■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章15
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熱い塊が胸にこみあげ、浅い呼吸で振りかえる。
ガタタ──と派手に椅子を鳴らして(──ぅげっ!?)とエレーンは後ずさった。
店の戸口に、客の影。すいた店の板床を突っ切り、つかつかこちらにやって来る。
向かいに座るセレスタンの背に、エレーンはあわあわ滑りこむ。
面食らったようにザイは見て、不審そうな顔をした。
「今度は何を企んでるんで?」
「──そっ!?」
どぎまぎエレーンは目をそらす。「……そっ、そっ、そんなんじゃ」
「なに茹でダコみたいになってんで?」
ぎょっとエレーンは飛びのいた。毎度のことだが、ずいぶん身軽。てか、
──いつ、こっちに回りこんだー!?
ひょい、と覗いた肩を起こして、ザイが腕組みで顔をしかめた。
「マジで何スか、怪しい顔して」
じっとり見ている視線をかわし、じぃっ、と床を凝視して、そそくさ席まで逃げ戻る。決して目を合わせることなく、実に気まずくガタガタ着席。「や。べ、別になんにも」
なんてタイミングで戻ってくるのだ。まともに顔が見られない。
ガタン──と椅子の足を鳴らして、セレスタンが立ちあがった。
「じゃ、行きますかね」
え? と怪訝に振り仰いだ。椅子の背にかけていた上着を、セレスタンは無造作に取りあげる。肩にはおって出かける支度──?
並び立った二人の顔を、エレーンは戸惑い、交互に見やる。「ちょ、ちょっと何。どこ行く気? ご飯、もう注文しちゃって──」
「馬の手配をしてきますよ」
「うま?」
ぽかんとザイを仰ぎ見た。「な、なんで、今、馬?──そんなの別に、ご飯食べてからで(も──)」
「今でなけりゃ駄目なんで」
語尾におっ被せて軽くあしらい、ザイがつくづく見おろした。
「まったく、あんたは人気者スねえ」
へ? とエレーンは己を指さす。今度は一体なんの嫌み?
「……ど、どしたの急に。なんかあった?」
「別になんでもないっすよ」
そつなく声が割りこんだ。セレスタンが笑いかける。「先に飯食っててください」
「う、うん。それはわかったけども……」
げっ、と顔が強ばった。むに、とザイが
片手で顔をつかんでる──!?
ずさっと椅子の背に後ずさり、わたわた両手を振りまわす。
ぬっとザイの顔が近づく。
「いい子にしていて下さいね〜? もし、戻る前に食い終わっても」
ばか丁寧な猫なで声。ぎろり、と不穏に目を据えた。
「くれぐれも無断で逃げねえように」
「……う゛」
なんでわかる。
ひくりと硬直、エレーンはタコ口でじたばた足掻く。──い、いや、違う。まだ逃げない。そうだ。断じて逃げるわけない。ここの会計が済むまでは。
ぽい、とザイが手を放した。
じりじり警戒で後ずさり、頬をさすってエレーンは涙目。
「そ、そっちこそ、どっか行かないでよ? ほんとーに、ほんとーーに、あたし、お金ないんだからねっ!?」
借金踏み倒しの前科のこの上「食い逃げ」スキルはいただけない。
「……もー。ほんと失礼しちゃうぅー」
頬杖ついて街路をながめ、エレーンはぷらぷら、口にくわえたフォークをゆする。
「レディーを店に置き去りとか、なに考えてんのよ、あいつらはぁー。なによ、二人で行っちゃってさー。仲間外れにしちゃってさー。ご飯がきたら、ぜ〜んぶ食べてやるんだからあー」
ぶつくさ言いつつ水を飲む。注文してからずいぶん経つが、料理はまだ出てこない。
出かける支度をしていた店主が、すまなそうに言うことには、なんでも食材が切れたから、他店に分けてもらいに行くのだとか。聞けば、食材の搬入が、少し前から滞っているとのこと。ディールとラトキエの戦の煽りは、辻馬車の運休だけではなかったらしい。
