■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話22
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国境トラビアの街並みが、西日に赤く照らされていた。
道往く人々の足元に、影が長く伸びている。
街角の街路灯に、いつしか灯かりがともっていた。
ざわざわ、がやがや人々のざわめき、街路を行きかう絶え間ない足、店先の縁台に積みあげられた色鮮やかな数多の果物。酒場の軒下の卓につき、早々と飲み始めた男たち。
西日をあびた街の通りを、国境の街の人々が、普段着姿で往きすぎる。
暑い昼をやり過ごし、夕涼みがてら、人が出ていた。通りをそぞろ歩いている。閉じた楼門の方角を、誰もがちらちら盗み見ながら。
気だるく静まり返っていた昼の風情とは様変わり、日暮れの街は賑わっている。絶えず傍についていたカーシュは、近くの店まで用を足しに行っていた。
「……そう簡単には見つからないか」
街角の壁に肩でもたれて、ダドリーはそっと溜息をつく。がやがや往きすぎる人々の頭、途切れることのない日暮れの雑踏、あの顔は見つからない。
秘書官を捜していた。
だが、捜索は遅々として進まない。
職務多忙で領邸に詰めていた秘書官は、一部の者としかやりとりをせず、その顔を知るのは一握りの者に限られている。守備隊では、副官を務めるめがねのヒースと、件の指揮官バウマンの供で顔を合わせた隊員が、辛うじて数名というところ。あの秘書官の生活圏──領邸で働いていた使用人たちがいれば、格段に効率があがるのだが、あいにく彼らは領邸を追われ、今や散り散りの状態だ。ダドリーは領邸に出入りしていたため、使用人たちと面識はあるが、連絡を取り合うほどには懇意ではない。
やむなく、ヒースとその部下は、町宿の部屋という部屋を片っ端から見てまわり、ダドリーはこうして街角で目を凝らしている。
「たく。こんなこと、さっさと終わらせたいのに」
人の顔を確認していく地道な作業に辟易としながら、ダドリーは溜息まじりに目頭を揉む。
それにしても解せなかった。あの秘書官ネグレスコの意図が。他領の蹂躙などという、たいそれた真似を仕出かした動機が。なぜ、後継ぎを執拗に探し出し、幼いコリンを担ぎ出してまで──。
順当に考えれば、野心ゆえの暴走だろう。だが、秘書官になんの得がある? 仮に事が成ったとて、コリンを領主として押し立てたからには、彼はあくまで領主に仕える秘書官でしかない。そんな面倒な回り道をせずとも、ネグレスコは元より秘書官だ。領主ニコラスの逝去を公表、その後釜にコリンを据えれば、実権は確実に引き継がれる。
秘書官職に就く人材は、市井から選抜されるわけではない。門閥の中でも有力な貴族の血族が、代々職位を世襲する。自領クレスト領家では、かのエルネスト=ラッセルが先代の地位を継いだように。
つまり、かの秘書官は、何もせずとも安泰だったはずなのだ。それがなぜ、国を掻きまわすような真似をする。もしや、事が成った暁には、幼いコリンを排除して、己が国を治めるつもりで──
「おい! どうなってんだよ、これは!」
はっと、ダドリーは身を硬くした。
いきなり肩をつかまれていた。苛ついた口調でどやしつけてきたのは、口ひげを蓄えた中年の男。普段着姿の見知らぬ市民だ。この不躾な口ぶりは酔っているのか? いや、酔ってはいない、怒っているのだ。そして、今、怒鳴りこまれるような理由があるとすれば──
閉鎖した楼門が頭をよぎった。
そういえば、ラトキエの使者を締め出したあの時、市民に顔を見られている。それで領邸の関係者と知ったのか──。ダドリーはあわてて口をひらく。「あ、いや、すまなかった。けど、これには、やむをえない事情があって──」
事態を釈明しようと試みる。
男は聞く耳を持たなかった。街中で声を荒げ、さすがに気まずくなったのか、すばやく辺りを見まわして声を抑えはしたものの、それでも憤慨し、興奮している。
ダドリーは核心を慎重に避けつつ、上っ面の釈明を繰り返す。だが、コリンにまつわる未公表の事情を伏せたままでは、あやふやな説明に終始せざるを得ない。
男が苛々と舌打ちした。
「たく! いいんだよ、そんなこたァ、どうだって!」
ダドリーは面食らって口をつぐんだ。
改めて向かいの男を見る。男の何かがひっかかった。この男、どことなく様子がおかしい。せかせかした物言いといい、この高飛車な態度といい──。
突如街に閉じこめられて、苦情をねじ込みにきたのかと初めは思った。だが、男の怒りの矛先は、どうも、そこではないようなのだ。国境を封鎖したことを男は責め「なぜ報告にこない」と詰っている。言葉尻にかすかな訛りを聞きとった。耳に馴染みのない抑揚だ。そういや、視線がいやに険しい。この男は本当に、この街の
──市民なのか?
