interval 〜 神々の庭 2 〜
( → 「神々の庭」1 )
「おーい! そろそろ戻れよ、お前ら!──おい!」
夕陽に赤く染めあげられた草海のただ中で足を止め、幼い少年が振りかえる。
「やーだよー!」
舌を出して、あっかんべー。
くすくすヨハンと笑い合い、ダイは野原を走り出す。「ここまでおいで〜! やーい! 太っちょぉ〜!」
「──おい、本当に戻れって!」
散々追いかけたクレーメンスが、息切れでうなだれ、膝をつかむ。
「もう出発するぞ!──おいったら!」
街道脇の野草の海で、丸めがねをかけた小太りの男が、二人の男児を追いまわしていた。きかなそうな顔つきの、まっすぐに切りそろえた前髪のダイ、その華奢な少年よりも更に小柄な癖っ毛のヨハン。盲目の少女プリシラとともに、遊牧民から預かった男児たちだ。
幌馬車を止めた街道を、隠しを探ってギイは歩き、野草の斜面に腰をおろした。
煙草に火を点け、一服し、紫煙に紛らせ、ぼそりとこぼす。「たく。てめえらもちったあ働けってんだ」
この騒ぎは毎度のこと。ダイとヨハンのわんぱく坊主は、休憩で幌馬車を止める度、外に飛び出し、戻ってこない。そろそろ日が暮れるというのに。
女児は眠ってばかりだが、男児は今日も遊びに夢中だ。
「頭、宿がとれました」
街道の先からかかった声を、ギイはくわえ煙草で仰ぎやる。「ご苦労さん。遅かったじゃねえかよ」
「仕方ないっしょ、クレーメンスさんみたいな訳にはいかねえんだから」
夕暮れの街道を歩いてくるのは、すがめ見るような目つきの男、あの地図屋のガスパルだ。
自分の肩に手をおいて、ガスパルは大儀そうに首をまわす。「混んでますね、宿はどこも。先だっての祭りの影響すかね」
「トラビアに関する情報は」
「グリフィスが来るまで、まだなんとも」
"グリフィス"というのは鳥師の名だ。青鳥の使役による情報取得と、本隊に連絡を入れるため、商都で手配をしたはずだったが、不慣れな手際が仇となったか、まだ到着していない。
「噂のたぐいは?」
「さっぱりっすね。どうも、商都のアレについては、うっすら伝わってるようすけど」
アレとは無論、かのバリーが死亡した、ウォードと与太者の抗争のことだ。
ガスパルはぶらぶら街道を降り、斜面のギイの横に立つ。「なに見てんすか、一人で、ぼさあっと」
「他にあるかよ、見るもんが」
ギイの投げた視線の先には、二人の子供ダイとヨハンが、丸めがねのクレーメンスと追いかけっこの最中だ。
「で、なにを、ぼけえっ、としてんです。お気に入りのチビすけは?」
「お昼寝中」
「──は。又すか。暇なら、気晴らしでもしてきちゃどうです? ありゃ、当分捕まりませんよ」
「いつ目ぇ覚ますか、わかんねえだろ。第一──」
かげり始めた夕刻の虚空に、ギイはげんなり嘆息する。「そうそう呼び戻れちゃたまんねえよ、いざ手合わせしようって段に」
「呼べっつったの、頭でしょうが」
草海の笑い声をながめやり、ガスパルは胸の隠しを探って、斜面の横に腰を下ろした。「何が楽しいんすかね、こんな何もねえ野っ原の」
「友達さえいりゃ、何も要らない。酒も女も財宝も。まったく、うらやましい限りだぜ」
夕暮れ間近の草海を、二人の男児が駆けまわっていた。
額の汗をしきりにぬぐって、クレーメンスは草海に突っ立っている。もう見るからにばてた様子。ガスパルは後ろ手をついて嘆息する。「たァく。完全に遊ばれちまってんじゃないっすか」
なにせ子供の体力は底なしだ。
ふと、小太りの肩が振り向いた。
丸めがねの綿シャツが、気まずそうに頭を掻き掻き、青草のゆるい斜面を登ってくる。
「ご苦労さん」
ギイは苦笑いで労わった。隣で足を投げたガスパルに、ちらと横目であてつける。「悪いな。ガキの相手を押しつけて」
「……すいません、頭」
困ったように顔を赤らめ クレーメンスが面目なさげに頭を掻いた。「これじゃ中々出られませんよね。俺が不甲斐ないばっかりに」
「は。な〜に言ってくれちゃってんだか」
「──お前が言える立場か、ガスパル」
白けた口振りのガスパルに、ギイは顔をしかめて紫煙を吐く。「ガキどもはお前の担当だろ。おかげでクレーメンスが大わらわじゃねえかよ、わんぱく坊主のお守りと世話で」
「だから代わりに、俺が外回りしてんでしょうが。連絡から宿探しから物品手配から」
外部との交渉は、本来ならばクレーメンスの任務だ。だが、いかつい傭兵には珍しい、彼の柔らかな風貌と、きめ細やかなその気質に、子供たちが放さない。
「第一──いいすか、見ててくださいよ?」
さばさばガスパルが立ちあがり、夕暮れの草海を親指でさした。
草海でじゃれる子供の方へと、野草の斜面を降りていく。
子供らが怪訝そうに動きを止めた。頓着なくガスパルは笑う。「よう。ぼうず」
むっと、ダイが華奢な肩を強ばらせた。
「ぼうずじゃないっ! 名前で呼べよっ!」
