CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話29
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「……。なんかさ、あんたのその顔」
 昼下がりの街路を歩きつつ、ちら、とアスランは雇い主を見た。
「ひどくなってない? 昨日より」
 昨日、街で殴られたようだが、なぜか目の周りにまで、青タンが追加されている。
「なに。どしたの。誰にやられた?」
「……ん、まあ……ちょっと、その〜」
 ちら、とダドリーが、すくい上げるように目をあげた。
「あ、いや、ちょっと、その〜──カーシュにね
 そそくさ付け足した意外なその名に、あっけにとられて振りかえる。
 ダドリーが瞬速で振りかえり、なははっ! と笑って手を振った。
「いや! ちょっと頼み事したら、ふざけんじゃねえ! ってぶっ飛ばされちゃって」
「……あー、どうりで。どったんばったん何をしているかと思ったら」
 二人で喧嘩をしていたらしい。
 迂闊に笑った反動で、ダドリーは、あだだ……と、涙目で頬を押さえている。
「なに言ったの」
 呆れて、アスランはまじまじ見た。「廊下で赤毛と出くわした時、すっげえ剣幕だったぜ、あいつ」
 あの赤毛の番犬とは、大の仲良しだったはずだ。
 もっとも、友だち同士というよりは、やんちゃ坊主とその保護者、という風情だが。
「……ん、まあ、ちょっと」
 ダドリーはもそもそ返事を濁し、そそくさ視線をよそへとそらした。あまり言いたくないらしい。なにかやましいことでもあるのか? まったく。何をやらかして怒らせたんだか──。アスランは投げやりに嘆息した。
「それにしても、ついに逃げたか」
 ダドリーは「へ」の字に口をひん曲げる。「なんだよ、その"逃げた"っていうのは」
「あの様子じゃ、戻らないと思うぜ?」
「──戻るさ」
 とっさに詰まり、憮然と応える。
「まあ、潮目に敏い傭兵が、いつまでも大人しく留まっている方が、妙な話だったんだ。向こうにしてみりゃ、それだって相当な譲歩だろうぜ」
 トラビアはいわば「沈みかけた船」 鼻の利く傭兵が、それに気づかぬはずはない。
 道の先を睨みつけ、ダドリーは口を尖らせる。
「俺は、カーシュを信じてる」
「はあ? なに。本気で言ってんの? あの傭兵が戻るって?──ないだろ。傭兵ってのはシビアだぜ」
 話は聞いていたろうが、肩を並べて歩くヒースは、珍しく口を挟まなかった。
 口が重いのも無理はない。彼はあの男と仲が良かった。どうやら馬が合うようで、笑って話しているのを何度か見かけた。赤い蓬髪の傭兵と。
「そんなことより、ネグレスコだ」
 辟易としたように顔をしかめて、ダドリーはうるさげに話題を代えた。
「やっぱりわからない、奴の動機が。なぜ、戦を始めたのか。なぜ、隣国の兵にまで追われているのか。──まさか、隣国となりの軍が国境にいたのは、ネグレスコを捕えるためじゃないだろうな。あの男、隣国となりに一体何をしたんだ」
「そして今、どこにいるのか・・・・・・・?」
 言葉の先を引きとって、ちら、とアスランは一瞥をくれる。「もう、街にはいないじゃないの?」
「権利書が残っていた」
 怪訝に、横顔を見返した。
 深く考えに沈むように、ダドリーは眉をしかめている。
「もう一度、調べてみたんだ。秘書官室と執事の部屋を。確かに、どちらの部屋も荒らされていた。だが、証書や貴重品は持ち出されていない。どちらも全くの手付かずだ。おかしいだろう? 逃亡するなら資金が要る。みすみす置いていくとは思えない」
 街路を見据えた横顔は、道の一点を凝視している。
「近くにいるさ。絶対に」
 ぶらぶらついて歩きつつ、アスランは横目で連れを見た。それで頑固に「秘書官は街にいる」と言い張っていたのか。しつこく家捜ししていたようだが、よもや、そんな確証を掘り当てていたとは──。
 すさまじい執念に脱帽しながら、それにしても、と嘆息する。
(けど、俺に、そんなことを言われてもなあ……)
 途方に暮れて頭を掻き、晴れわたった空をながめた。
