■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章13
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聞き覚えのある親しげな声──
その姿に虚をつかれ、エレーンは息を呑んで、目をみはった。
たたらを踏んで、石畳を蹴る。
転げそうに体をかしげ、それでもしゃにむに声へと駆ける。昼の、凪いだ街並みがかすむ。
街路の先に立っていた彼が、面食らったような顔をした。
すぐに苦笑いして、肩をかがめる。革の上着にランニング、丸い形の黄色いメガネ。そして、なによりあの禿頭──
「セレスタンっ!」
両手を広げて地を蹴った。
懐かしいその首に、ひしとエレーンはしがみつく。
「せっ、せっ、セレスタン! 来てくれたの? 来てくれたの? お腹すいたし、どこにいるのかわかんないし、借金取りは来るし、変な人たちも追っかけてくるし、あたし一人で、もうどうしようかとっ! どうしようかとぉっ!」
めそめそ泣きべそで、えぐえぐ訴え、思いあまってぐりぐり頬ずり。
「み、み、味方だと思ってたあ〜! せれすたんセレスタンせれすたん〜っ!」
気配に気づき、はた、と隣を振りかえる。「──と、ザイ」
「差ァつけますねえ」
じろり、とザイが仏頂面で腕を組んだ。
「……そっ、そっ、そんなことないわよぉっ?」
そろりそろりとセレスタンの首から降りながら、えへへ、とザイにごまかし笑い。「や、やーん。ザイも久しぶりぃ〜……あ、ほらっ! 黄色いメガネって目立つからっ! だからついついこっちの方に──ねっ、ねっ、そーよね? せれすたんっ?」
全身冷や汗。しどろもどろで抗弁必死。
「──殺されるぞ、副長に」
でれでれ笑いのセレスタンを苦い顔でたしなめて、鋭くザイが目を向けた。
「で、何してんスか、こんな所で」
う゛っ、と頬がひくついた。有無を言わせぬ詰問口調。いっそ尋問。顔を合わせた途端にこれだ。
「だ、だから、その〜……」
ふつふつたぎる怒りに気圧され、そそくさ地べたに目をそらす。うん。かなり怒ってる。「そ、その〜……ちょっと、トラビアに用事があって、それで──」
「なに考えてんスか!」
一喝が、脳天に降ってきた。
「正気の沙汰とも思えねえ。瀕死で担ぎ込まれたばかりでしょうが!」
「……ひ、瀕死? え、なに言ってんの?──あ、大丈夫よ? 背中のことなら」
へらへらエレーンは引きつり笑顔で後ずさる。「怪我ならもう治ったし、包帯だって、もうとれたし」
二人が顔を見合わせた。
なぜか口をつぐんでいる。
ザイが注視の視線をはずし、思案するように顎をなでた。
眉をしかめて、セレスタンも身じろぐ。不可解そうな顔つきだ。きょとんとエレーンは交互に見る。「なに? 二人とも変な顔しちゃって。──あっ、ほら! 先生の腕が良かったんじゃない? たぶん」
なにか言わなきゃいけない気がして、適当この上なく理由づけ。
「つまり──」
無理に疑問を呑みこむように、ザイがゆっくり目を戻した。
「つまり、なんともないってことスか」
「だから、そう言ってない? あたし」
何がそんなに腑に落ちないのか、もてあました顔で立っている。
「ほ、ほ〜らねっ? 見てわかんない? あたしのどこが瀕死なのよ」
ザイが脱力したように肩をかがめた。
あぐらで地面にすわりこみ、上着の懐から煙草を取り出し、気怠そうに口にくわえる。
煙草の先に火を点けて、ふぅ、と長く一服する。
嫌な予感に顔をゆがめて、エレーンはびくびくうかがった。嵐の前の静けさか……?
ザイは口をつぐんだままだ。地面をながめているようだが、長い前髪が振りかかり、どんな表情なのか分からない。
怒っているのか呆れているのか、ザイの意図が皆目わからず、ただただおろおろ隣をうかがう。
困惑した視線に気づいて、セレスタンが苦笑いした。だが、何を言うでもない。
やはり何を言うでもなく、ザイも無言で一服する。
皮肉も言わなきゃ、罵倒もしない。何を考えているのか分からない。
(い、一体なに企んでんのよ……?)
いつもなら身構える間もなく、ずけずけ口撃するくせに。
これでは蛇の生殺し。いっそ、さっさと説教食らって、終わらせた方がずっと楽。彼らと行動を共にして学習したことがある。どんなにガミガミ叱っても、彼らはいつまでも後を引かない。
よし、と己を奮い立たせて、ぎくしゃく足を踏み出した。
万一すんごく怒っていても、まさか殴りはしないだろう。ファレスの奴なら別だけど。何かあってもセレスタンいるし……
膝に手をつき、背をかがめ、前髪で見えないその顔を、そぅっと下から覗きこむ。「……あ、えっと、どしたのザイ? いきなり地面に座りこむとか──あっ、のぼせた? もしかして。そっか、今日暑っついもんね? だったらどっか食堂行かない? 道の真ん中じゃ暑っついし、日陰で早く休まないと──」
地面に落ちた右の手を、ザイが気怠そうに持ちあげる。
──ぎゃっ!? とエレーンはのけぞった。
「え゛!?──ちょ、ちょっとちょっとちょっとおっ!?」
わたわた肩を押しのける。かがんで顔を覗いたとたん、背中を引っぱりこまれたのだ。
あぐらのザイに捕まっていた。
煙草をはさんだ左手は、膝で紫煙をくゆらせたまま、つまり片腕で背中をかかえている。噛みつかんばかりの恐慌で、エレーンはアワアワがむしゃらにもがく。腕一本のはずなのに、もがいてももがいても抜け出せない!?
