銀縁の横顔が、笑ってカーシュに一瞥をくれた。「目的は同じだ。手は貸すさ」
「俺だけのけ者って、なんだよそれ」
 意気投合した二人の横で、ダドリーは口を尖らせた。守備兵も、ヒースも、まだ子供のコリンでさえも、密かに了解していたというのに。教えてくれてもいいじゃんか、と隣のメガネにジト目を向ける。「ヒースぅ〜。ダチだろ〜」
 ヒースは澄ました顔で肩をすくめた。
「すまんな。だが、下手に動けば、台なしだ」
 軽くいなされ、ダドリーはぶちぶち首謀者を睨む。「ずるい大人はこれだから嫌いだっ」
「なァにがずるいだ。何度も合図を送ったろうが」
 カーシュはうんざりと顔をしかめた。「軍服ばっか、見てたのは誰だよ」
「刀構えてんだぞ。よそ見なんかできるかよ」
おっさんは一発でわかったぞ?」
 ぐっとダドリーは反論に詰まった。ちろり、とカーシュは顔を見る。
「ま。お前と剣豪を比べてもな」
 ぐぬぬ、と睨むも言い返せるはずもなく、ぷい、とダドリーは目をそらす。「けど、いきなり芝居とかアリかよ普通〜。ましてカーシュが、そんなに器用に騙すとはさあ」
「芝居の一つも打てねえで、どうする」
 カーシュはげんなり嘆息した。
「戦ってのは騙し合いだぜ。要は、どうやって出し抜くかだ。うちの隊長なんか、うまいもんだぜ?」
 ぽかん、とダドリーは振り向いた。「へえ、ケネルがね……」と頬を掻く。「けど、せめて俺には教えてくれても。みんなして人のこと騙すんだもんなあ」
 ぶちぶち、ぼやく。
「いつもだったら五人くらい、軽く張っ倒すくせしてよ〜」
 あのな、とカーシュが、大きく嘆息、振り向いた。
「こっちはガキかかえてんだぞ? だったら逃げるっきゃねえじゃねえかよ」
 ダドリーは面食らって口をつぐんだ。この男にして意外な言葉だ。街門で国軍に囲まれたあの時、女児を見捨てるよう言ったのは、他の誰でもない、このカーシュだ。
 大体、とカーシュはジト目で続ける。
「どうせ、見捨てられやしねえんだろ、ガキは」
(だったら結局、一緒じゃねえかよ……)とあてつけがましく白けた顔。
 ぐぬぬ、とダドリーは睨みつけ、だが、やはり言い返せるはずもなかった。そう、その女児にこだわって、話をこじれさせた前科がある。
 ぷい、とヒースに目を向けた。「ヒースはよくわかったな〜。あんなせっぱ詰まってたのに」
「──いいか。癖っ毛」
 カーシュが改まった口調で割りこんだ。
「そういう時にこそ、周りをよく見ろ。追いつめられた時なら尚更、目を凝らして探すんだよ。どっかに勝機が転がっていねえか」
 むっとダドリーは口をつぐんだ。その正論には、ぐうの音も出ない。
 つまりは、そういうことなのだ。そうした急場の身の処し方を、ヒースは元より理解していた。だから、わずかな合図も見逃さなかった。同じ時、同じ部屋に、同じようにいたというのに。いや、むしろ条件は、ヒースの方が厳しかったはずだ。抜刀した一団と一人で渡り合っていたのだから。
 潮目を読み、与する足場を変えながらも、顔色ひとつ変えなかった。あのさし迫った局面で、ヒースはあくまで冷静だった・・・・・
「お? どうした。めずらしく大人しいじゃねえかよ」
 カーシュが拍子抜けしたように顔を覗いた。「なんだよ。さすがにへこんだか?」
 いや、とダドリーは、眉をひそめて首を振る。
「──よかったよ。カーシュが味方で」
 重大なことに気づいていた。
 ヒースの勘の良さ、資質の秀逸さはともかくとして、策を立てたのは、つまるところカーシュだ。敵には一切気取られることなく、恫喝のふりで守備兵に指示し、遊びと偽り子供を確保し、ヒースに同調を促した。敵味方を瞬時に判断、的確に計画を組みあげた。あのわずか数分の間に。
 背中がうすら寒くなる。
 本職の傭兵とは、こういうものか。これが本来の仕事場であれば──敵との斬り合いの現場なら、味方に送る目配せ一つで、ほんの瞬き一つの内に、すべてをやり果せてしまうに違いない。
 あの時は、コリンの素性に翻弄されて、軍服たちの存在など、頭の片隅にも置いてなかった。根拠もなく思っていたのだ。ヒースと同じ制服だから、全員こちらに与するものと。手足のように動いてくれると。うかつなことに失念していた。同じ成りはしていても、彼ら一人一人それぞれに、意思も都合もあることを。だが、カーシュは初めから、それを計算に入れて動いていた。軍服は態度を反転させる・・・・・と。