 昨夜のことだ。閑散とした月明かりの廊下で、あの傭兵と出くわしたのは。
 こちらを認めて近づくと、カーシュは通りすがりに言い置いた。
『 あいつを頼む 』
 ──ダドリー=クレストを、頼む。
 肩に、ザックを担いでいた。
 年季の入った重そうなザックを。旅支度の全てがそこに詰まった──。数日暮らした、この投宿先を引き払うために。
 赤い蓬髪のかかったその背が、振り返りもせずに出て行った。星々またたく古城の出口を。
 以来、傭兵は姿を消した。
 知的な光を放つ銀縁の向こうで、ちら、とヒースが一瞥した。だが、眉を苦々しげにひそめただけで、やはり、何を言うでもない。その代わりに、というべきか、道の往く手を目で示した。
「あそこだ」
 入り口の扉まで数段を有する石段が、夏の日ざしに凪いでいた。
 こぢんまりとした二階建て。風雨に打たれた白塗りの壁、頭上には、くすんだ茶色い屋根。今回の用向きの目的地──二番街の診療所。 今回ギルが同行しなかったのは、ノアールが館内に入れないためだ。
 階段をのぼり、廊下を歩いて、教えられた扉へ向かう。
 "牢番"が見つかった、との話だった。
 監獄でダドリーの世話をしていた、耳と口が不自由な老人だ。国境守備隊の指揮官に殴られ、ひどい怪我を負ったまま、消息不明になっていた。秘書官捜しを優先したため、捜索棚上げとなっていたが、ひょんなことから足取りがわれた。
 きっかけは、牢番の仲間の浮浪者を、広間で見かけたことだった。城の大勢の避難民に紛れて、飯を食っていたらしいのだ。
 守備兵が捕まえ、事情を訊けば、噛み合わない問答を続けた末に、ようやく浮浪者は白状した。乱暴な軍服からかくまっていた、と。
 速やかに保護した牢番は、命に別状はないようだったが、体の衰弱がいかんせんひどく、この診療所に運び込んだ、という次第。
 ちなみに、ただ確認をとるだけの作業に、何故こうも手間どったかといえば、牢番を特定する特徴が、なぜか一致しなかったからだ。
 守備兵に質された浮浪者は、薄汚れた頬を掻き掻き、首をかしげた。
『 口のきけない奴なら仲間にいるが、あいつ、耳の方は聞こえるからなあ 』
 それでも辛抱強く聞き出していくと「そういえば、最近──」と思い出したように付け足した。
『 そういや、あれ以来、聞こえにくそうにはしていたっけ 』
 それは、ダドリーが収監された日のことだった。
 地下牢から戻った指揮官に、牢番が血相変えて飛びかかり、逆にこっひどく殴られた。
「あれで鼓膜が破れたんだな」と、浮浪者はつくづく付け足した。ちなみに、仲間の元に戻った牢番の手には、ペンが一本・・・・・、握られていたという。
 
 昼下がりの館内は、ほの暗く、静かだった。
 行きすぎる扉はことごとく、換気のために開け放ってある。
 病室には、三台の寝台が置かれていた。
 その内の二台は空で、窓際に据えた一台にだけ、ひっそり人が横たわっている。顔まで包帯を巻かれた男だ。静かに目を閉じている。
「──じいさん!」
 ダドリーが転げるようにして駆け寄った。
 目をみはって寝顔に見入り、みすぼらしい衣服の手を握る。
「じいさん、わかるか? 俺だよ、あの牢で世話になった」
 老人がうめいて顔をしかめた。皺の刻まれた頬が震え、ぼさぼさに伸びた前髪の下で、その瞼がうつろにあく。
 いぶかしげに視線をめぐらせている。
「気がついたか、じいさん! あんた、体は大丈夫か!」
 ダドリーが乗り出し、老人の手にすがりついた。「俺だよ! わかるか? 俺、あんたに、とんでもない迷惑かけちまって!」
 はっ、とアスランは身構えた。
 だしぬけに老人が起きあがり、癖っ毛頭を抱きすくめたからだ。
 老人をダドリーから引き離すべく、あわててその肩に手をかける。この癖っ毛頭の雇い主は、何度も命を狙われている。
 その手を、直前で引っこめた。
 同じく身構え、戸惑ったヒースと、当惑した顔を見合わせる。
 皺の刻まれた乾いた手が、癖のある後ろ頭をなでていた。愛しそうに。慈しむように。孫にでもするような優しい手付きで。
 うつ伏せた白髪が、小刻みに震える。
 ──泣いている?