右の肩に重みがかかった。い゛っ!?──と全身が硬直する。つまりこれって、
ザイが顎をのせている?
「なっ、なっ、なにもしかして疲れちゃった!? けど、そんな所で休まれてもっ! つっかえ棒にされても困るんだけどあたしっ!」
真横のザイに訴えるが、あまりに距離が近すぎくて、さらさらした髪しか見えない。あわてて背後を振り仰ぎ、まだそこにいるはずのセレスタンに助けを求める。
どこかまぶしげに目を細め、セレスタンは鼻をこすって苦笑いしていた。何をするでもなく、ながめている。困っているのはわかるだろうに、動く気配は微塵もない。そういえば彼は、ザイを止めない。
あの時だって、そうだった。ザイに追われたレーヌの浜辺。あの頃はザイが怖かった。怖くて怖くて仕方がなかった。死に物狂いで逃げていた。
セレスタンはそれを見て、笑って手を振っていた。結局、浜辺で追いついたザイは、あの時初めて「味方だ」と言った──。
肩に顎を乗せたまま、ザイはやはり動かない。
強ばった首をぎくしゃく回して、エレーンは隣を振り仰ぐ。
(──だっ、だずげで〜!?)
濁音つきの念が効いたか、セレスタンが苦笑って身じろいだ。
「おい。殺されるぞ、副長に」
聞いているのかいないのか、ザイはやはり微動だにしない。背中の手のひらに、力がこもる。「……ぶじで……」
え? と面食らってザイを見た。
ぼそりと今何か言ったが、一瞬のことで聞きとれなかった。いや、不自然な体勢で、喉が圧迫されているから。
煙草を、ザイが投げ捨てた。
あぐらの横に手を突いて、肩を傾げて立ちあがる。
はた、と気づいてあわてて転げ出、セレスタンの背中に転げこむ。
はっし、と彼の上着をつかんで、ザイの様子を盗み見た。(な、なになに!? 今のなに?)
拳を口に押し当てて、セレスタンはくすくす笑っている。
(い、今なんだって? なんか言ったみたいだけど)
ふい、とセレスタンが空を見やった。「さあ」
明らかにとぼけた顔つきだ。
(……む? ちょっとおー。いじわるしないで教えてよ〜)
だが、にやにや笑うばかりで、セレスタンはどうしても教えてくれない。
「訊いてもあいつ、二度と言わないと思いますよ?」
(……むう!? なにそれ。気になるじゃないよ。ねえぇぇー、セレスタンんんー!)
「サラシも包帯もないようで」
ぎくり、と飛びあがって振り向いた。
ひょい、とザイが真横で顎を出している。
「まじで何ともないんスね」
……え゛? とエレーンは顔をゆがめた。なにその一転シラッとした顔は。てか、なんで、あんたがそこにいる!?
いつの間に。
まるで何事もなかったように、ザイはいつもの飄然とした顔。もうすっかり普段通り──て、さっきのアレは何だったのだ!? あんなにじぃっと背中を触っ──あっ!?
愕然と絶句し、合点する。そうか。あれは
話の裏を取っていたのか……!?
じりじり夏日を浴びながら、あんぐり往来に立ち尽くす。
なにせキツネは化かすのが商売。確かにあんなに密着しても、トキメキなんかなかったし。そう、むしろ、あの感じは、労わりだとか安らぎの部類で──
(……。ザイに?)
妙な結論に着地して、思考停止で硬直する。ない。それはありえない。相手はザイだ。油断のならない性悪ギツネ──
はた、と正気を取り戻した。
何をもたもたしてるのだ。そうだ。せっぱ詰まっている。そんなことより急務がある。ザイがあんなことしたせいで、あっさりどっかに吹っ飛ばされたが、なんかもやもや腑に落ちないが、実に切実な問題が──! にやにやしていたセレスタンに、つかみかかって乗りかかった。
「ごはんっ!」
「──しかし、しょうがねえな、ウォードの野郎。姫さん途中でほっぽリ出して」
「あっ、違うの、ノッポくんは悪くなくって。てか、どっちかっていうと、あたしが勝手に……。そっ、そんなことより、黄色いメガネ似合うぅー!? セレスタン!」
「でっしょー? ザイには不評だったけど」
鬼気せまる涙目が効いたか、急きょ食事に行くことになった。
昼の街路をぶらつきながら、ザイがおもむろに振りかえる。「で、食いたいもんは」
「なんでもいいからとにかくいっぱい!」
語尾におっかぶせた即答に絶句し、セレスタンは視線をめぐらせる。「……確かあったな、さっきの通りに定食屋」
昼さがりの街路樹の下、軒を並べた商店街は、のどかに穏やかに凪いでいる。
ようやく手に入れたお食事券──もといザイとセレスタンの腕をつかんで、逃がさぬようにしっかと確保し、エレーンはるんるん交互にあおぐ。「だけど、夢にも思わなかったあ〜。まさか二人が一緒に行ってくれるとか〜」
「なに寝ぼけたこと抜かしてんスか」
通りすぎる町角をぶらぶら見ていた左手のザイが、げんなり溜息で振り向いた。
「決まってんでしょ、商都へ帰るに」
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