■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話25b
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壁に据えた長い卓に、湯気のたつ大鍋が置かれた。
白布をかけた卓の端には、数十枚の食器が積まれ、多数のナイフやスプーンが銀の光を放っている。大皿に山盛りの肉や野菜、鍋いっぱいに満たされたスープ、次々持ち込まれるおびただしい数のパン。
がらんと広い、昼さがりの大広間は、低いざわめきに包まれていた。
石壁に囲まれた古城の広間に、大勢の人々がたむろしている。その動作は一様に鈍く、疲労の色が隠せない。
遅めの昼食の順番が、ようやく回ってきた人々だった。どこか陰鬱なその中で、子供たちだけが元気に走り回っている。
「よう。赤いの」
あ? とカーシュは顔をしかめて振り向いた。
広間でたむろす人々の、物憂い姿を背景に、にやりと笑って立っている。四十絡みの銀縁めがね、そして、黒のオールバック。あの青い軍服は脱いで、今日は白いシャツ姿だ。
「精が出るな。見回りか?」
カーシュは苦笑いして足を向ける。「ああ、お疲れ。メガネのアーニー?」
「……。アーニーはよせ」
からかってやると、憮然と彼は顔をしかめた。
トラビアの国境守備隊で副官を務めるアーノルド=ヒースその人だった。トラビア潜入を門前で阻止し、牢にぶち込んだこの男は、このところ、すっかり馴染みだ。
ちなみに、目下渦中にいる七歳児コリンと、猫かわいがりしている実の娘マリーベルを、男手一つで育てている、悩み多き父親でもある。
風に吹かれて窓辺にもたれ、カーシュは煙草を勧めてやる。「どうだ、おっさん。そっちの調子は」
「圧倒的に、手が足りないな」
ヒースは煙草を受けとりながら、少しやつれた顔で首を振る。
「人は移動するからな。どれだけやっても、キリがない。その上、ここ数年は、街の人口が急激に増えて、今や住人は膨大な数だ。官吏の一部にも、手伝ってもらってはいるんだが」
「──悪いな」
カーシュは面目なさげに鼻をこすった。「顔さえ知ってりゃ、手伝えるんだが」
「仕方がないさ。秘書官殿は引きこもりのご様子だから」
ヒースは冷やかし笑いで片眉をあげる。
例の秘書官捜索の件だった。
政務所の官吏であれば、秘書官と面識があるのでは? そう気づいて問い合わせてみたが、現実はそう甘くはなかった。該当者は意外にも少なく、秘書官の顔を知る者は、上級職の数名のみという有り様だ。どうやら、あの秘書官は、自ら足を運ぶことなく、現場の官吏を領邸に呼びつけていたものらしい。
ヒースは苦笑いで手すりにもたれ、食器を手にした人々が行き交う物憂げな広間に目を向ける。「ま、正直に言えば、もう少し手があると助かるがな」
めぐらせた視線が、ふと止まった。
向かい壁の片隅だ。寸胴鍋が並んだ卓の手前で、男が二人、声を荒げてつかみ合っている。
相手を責めなじる双方の怒声が、高い天井にとどろいた。
「──又かよ」
カーシュはうんざり顔をしかめた。
たく、と面倒くさげにつぶやいて、やれやれと足を踏み出す。「しょうがねえな、こんな所で。今度は一体なんだってんだ」
ふと足を止め、振り向いた。
腕を、引き止められている。そちらを一瞥、ヒースが軽く片眉をあげた。「問題ない」
わめき散らす男たちの声から、およその事情が伺い知れた。列に割り込む者がいたらしい。
楼門を閉じたあの日以来──城に避難民を受け入れて以来、大小さまざまな問題が、ひっきりなしに起きていた。あてがわれた部屋の広さから、食事をとる順番まで。