「そ、そんなに、俺に会いたかった……?」
 しがみつく老人の肩を、ダドリーがおろおろなだめていた。あいまいな笑みを頬に浮かべて。連れが感じた戸惑いは、どうやら当人も同様のようだ。
 老人は鈍い動作で腕を解くと、ダドリーの顔をひたと見つめて、片手を小刻みに動かした。指先をつけ、左右に軽く動かす仕草。
 ヒースがつかつか戸口へ歩き、廊下の先へと声をかけた。
 直ちにやってきた部下たちに、何事か指示している。意図をいち早く察したらしい。
 ややあって、それ・・が病室に届いた。
 使い古した事務用のペンと、絵を描く仕様の大きな画板──隣室の子供から、遊び道具を借りたらしい。
 老人はしみの浮いた手を伸ばし、それをもどかしげに受けとると、座った膝に画板を据えた。
 さらさらと、ペンを動かす。
 何気なく眺めていた一同は、あぜんとして立ち尽くした。
 老人は達筆だった。いかにも文字を書き慣れた筆跡だ。
 頭髪の伸びた浮浪者の成りと、画板に現れる整った筆さばき──奇妙な違和感に包まれたその時、驚くべき事実が発覚した。
《 私の顔を、お忘れですか 》
 おもむろに見せられたその文字に、ダドリーは目を白黒させた。その反応にこだわることなく、老人は次の言葉を記す。
《 執事のボーナムでございます 》
 はっ、とダドリーが目をみはった。
「──ボーナム?」
 紙の綴りをあぜんと見直し、目の前の浮浪者に息を呑む。
「あんた、あのボーナムか! あのニックに仕えていた──。いや、でも、どうして、そんな成りで……」
 その顔を見つめたままで、困惑したように言葉が途切れた。
 変わり果てたその様に、かける言葉もない様子だ。──はっ、と顔を振りあげた。
「ボーナム、名簿を持っているか! 領邸の、使用人たちの!」
 執事は、ただ見返すばかりだ。反応が薄い。
 すぐにダドリーは気付いた様子で、その手から、ペンを取りあげる。
 口にした言葉をガリガリと、もどかしげに画板に綴る。
《 使用人名簿を持っているか 》
 苛々と囲んだ文字列を目で追い、執事はおもむろにうなずいた。
《 私どもの、隠し部屋の一つに 》
「──隠し部屋?」
 ダドリーが面食らった顔で復唱した。
《 壁に仕掛けがございます。執務棟の階段下に、入り口が 》
 使用人を多く抱える領邸には、裏方専用の通路がある。
 彼らはそうした空間を使い、掃除道具など見栄えの良くない日常用具を収納し、あるいは、客や主人と出会うことなく、密かに場所を移動している。"壁裏"へ続く入り口は、屋敷の内装を損なわぬよう、一見それとは分からぬように、巧妙な技法で隠されている。
「……そっか、どうりで見つからないわけだ」
 ダドリーは頭を掻き、脱力したように嘆息した。「だよな。ない訳がないと思っていたんだ。けど、なんだって、そんな所に──」
 はっと顔を振りあげる。
「あ! いや、ありがとな、ボーナム、又くるよ! ごめん、ちょっと急いでて。その名簿、すぐに必要で──」
「あの〜」
 控えめな呼びかけが、動きかけた一同を引き止めた。
 声のした戸口を怪訝に見れば、男が困惑顔で立っている。その服装と雰囲気は、領邸で人々の世話をしていた官吏のようだが。
「申しわけありません、お話し中に」
 身形の整った若い官吏は、寝台のかたわらにいたダドリーに、せかせか足早に歩み寄った。
 はばかるように周囲を見まわし、何事か耳打ちする。
「──確かか」
 ダドリーの顔が曇った。「もう少し、どうにかならないのか……」と渋い顔で確認している。
 一同の視線に促され、ダドリーがおもむろに向き直った。
「食料が尽きた。長くはもたない」
 下っ端の官吏が持ってきたのは、食料枯渇の報告だった。あの倉庫一杯積み上げた備蓄を、食べ尽くした、というのだ。
「……まあ。だから・・・急いでいたんだけどな」
 ダドリーは往生したように頭を掻く。「資料の昔とは、事情が違う」
 死亡の多い戦乱の世と、天下泰平の昨今では、街の人口は比較にならない。そう、既に数十人の規模ではなくなっている。予期せず領邸になだれ込んできたのは三千からの領民だ。
「……ここまでだな」
 アスランは深く溜息し、やれやれと腕を組んだ。「降参した方がいいんじゃないの?」
「コリンは絶対渡さない」
 ダドリーは即座に首を振った。
