CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章14
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 

 正午をまわった客の入りは、およそ三割というところ。
 昼日の薄暗い居酒屋には、商談中であるらしき額をつけた一組と、カウンターの高椅子で湯呑みをすする初老の男、そして、新聞を広げた商店主。
 カウンターの奥にいた店主に適当に注文し、水を注いでグラスを取り、風の通る窓辺へ進む。
 分厚く重そうな革の上着をセレスタンがやれやれと脱ぎ、エレーンも壁の品書きを見ながら、窓辺の円卓の椅子を引く。開け放った窓の手すりに、夏の陽射しがたゆたっている。
 道々聞いたところによれば、この町の名はバルドール、商都・トラビア間の主要都市の一つ、ノアニールの手前の町で、つまり、商都の方が、まだ近いということだ。
 値踏みの視線を走らせて店の中をぶらついていたザイも、水のグラスを卓に置き、手近な椅子の背もたれを引く。──ふと、手を止め、窓を見た。
 見咎めたような視線の先は、夏日に凪いだ石畳の街路、いや、路地でたたずむ人影の方だろうか。
「──来やがった」
 短い舌打ちでつぶやいて、意味ありげに向かいに目配せ。
 ランニングの腕で椅子にもたれて「了解」とセレスタンが片手をあげた。「じゃ、俺は待機ってことで」
 二人をエレーンは交互に見た。話はすっかり済んだ様子。まだなんにも言ってないが。
 おろおろ首を傾げる間にも、ふい、とザイが肩を返す。
 椅子の背をつかんで乗り出した。「ど、どこ行くの? すぐにご飯が──」
「食ってていいスよ。ああ、それと──」
 ザイが首だけ振り向いた。
いい子にしてるんスよ」
 ぎろり、と肩越しに念を押す。
「……りょ、了解〜。は、早く戻ってね〜……」
 一気に空気が凍りつき、気圧され、愛想を振りまくと、出口へ向かったザイの背が、ためらうように足を止めた。
 ぶらり、と振り向き、声をほうる。
「なるべく早く戻りますよ」
 ぽかんとエレーンは口を開けた。
 返事をした? あのザイが?
 ──嫌みも皮肉も毒もなしで!?
 ここへ来る道すがらも「まったく恐れ入りますねえ、こんな遠くまでうすらボケが」とか「まったく底なしのおバカさんスねー」とか「どこの惑星から来たんスかあんたは」とか、さらっと毒を吐いていたのに!? 
 すいた店内を出口へ突っ切り、ザイが扉を押し開けた。
 ガラン、ガラン──とドアベルが鳴り、夏日の街路へ再び出ていく。
 不審の絶句で扉を見つめ、戻ってこないのを入念に確認。
 ふっ……と脱力の息を吐き、ぶんむくれて振り向いた。
「んもおぉぉぉー。せれすたんんん〜っ!」
 ぐぐっ、と両手で拳を握って、ぶんぶんエレーンは首を振る。
「セレスタンは味方だと思ってたのにぃっ!」
 体を傾げて、ズボンの隠しを探っていたセレスタンが、眉尻下げて苦笑いした。「騙すつもりはなかったんすけどね。あんまり喜んでくれるから、つい」
「なによ。ザイと徒党くんじゃってえ! あたしはてっきりセレスタンは一緒に──」
「ねえ、姫さん」
 煙草の箱を卓にほうって、セレスタンは腕を卓におく。
「俺らは何も、姫さんが憎くて邪魔しようってんじゃないんすよ」
 思わぬ真顔に、エレーンはたじろぐ。「そっ、それはあたしだってわかってるけど」
「なら、商都に戻りましょ。無茶っすよ、姫さん一人でトラビアだなんて」
「──むう。だけどー。診療所に戻ったら、また閉じ込められるもん。そしたら、もう出られないもん。取り立てに来たさっきの二人も、すんごい怖い感じだし」
「なんすか。その取り立てってのは」
 はた、とにわかに思い出し、卓を叩いて乗り出した。
「もー聞いてよ、セレスタンんんー!」
 ごくごく一気飲みで喉を潤し、だんっ、と水のグラスを置く。
 ふつふつ怒りがぶり返し、向かいの胸倉つかまんばかりに訴えた。辻馬車の停留所で出くわしてからの、乱暴狼藉の数々を。
 むに、とエレーンは口を尖らせ、ふざけんな、とぷりぷりふくれる。
「診察代のことなんて、あたしは全然聞いてないのに、ケネルが払うとか勝手に言ってさ。しかも信じられるー? 三千トラストとか言ってくんのよ?」
 なんだ、と拍子抜けした面持ちで、セレスタンが椅子に寄りかかった。「いいじゃないすか、三千カレントそれくらい」
「三千トラスト!」
「今なんて?」
