■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章3
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上機嫌で出て行ったウォードの白シャツの背に続き、エレーンはとぼとぼ、定食屋の敷居をまたいだ。
「う゛っ……あと、五千カレント……」
落涙で覗いた財布の中は、千カレント札がわずかに五枚。元より少ない所持金だったが、ただの一撃で半減とは。
昼定食なら、と油断した。
だけども、まさか思わない。一人で四人前食べるとは。確かに「どれでも、いい」とは言ったさ。けどもそれって、どれか一つという意味だ!
ああ、うかつに連れ歩いたりするもんじゃない。食べ盛りの男の子なんかを。まったく今更な話ではあるが、軽はずみな己が呪わしい。街でリナとだべっていた、あの日常のノリでつい──
『 どれでも好きなの奢っちゃう! 一緒に来てくれた、ほんのお礼! 』
……ああああ。自分のバカ。
思わず頭を掻きむしる。あんな危険な発言を、なぜにかましてしまったのであろうか。
緑かがやく畦道を渡り、ドングリの大木を左に曲がり、浅い流れを通りすぎる。畑から入った雑木林の茂みの中に、ウォードの愛馬ホーリーを放しているのだ。まさか、町の定食屋ののれんを、馬連れで潜るってわけにもいくまい。
往路の豪語とは打って変わって、エレーンはしおれて道を戻る。あんな暴言を吐くなんて、自分で自分が信じられない。(こっちは年上!)の意地と矜持で気が大きくなっていたとしか思えない。だからといって現金が、手元にあるわけじゃ全くないのに。そう、超がつくほど裕福な領家の奥方のはずなのに。されど、現に財布の中身は、小銭が少しと
(ごせん、かれんと……)
くるくる目が回り出し、意識がぶっ飛びそうになる。
一体なんの冗談だ。これっぽっちの所持金で、これからトラビアへ行こうとは。常でも着くまで数日かかる、この大陸の端っこまで。
うなだれ果てた頭をもちあげ、ぐぐぐっ、と拳固を握りしめた。
こうとなっては致し方あるまい。あのとんでもない食べ盛りに、ぜひとも速やかに申し渡さねばなるまい。
──これから食事は、一人上限パン一個ねっ!
うむ、と決意し、前を歩く長身の背に、ふんぬ、と顔を振りあげる。
くるり、とウォードが振り向いた。
「エレーン」
喜色満面呼ばわって、ふわり、と頭髪が覆いかぶさる。
ひょろ長い体をとっさにかかえて、ぎょっとエレーンは後ずさった。「──ちょ、ちょっとなに!? なにすんのノッポくん!?」
「子作りー」
「……こっ!?」
呆気にとられて思わず硬直。ずいぶん古風な言い回し……てか、
「ここでっ!?」
ぽかぽかお日さま降りそそぐ、のどかな畑の沿道だ。
わたわた肩を押しのけた。「──は、はあっ? いきなり、なに言ってんの!?」
長い腕をウォードは駆使して、掻き寄せるようにして抱きしめる。「そうしないと、会えないでしょー?」
「ちゃあんとこうして、ここにいるでしょーっ!?」
頭を押しのけ、ガシガシ攻防。まったく、毎度思うことだが、青少年の未知なる脳には、壮大な宇宙が渦まいている。てか、
──ばかな真似はおやめなさい!?
「なっ、なんで、そういう話になるかなっ? まだ、こんな明るいし、ご飯食べたばっかだし、こんな道ばた誰が通るかわかんないし──てか、そんないきなりっ!」
「大丈夫ー。練習したからー」
「……れ、練習っ?」
て、なんの。
いや、悠長に問答している場合ではない。
そうだ。現状、待ったなし!
