■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話25
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連日、事件が立て続き、さすがに疲れているのだろう。
寝顔が少し口をあけ、手足を投げ出し、眠っている。
「このまま寝かしといてやるか。──いや」
強い陽の射す窓を見やって、カーシュは舌打ちして顔をしかめた。「さすがに、このままって訳にもいかないか」
目を閉じた首筋が、したたる汗でびっしょりだ。
日ざしで温まった板張りの床に、様々な書架から抜き出してきたらしい書物が、いくつも乱雑に積みあがっていた。昨夜も書庫にこもったようだが、その内、床に寝転がり、そのまま眠ってしまったのだろう。
まったく、こいつは、いっつもこうだ、とカーシュはそっと苦笑いする。棒切れ振り回していたガキ大将が、そのまま大人になったような。
一人で飛びまわっている現状を見れば、疲労困憊しているのは、誰にでも分かる。だが「参っているようじゃねえか」と声をかけても、「別に」と不貞腐って横を向く。ここで姿を見つけた時には、夕焼けの壁でうずくまり、亡霊に話しかけていたくせに。
まったく、筋金入りの意地っ張りだ。人前では、決して弱音を吐かない。この大陸の北方を治める、クレスト領主ダドリーは。
ダドリーと行動を共にする内、カーシュには気づいたことがあった。それは、ふとした拍子に見せる為政者の横顔。
飄々と相づちを打ちながら、別のことを考えている。それとはまるでかけ離れたことに、密かに思いを馳せている。領土のこと、他領のこと、民のこと、暮らし向きのこと、設備の補修に商人からの陳情、そして、それぞれの優先順位、政治のこと、折衝のこと──。いつでも目まぐるしく考えている。突如、予期せぬことを口走ることから、その様子がうかがい知れた。だが、それら全てを押しのけて、今、彼の頭にあるのは、たった一つの事柄だけだ。
「──これだけは、絶対、放さねえんだよな」
無造作な大の字の寝姿を見やって、カーシュはまた苦笑いする。影の射した木床に落ちた、軽く握られた手の中に、夏日を弾く例の光。
「嫁さんから、もらったペンか」
ゆっくりと膝を折り、屈託のない寝顔をながめる。
外に出せ、と騒いだ兵らは、要求通り解放した。
情報の流出を懸念して、ダドリーとヒースは渋ったが、カーシュが大丈夫だと押しきったのだ。
結論から言えば、兵たちは、帰還直後、拘束された。
二人がそろっていぶかしげな顔をするので、からくりを説明してやると、怪訝に聞いていたダドリーは「……あー。そーゆー」と頭を掻き「よく知ってんな、そんな陰謀」と面白くなさげに顔をしかめた。そして、続けてこう言った。
『 ありがとう、カーシュ。助かった 』
カーシュは一計を案じていた。楼門に集合した兵を小突いて、笑って不運をねぎらったのだ。「こんな時に居合わせて、お前らはついてなかったな」 敵の盗視は百も承知で。
そして、解放目前で気を抜いた兵も、それにつられて笑い返した。下世話な話も多少交えた、彼らの懐かしい家族の話に。
つまるところ、カーシュは敵に、不審の芽を植え付けたのだった。確実に行なうであろう聴取に備えて。そして、そんな疑惑をかけられた後では、どんな話も信憑性を欠く。たとえそれが、攻略地トラビアの正確な内情であったとしても。
陽だまりに落ちた手の指が動き、何かをつかむように握られた。
胸の痛みをこらえるように、むずかるように顔をしかめる。振り払うように首を振り、うめき声が小さく漏れた。
「──く──る──」
手がのろのろ持ちあがり、必死で何かを押しのけようとする。
「くるな! エレ──」
溺れた者が外気を求めてあえぎ出るように、目を見開いて起きあがった。
肩で荒く息をつき、投げ出した足の膝を見つめている。
「──おう、大丈夫か」
カーシュは呼びかけ、その肩を揺する。
床に落ちた影に気づいて、ふと、ダドリーが顔をあげた。
「……あ。おはよ。カーシュ」
一つまたたき、いつものような間抜け面。
床に積まれた本の山を、カーシュは顎の先でさす。
「精が出るな、徹夜かよ」
ダドリーは緩くあぐらをかき、くわっ、と涙目であくびした。「せめて名簿でもないかと思ってさ」
「名簿だ? こんな時に、同窓会でもおっ始める気かよ」
「使用人のだって。ここで働いている人たちの。ネグレスコの顔を知ってるだろ? 俺らだけじゃ小人数だし、やみ雲に捜しても高が知れてる。早く片をつけなきゃな」
「──へえ。よく気づいたな、そんなもんに」
思わぬ返事に面食らい、カーシュは扉をながめて顎をなでた。「あほ面さげて、猫と遊んでるかと思いきや。で、成果は?」
