■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章6
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激昂の中、目が覚めた。
心を逆立てるざらつきと、虚しいほどの無力感。圧倒的なうねりに呑まれて押し流されていくような。
そのまま手をこまねいていれば、取り返しの付かないことになるのは分かっているのに、何もできないもどかしさ──。
うっすら白い朝もやの中、小さくくすぶる焚き火が見えた。
ぼんやり薄目でそれを認めて、エレーンは顔をしかめて瞼をこする。押しつぶされそうに胸がつまって、一瞬どこにいるのか分からない。
夢を見ていた。
あの夏の、あの日の夢を。
仲間たちと避暑に出かけた、二年前の北カレリア。バザール街道沿いに建っている、素晴らしく美味しい料理を出す、古びたあの宿《 どくろ亭 》の。
雨に打たれて熱を出したアディーの様子を見舞うため、二階のあの部屋を訪れた。階段を上がった廊下の先、二人が宿泊していたあの部屋を。
声をかけることが、できなかった。
西日の廊下にたたずんで、ただただ見入ってしまっていた。
厨房のある階下から、食事を運んできた、宿の主に声をかけられ、とっさに食ってかかっていた。
急な剣幕に驚いたようで、宿の主セヴィランは、面食らった顔で黙りこんだ。
廊下での騒ぎを聞きつけたのか、ややあって彼が、戸口まで出てきた。
「何やってんの? お前」
ひょい、とレノさまが顔を出し、いつもの顔でそう言った──。
夢の余韻に眉をしかめて、エレーンは溜息で瞼を閉じる。
熱く沸き立った衝動が、まだ生々しく残っている。なぜ、あの時、宿の主に、食ってかかってしまったのだろう。
咎められたわけではなかった。廊下で部屋を盗み見たことを。
こみあげた想いを、押さえることができなかった。とっさに、ぶつけてしまっていた。たぶん知ってしまったからだ。彼の、本当の心の在りかを。
重たく肩にのしかかっていた、白いシャツの腕をどけた。
寝ているウォードを起こさぬように、横臥した懐から這い出して、枯葉の地面にへたり込む。
ぼう、と朝の雑木林をながめた。
枯葉の地面でうずくまり、気だるい肩を抱えこむ。近頃、なぜ、こんなにも、あの頃を夢に見るのだろう。二年も経った今になって。
首を振って余韻を払い、ふと気づいて、またたいた。
ぐりぐり肩をまわしてみる。
体が軽い。なんともない。昨日の不調が嘘のようだ。熱もすっかり引いている。背を包み込んでくれていたウォードが、すべて吸いとってくれたように。
厚く積もった枯葉の層で、ウォードは横臥で眠りこけている。
ゆうべは話を聞きながら、いつのまにか眠っていたが、あのあと彼も眠たくなって、横になってしまったらしい。懐にかかえこんだまま。
寝そべったウォードの後ろには、壁のような茶色い馬体。彼の頭とは逆向きに大人しく首を垂れている。つまり、ホーリー、ウォード、自分の順でくっ付きあって寝ていたらしい。いわば、ウォードは「両手に花」というわけで──
「……これって」
あれ? とウォードを二度見して、エレーンは思わずたじろぎ笑った。
「ノッポくんが 一番あったかい よね?」
案外ちゃっかりしているらしい。
いや、そんな計算、ウォードはしない。そう、たぶん理由は──
ちら、とホーリーを盗み見て、うむ、と真顔でエレーンはうなずく。なにせ彼女とはライバル関係。ウォードを取り合った仲なのだ。うっかり隣で寝たりしたらば、夜中に蹴っ飛ばされていたかもしんない……。
朝の清々しい大気につつまれ、白々と明けた周囲を見まわす。
「……これって、かんぺき 野宿、よね」
いささか呆然とつぶやいて、エレーンはほりほり頬を掻く。
己を指さし、にんま、と笑った。
「なんだ。あんがい軽いじゃん?」
けっこう才能あるかもしんない。
燃えかすになった焚き火の中で、ちらちら赤がくすぶっていた。
ウォードが一晩中起きていて、薪をくべ続けてくれたらしい。彼が引っ付いて寝てくれたおかげで、夜中もちっとも寒くなかった。
「……これなら、なんとか行けるかな」
あの彼がいるトラビアまで。
「あ〜。ノッポくんと一緒で、ほんと良かったあ〜」
ウォードの寝顔に笑いかけ、膝をかかえて頬をつける。
