CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話23
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 被害は予想したほど多くはなかった。
 火矢での負傷者は十数人。外壁に阻まれ、矢が街の中央まで届かなかったのが幸いしたらしい。その高い障壁に加え、水堀の完成が飛距離を奪い、功を奏した格好だ。
 着の身着のまま焼け出された東街区の住民が、領邸広間になだれこみ、すでに数日が経過していた。現在、ディール領邸は、執務棟を除くすべての客間を、千を超える人々に解放している。
 そして、当のラトキエは、火災を起こしたあの晩以降、街への攻撃を一切とりやめ、不気味な沈黙を守っている。
 
「寝るなら、寝床で寝たらどうだ」
 瞼を細くこじあけて、声に視線をめぐらせば、あの見慣れた赤髪が、戸口にもたれて立っている。
「──ん──ああ」
 目をしばたき、ゴシゴシこすり、ダドリーは板床に肘をついた。「あー、俺、寝ちまってた?……う〜、体の節々が痛てぇ〜……」
 鈍い気だるさに顔をしかめ、それを振り払うようにして起きあがる。
 陽の高さを確認しようと、とっさに振り向いた窓がまぶしい。
 正午の日ざしが射していた。
 天井まで詰まった背表紙に、蝉声がじんわり沁みている。今、この古城では大勢の人が起居しているが、そちらの棟とは距離があるため、人々のざわめきは聞こえない。ただ青葉が風にゆれ、蝉の音だけが窓から聞こえる。
 不思議なほど、ひっそりしていた。大通りから一本入った、人けない路地にいるように。
 廊下側の戸口にもたれていたのは、あの赤い蓬髪だった。その手が、盆をもちあげる。
「ほれ。お前の昼飯もってきてやったぞ」
「……え、もう、そんな時間?──あ、うん、ありがとカーシュ」
 カーシュはいぶかしげな顔をして、昼の陰に沈みこむ仄暗い板張りの部屋へと踏みこむ。「何やってんだ。辛気臭い書庫なんぞで」
 ダドリーは気だるくあぐらをかき、首を回してあくびした。「ん。ちょっと調べ物」
 少し埃っぽい板床には、古い書物が散乱している。
「それで、なにか分かったか」
「──ああ。よく分かった。トラビアがいかに戦に強い街か・・・・・・ってことが」
「つまり?」
「もし、城を落とすなら」
 書架と書架との間を埋める漆喰の壁にあぐらでもたれ、ダドリーは床からカーシュを仰ぐ。
「カーシュなら、どう攻める?」
 あ? とカーシュが怪訝な顔で見返した。
「資料は一応あたってみたけど、なにぶん事例が古いからさ。通用しないかも知れないし」
「──攻城戦なんてものは」
 カーシュは書見台に膳を置き、窓の向こうに広がったトラビアの街並みに目をすがめた。
「やり方は、基本的に同じだ。要は、当主を降参させるのが目的だから、敵の領地に潜入するなり突撃するなりして、兵を排除しながら拠点に向かう」
「どうやって街に入る? ここには水の防壁があって、そもそも外壁まで近寄れない」
「いや、だから、そんなものはお前、適当にそこらの穴から──」
 顔をしかめて言い返し、ふと視線をさ迷わせた。
 ダドリーはぱちくり、カーシュを見返す。
「今、なんか言いかけなかった?」
「──ああ、いや、なんだ、その」
 カーシュはそそくさ目をそらす。「あ、いや、中の奴を脅そうにも、矢は東の端までしか届かねえんだったな?」
「うん。そうね」
 何を今さら、とダドリーはうなずく。
 カーシュは上目使いで首をかしげた。「となると、攻城やぐらも水堀があるから使えねえ、と。まあ、壁がだめなら地下道でも掘るか。いや、壁の手前に堀があるから、掘るなら更にその下になるか。──ま、こいつは没だな。手間がかかりすぎる」
 そんなことチンタラやってたら、何年かかるか知れねえしな……などと、一人ぶつぶつぼやいている。
 ダドリーはつくづく観察し、しばらくしてから促した。「なら、どうする?」
「だったら、壁をぶっ壊すまでだ」
 いささか憮然とカーシュは応えた。
「ぶち抜いた穴に橋をかけ、そこから街に侵攻する。もっとも、それなりの道具は要るがな。例えば、大型の投石器」
「そう。攻城兵器が必要だ」
 にやり、とダドリーは口端で笑う。「だが、そんな時代がかった代物は、今時どこも備えちゃいない」
「──なるほど、こいつは、よくできていやがる」