ダドリーはかったるそうに首と肩とをまわしている。「さっぱり」
「本当にあるのかよ、そんなもん」
「たぶん──いや、必ずどこかにあるはずだ。名簿の形にはなってなくても、採用した時の紹介状はあるだろ。まあ、その手の管理は執事の管轄だろうけど、なかったんだよな、そっちの部屋には。でも、手がかりくらい、ないかと思って──」
「嫁さんの夢か」
「……え、なに?」
ダドリーがまたたいて顔をしかめた。
寝言の可能性に気づいたようで、たじろいだ顔で引きつり笑う。「や、やだな〜、カーシュ。何言ってんの。なんで、いきなりそんなこと……」
口の中でぼそぼそ誤魔化し、ぷい、と不貞腐ってそっぽを向いた。
「い、いいだろ、別に。どんな夢見ようと。俺の嫁だぞ」
言い訳がましいこの口調は、何かやましい方向を心配しているらしい。
「うなされていた、みたいだが?」
ちろ、とカーシュはうかがった。「気になるんだろ、自国に置いてきた嫁さんが」
ダドリーは、つかの間、苛立たしげに眉をひそめた。
ゆっくり身じろぎ、肩を背けて目をそらす。
窓辺できらきら、夏日が光った。
床を見つめる首筋に、汗が一筋したたり落ちる。観念したように眉をしかめて、ダドリーは浅く息をついた。
「──喧嘩別れみたいに、なっちまったからさ」
遠くかすんだ景色の先に、何かの思いを馳せるように、くすりとその横顔が微笑う。
「気にしてなけりゃいいけど、あいつ。誰も覚えてないような小さなことを気に病んで、くよくよ落ち込む奴だから」
腰からタオルを抜きだして、カーシュは連れにさし出した。
礼を言ってダドリーは受け取り、暑っち、とそれで顔をぬぐう。
閉じた窓を開け放ち、外の風を取りこんで、カーシュは煙草を口にくわえる。「どうせ例の妾のことだろ」
ぽかんと見返したダドリーに、点火しながら一瞥をくれた。
「喧嘩の原因」
ダドリーはもそもそ目をそらし、癖っ毛の頭を片手で掻いた。「……なんで訊くかな、わかってて」
「そりゃあ怒るだろうぜ、カミさんも。よそに女がいるんじゃな」
窓辺にもたれ、カーシュは呆れ顔で腕を組んだ。「立つ瀬がねえだろ。いくらガキがいるからって、こそこそ会いに行かれちゃよ」
「けど、堂々と行くのも、アレじゃない?」
「──あのな、癖っ毛。いくら貴族の世界では、暗黙の特権だからって」
「だって、要らなくなったからって、突っ返すわけにはいかないだろ?」
カーシュは鼻白んで言葉を呑んだ。
予想だにしなかった返答だ。だが、物言いはぞんざいでも、事の核心はついている。
「サビーネに非はない。クリードにもだ」
かたくなな横顔できっぱりと言い、ダドリーは膝をかかえて顎をのせる。
「俺はサビーネに感謝している。ぞんざいに扱うなんて、俺にはできない。カーシュ、俺はさ。陰で泣いているサビーネを、ずっと見てきたんだよ。帰りたくて、帰りたくて、やっと商都まで逃げ戻ったのに、向こうの親どもに追い返されてさ。頭が上がらないんだよ、サビーネには。もっと楽しい暮らしもあったのに、その一生を食い潰したんだぞ、俺は」
手すりにおいた手の平から、紫煙が薄くたゆたっていた。
昼のほの暗い天井に、蝉の声が沁みてくる。
第一さ、とダドリーは続けた。
「十五やそこらで連れてこられて、世間のことなんか何ひとつ、知らずにここまできたんだぞ。それを今さら放り出して、路頭に迷わせられるかよ」
カーシュは身じろいで足を踏みかえ、顔をしかめて、しげしげ見た。
「で、嫁さんにも、そう言ったのか?」
「わかってくれると思う?」
がばっ、とダドリーがすがりつく。
うるうる涙目で取りすがられて、カーシュはそそくさ天井を見た。「……まあ、無理だろうな」
がっくりうなだれた後ろ頭を、頬を掻いて、おもむろに見おろす。
「にしても、お前は色んな奴が大事なんだな」
ダドリーは緩いあぐらで小首をかしげた。「いや? 特にそういうわけでもないけど」
「──現にいるじゃねえかよ、競合中が」
カーシュは辟易として嘆息する。言ってるそばから「二人の嫁」だ。いや、この男はそれだけじゃない。
しれっと自覚のない果報者に、ちろ、とあてつけがましく一瞥をくれた。「けど、それでも一番は "アディー" なんだもんなー?」
「──なんで言うかな、そういうこと」
ダドリーが露骨に顔をしかめた。
げんなりと肩を落とし、投げやりに頭を掻く。「だから言ったろ、そんなんじゃないの。アディーは俺たちには、特別な──」
「へえ。つまり? どういうことだよ」
わざと意地悪く訊いてやる。
「アディーに対して、俺たちは──」
ためらったように言い淀み、ダドリーは軽く嘆息した。
「俺たちは全員、加害者だ」
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