一人じゃ絶対、こんな所まで来られなかった。
そもそも皆、商都から西には近寄らない。ここから先にあるものといっても、小さな町や畑を除けば、物々しい国境や国軍の施設、あとは炭鉱くらいのもの。まして、今は、国軍が結集している、というのだから──
ぶるりとエレーンは身震いし、かかえた膝にうつぶせた。
本当は、怖くて仕方ない。
怖くて怖くて仕方ない。誰でもいいから、そばにいて欲しい。もう、一人になるのは絶対に、
──嫌や。
思わず寝顔に手を伸ばし、枯葉の上で眠っている、長い前髪を指先ですくう。
はっとして、手を引っこめた。
その指先を握りしめ、エレーンは戸惑い、目をそらす。「……ご、ごめん」
困惑しきりで立ちあがった。
「ごめん、ノッポくん」
荷物を置いた脇へと歩き、一まとめにしてあった、手荷物の取っ手に手を伸ばす。
その手の甲が強ばった。
──でも、とエレーンは目をそらす。
辻馬車は運行していない。
お金だって、残り少ない。この上、ウォードまでいなくなったら、この先どうやって進めばいい。こんな野宿ができたのは、ウォードが朝まで火を絶やさず、一晩中、懐で温めてくれたからなのだ。
彼から離れれば、完全に一人だ。
助けてもらえる宛てなどない。もう、誰にも
──頼れない。
ためらい、指先がかすかに震える。
顔をしかめて首を振り、荷物の取っ手をひったくった。
足を無理に前に出し、寝顔の前を通りすぎる。
ウォードは枯葉に横たわったまま、身じろぎ一つせず眠っている。よほど疲れていたのだろう、目を覚ます気配はない。
ぐい、と上着が引っぱられた。
怪訝にエレーンは振りかえる。
濡れたように黒い瞳が、じっと顔を見つめていた。諌めるような顔つきで。
「──あたしのこと、止めてくれるの?」
困惑してぎこちなく微笑み、エレーンは荷物を地面に置いた。
つややかな鬣を引き寄せて、そっと馬面に頬ずりする。
「ありがと、ホーリー。でも、あたしにできること、こんなことくらいしか、ないから」
首をかかえた手を放し、真正面から顔を見つめた。
「ホーリー。あんたを見込んで頼みがあるの。ノッポくんが目を覚ましたら、元の部隊に連れて戻って」
じっと見つめる黒い瞳に、エレーンはうなずき、微笑みかけた。
「ここまで、ありがと、ホーリー。ノッポくんのこと、お願いね」
朝もや立ちこめる雑木林を、街道に向け、ひとり歩いた。
晴れた高い朝空を、うつろに見あげて、エレーンはつぶやく。
「……怖い、よね」
戦地に行くのは。
それは怖いに決まっている。上辺はどんなに大人に見えても、まだ十五の子供なのだ。
「──なんとか、しないとね。自分で」
愛馬とともに残してきた、背後の道を振りかえる。
「ここまで、ありがと。ノッポ君」
何でもできるあの彼に、自分などよりよほど力の強いあの彼に、してあげられることなどないけれど、自分にもできることがある。
せめて、この手を放すことだけ。
もう、頼るわけにはいかなかった。だって、ウォードが、
──彼が、泣いてた。
やりきれない溜息で歩き出し、朝もやに沈む道をながめた。
「……あーあ。やっぱり一人になっちゃった」
くすり、と微笑い、エレーンは顔を振りあげる。
だけど、行かなきゃ。
アルベールさまを止めないと。軍が動き出す前に、居場所を捜して面会し、あの彼を説得しないと。ダドリーが捕らわれた、トラビアを攻撃する前に。
彼は、きっと事情を知らない。あの後、アディーとダドリーは、二人は既に
──和解していた。
薄い青の朝空を見やって、荷物を手にさげ、歩き出す。
すっかり晴れたこんな日は、あの人のことを思い出す。かつて手ひどく傷つけた、あの日のかけがえのない昼さがりを。
なぜ、あんなことを言ったのか、今になっても、わからない。
林がひらけ、道に出た。
朝もやたゆたう緑の畑。
踏み出した足を、ふと、止めた。
エレーンは肩越しに振りかえる。木々で見通しはきかないが、あの木立の向こうには、あの商都があるはずだ──
ずきん、と胸が鋭く痛んで、エレーンは思わず顔をしかめた。無断で出てきてしまったけれど、あの彼はどうしたろう。
あの後、ケネルは迎えに来たろう。約束した診療所に。
きっと、旅の支度をして。
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