【ディール急襲】 第3部1章1話 最終話

CROSS ROAD ディール急襲 第3部1章 最終話
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 地平線に赤を残して、夜明けの平原が白んでいく。
 もうすぐだ。
 今日、トラビアは陥落する。
 
 楼門もんがあいたら誰より早く、平原へ滑り出、迎えにいこう。
 どこの誰とも知らないけれど、君の姿は知っている。
 黒いスカートをひるがえし、絶望に立ち尽くす戦場の花嫁。
 
 昔から、君を知っている。
 虚空をただよう意識の中に、薄ぼんやりと浮かぶのは、君と旅立つ三人の背。
 君と、連れの「守り手」二人。特別な使命を背負った君には、強い盾が必要だ。
 
 そういえば、彼女の名前を思い出した。
 むしろ、なぜ忘れていたのか。
 大地や大気、風のように、常にそばにある当たり前の存在もの
 彼女の名は ツクヨミ・・・・ だ。
 
 
 
 
 

三部一章 最終話

 
 
 執事は、開封してから、それに気づいた。
 中をあらためた封書の一つが、誤配・・であったということに。
 執事は直ちに、領邸で働く使用人たちを召集した。そして、厳しい顔でこう告げた。
《 伝染病が発生した為、全員速やかに館外へ退去し、コルタの別邸にて待機せよ。指示があるまで、動いてはならない。決してトラビアへ戻ってはならない。領家の名誉に関わる事ゆえ、本件は他言厳禁とする 》
 次いで、使用人の身元の書かれた文書、それに類する書類の全てを、壁裏の古い金庫に隠した。累が及ぶことを恐れたのだ。意図せず暴いた秘書官の秘密は、実直に勤めてきた初老の男を震撼させるに十分だった。
 神経質な秘書官が、密書の不達に気づくのに、時間がかかるとは思えなかった。事実、執事は、皆の後を追う前に、秘書官の一味に捕らわれた。
 秘書官は厳しく問い詰めた。密書の在りかを。見聞きした可能性のある使用人たちのいる場所を。執事の部屋を徹底的に捜索したが、ついに文書が出てこなかったのだ。
 どうしても口を割らぬとみるや、一味を使って拷問した。あげく、領邸裏手の断崖から、虫の息の執事を突き落とした。その喉を薬品で潰して。証人もろとも秘密を葬り去ろうとしたのだ。
 だが、秘書官のその目論みには、ひょんなことから狂いが生じた。断崖に生えた樹木の幹に、辛くも執事が引っかかっていたのだ。
 秘書官と一味は、それに気づかず、月下の古城へ引きあげた。河川の水面が夜目にも暗く、水しぶきをあげる轟音に着水音が掻き消されたことも、不運な執事に味方した。実のところ、一味が確認したその音は、落下する執事が無我夢中で折り取った木根が落ちた音だった。
 執事は、一夜が明けた頃、助け出された。
 相手は、地下道・・・から現れた浮浪者だった。崖の岩場に取り残された小魚を網でとりにきて、思わぬものを発見したのだ。
 そして、保護する見返りとして身包みはがれた件の執事は、彼らの中に身を隠した。
 