男が焦れたように掴みかかり、顔の間近で声を潜めた。
「おい、なんとか言えよ! ネグレスコ!」
はっ、とダドリーは息を呑んだ。
「なんで、あんたがあの男の名を──」
男が面食らったように口をつぐんだ。
ばつ悪そうに目をそらし、舌打ちして頭を掻く。踵を返し、そそくさ街角へ歩き出す。
「あ、まてよ──おい!」
あわててダドリーはその腕をつかんだ。
男は腕を振り払い、追いすがる肩を突き飛ばす。ちらちら肩越しに振り向きながら、街路の先へと駆けていく。
不意をつかれてよろめいた視界で、薄暗い路地に、姿が飛びこむ。
体が、路地から弾き返された。男の腕をねじあげて、人影が街角から歩み出る。
「その話、くわしく聞かせてもらおうか」
外灯に照らし出されたのは、赤い蓬髪のあの横顔。
男を捕らえたカーシュの元へ、一足遅れてダドリーは駆け寄る。男の腕を引っつかみ、引っ立てるようにして振り向かせた。
「おい! どういうことだ! なんで、あんたが、あの男を知っている!」
男は顔をしかめて目を合わせない。
カーシュが慣れた手つきで、男の服を検めた。上着の隠しを無造作に探り、札入れの中から紙を取り出す。四角い紙片だ。
それを一瞥して眉をひそめ、渋い顔で振り向いた。
「帝国兵か、お前」
ダドリーはあっけにとられて凝視した。「そんな奴が、なぜ、ここに……」
昼にあの回廊で見た、物々しい光景が脳裏をよぎる。隣国にいるべき兵士が、ここにいるのは偶然か?
ざわざわと胸が騒ぐ。国境を監視していた駐留部隊。街に紛れていた帝国兵。ならば、平服姿のこの兵は、部隊の指示で潜入したのか? だが、あの部隊が出現したのは、国境の橋をあげた後。部隊から送り込まれたというのなら、それでは時間的に辻褄が合わない。一体これはどうなっている──。
ふと、カーシュが顔をあげた。
視線の先を怪訝に見やり、ダドリーは愕然と息を呑む。
街の様相が一変していた。そぞろ歩いていた人々が、必死の形相で駆けていく。
「な、何事だ──」
人々は楼門のある方角から、駆けこんできているようだった。口々に何か叫んでいる。
「こっちだ!」
「あの城なら安全だ!」
「たっ、助けてくれえ!」
街は、またたく間に騒然とした。
焦燥に駆られた人々は、大きな一団の民衆となって、転げんばかりに走っていく。その足が向かっているのは、この街の北の方角。そこにあるのは石造りの古城。
──領家の居館。
民衆が領邸に殺到していた。
駆け急ぐ腕を捕まえ、事情を聞けば、街壁の向こうから、火矢が降り注いでいるという。
ようやく到着した守備隊に、兵の身柄を引き渡すと、カーシュは、夕空にそびえる高い壁を眺めやった。「──ついに始めやがったか」
ダドリーはやきもき古城を見、顎をなでているカーシュを促す。
「とにかく、俺たちも領邸に!」
人波にまじり、街路を駆けて、あわてて古城に急行する。二階の入り口に駆け上がり、ダドリーは鋭く息を呑んだ。
広間はすでに大勢の人であふれている。
古城の頑丈な造りに気づいて、なだれ込んできたらしい。つまりは不法占拠であるが、現在、領邸に使用人は皆無で、警備していた軍兵も、みな捕らえてしまった後だ。
不安と憤りのざわめきの中、なすすべもなく立ち尽くす。カーシュが苦々しく舌打ちした。「しょうがねえな。守備隊を呼んで排除させるか」
とっさにダドリーは振り向いた。
「だめだ! カーシュ! 追い出すな!」
階段に戻りかけた足を止め、カーシュはいぶかしげに目をすがめる。「だが、お前、ここで寝泊りするんだろ? 刺客がここに混じったら」
「いいんだ、これで。──このままで、いい」
強く言い切り、ダドリーはざわめく民衆を見渡した。
助けを求めてやってきた民を拒むなど、到底できることではなかった。