 顎をつかんで、カーシュは唸った。「この国の戦ってのは、遠い昔の話だからな。確かにそんな代物は、隣国むこうにはあってもカレリアこっちにはねえな」
「そ。このご時世じゃ無用の長物。まして扱う所も造る者も、今となっては、まずはない。だが、隣の国から買い入れようにも、あるいは技師を呼ぼうにも、向こうに渡る国境を、ディールの領土がふさいでいる」
「──ああ、だから、カレリアの軍事はラトキエが・・・・・握っているのか」
 隣国と紛争が起こる可能性のある国境を所領に持つにもかかわらず、軍事はディールの管轄ではない。国軍本部が置かれた場所柄、その監督と運用を委任されるに留まっている。
「だな。国境と武力を押さえれば、ディールはほぼ無敵になる。門を閉じ、大陸側を遮断しても、トラビアは単独で生き延びられるからな。商売相手なら、国境の向こうにいくらでもいる。その上、軍まで握ったら、他家にはもう打つ手がない。もっとも、今回にかぎっては、国境の封鎖を、うかつに解くわけにはいかないがな」
 山裾で駐屯していた武装部隊、トラビアに潜伏していた帝国兵──不穏な影がちらついている。
「攻城兵器に話を戻そう」
 ダドリーは切りあげ、仕切り直す。
「資料を片手に造るにせよ、試行錯誤で図面を起こせば、おそらく結構な手間がかかる。なにせ誰も見たことがない代物を、一から造りだそうってんだから」
 書庫はひっそりと静まりかえり、凪いだ昼の光があふれている。
「国境という土地柄もあったろうが、周囲が武装を解いていく中、ここトラビアの領主だけは、時代遅れの古い砦を、後生大事に維持していた。どれほど賢明な決断か、わかるか?」
 カーシュは腕を組み、嘆息した。
「他がぬるま湯につかった中で、ひとり警戒の手をゆるめずに、備えていたのがトラビアだったって話だな。つまり、戦をおっ始めた時点で、他は大きく出遅れている。準備万端ととのえた相手に、なんとかして追いつくまでには、まだ、たっぷりと時間がかかる」
「問題は」
 ダドリーはうなずき、残る可能性を指摘する。
「攻城兵器がどこかに残っていた場合だが、その可能性は低いと思う。需要がないし、そうした類いは、でかくてかさばる。もし、仮にあったとしても、そんな兵器を使用するとなれば、現場の指揮官の一存では無理だ」
「ま、中央に伺いを立てる必要はあるだろうな」
「もしくは」
 言葉を切り、ダドリーは改めて目を据える。
当主自ら・・・・出てくるか・・・・・
「──つまり、お前としては、多少の猶予はある、と言いたいわけだ」
 吟味するように聞き終えて、カーシュはやれやれと頭を掻いた。
「ちっと考えが甘くねえか。戦ってのは数で決まる。その肝心の兵力が、こっちにはろくにねえんだぞ。備えはあっても、敵を押しのける武力はない。当主に兵器を使われて、突入されれば一巻の終わりだ」
「まず、ないと思うよ、その可能性は」
「──あのなー、癖っけ」
「ラトキエが治めるあの商都が、あれほど見事に機能しているのは何故だと思う?」
 じっと、ダドリーは真顔で見つめる。「人々が切磋琢磨して、日々発展を遂げているのは」
「──さあな」
 話をそらされたと思ったか、カーシュは投げやりに嘆息した。「がんじがらめにしているからか?」
「領民の、ラトキエへの信頼が厚いから、だ」
 カーシュが怪訝そうに見返して、白けた顔で鼻を鳴らした。「──は。信頼ねえ。大方、金でもばらまいてんだろ」
「ラトキエは何より "公正"を施政の礎としている」
 捨て鉢な皮肉を、ダドリーは淡々と受け流す。「現当主クレイグは明日をも知れぬ重病人だが、一人息子の跡取りも厳たることでは筋金入りだ」
「ああ。あのアルベールって野郎か、腰抜けの」
 記憶をたぐるように天井をながめて、カーシュはゆっくり顎をさする。「なら、こっちに出向くのは倅ってわけだ。ま、"真の領主がいた"なんて裏でもなけりゃの話だが」
「……ああ、あるね。そういう都市伝説
 拍子抜けしたようにそれに同意し、ダドリーは、ちら、とうかがった。「クレストうちなんか、二番目の兄貴が 真の当主、ってことになってるよ」
 自慢のバラ園を手入れする、のほほんと澄ましたあの顔がよぎり、ダドリーは思わず苦笑する。
「それはともかく、代々伝わる信念と気質は、あのアルベールも受け継いでいる。いや、現当主より、むしろ色濃く」
 カーシュが気のない素振りで身じろいだ。「そいつはご立派な信念だがよ。ラトキエ一門ことごとく信奉してるってわけでもねえだろ」
