■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章4
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闇が降りた暗がりの中、パチパチ揺らぐ炎が見えた。
それを遮るようにして、白シャツが背を向けている。しゃがみこみ、火を熾しているようだ。
ひどい気分に顔をしかめて、エレーンはのろのろ目をあけた。濃紺の天蓋に銀の星々。木立の先の空は暗い。雑木林のひらけた場所。すっかり夜になっている。
重たい体を引きずりあげて、エレーンは身じろぎ、肘をつく。腕に、冷えた草の感触。地面に横たわっている。
先の不快がたちまち押し寄せ、気鬱に力なく嘆息した。いや、不快なんてものじゃない。
全身に、嫌な重圧があった。
大きなうねりに呑みこまれ、揉まれ続けているような。
なにか無性に息苦しく、のしかかるように大気が重い。体の不調はいく度もあったが、ここまで奇妙な症状は初めてだ。
いくつも錘を載せられたように重苦しい体で頭をもたげ、すっかり日の暮れた辺りを見まわす。
背後の気配を振り仰げば、真後ろに、茶色のつややかな壁──
彼の愛馬ホーリーだった。大きな体で四肢を折り、長い首を垂れている。不調の連れに寄り添って、夜気から守っているかのように。
濃紺をひろげた天蓋に、満天の星々がまたたいていた。
ひんやり白い夜の霧が、暗い木立に立ちこめている。冴えた夜の幻想的な光景。まだ夢を見ているようだった。夜更けにウォードと二人きり、こんな屋外にいるなんて。
がさり、と草を踏む音がして、白シャツの背が立ちあがった。
ちらちら燃え立つ、焚き火を背にして振りかえる。
「まだ気持ち悪いー?」
足を向け、ウォードは長身の肩をかがめる。
隣に腰を下ろしつつ、横たわった背に手をいれた。無造作な手つきで抱き起こし、自分の懐にかかえこむ。
ぼうっと動作を目で追って、ぎょっとエレーンは我に返った。
「な、なにすんのっ!?」
あまりに自然で気づかなかった。てか、
──まだ諦めてなかったかー!?
あぐらの膝に座りこみ、わたわた両手を肩に突っ張る。「ノ、ノッポくんっ? またっ!?」
「この方が、あったかいでしょー?」
「そっ、それはそうかも、しんないけどもっ!──だ、だけどっ!」
なにを当たり前のようにのたまっておるのか。
顔を引きつらせて、がむしゃらに抵抗。
とはいえ、元よりの体格差。そして、埋めがたい腕力差。その上、予てよりの体調不良。長い腕で絡めとられて、もう既に逃げようがない。
せめて、全力でのけぞった。
「さっ、さっきもあたし言ったでしょ!? こういうことには双方の合意が必要で──」
「もう、しないー」
え……? とエレーンは動きを止めた。
そむけた顔をぎくしゃく戻し、お愛想笑いで顔をうかがう。「だって、あの──」
「そういうわけにはいかないでしょー」
馬体の横腹にウォードはもたれ、あぐらの懐に抱え直す。「熱あるし」
呆気にとられて見あげた背中に、白シャツの腕がまわされた。
冷えた体を温めるように。しんしん音もなく降り積もる、夜気から守ろうとでもいうように。そこには、なんの思惑もない。
「……ご、ごめん」
戸惑い、エレーンは目を伏せた。
まだ十五の少年の、思わぬ如才ない分別に、言い知れぬ感慨が込みあげた。この子、急に、
──大人になった。
出会った頃は、無軌道な子供だったのに。感情の赴くままに行動し、周囲の者を戸惑わせる、誤魔化しがなく、偽りがない──。まだ、ほんの一月前のことなのに。
いや、この変化は唐突ではない。それが証拠に、彼が商都から連れ出してくれた。夜の診療所から助け出し、深夜のひと気ない街道を、かかえあげて歩いてくれた。誰の手も借りることなく、そのすべてを一人きりで。
出会った当初の、かみ合わない会話や、でたらめな間合いは成りをひそめ、今、彼は、静かに耳を傾けていた。以前と変わらぬ貌でいて、少しずつ、少しずつ変化している。自由に駆ける少年から、揺るぎない青年へと。