 すでに、人っ子一人いない。
 街路に軒を並べる店は、ことごとく門戸を硬く閉じ、夏日を浴びた石の街路に、住人の姿は見受けられない。いつも路地裏で戯れている、子供たちの姿もない。
 ひっそりとして、街は静かだ。放棄された街のように。
「逃げればよかったのに。こんなことになる前に」
 横を歩く雇い主を、アスランは溜息まじりに一瞥した。「誘われたんだろ? 逃げようって。あの赤毛の傭兵にさ」
 あれから一夜が明けていた。だが、喧嘩別れしたらしい傭兵は、やはり戻ってはこなかった。
「一人で居残って、どうするつもり? 街の連中のあの態度を見たろ。いざとなれば、我が身かわいさに売られるぞ」
 軽く肩をすくめただけで、ダドリーはやはり応えない。
「やめるなら、今だぜ?」
「やめない」
 これには即座に返答した。
 前を見据えた傷だらけの横顔が、口の先をとがらせる。
「どこの誰が逃げたとしても、俺だけは逃げちゃいけないんだよ」
 どこか言い聞かせるような不自然な物言い──いや、今のは宣言だろうか。低く紡いだその言葉で、己をも戒めているような。
 最終調整をするために、ヒースの姿を捜していた。あのオールバックの銀縁めがねを。
 閑散とした街の東、楼門と外壁の一角だけに、物々しい活気がある。結集した守備兵たちが、頬を引き締めて行き交っている。
 中天高く陽はのぼり、そろそろ正午を過ぎようとしていた。矢文が指示した開門期限が、刻一刻と迫っている。
「俺だって、こんなこと言いたかないけどさ」
 街壁の日陰をぶらぶら歩いて、アスランは視線をめぐらせる。
「もう、だめだろ、トラビアは。赤毛でなくても誰でも分かる。なのに、あんた、恐くないわけ?」
「そんな訳ないだろ?」
 ダドリーは辟易としたように顔をしかめた。
「ひとを何だと思ってるわけ? 俺だって生身の人間なの。食わなきゃ飢えるし、怪我すりゃ痛てえよ。けど」
 ふっと横顔が眉をひそめる。
「街の連中の言う通りだよ。領家が・・・戦を始めたから、皆それに巻きこまれている。こんな目にあえば俺だって "お前らが始めたから、こんな目にあってんだよ! どうにかしろよ!"って怒り狂うさ」
「──あんたって、なんか、領主っぽくないよな」
 思わぬ返事が飛んできて、アスランは当惑して頭を掻いた。「庶民の味方を通り越して、むしろ、庶民そのものっていうか」
「そりゃあな。俺、街の暮らしの方が長いから。──ああ、生まれは領家でも、嫡男じゃないんだ。だから、平民になるはずだった。家の財産の取り分なんか、三男坊にはないからさ、身を立てる道を探っていた」
「へえ。何になろうと思っていたわけ?」
「雑貨屋のオヤジ」
 ぶらぶら足を運びつつ、ダドリーは梢をまぶしげに仰いだ。「けど、途中で、予定が狂った。親父と兄貴が事故で死んでさ」
「もう一人、兄がいるって聞いたけど?」
「──うちの兄貴に、政治は無理だ」
 虚を突かれたように口をつぐんで、困ったように苦笑いする。「あの人は──なんていうのか、人が良すぎる」
「それにしたって、なんでいきなり"雑貨屋のオヤジ"よ。領家の血族なら、執政官って道だってあったろ。地位も名誉も実入りもあるし、暮し向きだって断然いい」
 ダドリーはうつむき、淡く微笑った。
 しばらく待つが、返事はない。アスランは肩をすくめて話題を代えた。
「今日は、ばかに素直じゃないの」
 雑談とはいえ、日頃本心など明かさぬ男が「雑貨屋のオヤジ」などと言い出すとは。そう、何かを吹っ切ったような、さばけた感じ。
 そお? とダドリーは頬を掻いた。「俺はいつでも素直だけどな」
「なら、ここは逃げるべきだろ?」
 すかさず、アスランは切り込んだ。
「これは、あんたの戦じゃないだろ」
 刹那、ダドリーは視線を揺らした。それまで別の事に気をとられていて、ふっと我に返ったように。
「──確かに、俺が始めた戦じゃない」
 確認するように慎重に言い、心を決めたように先を続けた。
「けど、役割を果たせる者が、ここにはいない。俺は、この国の・・・・領主なんだ」
 すれ違っていく守備兵たちが、ちらちら遠巻きに盗み見ていた。
 望みを託した交渉役を、誰もが息を呑んで見守っている。年若い男のこの肩に、この地の命運がかかっている。
 高く詰まれた石壁が、夏日をさえぎってそびえていた。開門の期限まで後わずか。
「俺は領主で、立場があるから雁字がらめで、みんなに責められてへこんでて、けど、それでも──」
 とりとめもなく言葉を連ね、ふっとダドリーは口をつぐむ。
 何かを思い切るように、やがて、静かに息を吐いた。
「夢は、見る」
 ざわり、と何かが去来する。
 アスランは眉をひそめて向き直った。
「──こういうのは、俺の主義に反するんだが」
 そう言ってしまってから、はっと気づいて目をそらした。
 口走った不覚に顔をしかめ、ぎこちなく頭を掻く。「──たぶん死ぬぜ? 回廊のてっぺんに立っちまったら」
「なにそれ。予感?」
「予感より、もう少し確かなもの、かな」
「似たようなことを言われたっけな、カーシュにも」
 ダドリーは苦笑いして肩をすくめた。「外れることもあるだろ、そういうのは」
「知っているよな。回廊まで、矢は届く・・・・
 虚勢を張った気休めを、アスランは厳しく一蹴する。
「向こうが約束を反故ほごにして、一斉掃射でも指示してみろよ。たちまち四方から矢を浴びて──」
「ダチなんだ、ラトキエむこうの当主」
 落ち着いた声でダドリーはさえぎり、にっか、と笑って振り向いた。
「心配ないって。そんな卑怯な真似、アルはしないさ」
「……その情報、間違ってないの?」