彼らは領主ニコラスの大事な民だ。この地を治めたかつての城主は「領主の務めは、民の暮らしを守ること」と事あるごとに説いていた。
『 間違っても見捨てたり、敵に差し出すことがあってはならない 』
後ろ手に扉を閉め、背でもたれて嘆息した。
背中を扉につけたまま、板張りの床にへたりこむ。主を失った執務室は、夕暮れに静まり返っている。
ダドリーはうなだれ、額をつかむ。
「──どうして、こんな時に」
所持していた身分証から、不審者の身元が割れていた。隣国シャンバールの帝国兵。そして、国境付近には駐留軍。密かに侵攻が進んでいる。つまり、隣国に
狙われている。
事態は深刻だ。これまで以上に。
疲れた目頭を指で揉み、ダドリーは眉をひそめる。疲れきった吐息が漏れた。
「……こんなはずじゃ、なかったのにな」
他領の諍いを仲裁し、それで終わるはずだった。ディールの領主とは旧知の仲だ。腹をわって話をすれば、説得できる自信はあった。
だが、事態が勝手に一人歩きし、思わぬ場所まで流されていた。すべてを押し流す濁流に呑みこまれていくように。
ぼんやりと視線を投げれば、窓が夕陽を浴びていた。赤く染まった執務机で、この部屋のかつての主が──あのふくよかな顔が微笑んだ気がする。左右の肘を机につき、顎の下で指を組み、悪戯っぽい視線を向けて。
「……ニック。俺は間違っていたか?」
今ごろ階下の広間では、領民たちが身を寄せ合って、うずくまっているだろう。侵攻に怯え、暗い不安にさらされながら。
楼門の先はラトキエの侵攻。国境の向こうに部隊の影。街に潜入していた帝国兵。頼みの秘書官は依然として行方知れず──。
気だるい腕で片膝をかかえ、夕陽をあびた執務机に目を据える。
「俺は、この先、どうしたらいい?」
静まりかえった執務室の床に、窓枠の影が伸びていた。
かつて当主が事務を執った、懐かしい大振りな机は、ただ夕陽を浴びているばかりだ。
「──あんがい俺、死んだりしてな」
気晴らしのつもりの軽口に、びくり、と肩が小さく震えた。
「な、なんだ……?」
他ならぬ自分の反応に、ダドリーは自分で戸惑った。
つかみ損ねた意識を見送り、愕然として眉をひそめる。よぎった影は、死への恐怖か? それとも生への執着か。
「──この俺が? 馬鹿な」
苦々しく吐き捨てる。
捉えどころのないそんなものに、恐れなど抱いていなかった。どうあがこうが死ぬ時は死ぬ、ひとたび標的と定められれば、十中八九回避不能だ。そう腹をくくってきた。領主は衆人環視のただ中で、誰より目立つ高い椅子に座っているのだ。命の心配ばかりしていたら、結局、何も成せはしない。
幼い頃より暗殺の危険にさらされ続け、とうに諦念の中にいた。どうせ、拾いものの人生だった。諦めていた領主の椅子が転がりこんできただけで、すでに上出来の人生だった。どこで途切れようが文句はない。与えられた運命は粛々として受け入れる。虚勢でも強がりでも何でもなく、当然のこととして受け入れてきた。だが──
それが、今、崩れ去ったのを感じる。
苦しいほどの動悸を感じた。怖気が爪先から駆けあがる。何か、いつもと勝手が違う。刺客の襲撃で怖気づいたか? 死の縁を覗かされ、急に命が惜しくなったか?──いや、違う。そうじゃない。
「──そうか」
ダドリーはくすりと微笑い、癖毛の頭をゆるく振った。
握りしめた手の中に、あのペンの感触があった。窓から射しこむ赤い西日に、金具が鈍く光っている。
「……どうしてるかな、あいつ」
そっと手の中に握りこみ、西日の窓をながめやる。そう、怯えたのではない、思い出したのだ。
あの彼女の笑った顔を。
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