「あー、だからさっきの定食屋、早々とお店閉めちゃってたのか〜……」
この居酒屋に入る前、目をつけていた定食屋に行ったが、なぜか、すでに閉まっていたのだ。そうした類いの飲食店は、普段なら余裕で開いているのに。
ぐーぐー鳴き出した腹をなだめて、エレーンは切ない溜息をついた。昼時を外したことが災いし、ずいぶん長らく待たされていた。だが、それにもまして、あの二人だ。出たきり、まるで音沙汰なし。
空腹のわびしさを紛らわそうにも、一人でお喋りはさすがに無理。そりゃ、彼らにだって都合はあろう。けれど、そんなに急ぐのか? 食事をする間も惜しむほど? もしや誰かを待っているとか。それとも誰かを捜している? そういえばザイは店を決める道すがらにも、それとなく町角をうかがっていたが。
夏日の街路をぐったりながめ、指先でつまんだグラスを振る。
はあ……と溜息で突っ伏した。
「──まだ、バルドールかあ」
商都からトラビアへ向かうなら、街道沿いの主要都市は二つ。商都に近いノアニール、そして、トラビア寄りのザルトという街。ここはまだノアニールの手前だ。一つ目の主要都市まで、まだ辿りついてもいない。つまり、目的地はかぎりなく
遠い……。
げんなり沈没、頭をかかえる。すでに支障ありありなのに。まだ出てきたばかりだが。
とはいえ、お金は早くも半減「ただ今断崖がけっぷち! かくなる上は──」と覚悟を決めたほどの窮地というのに。
肩から横がけしたポシェットの中から、財布を取り出し、紙幣を確認。やっぱり何度数えても、わずかに数枚あと五枚。定食五人前ですっからかん。
まあいいか、と溜息まじりで足元を見やった。現金ないのは心細いが、まだ手元にコレがあ──
ぎくり、と頬が強ばった。
あわあわ躍りあがって、たらりと硬直。頼みの綱のアレがない!
ざっ、と顔から血の気が引く。
「や、やばい。リナに殺される……」
重大なポカをやらかしたことに、今更ながら気がついた。道中持ち歩いた袋がないのだ。リナから借りている制服が。すなわち大事な質草が!
一体、どこに置き忘れた。ウォードの所を出てきた時には、確かに袋を持って出た。停留所でも、まだあった。だったら町の入り口か。つまり、取り立て屋のメガネに捕まったあの時──。
両手を投げて突っ伏した。
「……あ゛あ゛……とりに戻らないと……」
領邸で働く使用人には、登録番号が割り振られた特注の制服が貸与される。これは制服の信頼性を確保するため、つまり、悪用を企む輩を排除するために講じた措置だ。
よって、万一出まわれば、大変な騒ぎが持ちあがる。もちろん弁明はするけれど、そうなればリナも、ただでは済まない。制服に振られた番号から、領邸は使用人個人を特定する。流出した者が判明すれば、叱責だけに留まらず、厳罰に処される可能性も大だ。だから移動の邪魔にはなれど、制服だけは人任せにせず、さりげなく慎重に持ち歩いてきたのだ。なのに──。
「もおぉー! なんなの。次から次へと〜!」
ばりばり頭をかきむしり、ぐったり卓に突っ伏した。すぐにも取りに行きたいが、決してここから動かぬよう、ザイから釘を刺されている。そもそも、空腹がもう限界。
伸ばした腕に顔をすりつけ、溜息で顔を横向ける。窓の外には、晴れた夏空。
「……探すの、手伝ってもらおう、セレスタンたちにも」
街路樹ゆれる昼さがりの町は、気だるい静けさにつつまれている。
石畳に置いた円卓と、その日よけの大きな傘。赤や青の傘の下、どの卓にも人はいない。歩道を歩く人影もまばらだ。商都より西の、街道の町並み。
バルドールの町にいた。
大陸をがむしゃらに南下して、故郷の商都を行きすぎて。
