■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話24
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壁にもたれて、ふと見やり、ダドリーは眉根を寄せて硬直する。
するり、とカーシュの脇をすり抜け、それが小走りで近づいてくる。
黒光りするしなやかな毛皮が。
ふんふん嗅いで周囲をうろつき、のしのし踏みつけ、あぐらに上がる。
当然のように、どっかりと座った。
「……や、やあ、ノアール……元気だったぁ?」
逃げ遅れた引きつり笑いで、ダドリーは猫の巨体をかかえる。
見れば、廊下への戸があいている。隙間に鼻先つっこんで、扉をこじあけてきたらしい。
ぶらぶらカーシュがやって来て、揶揄の口笛で見おろした。「今日も熱烈歓迎じゃねえかよ」
金の眼(まなこ)でじっと見あげて、ノアールは黒い口のまわりを、赤い舌で舐めている。
「……も、もしかしてお前、腹へってる? あ、カーシュ。その飯ちょうだい」
ダドリーは膳を指さして、片手でそれをカーシュから受けとる。本日昼の献立は、スープとパンと焼いただけの塊肉。
肉をぎこちなく切り分けて、カケラの一つをフォークに刺す。
ノアールの鼻先でちらつかせ、前脚の先に、ぼとりと落とした。
「お前の分な。これで俺と半分こ。な? あ、でも、その代わり」
えへへ、とダドリーは媚び笑い。
「俺のことは食わないでくれる?」
がぶり、と一口で肉を平らげ、ノアールは舌舐めずりで見つめている。らんらん光る金の眼(まなこ)で……
「い、いい食いっぷりだな」
なはは、とダドリーは引きつり笑い。「け、けど、これでおしまいな? はい! ごちそうさまっ! レ、レディーががっつくのは、はしたないぞっ?」
カーシュは肩で壁にもたれて、くわえた煙草に火を点けている。完全に他人事だ。
顔をすりつけるノアールを、えへえへダドリーはなだめすかす。
「そ、そろそろ降りてくれないかな〜?──あっ、お前のことが嫌いとか、そういうんじゃないんだよ? いや、これから俺、飯だしさ。それに、ちょっと暑っついし……」
なにせ全身純毛だから。
そして、重い などとレディーには言えまい。機嫌を損ねられれば、最悪食われる。
カーシュが煙たげに顔をしかめた。
「嫌なら追っ払やいいだろうが。どんなにでかかろうが、しょせんは猫だろ。ご機嫌とって、どうすんだ。──おい、飼い主!」
廊下に向けて、大声をあげる。
膝にのったノアールに、「おい、猫」と目を戻す。
「その飯は癖っ毛のだ。お前の分は、飼い主から、もらい(な)──」
バン! とけたたましい音が、館内で、した。
続いて、ばたばた走る音。
ばたん、と書庫の扉がひらいた。
扉にすがり、引きつり顔をのぞかせたのは、流れるような黒い髪。
つかつか直ちに室内に踏みこみ、吸い寄せられるようにして駆け寄った。「おおお……! ここにいたのか、ノアールぅ〜!」
ノアールが顔をあげ、いそいそ小走りで寄っていく。
「探したぞっ!」
ひっし、とギルが抱きついた。いつもは美しい長髪が、今は乱れに乱れている。
「……なに、見つかったの? ギル」
その感動の再会から遅れることしばし、アスランがあくびをしながら現れた。ちなみに彼は、ここ数日、なぜか、いつでも眠たげだ。
なりふり構わず突っ走ってきたらしい黒髪のギルは、すりすりノアールに頬ずりしている。「もう〜ノアール、心配したぞ〜? こんなに遠くまで一人で来たのか〜?」
「……なに言ってやがる」
白けた顔で、カーシュがごちた。「たかだか三つ先の部屋じゃねえかよ」