 ダドリーは浅く息を吐いた。今更ながら実感する。「生きている世界」が、カーシュは違う。
 西日を浴びた廊下を抜け、件の作業室を通りすぎた。
「漆黒の巨石」と「彫刻家」を見つけてしまったあの部屋だ。退出時に閉めた扉は、やはり、ぴたりと閉じられたまま。
 廊下を進み、窓ガラスが飛散した赤い絨毯の廊下に出た。薄い階段を駆け降りて、二階の廊下に走り出る。
 往く手がひらけ、光があふれた。
 白い円柱の建ちならぶ、がらんと広い静かな空間。領家居館の大広間だ。
 天井の高い大広間に、夏日が鈍く射していた。ガラス灯きらめく豪奢な内装。金糸のあしらわれた真紅の絨毯。大きな窓の向こうでは、巡回中の軍服が、青芝であくびを噛み殺している。先ほどと何も変わりはない。
 しん、と白い円柱がたたずむ、無人の広間を足早に突っ切る。
 開け放した開口部から、夏日が明るく射していた。ディール領邸、古城の出口だ。つまりは目指す脱出口。
 一行は足を速める。閉じこめてきた軍服に、仲間を呼ばれるその前に、城の外へ出なければ。一刻も早く──。
 先頭を走るカーシュの背が、すばやく円柱に飛びのいた。
 円柱の陰に背をつけて、顔をしかめて舌打ちする。「──いやに早ええな、もう来たか」
 別の円柱に同じく隠れた、連れの二人に顎をしゃくる。
「団体さんのご到着だぜ」
 明るい出口で、空気が動いた。
 複数の足音。話し声。そして、あの青い軍服──
 十数名の軍人だ。がやがや広間に入ってくる。固い円柱に背をつけて、ダドリーは身を硬くして息を殺す。
「たく。いつまでサボってんだよ、あいつらは」
 辟易としたようなぼやきが聞こえた。
 日常的なざわめきをまとい、ぶらぶら軍靴が近づいてくる。先に持ち場に戻った兵が、帰りの遅い同僚を、促しにやってきたらしい。
 まずいな、と一行は目配せした。
 気が急くままに、広間に踏みこんでしまったが、こんなだだっ広い所では、身を隠せるような壁がない。廊下に戻るには遅すぎる。だが、ここで無為に隠れていても、姿を見咎められる可能性が大だ。
 この広間は、執務室に通じる階段と、出口を結ぶ通り道、最短距離で進もうとすれば、どうしても途上で鉢合わせになる。
 コリンがぐずるように顔をすりつけ、カーシュに顔を振りあげた。
「ねえっ! 早く帰ろうよっ!」
 どなり声をあげた子供を、カーシュが驚いてかかえこんだ。
 あわてて子供の口をふさぐ。だが、遅かった。
 コリンが暴れて円柱を蹴り、腕の拘束から、するりと抜けた。
(なっ……!)
 一行は、息を飲んで硬直する。
 とん、と降り立った広間の床で、コリンは半ズボンの足を踏ん張り、頬を不満げに膨らませている。入り口でたむろす軍服の一人が、それに気づいて足を止めた。
「子供の声がしなかったか?」
 口ひげをたくわえた軍服が、視線をめぐらせ、やってくる。
 円柱に潜む二人と共に、ダドリーは身構え、息を殺した。コリンを物陰に引き戻そうにも、すでに手の届かない場所だ。静かな広間の円柱の間に、小さな体が立っている。
「ぼうや」
 先の口ひげの軍服が、コリンに呼びかけ、近づいた。
「どうして、ここにいるんだい?」
 白い円柱の背後から、ヒースが息を呑んで凝視していた。同じくカーシュも眉をひそめて、事態の推移をうかがっている。
「ぼうや。ここに入っちゃ駄目なんだ」
 身をかがめた口ひげを、コリンはきょとんと振り仰ぐ。「でもね、ぼく、みんなと一緒に──」
「ああ、ヒースさんのところの倅だよ」
 後方から、声がかかった。
 入り口でたむろす一団から離れて、軍服が一人歩いてきていた。その若い栗毛の男は、口ひげの同僚に歩み寄る。
「さっき、上を見に行ったろ。その時ついて来ちまってたみたいでさ。──ヒースさんはどこだい、ぼうや。あ、はぐれちゃったかな?」
 後の言葉でコリンに尋ね、子供の目線に合わせて肩をかがめる。
 子供の頭に手を置いて、からかうように顔を覗いた。「さては置いていかれたな? ちゃんと言うことを聞かないからだぞ?」
「違うよ! ぼく、一人じゃないもん」
 コリンが癇癪を起こして怒鳴りつけた。
「ここにいるよ! 隠れてる!」
 
 
 

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