初めて来たこの町は、まだ商都に近いとはいえ、やはり少し鄙びている。冷涼な気候の北大陸より、気温も大分上昇している。ずっと一緒だった傭兵たちも、気づけば、すっかり遠のいて──
ガタン──と椅子を引いて立ちあがった。
うずうずし始めた足をなだめて、陽射しのゆらぐ窓辺へ向かう。
夏日に凪いだ町壁を凝視し、軽く歯先で唇を噛んだ。あの方角にいるはずだ。"道を渡った、三本向こうの通りの宿"──きゅっ、と唇を噛みしめた。
「……どうしよう」
会いたい。
すぐに会いたい。無性に会いたい。乱暴で無神経で単純なファレスに。
だが、会ってしまったら、連れ戻されること確定だ。たとえ泣いて頼んでも、一緒に行くとはファレスは言わない。この旅の初めから、ファレスは一貫して反対の立場だ。必ず商都に連れ戻される。それに、具合の悪いファレスを置いて、果たして出立できるだろうか。そうなれば、トラビアへの道は閉ざされて──
胸を突かれた。
きつい言葉を投げつけて、父を失い、祖父を失い、この上あのダドリーまで。一体自分は、この先何度、同じ過ちをくり返すのか──
あの懐かしい文字が胸を責める。祖父がくれた最期の手紙の。
こらえきれず首を振った。いや、ここでくじけてはいけない。ダドリーには時間がある。まだ希望があるはずなのだ。
そう、あの時心を決めたはず。同じ轍は踏まないと。
ダドリーに会って訂正するのだ、そんなつもりじゃなかったと。今度こそ、きちんとやり直す。口にした言葉が取り戻せないなら、正しく上塗りするしかない。
ここで区切りをつけるのだ。ずるずる性懲りもなくくり返せば、二度と自分を信用できない。けれど──
あの日の、異民街の一室がよぎった。
寝台に横たわったファレスの姿。目を閉じた頬は色を失い、唇も紫に乾ききって──
夏日にぬるんだ手すりをつかんで、エレーンは胸の痛みに顔をゆがめる。だが、今、出立を強行すれば、ファレスに会わずに出て行けば、二度と会えなくなりはしないか?
「……よっ、よっ、よしっ。決めたっ!」
苦渋の選択に顔をゆがめて、ごくりと唾を飲みこんだ。
まずはファレスに会いに行く。カミナリくらおうが覚悟の上だ。そのあと逃げ出す方法については、おいおい何か考えるとして……。だって、気になって仕方ない。ファレスが寝込むなんて、よっぽどのことだ。どんな容態なのだろう。食事はきちんととれているのか。今すぐファレスの顔が
──見たい。
ふと、視線が町壁からそれた。
街路樹のゆらぎ、夏の濃い影。町は穏やかに凪いでいる。人もまばらな昼の町角。人のいない卓と日よけ。何が今、気になったのだろう。首をかしげ、変哲もない街路をながめる。
ぎくり、と頬がこわばった。「あっ!」
「あっ?」
通行人と目が合った。顔を強ばらせて見据えているのは、見覚えのある小太りの男。
「あんのアマ!? あんな所に!」
ただちに駆け出し、店先へまわった。
横のメガネも無表情に続く。エレーンはおろおろ視線を走らせ、窓の手すりに足をかける。
乗り越え、街路に飛び降りた。
足の裏に衝撃、思わずよろめく。だが、構うことなく地面を蹴る。
全力で走った。
前だけを見た。
小太りの方はともかくとして、あのメガネは足が速い。気にして振り向き、速度が落ちれば、すぐにも距離を縮めにかかる。だが、背後がやはり気にかかる。
ちら、と肩越しに窓に見た。
二人が手すりを乗り越えて、後を追って駆け出したところ。
怪訝に、エレーンは首をかしげた。いやに動作がもたついていないか?
さっき彼らに追われた時には、ずっと動作に切れがあった。足だってもっと速い。そういえば、なぜ、まっすぐ窓に駆け寄らなかった? なぜ、わざわざ離れた入り口まで──
そうか、と合点し、ほくそ笑んだ。翅鳥を追い払ってくれたクロウといい、ザイとセレスタンに会えたことといい、ファレスが同じ町にいたことといい!
(やっと、ツキが回ってきたっ!)