手近な雑木林を、びしっと指した。「あっ! やだっ! あそこ見て見て? ノッポ君?」
ほうら、ごらん? あのあたり。
「あそこにいるの、ホーリーじゃなあいっ? やだっ! 急いで戻んないと! あんまり戻りが遅いから、きっと、ここまで迎えにき──」
「何もどこにもいないでしょー」
……むう。その手にはのらないか。
ずぽっ、とどうにか腕を抜き出し、エレーンはぎくしゃく笑みを作った。
「と、とにかくちょっと落ち着いてっ! はいっ! まずは深呼吸〜っ! 吸って〜? 吐いて〜?」
いつぞやザイに丸め込まれた手で、両手でじたばた誘導する。
「なんでだめー?」
ウォードがふてくさった顔で手を放した。
「……やー。なんでって……そりゃーやっぱ、だめでしょう、そういうのは……」
そわそわエレーンは指をいじくる。上目使いでしどろもどろ。てか、なにを当然のごとくのたまっておるのだ己は。
「あ、あのね、ノッポ君。こういうことには双方の合意が必要で、そんな急には──」
「だってオレ、時間ないしー」
「……は」
"忙しい"とか言ってみたい年頃か?
ガラスの瞳が、じっと見つめた。
「オレはあんたに、また会いたい」
「……ぬ?」
思わぬ真摯な瞳にたじろぐ。毎度のことだが、予想をはるかに飛び越える反応だ。
とりあえず、へらっと笑ってみた。
「やっ、やだなーノッポくん。あたしなら、いるでょー? ほら、ここに! ノッポくんの目の前にっ!」
途方にくれたように溜息をつかれ、わたわた取り成し、お愛想笑い。
「も、もー。なんでいきなり、そんなこと言ってくれちゃうかな〜……」
ウォードがそっぽを向いて頭を掻いた。
「あんたに言っても、わかんないしー」
む、とエレーンは引きつり黙った。今「どうせ」を省略したな? 仮にも愛を告げた相手だぞ?──て、いや、告げてはいないか子作りとは言ったが。そう、肝心要なそっちの手順は、ものの見事にすっ飛ばされた……。
つるんとなめらかなその頬の「予定が狂った」とでも言いたげな顔が、どうも色々釈然としないが、さりとてここは年上の女。思春期野郎と同じレベルで、やりあってしまっては情けない。
そうだ、目指せ、大人の女!
うむ、と密かに拳を握り、気を取り直して彼を見る。「あ、あのねノッポくん? そういうの試してみたいのは、わかるのよ? でもね? そういうことは、もっとちゃんと好きな人と──」
「好きだけどー」
う゛っ──と微笑で固まった。
軽いな。返事が。
「あ、ありがとお……でも、ただ好きってだけじゃなくて、本当に一番この世の他の誰よりも──」
「エレーンは嫌いー? オレのこと」
ぶっきらぼうに言い放ち、ウォードは拗ねた顔つきだ。
「もっ、もちろん好きよ大好きよっ?」
不機嫌な様子に、わたわた焦る。「でも、そういう好きとは、ちょっとまた違う感じで……ええっと、なんて言ったら、わかってくれるかなあ──」
どくん、と何かが息づいた。
(……え?)
エレーンは戸惑い、目を見開く。
困惑しながら 胸を押さえた。
(な、なに……?)
呼吸が乱れ、浅くなる。
一気に全身が熱くなる。血が沸騰したかのように。目がくらみ、視界がぐらぐら揺れ動く。
ただのめまいや立ちくらみではなかった。決定的に何かが違う。喩えるならば、皮膚の下で、何かが暴れているような。体に巣食った狂暴な何かに、あっちへ、こっちへ突き動かされているような──
凝視した視界に、霞みがかかった。
意識が拡散、朦朧とする。力という力が抜け落ち、膝をついてうずくまる。青い夏草を捉えた視線を、戸惑いしきりで泳がせた。
(な、なにこれ、どうなってるの? なんで、急に……体の中で、血が……)
──血が、暴れている?
得体の知れない黒い恐怖が、じわり、じわり、と這いあがる。
愕然と戦慄し、指の先が止めようもなく震えた。そっぽを向いて拗ねていたウォードが、ふと、肩越しに振り向いた。
「……エレーン?」
すぐさま横にかがみこみ、いぶかしげに顔を覗く。みずみずしい夏草が、視界を流れ、それきりだった。
それきり意識が、ふっつり途切れた。
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