 あっけにとられて口をつぐみ、アスランは溜息まじりに額をつかむ。
 青空の下にそびえる外壁に、ダドリーは視線をめぐらせた。
「大丈夫だよ、約束は守る。アルベールはすっげえいい奴・・・だから。ああ、けど、回廊からじゃ遠くって、話すにしても一苦労だな。そっちの手配も・・・・・・・しとかないと」
 ふと見やった階段下へ、片手をあげて、足を向けた。
 人だかりの先にいたのは、日陰でたむろす制服の一団。捜していた顔がある。銀縁めがねのオールバック。
「なら、俺はギルたちを探してくるわ」
 アスランは立ち止まってその背をながめ、街方面へと足を向ける。指定の時刻までは猶予がある。
「アスラン」
 足を止めた肩越しに、連れの声を振り向いた。
 ダドリーが立ち止まり、まっすぐ顔を見据えていた。珍しく生真面目な面持ちで。
「ありがとな」
 思わぬ言葉に面くらい、アスランは怪訝に向き直る。
「俺のこと、心配してくれたんだろ? けど、俺には、ろくでもない現実・・を、この国に知らせる義務がある」
 きっぱりダドリーは言い切って、満面の笑みで、にっか、と笑った。
「心配すんなよ。うまくやる。俺にはまだ、することがあるんだ」
 さ、何事も準備が肝心! とズボンのループに左右の指を引っかける。ヒースの方へと踏み出しかけて、ふと、気づいたように天を仰いだ。
「──暑くなるな、今日も」
 ぽつり、と落ちた、色のない、つぶやき。
 まぶしそうに目を細め、腕で汗をぬぐっている。
 そびえる東の外壁を仰いで、ヒースに向かって歩きだす。癖っ毛頭の見慣れた背中が、真夏の強い日ざしの中に、吸い込まれるように消えていく。
「──義理は、果たしたからな」
 立ち尽くしたまま、それを見送り、アスランは小さくつぶやいた。
「俺は、ちゃんと忠告した」
 苦々しく言い訳し、背を向け、街路へ歩き出す。
 街角をながめるその脳裏に、あの姿がよみがえった。ふりかかる蓬髪の下の、奥歯を噛みしめた固い横顔、そして、押さえた低い声。
『 あいつを頼む 』
 ── ダドリー=クレストを、頼む。
 託された願いを断ち切るように、眉をひそめて目を背けた。
「悪いね。俺にも使命がある」
 開門と同時に滑り出て、彼女を迎えに行かねばならない。
 無邪気な彼女は知らないけれど、あの傭兵たちは滅びの使い。ひとりぼっちで立ち尽くす肩に、白刃を振りあげ、殺到するのが見えている・・・・・。そして、"鍵"と竜爪の邂逅を、何としてでも阻むのだ。
 すぐには竜爪を壊せぬならば、"鍵"を持ち去る必要がある。万一、二者が接触すれば、領土争いどころではない。この地平が、丸ごと 
 ──吹っ飛ぶ。
 平原の竜巻は消えていた。
 詠唱が効いた訳ではない。風が唐突に収まったのだ。考えられる要因は一つ。
 竜爪が・・・進路を開いた。
 いよいよ接近した"鍵"が、手元に到達できるように。"鍵"を我が元に招き入れるために。そして、我が物とするために・・・・・・・・・
 街路の端にたどりつき、アスランは街角で足を止めた。
 トラビアの街は閑散として、人の姿は見渡すかぎりない。
 街から逃げた人々は、北の古城の中にいた。石造りの堅牢さを頼みに、我先にと駆けこんだのだ。今や北の領邸は、広い館の隅々にまで多数の避難民を抱えこんでいる。
 ほの暗く過密な広間で、人々は身を寄せ合い、ひたすら息を潜めている。震えあがって祈りをつぶやき、絶望に顔をこわばらせて──。
 アスランは足を止め、肩越しに街壁を振り向いた。
 うつろう昼さがりの光景の中、癖っ毛頭が立ち止まり、自分の手の中を眺めていた。手の平に収まる小さな物が、キラキラと硬質な、金の光を放っている。
 うつむいたその頬が、少し微笑ったようだった。困ったように。はにかんだように。一体何を語りかけているのか。今ごろ何を想っているのか──。
 先のことは、見えている・・・・・。。
 この先どのように進行し、彼の身に何が起きるのか。
「──哀れだな」
 ざわめきに紛れる癖っ毛を見届け、アスランは苦々しく目をすがめる。
「お前がそんなに尽くしてやっても、領民むこうはお前のことなんか、これっぽっちも想っちゃいないぜ? それでもお前は、そいつらのために踊るのか」
 無意味な弱音は吐かないし、不敵な顔に目が行きがちで、うっかりすると見過ごしてしまうが、後ろ姿なら、よくわかる。
 足元が、ふらついている。すでに彼は満身創痍だ。
 それでも、それが正義というなら、それぞれの道を往くしかない。
 だが、かばった市民に石を投げられ、頼りの傭兵に見限られ、数万の軍勢と対峙して、いつまでそこに立っていられる?
 立ち止まった背に頭を倒して、アスランはトラビアの空を仰いだ。
 雨が降るような気配はない。風はやみ、穏やかだ。かがやくような夏の雲。
 目を閉じれば、喧騒が聞こえる。
 高くそびえる石壁の向こうの、遠い、遠い、ざわめきが。
 土煙にたたずむ数万の人馬。青空にそびえる古城のふちに、深緑の旗がひるがえる。
「──時は、今」
 徐々に忍び寄る時の気配を、アスランは全身で受け止める。
 くつわは並び、矢尻はかがやき、軍旗は風にひるがえる。
 さあ、選ばれし者たちよ。いにしえの神のてのひらで踊れ。
 それぞれの明日と、思惑を賭して。
用意はいいか・・・・・・
 クラウン・・・・
 
 
 

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 ※ クラウン【clown】 道化, 道化役者


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