CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話19
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 寝床のシーツを引っつかみ、息を飲んで飛び起きた。
 午後の陽のさす寝台で、長めの前髪を払いのけ、震える利き手で額をつかむ。
「……神経が参るな」
 寝ても覚めても姿がちらつく。
 落とした吐息に、疲労がにじんだ。肩には汗が光っている。
 ガタン、と戸口で音がした。
 扉をあけて立っていたのは、黒髪を長く伸ばした無表情な連れ。
 買い物から戻ったらしい。片手に包みをさげている。アスランは溜息まじりに息を吐く。「──おかえり、ギル」 
 寝台にもたれた気だるそうな連れを、眉ひとつ動かさずにギルは見やって、宿の部屋へと踏みこんだ。
 片手にさげた生肉の包みを、どさり、と卓の上に置く。「また、うなされていたのか」
 苦々しく眉をひそめ「──ああ」とアスランはうなずいた。
「"鍵"を持っているからな、どうしたって影響を受ける。──見えるんだよ、泣いている彼女が。けど、君がここまで来てくれないと、俺は助けてあげられない」
「恋に浮かされてでもいるようだな」
 そっけない口調で、ギルは言う。アスランはかかえた膝に嘆息した。「そりゃそうさ。毎晩会ってるんだ、情も移る」
 肩で切りそろえた黒い髪の彼女。
 霧の中にたたずむその背が、途方に暮れて振りかえる。
「深い絶望の淵にいる。声を嗄らして泣き叫んでいる。大切な人を失って──胸を、矢で射抜かれたんだ。取り乱し、泣きわめいて、ずっと助けを求めている。俺の頭の中で、ずっと、ずっと」
「いずれにせよ、追わずばなるまい。彼女を確保するために、放浪したようなものだからな」
「……。又そんな」
 げんなりアスランは突っ伏した。「たく。お前は本当に身も蓋もないな。頭の中どうなってんの? 人が真面目に話してんのに」
「俺はしごく真面目だが」
「──だから、もうちょっと言いようってもんがあるだろうって──まあ、いいか今更か。そんなことよりギル、あまり余計なことは話すなよ」
 なんの話だ、とギルが眉をひそめる。
「喋ったろ、翅鳥のこと。あの癖っ毛、変な顔をしてたじゃないか」
「お前こそ、なぜ教えてやらない。あの男の身に起きることを」
 ちら、とアスランは一瞥をくれた。「なんのために?」
 頭の後ろで手を組んで、窓辺の寝台に寝転がる。
 ギルは無言で、非難がましく目を向けている。
 アスランは顔をしかめて寝返りを打った。「詮ないことだろ。知らせたところで、無闇に恐がらせるだけだ。逃げ場なんか、ないんだぜ?」
 窓の外に視線を投げて、つぶやきと共に嘆息する。
「……かわいそうにな。まだ若いのに」
 ゆっくりと、ギルは腕を組んだ。
「それでも警告にはなるはずだ。逃れることはできずとも備えることはできるだろう。ならば、やはり──」
「ちょっと待て、ギル」
 口元に指を立て、アスランは目配せで、その先を封じた。
「人がくる」
 ギルが扉を一瞥し、部屋の片隅を振りかえる。
 すぐさま、つかつかと足を向けた。その先には、四肢を折り曲げ、うずくまる毛皮。昼の町宿は静まりかえり、閑散として音もない。アスランは探るように目を細め、唇を指先でとんとん叩く。
 ふと顔をあげ、ギルに向けて片目をつぶった。
「大丈夫。そのままでいい。三十秒で終わるから」
 それから三も数えぬ内に、階段を登る足音が聞こえてきた。
 ややあって、コンコンコン、と部屋の扉が叩かれる。
 毛皮の首を片腕で抱き、ギルは壁際にしゃがみこむ。
 アスランはそれを見届けながら、素肌にシャツを引っかける。部屋の扉へ大股で歩き、木板の扉を細目にあけた。「──はい。どなた?」
「お休みのところ、すみませ〜ん」
 しなを作った甘え声。
 戸の隙間から見あげていたのは、念入りに化粧をした、ふくよかな中年の女──この宿の女将だ。
「あの、これ、お忘れじゃありません?」
 媚びるように微笑いかけ、つまみあげたのは青いタオル。
 女将は頬に手を当て、ころころ笑う。「いえね。食堂したに落ちていたものだから。お客さんたちのじゃないかって」
 アスランはすまなそうに眉をさげた。「いえ、違いますよ。ぼくらのじゃない」
「あ、あら、そう……」
 真っ赤に塗った口をすぼめて、女将は残念そうにつぶやいた。それじゃあ隣の席かしら、と聞こえよがしに続けてつぶやく。
「じゃあ、これで」
 アスランは扉を押し戻す。
 女将があわてて手をかけた。「あ、いえね」と片手を振る。「ちょうど、おいしい果物があるんですよ。よければ、お連れさんとご一緒に──」
「それはお気遣いを、すみません」
 アスランはにっこり遮った。
「お気持ちはありがたいんですが、ぼくら長旅で、疲れてて」
「──あ、あら、そうよね」