この風変わりな異邦人二人を、ダドリーは護衛として雇い入れていた。カーシュがそばを離れた隙に、帝国兵の接触を許したからだ。護衛としてのカーシュの腕は申し分ないのだが、一人ではやはり無理があり、ヒースにも彼の仕事がある。とはいえ、ただでさえ少ない守備隊員を、個人の護衛に割くわけにもいかない。
ちなみに、雇用契約成立に伴い、当然ノアールもついてきた。
一しきりノアールをなでくり回して、くるりとギルが振り向いた。
「すまんが、婚約は解消だ」
掻っ込んでいた手元の飯から、ぽかん、とダドリーは顔をあげる。「え? そうなの?」
くうぅ、とギルは、悶絶の拳で顔をしかめる。「やはり、どうにも忍びない。いや、俺の大事なノアールをやれるかっ! お前のような くるくるパーマごときに!」
「くるくるパーマは関係ないだろー?」
パンをほおばり、ダドリーはもぐもぐ。
はたの抗議は一切無視して、はっし、とギルはノアールをかかえる。
「な? お前も嫌だよな? くるくるパーマは!」
前脚そろえて行儀よく、ノアールは金の眼(まなこ)で見あげている。黒く長い尻尾の先が、調子をとるように板床を叩く。
身じろぎ、カーシュは嘆息する。
「しかし、心許ねえな。護衛がたった三人とは。しかも──」
あくびをしているアスランに、ちら、とあてつけがましく一瞥をくれた。
「な、なんだよ……」
顔をしかめたアスランに、別に、と肩をすくめる。「役立たずがまじってる なんてことは、俺は一言も言ってねえし」
「俺はちゃんと働いてやったろ?」
「胡椒ばらまいたことを言っているのか?」
「むしろ、今も街が無事なのは、俺のお陰と言っていい」
だから、こんなに眠いんじゃないかよ〜、とアスランは涙目で口をあおぐ。
「たく。なあにが"俺のお陰"だよ」
カーシュが辟易とした顔で嘆息した。「目茶苦茶だぜ、ペテン師が。ちょっと機転を利かせたくらいで、いい気になるなよ?優男。面さえよけりゃ、何言っても許されるとか思ってんじゃねえぞ」
「……もしかして馬鹿なの? それとも、とっても善良なの?」
ダドリーはたじろぎ笑った。「ほら。カーシュって正直だから……筋肉の比率が若干多いし……」
結局ほめちゃった当のカーシュは(……あれ?)と首をひねっている。
腑に落ちなげなその顔を見やって、ふあぁ〜、とアスランがあくびした。
「俺は貢献しているよ? 今、この時にもね。大体、あの胡椒は特製品だぜ? よく利くように調合してある。それを使ってやったんだから、むしろ俺に感謝して欲しいね」
「胡椒はしょせん胡椒だろうが。恩着せがましい野郎だな」
カーシュが顔をしかめて顎を振った。「おい、ペテン師。そこで寝るなよ? つか、そんなに眠けりゃ、部屋で寝ていりゃいいだろうが」
むっとアスランが顔をあげた。「そんなことしたら、夜、眠れなくなるじゃないか」
「だから、なんだよ」
「無理して眠ると、恐い夢を見るんだぞ?」
な? と振られて、うむ、とギルも大きくうなずく。
「それはだめだ。夜、恐い夢を見る」
真顔だ。
大真面目な二人の顔に、カーシュは脱力して額をつかむ。
「……お前らはガキか」
もてあまして蓬髪をかいた。「わかったよ、気の済むようにすりゃあいい。いやなに、あの手強い連中と、又やりあうのかと思ったらよ」
「え、誰」
「だから、いたろ。回廊で襲ってきた、変てこりんな連中が」
「──ああ、なんだ。翅鳥のことね」
拍子抜けしたようにアスランがまたたき、興味なさげにあくびする。「もう、ここへは近寄らないさ」
「あァ? なんで言えんだ、そんなこと」
「俺らは翅鳥の天敵みたいなもんだから」
「──あ、そうなの? けどさ」
ようやくありついた昼飯の肉に、ダドリーははむはむ食らいつく。「実は、他にもいるんだよね、俺のこと狙ってる奴」
「問題ない」
ノアールの首をなでながら、そっけなくギルが言う。「お前に手出しすれば、黙っちゃいない」