 まさか、とダドリーは肩をすくめる。
「そんなことはあり得ない。血縁といえど、しょせんは他人だ。どれほど徹底したにせよ、濃淡、ばらつきは必ず出る。だが、仮に違背があれば、ラトキエは厳罰を以てこれに臨む。今回の事例に当てはめれば、現地の部隊が突出すれば、ラトキエはまず許さない。実はまだ、開戦していない・・・・・・・からな」
「だったら、商都を包囲したのは誰だってんだよ」
 カーシュが呆れた顔をした。
「とうに始まってんだろ、戦なんぞ。しかも先制したのはディールこっちの方だ。だから、反撃されて、このザマなんじゃねえかよ」
「あれは、いわばアクシデントだ。喧嘩の前の威嚇、牽制みたいなもの。開戦宣言はあくまで"まだ"だ」
「──たく。どこまでのん気なんだ、カレリア人ってのは」
 もてあましたように蓬髪を掻き、カーシュは改めて振りかえる。「理屈だろ、そんなのは。やられたら、やり返す、元々戦はそういうもんだ」
「──もう。だから、言ったよね俺」
 ダドリーはうんざりと振り向いた。
「"戦では、まず、使者が立つ" 使者と交わすやりとりは、儀礼的な意思確認だが、どこの領主も、これを省くことはない。結果を正規のものに・・・・・・するための・・・・・、いわば暗黙の習わしだからだ。だからあの時、向こうの使者を、あんなにがんばって追い返したんだろ? 楼門を閉じ、じっと我慢して立てこもっているのも、使者から未だに逃げまわっているのも、ひとえに戦端を開かせないためだ」
 ふと合点した顔で、カーシュがすばやく目をあげた。
「なるほど。だから、あの時ラトキエは、奇襲に対処できなかったのか」
 だが、とすぐに、釈然としない顔で首をかしげる。「その理屈でいくってんなら、その時点で分かったんじゃねえか? カレリアこっちじゃ奇襲なんか、ありえねえって話だろ?」
 怪訝に聞いていたダドリーは、はっとして見返した。
「──そうか。──そうだよな」
 本来、奇襲などあるはずがない、ラトキエも同じ認識でいたからこそ、不意を突かれて後手に回ったのだ。つまり、戦を仕掛けたかの者には、領主の誰もがも踏まえている共通認識が欠けている。そう、奇襲と聞いたその時点で、なぜ、そこに気づかなかった。この戦の首謀者が領主の一人で・・・・・・ないことに・・・・・
「……まったく、なんて、今更だ」
 脱力して息をつき、ダドリーはげんなりと額をつかむ。「だったら、やりようもあったのに……」
 だが、今ごろ言っても仕方ない。
 後悔を振り払うようにして首を振り、気を取り直して顔をあげた。
「そんなことよりラトキエは "正式な手順を踏む"ことにこだわる。筆頭としての体面があるからな。世間から後ろ指をさされる真似だけは、何としてでも避けたいだろう」
「つまりは、お前の言う開戦宣言──本格的に動くには、体裁が整うことが要件、か」
 事実、街が燃えたあの日を境に、ラトキエの攻撃は途絶えている。現場の指揮官に許された権限を越えたということか。
 ひなたの床の一点を見つめ、ダドリーは思考を追いかけ、眉をひそめる。
「兵器を使えば、非難されること確実だ。まして、ラトキエが治める商都の民は、目ざとい上に誇り高い。そもそもディールは奇襲の際に、そこまで過激に攻めてはいない。ただ軍を動かして、街を包囲しただけだ。それを過剰にやり返せば──トラビアの外観を損なうほど徹底的に叩きのめせば、ラトキエは申し開きができなくなる」
「──まったく、よくできていやがる」
 カーシュが舌をまいたように蓬髪を掻いた。
「つまり、ラトキエにしてみれば、取り囲んで見ているだけってのが、現状では最善の策か。中にいる連中が、飢えて降伏するのを待つ。余計な体力は使わずに。それが一番賢いやり方だ」
「そ。どうしても、そういう結論になっちまうだろ?」
 満を持して大きくうなずき、ダドリーはにんまり、意味ありげに笑った。
「ところが、だ。食糧なら確保してある。この城の一階と、地下倉庫を見ただろう? むろん、ラトキエはそんなこと知らないから、きっと律儀に待っている。音をあげて門を開けるまで」
 ああ、長かった……と感極まった顔で、うんうんうなずく。
「やっと運が向いてきた。これまで散々振りまわされたが、これでやっと見通しが立った。ラトキエが指をくわえて待っている内に、こっちは秘書官の確保に専念する。ネグレスコの奴をとっ捕まえて、奴の首をラトキエに差し出す。なに、どんなに逃げようが、いずれは見つかる。トラビア広しといえど、しょせんは街の規模ってもんだ。水堀作って国境閉めたし、こっちに逃げてきた領民も、ひとまず、どうにかなってるし。あとはネグレスコを探すだけっ!──もー。怖いくらいに順調だな〜!」