古城の堅牢な造りに目をつけ、流入する者も後を絶たず、今や城で養っているのは、三千を越える人々だ。そして、数が増えれば、必然的に揉め事も増える。食事の順番で人々は揉め、部屋割りや配給をめぐって揉め、子供の夜泣きがうるさい、と揉めた。
正午をまわったほの暗い広間は、こもったような低いざわめきで満ちている。あちらこちらの円柱の陰で、食器を手にした人々が思い思いにたむろしている。鍋を並べた卓の向こうで、人々に給仕をしているのは、政務所の若い官吏たちだ。
ヒースは溜息まじりに目を戻す。「で、ご領主さまは、今どこに? 進捗を報告にきたんだが」
「ああ。部屋で昼寝している最中だ」
カーシュは渋い顔で、執務棟へ続く階段をながめる。「ありゃあ、その内ぶっ倒れるんじゃねえのか?」
「苦情に逐一対処しているのか。まあ、数少ない領邸関係者だが」
いささか呆れ気味にヒースは言い、くすり、と思い出したように頬をゆがめた。
「避難民のことは適当に、官吏に任せりゃいいものを。いや、そもそも、わざわざ渦中に飛び込まなければ、巻き込まれずに済んだのに。頭は切れるようなのに、どこか抜けてるんだよな、あの男は」
「おっさん、あんた、何か勘違いしてねえか」
カーシュは顔をしかめて紫煙を吐いた。
「あいつはいわゆる善人じゃねえぞ? 初めの内は、ラトキエの要請も蹴ったしな。奴は他領のことでは動かねえよ。見捨てるくらいは朝飯前だ。あいつがトラビアに来たのは単に──」
「単に?」
興味深げに片眉あげて、ヒースはためらった先を促す。
紫煙の行方をつかのま見届け、カーシュは苦々しく紫煙を吐いた。
「巻きこみたくない一心だと思うぜ」
煙草の先の灰を落として、それを靴裏で踏みにじる。
「この政争に、嫁さんを」
ヒースが面食らったように口をつぐんだ。
今ごろ当人が寝ているのであろう執務棟方面の天井を、しげしげと眺めやる。「あれがそんなに一途な面かね」
「本音を見せねえからな、癖っ毛は」
ふっとカーシュは頬をゆがめて苦笑いした。
「あいつは滅多なことじゃ、弱音を吐かない。ぺらぺらよく喋るくせに、肝心なことほど口を割らない。一応、領家の倅だからな、用心深さが沁みついてんだろ。けど、本当のところは、心配で心配で心配で」
「──へえ。あのお調子者がね」
ヒースも苦笑いで腕を組む。
「山の坑道に入ったダチが、出てこない時も、そうだった。俺らには、見捨てて行く、とか言い張ったくせに、まんじりともしねえで待ってやがって」
友を置き去りにした山のふもとを、祈るような顔で見つめていた。
「本人としても不本意だろうぜ、こんなところまで深入りするのは。なにせ一度は、静観を決めこむ肚でいたんだ。けど、嫁が泣くからよ」
カーシュは軽く嘆息し、さばさばと手すりにもたれかかる。
「てめえの世話だけでいいんなら、あいつはもっと上手くやる。ああ見えて癖っ毛は、馬鹿でもお人好しでもねえからな」
ほの暗く高い天井に、低いざわめきがくすぶっていた。
石壁に囲まれた昼の広間で、人影が気だるげに動いていく。ふと、カーシュは耳を澄ました。
「──鐘、か?」
どこかで、塔鐘が鳴っていた。
遠く。かすかに。近隣の町から聞こえてくるのか──。
街並みの先に目をすがめ、ヒースもいぶかしげに顎をさする。「時鐘にしては、時刻がずいぶん半端だな」
正午は過ぎたし、日没でもない。夏日はまだ、中天に近い。
そうか、と合点したように目をあげた。
「ミモザ祭か、今日は」
ああ、とカーシュも思い出し、青く広がる空の先に目をすがめる。
「カレリアの建国記念日、か」
午後二時の夏空に、鐘が遠く響いていた。
各地で一斉に打ち鳴らされる、この国の "時" の鐘が。
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