足の速さには自信がある。追っ手の足はふらついている。おそらく昏倒から覚めたばかりで、体がうまく動かない。それなら、なんとか
──振り切れる!
引き離すべく街路を走る。せっかくザイたちと会えたのに、ここで捕まったら泣くに泣けない。彼らとご飯を食べるのだ。ファレスの顔を見に行くのだ!
路肩の幌馬車が目に留まった。
店先に横付けしているから、商品を搬入する荷馬車らしい。御者台は無人。商談中か、あるいは休憩にでも出ているのか。
すぐにも駆け寄り、幌をめくって、潜りこみたい誘惑に駆られる。
だが、足は止めずにやり過ごした。
路地に入り、直進する。肩越しに追っ手をうかがえば、まだ追尾を振り切れていない。しつこく後を追ってくる。徐々に引き離してはいるようだが。
角を曲がり、別の路地に入った。またすぐに角を曲がる。軒下のぬかるみ、道脇の看板、無造作に積まれた木箱と酒瓶──。
遠く見えていた追っ手の姿が、振り向いた視界から完全に消えた。
追尾がないのを慎重に確認、先の街路へ舞い戻る。
路肩に停まった幌馬車に駆け寄り、無断で乗りこみ、荷台に隠れる。
荒い息を整えながら、幌の隙間からうかがった。見るかぎり、追っ手はいない。
(も〜っ! あたしってば賢いぃっ!)
よっしゃ、と密かに拳を握り、心の中で快哉を叫ぶ。だが、まだ油断はできない。いつなんどき追っ手が路地から、ひょっこり顔を出すかわからない。付近をうろついているのは確実なのだ。ここはやはり万全を期して、彼らが店に戻るまで隠れているのが得策だろう。そう、あのザイたちが──
「……。うっわ。絶対叱られる」
思い出して額をつかみ、エレーンはがっくりうなだれる。あんなに釘を刺されたというのに、また無断で消えてしまった。また消えたとザイが知れば、嫌みの山盛りはほぼ確定。ああ、セレスタンはかばってくれるだろうか……
「……でもー。そんなの、あたしのせいじゃないんだしぃ」
ともあれ、ようやく人心地ついて、幌の下の荷台をながめる。御者との仕切り壁に、大量の木箱が積まれていた。売れ残った商品なのか、この町で仕入れて持ち帰るのか。
はっと息を呑み、身構えた。馬の鼻息、何かの物音。幌の向こうに
人がいる?
息を潜めて、エレーンはうかがう。まさか追っ手に見つかった? うまく撒いたつもりでいたのに。
気配は中々立ち去らない。まだ近くにいるようだ。この馬車を怪しんで、二人で探っているのだろうか。
鼓動が速く大きくなる。ますます身を硬くして、殊更に、慎重に、息を殺す。
がくん、と荷台が大きく揺れた。
エレーンは困惑、おろおろ見まわす。何が起きたか分からない。まさか、あの取り立て屋、馬車を揺すって脅しているのか?
荷台の後尾へ這いずり戻って、幌の隙間からおそるおそる覗いた。街路の石畳が流れている。ガラガラ響く車輪の音。馬車が、
動いてる?
