CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話16
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 コリンをかこむ軍服二人が、面食らった顔で動きを止めた。
 子供にかがめた背を起こし、互いの顔を見合わせる。
 カチャン──と片隅で音がした。
 出口でたむろす一団が、口をつぐんで顔をあげた。耳を澄ませ、いぶかしげに視線をめぐらせる。
 雑談のざわめきがやみ、昼さがりの物音が滑りこむ。前庭で鳴く鳥の声。風が梢を揺らす音。
「──なにか、聞こえないか?」
 一団の一人が顔をあげた。
 凪いだ昼さがりの静寂の中、確かに、どこかで音がしていた。遠い物音。どんどん扉を叩く音。
 声が、かすかに広間に届いた。しきりと男がわめいている。
『 誰か──おーい、誰かいないか! 』
 一団が顔を見合わせた。
「おい。行くぞ。様子がおかしい!」
 左手の廊下へ、足早に向かう。
 円柱の陰など見向きもせずに、一団は一つ手前の円柱で折れた。それに続いて若い軍服も肩を返し、ふと足を止め、振りかえる。
「──そうか。困ったな。子供を現場に連れていくわけには」
 遠ざかる一団を、口ひげの軍服がやきもき目で追い、コリンの前に膝をついた。
「ちょっと、ここで待っていなさい。すぐに戻ってくるからね」
 せかせか床から立ちあがり、栗毛と目配せ、一団の後を追っていく。
 靴音があわただしく遠のいて、凪いだ静けさが広間に戻った。かすかな遠い靴音も、ふっつり途切れて静寂に消え入る。
 身を隠した円柱の陰から、すっとカーシュが歩み出た。
 置き去りにされたコリンに近づき、見あげた頭に手の平を置く。「──勘弁してくれよ。寿命が縮むぜ」
 突っ立ったコリンの脇の下に、ヒースが手を差し入れた。「すまん、重かったろ。そろそろ代わる」
「ああ、無理すんなよ、おっさん」
 コリンの前にカーシュがかがみ、再び肩にかかえあげる。ヒースを一瞥、肩をすくめた。「あんたじゃ、長くは走れねえだろ。──どうってこたねえよ、痩せっぽちのガキくらい」
「──すまんな」
 ヒースの無防備な横顔から、手放しの信頼が見てとれた。このカーシュは、子供を預けても大丈夫な相手だと。もっともこれがマリーベルなら、指一本触らせもしなかったこと請け合いだが。
 ところでさ、とダドリーは、広間の端に目を向ける。
「なに投げたんだ? 今」
 カーシュはどうでもよさげに肩をすくめた。「──なに。つまらん物さ」
 静かな廊下に視線をめぐらせ、ヒースは光あふれる出口を見た。「どうする。正面から外に出れば、また鉢合わせになりかねないが」
 ダドリーは眉根を寄せて思案する。「けど、出口はそこにしか」
「こっちだ」
 カーシュが目配せ、踵を返した。
 向かっているのは下りの階段。ダドリーはあわてて後に続く。「貯蔵庫の中に隠れる気か? 家捜しされれば、見つかるぞ」
「なんのための"秘密の通路"だ」
 カーシュが肩越しに一瞥をくれた。「急げ。すぐに引き返してくるぞ」
 彼らが三階に到着し、執務室に閉じこめられた仲間の姿を発見すれば。
 
 闇の中、大型の木箱が積みあがっていた。
 がらんと壁のない、だだっ広い空間が広がっている。古城の一階を占める貯蔵庫だ。
 ぽつんと奥に光が見えた。潜入する際、閉め忘れていたあの扉が、思わぬところで目印になった。
 外から漏れ入る光を目指し、積まれた木箱の間を抜ける。黒鉄が張られたいかつい扉を、今度はしっかり完全に閉じ、石段を駆け降り、突き当たりの壁のアーチを潜る。 進路の先の外光を頼りに、暗がりの通路をひたすら進む。
 石壁に丸く囲まれた、螺旋階段が現れた。
 丸く囲った石壁の隙間のような明かり取りから、細く日ざしが漏れている。街の外壁と継ぎ合わせた、あの円塔の最深部。息つく間もなく、螺旋階段を駆けのぼる。
 カッ──と夏日が照りつけた。
 生ぬるい風が、頬をなでる。日に焼けた石床が、目にまぶしい。今しがた出てきた円塔を、カーシュは肩越しに振りかえる。「十中八九、追っ手はこない。貯蔵庫は今ごろ真っ暗闇だからな。在庫の山で見通しもきかねえ」