 へ? と二度見したセレスタンに、ぎりぎり歯ぎしりで言い直す。「だからト・ラ・ス・ト! カレントじゃなくてっ! 三千トラストっ!」
「──こいつはまた」
 あぜんとセレスタンは絶句して、くすり、とおかしそうに苦笑いした。「派手に吹っかけられたもんすねえ」
「笑いごとじゃないわよ。めちゃくちゃよお! 尋常じゃないわよ、あの二人。耳をそろえて払うまで一歩も出さねえっ! とか怖い顔ですごんでさあ」
「闇医師シュウ、か」
 ──え? と面食らって口をつぐんだ。
 開け放った窓の外、昼下がりの石畳の街路に、セレスタンは目をすがめている。
「商都五番街で店を張る、個人の人材斡旋所。用心棒だの賞金稼ぎだのの手配や仲介をする所ですが、その筋では有名ですよ。附属の診療所の方が・・・・・・ですが」
「そ、そうなの?」
「そりゃ評判にもなるでしょうね。金さえ払えば、どんな札付きでも受け入れる。患者の素性は一切問わない。それ以前に腕がいい。どんな怪我でもたちどころに治すってんだから。もっとも、あそこの先生は、免許も開業許可きょかもないようなんで、闇営業って話ですが。だから、あの店に出入りする輩は、元より堅気じゃないわけで。その姫さんとこにきた取り立て屋ってのも、大方、斡旋所の客でしょう。──ま、それにしたって三千は高いが」
 ふと気づいたように目を向けた。
「……え、なに? どうかしました?」
 ぽかんとあけていた口を閉じ、エレーンはぽりぽり頬を掻く。「……や。なんか、ちょっと意外で」
 そう、いやに正確で・・・・・・無駄がない・・・・・。上司に報告するような的確な口調。のほほんとした普段とは、何かずいぶん感じが違う。
 改めてまじまじと彼を見た。「詳しいのねえ、セレスタン。興信所の人みたい」
 ぎくり、とセレスタンが引きつった。
 あたふた椅子の背に後ずさる。「あっ、いや、それは──!」
「それは?」
「そ、それより、診療所に戻るのが嫌なら、異民街の本部にいりゃいいすよ」
 あからさまなへらへら笑いで話を変えた。「あそこなら、誰も手が出せないし」
「──だけどぉー」
 エレーンは口を尖らせて、ぶちぶち卓で指をいじくる。「でも、そしたら、あたし、トラビアに行けなく──」
「ま〜だ、そんなこと言ってんすか」
 呆れた顔でつくづく見、げんなりセレスタンが嘆息した。「もう懲りたでしょ? 姫さん一人じゃ無理だって」
「そっ、そんなことな──」
 うっ、と顔をゆがめて口をつぐんだ。
(泣きべそで突進したくせに〜)と向かいの白け顔が言っている。
「ともあれ一度戻りましょう。食ったら、副長と合流して──」
ふぁれす!?
 息を呑んで、振り向いた。
「いいいいるのっ? 来てるのっ? 近くまでっ?」
 しばし、あんぐり目をみはる。
「な、な、なんで、外に、ファレスがいんのっ!?」
 腹を刺されて重症のはずだ。一度は街に出て来もしたが、無理が祟って寝込んでいたはず。診療所にいた時も、珍しく見舞いにも来なかったくらいだ。そんなファレスが商都カレリアから遠く離れた、こんな町中にいるというのか?
 あぜんとセレスタンの顔を見る。「……だ、大丈夫なの? 遠出して」
 おかしそうに相好を崩して、セレスタンが苦笑いした。「心配すか?」
「えっ?」
「副長のことが」
 探りを入れる視線から逃れ、そろりとエレーンは目をそらす。「だ、だって、そりゃまあ、一応は……」
「ま、さすがにへばったようすけどね」
 さばさばセレスタンは身じろいで、卓の煙草に手を伸ばした。
「商都を出た時は普段通りのあの様でしたが、移動うまはまだ無理だったようで。白目むいて気絶して、危うく落馬するところで」
 あわてて宿に運び込んだのだという。
「そ、それでファレス、今どこに──」
 ああ、とセレスタンは身じろいで、親指で窓の外をさす。「宿は、その道渡った、三本向こうの通りすよ」
 そわそわエレーンは目をそらした。ぎゅっ、と膝で手のひらを握る。街路に居並ぶ町壁の向こう──
 がたん、と椅子を鳴らして席を立った。
 せかせか窓に歩み寄り、通りの先をやきもきうかがう。「も、もー。なんで来んのよ、こんなとこに。あんな死にそうな怪我したくせに!」
 手すりから身を乗り出して、爪を噛んで歩きまわる。「とっちめてやんなきゃ。ご飯食べたら」
「でも、メシが先なんすね」
 すかさずあっさり指摘され、う゛っ、とエレーンは言葉に詰まる。
「そういや誰すか、さっきの二人は」
「ふたり?」
 だから、とセレスタンは親指で窓の外をさす。「クロウともめてたようすけど?」
「──あっ、そうそう! そうなのよっ!」