 ばつ悪そうに女将は笑い、えーと……と続けて上目使い。だが、いくら待っても、アスランに助け舟を出す様子はない。
「ま、まあ。お休みのところ、お邪魔しちゃって」
 渋々女将は諦めて、愛想笑いでノブをつかんだ。
「じゃ、ごゆっくり」
 慇懃に頭をさげつつ、念入りに秋波をおくる。
 ぱたん、と音を立てて戸が閉まった。
 アスランは壁際を振りかえり、閉じた扉を顎でさす。
「行ったよ」
 ギルが毛皮から手を放し、懐中時計を見ながら立ちあがった。
「三十秒きっかりだ。いつもながら感心する。よく、そうもわかるものだな」
 アスランは肩をすくめた。「俺には風の行く先が・・・・・・読める・・・から」
 ところでギル、と顔をしかめて向き直る。
「部屋に を入れるなよ」
 扉のある壁の隅で、艶やかな黒い毛皮が、金のまなこを向けている。黒い前脚で押さえているのは、人の頭ほどもある生肉の塊。食事中の豹を見守り、ギルがかたわらで振りかえる。
「これは猫だ」
「いや、豹だろ。どう見ても」
「猫だ」
 きっぱりギルは言い切った。くるり、と黒豹に振り向いて「さっ、ノアール。たくさんお食べ?」と満面の笑み。当の黒豹の成獣は、鋭い牙をむき出して、生肉にかぶりついている。
 アスランは溜息まじりに額をつかんだ。「……なにが猫だ。こいつと通りを練り歩いてみろよ。あっという間に大騒ぎになるぞ?」
「そうでもなかった」
「やったのかよ!?」
 あぜんとアスランは即答に固まる。
 連れの反応は全面無視して、ギルは真面目な顔つきで豹を見た。
「やはり、散歩はさせんとな。こう、狭い部屋に閉じこめていては、ノアールも息が詰まるだろう。なあ? ノアール?」
 黒い猛獣に語りかけ、目尻を下げるその様は、今にも頬ずりせんばかり。相手は獰猛な肉食獣だが、ひとり我が道を突き進むギルに、意に介したふうはない。そして、黒光りする件の豹は、爪で生肉をガッシと押さえ、わしわし牙をむき出している。
(……。豹なのに猫かわいがり、とはこれいかに)
 思わず絶句で見入ってしまい、はた、とアスランは首を振る。
「──て、騒ぎになったろ! なんで "そうでもない" んだよ!?」
 見向きもせずに、ギルは応える。
「猫だと言った」
「こんなバカでかい猫がどこにいる! 小柄な大人ほどの大きさがあるぞ!」
「みんな、頭をなでてくれたぞ?」
「──て、なんでだよ!?」
 ギルが真顔で目を向けた。
「カレリアに、豹はいない」
 思考停止でアスランは固まり、やがて、一つまたたいた。
「……うん。確かにな」
 黒豹あらため「バカでかい黒猫ノアール」は、ぐるぐる嬉しげに喉を鳴らして、ギルの顔を見あげている。ギルは「お? どうした。もう、いいのか? ん、それなら水を飲もうな?」などと甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「──ま、いっか、それでいいなら」
 どこにも不都合はないようだ。やれやれ、とアスランは頭を掻く。「けど、そういう愛情は人間に注げば?」
 そういう獰猛な獣ではなく。
 満足げに舌なめずりしている黒豹の頭のてっぺんを、ギルは、よしよし、となでてやる。「余計なお世話だ。何に注ごうが俺の勝手だ。そんなことより、どうするんだ」
 豹を放して立ちあがり、真顔で視線を振り向けた。
「"鍵"を探しに行こうにも、門を閉ざしてしまっては、ここから先には進めない」
「──ああ。それなんだよな」
 アスランは顔をしかめて頭を掻く。「あれは、確かに早まったよな」
「安易に手など貸すからだ」
「仕方がないだろ、あの場合は。だって、あんな悲壮な顔をするんだぜ?──大丈夫だよ、彼女の方から現れる。俺たちは、ここで待てばいい」
「だが、あの "鍵"は危険だ」
「だから回収にきたんだろ?」
 未来を組み替える・・・・・・・・その鍵を。それが、防人からの言いつけだ。
「ギル」
 アスランは壁に腕組みでもたれ、霧の先に目を凝らすように目をすがめる。
何かが・・・起きるよ・・・・? 何かとんでもないことが」
 ギルが怪訝そうに見返した。「だが、彼女に"鍵"は使えまい?」
「細かい経緯はわからない。だが、それ・・が全てのきっかけになる」
 わずかに戸惑った面持ちで、ギルは視線をめぐらせる。
「それで "鍵"は今どこに?」
「この辺りにいる。いや、徐々にこちらに向かっている。たぶん、長く待つことにはならないはずだ」
 このトラビア平原に、彼女は必ず現れる──。
 予兆を探るすがめた目元を、アスランはふっと緩める。
「……傭兵団に囚われて、一人ぼっちのお姫さま」
 歌うようにささやいて、窓をながめて目を細めた。
「ギル、姫を助け出すよ。連中が彼女を手にかける前に・・・・・・・
 
 
 

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