 射し入る光が導く扉は、今度はしっかり閉めてきた。通路へ続くあの扉は。
 回廊を渡る風に吹かれて、ヒースが呆気にとられて見まわした。「まさか、こんな所につながっていたとはな」
 街壁狭間の向こうの彼方で、青い一団が集結していた。街道沿いの平原だ。カーシュは街壁に歩み寄り、苦々しく顔をしかめる。「──ラトキエだったとはな」
 領邸に潜入する際、ここであの部隊を見かけていた。
 カーシュはヒースを目で質す。「こっちの戦力は」
「武装可能な者というなら、国境警備隊が辛うじてそうだが、はたして戦力といえるかどうか」
「国軍は。トラビアには本部があったろ」
「本部の場所は、街壁の外だ」
「……。それじゃあ何か? こっちの手勢は、あの灰色の連中だけか? それで武装兵力とやり合おうってのかよ」
 カーシュはやれやれと天を仰ぐ。狭間の向こうの青い部隊に、溜息まじりに視線を投げた。「ああも派手にやられたんだ。ただで済ます気はねえよな当然」
 まともにやり合えば玉砕だな、と捨て鉢につぶやく。ラトキエは面子を潰されたのだ。
「少し急ごう」
 青空にたたずむ楼門を見やり、ヒースがせかせか踏み出した。「ラトキエが攻撃を再開すれば、門衛だけでは対処できない」
「さっきの矢は威嚇だろうぜ」
 肩のコリンをかかえ直して、カーシュもぶらぶら後に続く。「からかわれてんだよ、あんたらは。敵をビビらせ、てめえに有利に持っていく、喧嘩の常套手段だろ」
「戦では、まず、使者が立つ」
 二人の横に並びつつ、ダドリーは連れを振りかえる。「戦端を開くかどうか、意思を確認するためだ。形式的な手続きだが、矜持の高いラトキエなら、これを省くことはないはずだ」
「それで、どうすんだ。この先は」
 カーシュが鋭く一瞥をくれた。ダドリーは歩く足元を、眉をひそめて凝視する。
「使者は、とりあえず追い返すしかない。今、中に入れちまえば、身柄を引き渡さざるを得ないからな」
 銀縁めがねの横顔で、ヒースが無言で眉をひそめた。「で?」とカーシュが先を促す。
「早急に秘書官を捜し出し、真の首謀者として、ラトキエに突き出す。その間、なんとしてでも時間を稼ぐ」
「つまり、秘書官の身柄を押さえない限り、交渉には入れないってことか」
「だったら、しばらく篭ることになるな。それと──」
 カーシュが嘆息、回廊の先へと目を向けた。
「そういうことなら、急ぐか、門に」
 使者の到着を阻止するために。
「ねえ、おじちゃん。お外に出たよ?」
 コリンが待ちかねたように赤い蓬髪を引っ張った。
「ああ、そうだっけな」
 カーシュは隠しを片手で探り「ほい、褒美だ」と何かをさし出す。
 手を伸ばして、コリンがつかんだ。へえ、とダドリーはカーシュを見る。「よく飴玉なんか持ってたな」
「いや。もらいもんだ」
 さっそくコリンは口に入れ、カーシュの肩にしがみついた。べったりくっ付いた子供の頭を、カーシュは笑ってぽんぽん叩く。「よく辛抱したな、坊主。帰ったらパンツ・・・替えて・・・もらいな・・・・
 え? とダドリーは振り向いた。
 そういうことか、と合点する。コリンはぐずっていた訳ではなかったのだ。広間で突如、飛び出したあの時。
 石床に落とした紙包みを、それにしても、とながめやる。どうも見覚えがあるような──あ、とヒースの顔を見た。
「なんか言ったか?」
 ふと、ヒースが振りかえる。さすが剣豪、こんな時でも勘がいい。
 引きつり笑いで、ダドリーは手を振る。
「あっ、ん〜ん。別になんでもないよ、アーニー」
 ぎょっと、ヒースが固まった。「……お前、今、なんて」
「え? だって、アーノルドなら アーニー だろ?」
「誰から聞いた!」
 ぱっ、とカーシュが目をそらした。
 空口笛のその顔を、頬を引きつらせてヒースは睨む。頬に手を当て、ダドリーはすかさず呼ばわった。
「どーかしたのぉー? アーニー?」
 きらり、と銀縁を光らせて、くるりとヒースが振り向いた。
「俺は"ヒース"だ。わかったな」
「……。わ゛か゛った゛よ゛」
 ごん、と拳で黙らされ、ダドリーは涙目でコクコクうなずく。
 ちら、と飴玉の包みを盗み見た。ともあれ、そんなことをヒースに言えば、きっと絶対修羅場になる。とかく「娘の父親」は、想像を絶する生き物だ。
(他の男にも、やってたの?)