木立の草むらの暗がりで、夏虫が静かに鳴いていた。
木立をなでて、火影が踊る。すっかり日が暮れ、ひと気なく静かだ。黒と紺とが織りなす世界で、炎だけが爆ぜている。エレーンは気を抜いて瞼を閉じる。大丈夫だ、このままで。駆け引きも、騙まし討ちも、ウォードはしない。
元よりの不調も手伝って、言葉もなく身を任せた。
焚き火の炎は大きくなくとも、こうして身を寄せ合っていると、なるほど確かにあたたかい。さっき彼がそう言ったように。
夜気に強ばった全身が、次第次第にゆるんでいく。かかえこんだ白シャツの背が、夜気をさえぎる盾になってくれている。なにか、じんわりと、あたたかい──。
人心地ついて身じろいで、ふと、怪訝に首をかしげた。発熱でのぼせているせいだろうか。ぼんやり潤んだ視界の中に、奇妙なものが見えるのは。
霧のような淡い緑が、全身を覆って、ゆらいでいる。そう、これも気のせいか。ブラウスの下の胸元が、発光しているように思うのは。それが熱を帯びているように思うのは。あのお守りの翠石が。
ふと、何かが引っかかり、視線をそらして、下方に向ける。
「……ノッポくん、これ」
怪訝に見咎め、彼を見た。
「もしかして怪我した? ノッポくん」
白シャツの裾が、ぽつんと赤く染まっている。なぜ、そんなところに血液が? 昼に目をまわして休んでいた時、しばらく出かけたようだったが、もしや、誰かと喧嘩でも? けれど、付近には農夫くらいしか──
はっ、と頬が強ばった。
メガネの顔が頭をよぎった。商都の診療所で監禁した、アールと呼ばれたあの男。そして、斡旋屋でたむろしていた仲間。ボリスら三人を部屋から追い出し、夜道に腕づくで叩き出した──。
ざわり、と胸が不穏にざわめき、彼に顔を振りあげた。
「何か、あったの?」
追って来たのではあるまいか。あの粗暴な男たちが。この翠石を奪うために。外からドアに鍵をかけ、監禁したような輩なのだ。こちらが部屋から逃げたと知れば──
「ちょっとねー」
「──けど!──けどノッポくん」
おろおろ彼の顔を見る。「だってこれ、人の血じゃ──」
「転んだー」
小さくエレーンは声を呑んだ。「……え?」
「さっき転んで、ちょっと切った」
密かに戸惑い、目をそらす。
「……そう」
なんとなく、わかってしまった。
今の不用意な応え方で。誤魔化しのないあの彼が、あの「ノッポくん」が、
嘘をついた。
「オレ、言わなきゃなんないことがあるんだけどー」
ふと、エレーンは見返した。この言葉、何か記憶に引っかかる。この一言一句違わぬ切り出し方は……
薄い茶色のガラスの瞳が、じっと間近で見おろしている。
「エレーン。オレ、あんたのこと──」
ためらうように口をつぐみ、ふい、と気まずげに目をそらす。
あぜんとエレーンは固まった。このやりとり、覚えがある。いや、また始まった、というべきか。
そう、じっとり汗ばむあのロマリアの炎天下。じりじり蝉声に包まれて、しつこいほどにくり返し聞いた、あの──
間近で見おろす真剣な瞳。
「エレーン。オレ、あんたのこと──」
「……う、うん。なあに? ノッポくん」
エレーンは小首をかしげて、たじろぎ笑い。
満天の星がまたたいていた。
暗い木立で火影を躍らせ、パチパチ焚き火が爆ぜている。
しんしん更けゆく夏の暗がり、たどたどしくも懸命な、彼の告白は続いている。
切迫した口調で切り出すものの、同じ所で詰まってしまい、しばらく困ったように口をつぐみ、そして、初めからやり直し。都度、決心したように声を励まし──。
「エレーン。オレ、あんたのこと──」
「……うん。なあに、ノッポくん」
白シャツの肩に頭を預けて、重たくなってきた瞼を閉じる。このくだり、もう何べん聞いたであろうか。
くすり、とエレーンは小さく微笑った。どうしても言えない愛の告白。キスさえ飛ばして、性急に求めようとしたくせに。
順序が逆だよ、ノッポくん……
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