「──そう上手く、いけばいいがな」
 カーシュが仏頂面で首を振った。「さっきも言ったが、最後の蓋をあけるまで、何が起きるかわからねえぞ」
「なに。カーシュは悲観的だな〜。大丈夫だよ。ネグレスコは捕まるって。国境封鎖したし、楼門も閉じた。それでどこへ逃げられるっての」
「いいか、くせっ毛。戦ってのは、何が起きても不思議じゃねえんだ。風向きなんぞ、些細なことで、いくらでも変わる。誰が裏切るかしれねえし、雨やネズミで食いもんが駄目になるかもしれねえし、頼みの綱の連絡が切れて、取り残されるかも知れねえし──不慮の事故や災難ってのは、往々にして起こるもんだ。大体──」
 一旦そこで言葉を切り、鋭い視線で一瞥をくれた。
「待てるかよ、こっちが・・・・。秘書官の身柄を押さえるまで」
「待てると思う。ネグレスコが死んででもいない限りは」
 きっぱり、ダドリーも言い返す。
 凝りをほぐすように首をまわした。「けど、あの男に限って自殺それはない。そんなかわいい神経じゃないさ。とにかく、相手がラトキエなら正攻法でいく。コリンの身柄を渡せない以上、俺たちは、ネグレスコの自供に賭けるしかない」
 カーシュが眉をひそめて口をつぐんだ。
 腕を解き、身じろいで、赤い蓬髪をがりがり掻く。「──だが、そうなると」
 軽く嘆息、目を向けた。
あれ・・は痛かったな」
 意味ありげな目配せに、ダドリーも苦虫かみつぶす。
「──ああ、まったくだ」
 あの帝国兵の話だった。宵の街で接触してきた、知らぬ間に潜伏していた隣国の兵士。
 カーシュが捕らえた帝国兵は、ひとまず監獄に収監していた。聴取したいのは山々だったが、あの直後、思わぬ騒動が起こったからだ。
 焼け出された人々が我先にと領邸へ押しかけ、それを放置することは許されなかった。がらんどうの領邸には、館の主や執事はおろか館内を整える使用人でさえ、一人として関係者がいない。そして、遺体のある執務棟に、無秩序に踏み込まれては騒ぎになる。
 やむなくダドリーは対応に当たった。
 邸内の客室を人々に割り振り、大量の衣類の手配を整え、食事を調達する目途をつけ──。仮住まいとはいえ、人々の生活はすぐにも始まる。しかも、一千からの大人数だ。
 どちらを優先するかは、火を見るより明らかだった。人々の不安が昂じれば、何が起きるか分からない。まずは人々の環境を整え、当面の不安を取り除き、落ち着かせることが先決だった。だが、そうした作業を一通りこなして、いざ、聴取の段になってみれば──
 ダドリーは苦りきって窓を見る。
「振り出しに戻る、か」
 帝国兵は死亡していた。
 死因は服毒によるものだ。拷問を恐れて隠し持った毒を飲んだか、あるいは一服盛られたか、その真相は分からない。いずれにせよ、隣国の思惑を知る唯一の拠り所が、鍵を握る証人が、これであっけなく失われた。そして、秘書官捜索の手がかりも、それと同時に潰え去った。
 廊下に続く扉へと、ダドリーは視線をめぐらせる。
「みんなは、どうしてる?」
 カーシュも何気なくそちらを見る。
「特にねえな、今のところは。騒ぐ奴もいねえようだし。ま、焼け出された衝撃から、抜け出せていねえんだろ。鬱屈や不満が爆発するのは、ここでの暮らしが落ち着いてから、たぶん、もう少し後になるだろうな」
 この古城の客間には、怯えて逃げこんだ領民たちが、今も身を寄せ合っている。
 巨石の部屋で発見された、あの彫刻家は荼毘に付した。領主一家の亡骸については、傷みや腐臭がないこともあり、寝室を封鎖し、動かしていない。遺体を焼いて失くしてしまえば、領主死亡の現実を裏付けることが難しくなる。そう、事態が万一急転した際、彼らの異様な有り様を、口頭で説明するのは不可能だ。
 居室へと続く踊り場へ、ダドリーは視線をめぐらせる。今も彼らは、静かに眠っているだろう。あの時を止めた寝室で。あの妻子と、ほがらかな領主が。
 踊り場の向こうに垣間見える、アーチ型の漆喰の壁が、窓から射しこむ夏陽に白い。
 すっ、と影が、背後の壁の隅をよぎった。
 
 
 

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