 この赤毛の蓬髪に、はい、と笑顔で飴を差し出す女児の姿が目に浮かぶ。意外にもやり手なマリーベル……
 ひらり、と何かが、夏日を遮り、ひるがえった。
 銀光一閃、ギン──と頭上で金属音。
 とっさに身を伏せ、あわててダドリーは顔をあげる。
 背中が、夏日を遮っていた。襟にかかるオールバック、銀縁の横顔の後ろ姿。
 立ちはだかった肩の向こうに、軍服が二人立っている。どちらの手にも抜き身の刃。
 カーシュが顔をしかめて舌打ちした。「──悪りぃ。出遅れた」
 肩のコリンを、投げてよこす。「どいてろ」
「わかった」
 ダドリーはコリンを両手でかかえ、二人の後方に速やかに下がった。コリンが顔を押しつけて、首筋に強くしがみつく。改めて向かいの軍服を見た。
 目深に被った制帽の下、薄い唇が笑っていた。制服姿であるためか、二人はいやに似て見える。左にいる軍服が、隣の軍服の顔を見た。
「邪魔された」
 声には、軽い驚きがこもっている。いかにも意外と言わんばかりに。
「邪魔されたな」
 右の軍服も顔を向け、左の言葉を復唱した。振り向き、ヒースに目を向ける。
「お前は、本当に民草・・か?」
 ヒースは剣を構えつつ、目をすがめて訊き返す。「──どういう意味だ」
 構わず右の軍服は、左の軍服を振り向いた。
「やはり、あれは民草だ」
「やはり、あれは民草だな」
 左の軍服も顔を向け、右の言葉を復唱した。
「仕留め損なった」
「仕留め損なった」
「予定外だ」
「予定外だな」
 それが左の口癖なのか、やはり復唱して返す。いや、今は右の軍服だったか。
 どちらが先に言葉を発し、どちらが復唱しているのか、今や、うやむやになっていた。どちらの声にも抑揚がなく、特長もないので捉えどころがない。
「──なんでえ、こいつらは」
 刃を抜いて構えつつ、カーシュが怪訝そうに眉をひそめた。「こいつら、馬鹿にしてるのか? それとも、おうむ返しが流行ってるのか?」
 なんとも奇妙な相手だった。
 奇妙なほど、よく似ている。同じ制服を着ていても、顔立ちなり、体型なり、人には「ばらつき」があるものだが、そうした個性と呼ぶべきものは、この二人には見受けられない。
 どことなく作り物めいていた。つるりとしたなめらかな頬。彫像のような面長の輪郭。その唇の薄さまで測ったようにぴたりと同じ。背丈、肩幅、輪郭、体型、すべてが同じであるかのような。一様で、均一──そんな言葉がしっくりとくる。二人が並び立つその様は、同じ型で抜かれた「二体の人形」を思わせる。
 彼らは互いの見解について、まだ確認し合っている。
「この民草は予定にない」
「この民草は予定にない」
「どうする」
「どうしよう」
「だが、邪魔だ」
「ああ、邪魔だ」
 くるりと、二人が振り向いた。
 とん、と左が、軽やかな足どりで回廊を蹴る。
 青い軍服が、夏の日ざしに舞いあがった。頭上で剣を振りまわし、ヒースの頭上から襲いかかる。
 キィン──と高い音がして、軍服の刃が弾かれた。
 軍服はすばやく後方に飛びのき、とん、と軽く石床に降り立つ。
「止めた」
「止めたな」
 左右の軍服が、互いに振り向き、確認し合う。
「まぐれじゃない」
「まぐれじゃない」
「あいつは邪魔だ」
「あいつは邪魔だな」
 振り向き様、二人が同時に地を蹴った。
 ヒースは体勢を低く身構える。二人同時に振りかぶった刃が、右から、左から、同じ角度で斬りかかる。
 キィンと高く弾いた音。ギン──と重い音が、それに重なる。
 ヒースの隣で、赤い蓬髪が顔をあげた。
 抜かりなく刃を構えつつ、目だけでヒースに一瞥をくれる。「加勢するぜ」
「助かるな」
 飛びのいた向かいを注視しながら、ヒースはゆっくり剣の柄を握りなおす。
「こいつも邪魔だ」
「こいつも邪魔だな」
 二人の視線が、カーシュを捉えた。
「民草が二人か」
「民草が二人だ」
 ぱっと振り向き、背中を合わせ、左右に分かれて歩き出す。