「渡せば殺されるのがわかっているのに、そんな惨いことが、どうしてできる。──絶対、間に合う。いや、俺が間に合わせる! こうして名簿も手に入った。総動員で捜索すれば、じきに奴も見つかるはずだ。馬鹿げた戦も、そこで終わる。食料については、なんとかもたせる。みんなには、もう少し頑張ってもらって──正確には、残りはどれくらい? いや、あの人数で何日もつ?」
 後の言葉で問いかけられ、若い官吏が生真面目にうなずく。「はい。切り詰めれば、二日ほどなら、なんとかなるかと──」
「た、大変ですっ!」
 声が、あわだしく割りこんだ。
 振り向いた戸口に、駆けこむ人影。
 薄い灰色の制服の男──ヒースの部下だ。目を見開き、肩で息をついている。
 ヒースを凝視し、転げこむようにして駆け寄った。
「副官! これが!」
 唾を飛ばさんばかりの勢いで、握った手を突き出している。
「い、今しがたラトキエから、楼門に、これがっ!」
 握っているのは一条の紙片。
「──矢文か」
 細長く折り畳んだ、手紙には珍しい形状と、顔を強ばらせたあわてぶりから、すぐに見当をつけたのだろう、ヒースは直ちに振り広げた。
 一読して、眉をひそめる。
「──どうした。何が書いてある?」
 そわそわと、ダドリーが覗く。
 散々待たされたラトキエが、何か言ってきたらしい。めがねの双眸を苦々しくゆがめ、ヒースが紙を手渡した。
「時間切れだよ、ご領主さま」
 怪訝そうにダドリーも一読、矢文の紙面を凝視する。その頬が強ばった。
「──つまり」
 やっとのことで、声を押し出す。
「あと一日、ってことか」
 それは最後通牒だった。
《 以下の期日までに開門されたし。回答を得られぬ場合には、開戦の意思ありと見なして、外壁を破壊し、突入する 》
「──向こうには、投石器があるってことか」
 きつく目を閉じ、ダドリーはぎりぎり拳を握る。
「もう少し──もう少しなんだ! やっと名簿が手に入った! だから、これで──」
 そう長く待たされることなく、吉報がもたらされるはずだった。
 使用人たちを動員すれば、秘書官の居場所は突き止められる。すべて上手くいくはずだ。そう、戦の首謀者、秘書官ネグレスコさえ見つかれば──。
「今から使用人に連絡をつけても」
 アスランは控えめに口を開いた。「ちょっと、開戦には──」
 間に合わないよな、と言わずもがなを態度で示し、天を仰いで、肩をすくめる。末尾に記された開門の期限は「これより一日」となっている。
 立ち尽くしていたダドリーが、ふと、またたき、目線を下げた。
 服の裾を、引く手がある。しみの浮いた皺のある手。
 拍子抜けしたようにダドリーは身じろぎ、すまなそうに見返した。「ごめん、ボーナム。ちょっと今、立てこんでいて」
 ひとり蚊帳の外だった執事だった。何が起きたか分からずに、困惑した表情だ。彼は耳が不自由なのだ。
「今ちょっと、まずいことになっててさ──って口で言っても、わかんないよな。けど、一から事情を書き出すのも、ちょっと……」
 執事はやきもきと首を振り、膝の画板に顔を伏せた。
《 早急に、ご覧いただきたい物がございます 》
 文字を見せて意思を伝え、続けてペンを走らせる。
 戸惑い顔でダドリーは読みとり、みるみるその顔が強張った。
「なん、だって……?」
 愕然として息を呑む。
 顔から血の気が引いている。いや、それを知って驚かぬ者などいるだろうか。
 静かな昼下がりの病室に、大地がひび割れたような衝撃が走った。
 思わぬ現実を突き付けられて、誰もが、すぐには動けない。
「……そういうこと、だったのか」
 ようやくダドリーが口をひらいた。
 目は、食い入るように文字を見ている。
「そうか。だから、帝国兵あいつらは、あの時、俺にあんなことを──」
 混沌と立ちこめた霧が晴れ、これまで見聞きした光景が、一同の脳裏で次々ひらめく。
 邪気ない小柄な執事をながめて、アスランは眉をひそめた。なんと皮肉なめぐり合わせであることか。伝える術を持たざる者が "解"を持っていようとは。いや、世の事象は往々に、皮肉な因果でできている。そう、例えば、こんなふうに。
 ── 口をきくことのできない者は・・・・・・・・・・・・・世界の秘密を握っている・・・・・・・・・・・
 開け放った扉の向こうで、診療所の日常がざわめいていた。
 しん、と静まった漆喰の壁に、窓からの蝉の音が染みてくる。
 誰もが言葉もなく立ち尽くす中、執事の手にある鍵だけが、きらきら夏日を弾いていた。
 
 
 

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