「……そ、そっか。──やだ、どうしよう」
遅まきながら思い当たり、当たり前の結論に愕然とした。
取り立て屋の嫌がらせどころではない。馬車が動いたというのなら、持ち主が戻ってきたに決まっている。いくら取り立て屋が粗暴でも、人目のある町中で、他人の高価な財産を強奪するような真似はしない。
ガラガラ車輪の音がする。
エレーンはそわそわ爪を噛む。無断で乗りこんだと御者に知れれば、すぐにも詰め所に突き出される。罪状はおそらく不法侵入。積荷の窃盗などの余罪も問われるだろう。弁明の機会が与えられても、証人がいるとすれば取り立て屋だ。言い分が認められて釈放されても、結局取り立て屋に捕まってしまう。そうかといって口をつぐめば、罪人とみなされ牢屋行き。とんだ笑えない冗談だ。
はらはらエレーンは唇をかんだ。どうする。降りてしまおうか。
町中は人が歩いているから、速度はさほど出ていない。だが、追っ手を今撒いたばかりだ。迂闊に降りれば万事休す。鉢合わせは必至というもの──。荷台の端を両手でつかみ、そわそわ幌の隙間からうかがう。
落ち着かない気分で腰を下ろした。一刻も早く降りたいが、やはり、もう少し待つべきだ。せめて、この界隈から離れるまでは。
ガラガラ車輪の音を立て、馬車はのんぴり進んでいく。日陰の路地や町角が、目の前をむなしく通りすぎる。どんどん、あの居酒屋が遠のく。
帰りの道のりの長さを思い、はあ……と気鬱に頭をかかえる。ふと、それを見咎めた。
ひっそり凪いだ日陰の町角、ゆっく行きすぎた薄暗い路地だ。荒くれた風情の男たちがいる。数人が地面に倒れているから、すでに決着したようだが。
「……やだ、なに、喧嘩?」
こんなのどかな小さな町でも、気の荒い輩はいるらしい。こんな昼間から、と眉をひそめて目をそらし、え? と路地を見直した。
「──あれは」
わけがわからず絶句する。そこにいたのは誰あろう、すぐに戻ると出ていった、あのザイとセレスタンではないか。
足元には、ごろつき風の男たちが転がっている。ある者は頬を押さえ、口と鼻を押さえてうめき、体を折って、腹をかかえ──
いかにも物騒な雰囲気だった。見おろして佇むセレスタンのかたわら、ザイが一人に膝をつき、胸倉をつかみあげている。問い質しているのか、脅しているのか、会話の内容は分からない。
出がけの嫌みが、出し抜けによぎった。ごろつき風の男たち。賊に絡まれた南下中の出来事。そして、ザイのあの含み。
『 人気者スねえ 』
ぎょっとエレーンは二度見した。狙われていたのは、まさか、
……あたし?
うろたえ、あんぐり顎が落ちる。
「でも、なんで?……あたしが何をしたっていう……」
ぐんぐん路地が遠ざかる。流れ飛ぶ町壁、石畳──はっとして我に返った。
馬車の速度があがっていないか?
「や、やだ、ちょっと! 冗談じゃないわよ!?」
荷台に取りつき、あわてて乗り出す。「──降りないとっ!」
下手に転べば危ないが、今ならまだ無理に降りても、足をくじく程度で済むかもしれない。せかせか幌を持ちあげる。なんとか降りようと爪先を出す。
ぎくりと硬直、あわてて幌に引っこんだ。
暴れる胸に手を当てて、浅い呼吸をくり返す。
「……み、見られたかな」
通りすぎた町角に、見覚えのあるあのメガネ。アールだった。目が合ったような気がしたが、気のせいかも知れない。
「どうしよう……」
じりじりエレーンは唇を噛んだ。今ので居場所を知られたろうか。
まだ、怒鳴り声は聞こえない。だが、追っ手がそこにいた以上、もう迂闊に出られない。うまく着地ができればまだしも、もし、足でもくじいたら、走れなくなれば一巻の終わり。
車輪の音がガラガラ響いた。
ひらめく幌の隙間から、町の石畳が流れ飛ぶ。早く降りた方がいい。それは、もちろんわかっている。けれど、これではどうしようも──
がくん、と大きく馬車が揺れた。
壁にぶつけた肩を押さえて、エレーンは痛みに顔をしかめる。馬車の振動が軽くなる。
──速度が、あがった?
荷台の端にあわてて取りつく。幌をよけて、外を覗く。
大木が二本、空に梢をそよがせていた。見覚えのある大木だ。あれは町の門代わり。ならば、もう、
──街道に出た?
愕然とエレーンは凍りついた。一体、どこに向かっている?
ぐんぐん馬車の速度があがる。
飛び降りるのは、もう無理だ。すでに無傷で着地できる速さではない。セレスタンに教わった方角を、なすすべもなくじりじり見つめる。
「……ファレス」
おうとつのある石畳から、整備された街道へ出ていた。
バルドールの町並みが あのファレスの休む宿が、みるみる目の前で遠ざかった。
☆ おまけSS ☆
■ 商都〜トラビア間 MAP ■
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