「えっ?……そ、そお? や、嬉しいなー。そんなに俺のこと考えててくれたとは──」
「ノアールが」
ぱちくりダドリーはギルを見た。
黒い毛皮をフォークでさす。
「……猫だよな?」
「猫だ」
間髪容れずに、ギルはうなずく。今日も彼は潔い。
せわしない足音が聞こえてきた。
固い靴音。誰かが廊下を急ぐ音──。怪訝に一同、顔をあげる。主一家の遺体のある、執務棟へは立ち入り厳禁。避難してきた人々には、そう申し渡してあるはずだ。そして、執務棟を使用している主だった面々は、既にここに集合している──。
閉じた扉に、視線が集まる。
硬い靴音が、徐々に近づく。
一同、目配せ、身構える。澄ました耳に、ノックが三度──。
返事も待たずに、扉が開いた。
もどかしげに現れたのは、銀縁めがねのオールバック。
「……なんだ〜……ヒース……」
詰めていた息を吐き出して、ダドリーはやれやれと力を抜いた。
手を伸ばし、膳の上から、パンをとる。「なに。どしたの。珍しいね」
張りつめた空気が、一気にゆるんだ。ようやく一同、ゆっくり身じろぐ。つかつかヒースが踏みこんだ。
「まずいことになったぞ」
にこりともせずに切り出した。声音は硬く、冗談も軽口もない。
手のパンを膳に置き、ダドリーは怪訝に立ちあがる。「なんかあった? そんなに急いで」
「勾留中の兵たちが、身柄の解放を要求している」
「……え?」
領邸にいた警備兵のことだ。ギルとアスランが先日捕らえ、街外れの監獄に押しこめた──。
「向こうの要求を呑まなければ、すぐにも暴動を起こしかねない」
だが、とダドリーは考えをめぐらす。彼らは事情を知っている。領主ニコラスが他界した事実と、新たな領主が誰であるかを。
眉をひそめた一同を前に、焦れたようにヒースは続ける。
「向こうの人数は二十名近い。対する守備隊は百にも満たない。その上この小人数で、通常業務の見まわりから、国境の監視、回廊の見張りまでこなしている。現状を維持するだけで手一杯だ。もし、監獄内で暴動が起これば──」
カーシュが身じろぎ、思案顔で顎をなでた。
ギルとアスランの顔には表情はない。重い沈黙が立ち込めた書庫で、ひとりヒースだけが言葉を続ける。
「どんな下っ端であろうとも、武術訓練は受けている。牢を破れば、うちの守備兵では歯が立たない」
言葉をきって、目を向けた。
「どうする?」
問われてダドリーは口をあけ、だが、言葉を発することなく口を閉じた。
窓からさしこむ夏日の中で、ほこりがゆっくりと舞っていた。
開け放った窓の外には、屋根の連なりが光っている。国境の街トラビアの街並み。空は晴れ、風はない。
ラトキエが来たから、楼門を閉じた。隣国の干渉を排除するため、国境の橋を封鎖した。避難民の仮住まいもようやく整い、さあ、これから、という時だった。秘書官ネグレスコの捜索に、専念できるはずだった。それが──
「現実って奴は、なんで、こう……」
ダドリーは眉をひそめて息を吐き、強く奥歯を食いしばる。
「弱い者ばかりを、もてあそぶ!」
元々ひどい有り様だった。
だから活路を見出そうとした。だが、どれほど機先を制しても、努力が現実に追いつかない──!
黒豹が一つあくびをし、窓辺の日陰へ、のそりと動いた。
細くしなやかな四肢を折り、ごろりと床に丸くなる。伸びた尻尾の先だけが、窓からの陽を浴びている。
板床の色濃い影を睨んで、ダドリーはただ立ち尽くす。
『 さあ、友よ。君の番だ 』
窓辺で、ニコラスが振り向いた気がした。
今は亡きトラビアの領主が、腹を出っ張らせた後ろ手で、いたずらっぽく片目をつぶる。
『 次の一手は、どこに打つ? 』
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