 はた、とエレーンは思い出した。報告するネタ、もう一つあった!
「もー。今日は散々でー。取り立ては来るし、変な人たちは追っかけてくるしー」
「変な人たち?」
 長い指で煙草を振り出し、セレスタンはくわえて点火する。
 ここぞとばかりに卓に乗り出し、エレーンはぺらぺら経緯を語った。どこか奇妙な二人連れだったこと。相手を一発で昏倒させる不思議な技を使うこと。クロウが使う青鳥を見て、なぜか、やたらと驚いていたこと──。
「前に、バードから聞いたんですがね」
 セレスタンが苦笑いして紫煙を吐いた。
「鳥師は青鳥を仕込むのに、刷り込みを使うらしいすよ」
「……すりこみ?」
「刷り込みってのは、鳥のもつ習性の一つで──卵から孵化した直後の雛が、初めて見た動くものを親として認識するっていう」
「あ、それ聞いたことある」
「つまり、鳥師が親に成り代わるわけで、そうしておいて仕込むんですよ。もっとも、あいつのは、毛色が違うらしいけど──」
 セレスタンが言うには、クロウの青鳥「ジゼル」だけは、他とは由来が異なるらしい。訓練の途中で雛を失ったクロウの元へ、青鳥の成鳥が空のかなたから飛んできたというのだ。
 鳥師との相性が悪く、逃げる雛が稀に出るから、半端に放浪していたそうした類いが、鳥師を見つけて寄ってきたのだろうとのことだった。青鳥は肉食の猛禽で、人に慣れることはまずないので、そうした下地が鳥になければ、不可解な現象の説明がつかない。
「鳥に選ばれた・・・・、とでもいうんすかねえ、クロウは」
 ふーん、とエレーンは頬杖で聞き、「ところでさ〜」と笑顔を作る。
 思わせぶりな上目使いで覗いた。「ねえ、どーしてもダメ?」
「──姫さん。危ないすよ、トラビアは」
 すぐさま含みを汲みとって、セレスタンは顔をしかめる。
 顎の前で手を組んで、エレーンはへらへらお愛想笑い。「大丈夫だってば〜。ちょっと話しに行くだけだもん、ラトキエの、旦那様の代わりのアルベールさまと」
ど真ん中じゃないすか、敵陣の」
 間髪容れずにセレスタンは一蹴。ぬっと顎を突き出した。「向こうの指揮官でしょ? その男」
「ねええー。お願いだから〜。セレスタンいれば心強いし、一緒だったら楽しいし。話したら、すぐに帰るから。ね?」
「──姫さん、俺はね」
 たまりかねたように眉をひそめて、セレスタンが紫煙を吐いた。
 指で紫煙をくゆらせて、真正面からじっと見つめる。
「斬られて痛がるあんたの姿を、もう二度と見たくない」
 思わぬ真顔にエレーンはたじろぐ。「な、なんか、まるで見てきたように言──」
「危険と百も承知の場所に、むざむざやりたくないんすよ」
 指摘でひるんだ先とは異なり、真顔を微塵も崩さない。
「ザイにしたって、そうっすよ」
 隅の灰皿を引き寄せて、煙草をすり潰し、吸い殻をほうった。
かしら護衛おもりっぽって、無断で出張ってくるなんて、本来あり得ない話すよ」
「──で、でも、ザイならいつも、あたしの近くに──」
「そもそも俺らと姫さんは、もう、なんの関わりもないでしょ」
 予期せず強く言われてしまい、エレーンは詰まり、うろたえた。
 そう、はっきりケネルに言われたはずだ。廃墟のような建物の、昼の仄暗い一室で。同行するのはここまでだと。
「さっきのあいつ、見たでしょう」
 和らいだ口調でなだめられ、とっさにどぎまぎ目をそらす。なんの話か言われずとも分かった。路上でザイに引っぱりこまれた、あの昼下がりの石畳──
「や、やーねえーセレスタン! そんなんじゃないわよぉー!」
 とっさに手を振っていた。
 そわついた気分を無理に押しやり、殊更に満面の笑みを作る。「そっ、そんなわけないって、あのザイよ? いやいやまっさか、違うわよぉ〜」
「違いませんよ」
 ぴしゃりと声が一蹴した。
「だから追いかけてきたんでしょう。あんたのことが──」
 ガラン、ガラン──と戸口のベルが、けたたましい音で鳴り響いた。
 卓の上へと目をそらし、エレーンは軽く唇を噛む。
 ベルに掻き消されたその語尾は、だが、聞こえずとも今度は分かった。
 そう、本当は知っていた。夏日に消えたあの先も。
 かすれた吐息に押しつぶされた言葉の先を補って、その想いが遅れて届く。
『 ──無事で 』
 よかった。
 
 
 

■ 商都〜トラビア間 MAP ■
 
( 前頁 / TOP / 次頁 )  web拍手


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》