 そこから三歩離れたところで、それぞれの相手に向き直った。
「片付ける」
「片付けよう」
 地を蹴り、左右から襲いかかった。
 鞭がしなるようなしなやかさで、二人の軍服が攻撃を繰り出す。
 頭上で振りまわす刀身が、ひゅんひゅん風を切り、唸りをあげた。まるで力を入れていない。剣の重みで振りまわし、その勢いを殺さぬままに、鋭い刃を打ち下ろしてくる。だが、腕の基点となる胴体の軸は、わずかたりともブレてはいない。そして、いかなる躊躇もない。
 ヒースはそれを受け流し、カーシュは弾き返して防戦した。その都度、軍服は飛びすさり、それに倍する速度で戻ってくる。
 息つく間もない攻撃だった。反撃する間も与えない。ヒースとカーシュは、非力な連れを背にかばい、防戦一方を強いられる。
 すっと互いに歩み寄り、軍服が顔を見合わせた。
「こいつは面白い」
「あいつも面白い」
「「 まだ、生きてる 」」
 ふと、めぐらせた二人の視線が、後方に下がったダドリーを捉える。
「──用心しろ! 癖っ毛!」
 カーシュが振り向き、肩越しに怒鳴った。
「こいつら、ただの兵隊じゃねえぞ!──逃がせ! ガキを! どこかへ早く!」
「──わかった!」
 コリンの頭を平手でかかえ、ダドリーは回廊を走り出す。
 軍服は本気だ。本気でヒースとカーシュを倒し、コリンを腕づくで奪おうとしている。
 だが、身柄は断じて渡せない。渡せば、極刑に処されること確実だ。次の円塔で地上に降り、雑踏に紛れて姿をくらます、これしかない。二人が足止めしている内に。
 息せき切って走る背に、激しい剣戟が遠ざかる。
 夏日が頭上に照りつけた。
 未だ遠い円塔の階段、昼陽を浴びた薄茶の石床。白い回廊、白んだ視界、強い日ざしに目がくらむ。外壁の上部を縁どる狭間が、長く、彼方まで続いている。
 二人が気になり、走りながら振り向いた。軍服の熾烈な攻撃の下、二人はふんばり、持ちこたえている。
 それにしても、見れば見るほど、あの軍服はそっくりだ。その外見もさることながら、でたらめな間や攻撃の速さ、そして、かもし出す気配までもが。いや、気配というほど確かなものは、あの二人の軍服にはない。
 目の前にいながら、その実体がつかめなかった。感情の揺らぎや体温といったものを、ほとんど感じとることができないのだ。存在が希薄で虚ろ。ぽつん、とひとつ浮き出た染みが、色を濃くして急速に広がり、ついには何もない空中から、ふっと現れ出たように。
 ギン──と鈍い音がして、カーシュが軍服を弾き飛ばした。
 軍服はぴたりと不意に停止・・・・・し、すぐさま飛びこみ、襲いかかる。飛びのいた空中に、確かな足場があるように。まるで、獲物を狙い、急降下を繰り返す、猛禽の狩りを見るようだ──。
 ひらり、と何かが降り立った。視界の端に、新たな色彩。
 ──回廊の先。
 はっとして、ダドリーは目を返す。
 夏日に焼けた回廊の行く手に、いつの間にか人影があった。青い制帽、青の軍服。そして、手には抜き身の刃。
「──三人目?」
 面食らって、立ち止まった。
 いや、目を離す直前まで、回廊は彼方まで無人だった──そのはずだ。
 あわてて腰を片手で探り、丸腰だったことに気がついた。
 しがみつくコリンを両手で抱きしめ、せめて睨めつけ、後ずさる。
 地上へ続く円塔まで、まだ大分距離がある。焼けた薄茶の回廊の上、三人目の軍服は、片手で抜き身をもてあそんでいる。コリンをかかえ、身構えた背で、激しい剣戟は続いている。
 真夏の日ざしがぎらついた。
 じり、と軍靴が前に出る。とん、と軽く踏み切って、軍靴が高く跳躍した。
 制帽の下の唇が、にやりと笑みの形にゆがむ。
「死ね。ダドリー・・・・=クレスト・・・・・
 真夏の日ざしを背景に、軍服が白刃を振りかぶった。
 
 
 

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