頬に水滴が当たったように、ガスパルは軽く顔をしかめる。「いちいち怒鳴るな。聞こえてるよ。──て、痛てっ!?」
がくり、と膝を折り、うずくまった。
飛び蹴りされた膝裏を押さえて、ガスパルは顔を振りあげる。「こら、クソガキ! 蹴るんじゃねえよっ!」
左右の小さな拳を握って、ダイは全身で威嚇する。「あっち行けよ! ガスパル!」
「ガスパルさんだろ。大人を呼び捨てにするもんじゃねえぞ」
「あっち行けって言ってんだろっ!──行くぞ! ヨハン!」
怒鳴り声はそのままに、かたわらの仲間を呼びつけた。
走り出したダイの背に、ヨハンもあわててついていく。
蹴られた膝裏をさすって振り向き、ガスパルは肩をすくめて引きあげる。「ね。こっちに来ねえんだから」
どさり、と隣に戻った部下に、ギイは顔をしかめて紫煙を吐いた。「お前もさ、もう少し愛想よくできねえもんかな」
「なんで俺が、ガキに愛想ふりまかにゃなんねえんすか」
この無愛想な地図屋には、子供たちは寄り付きもしない。傭兵稼業にありがちな、ぶっきらぼうな口調と態度で受けが悪いらしいのだ。
気配りができるクレーメンスと、ぶっきらぼうな地図屋のガスパル、二人の気質が逆ならば、万事うまくいくのだが、そこまでの贅沢はまあ言えまい。男所帯の傭兵部隊で、誰もが不慣れな子供の世話を引き受けられる者がいただけで、驚異的な幸運というものなのだ。そう、北カレリアを出てきた時には、よもや子供連れになろうとは、誰も予想だにしなかった。
地図屋はそのあおりを食って、慣れない外回りで四苦八苦。いちいち手際が悪いので、一路順風は望めない。もっとも、彼にも取り得はある。
ぶっきらぼうなこの地図屋は、事務屋のわりに腕が立つ。つまりは行程の護衛役。道中、夜盗に襲われても、さして心配せずとも済む。
「つか、そんなこと言うんなら」
ちら、とガスパルが目を向けた。「頭もしてみちゃどうっすか、ガキどもの相手」
「馬鹿いえ。俺にだっているだろ、姫さんが」
「──あっ。きったねえ。いつも楽な方ばっか。チビは寝てばっかじゃないっすか」
「仕方ないだろ、もてるもんは」
「は。ガキにもてて、なんぼのもんすか」
「──あの、頭」
子供をながめていたクレーメンスが、人の良さそうな目尻を下げて、どこかそわそわと振り向いた。「俺、もう一度行ってきます。そろそろ出ないと日が暮れるし、風邪でもひいたら大変だ」
「──ああ、加勢しますよ、及ばずながら」
戻ったばかりのガスパルも、膝に手を置き、腰をあげる。「じゃ、ダイは俺が捕まえますんで、クレーメンスさんはヨハンの方を頼みます」
「お前がダイを? 大丈夫か?」
「みすみす蹴られやしませんて」
肩を並べて、二人が傾斜を降りていく。
赤く照らされた夏草に埋もれ、転げまわっていたダイが、目ざとく見咎め、動きを止めた。
「──あっ、きたぞ! 気をつけろヨハン!」
甲高い警戒が、夕暮れの草海に響きわたる。
煙草をくゆらせてギイはながめ、あくびまじりで寝転がった。
「まー、精々、どっちもがんばれ」
一面の草の葉が、ざわり、と夏の夕風になびいた。
夕陽の落ちた街道に、闇と冷気が急速に広がる。
「──はなせよっ!」
子供のやけくそな怒鳴り声。
「はなせよガスパルっ!」
「ガスパルさんだろ」
見ればダイが、ガスパルの肩に担ぎあげられ、しゃにむに足をばたつかせている。
「はなせって言ってんだろっ!」
「──うっるせえな、お前は耳元で。わけなく怒鳴るな。無闇に奇声を発するな」
散々挑発していたようだが、案外あっさり捕まったらしい。
もっとも、ガスパルは技能のある傭兵。一たび彼が気合を入れれば、子供を引っ立てるなど造作もない。日ごろ戦地でやりあっている軍人の相手に比べれば。
赤くたなびく草海の遠くで、小さなヨハンが振り向いた。
やっと騒ぎに気づいたようだ。おずおず辺りを見まわして、自分の方から戻ってくる。
クレーメンスに笑って肩を抱かれ、さし出された手を素直に握った。仲間が捕獲され、やむなく降参したらしい。
散々遊んだ男児らが、わめきながら引っ立てられてきた。駄々をこねて怒鳴りつつ、幌馬車の荷台にぶち込まれている。
怒鳴り散らすダイの声が、それからしばらく聞こえていたが、それも徐々に小さくなり、ふつり、と夕闇に消え入った。
ギイは顔をしかめて最後の一服、煙草を捨てて立ちあがる。
「──さてと、戻るか」
靴裏で吸い殻を踏みにじり、ガスパルがもたれて喫煙している幌馬車へと足を向けた。
荷台の後ろの幌をめくる。
「様子はどうだ、ガキどもの」
ランタン灯る幌の下、背を向けていたクレーメンスが、しゃがんだ肩越しに振り向いた。
「寝ちまいました。どんなに生意気な口をきいても、ガキはやっぱりガキですね。まあ、疲れていたんでしょうが」
「そりゃ、疲れもするだろうさ。あれだけ四六時中、駆けまわりゃ」
寝袋を敷きつめた広い荷台で、ダイは手足を投げ出して、ヨハンは横向きに身を丸め、ぐっすり口をあけて眠っている。
一番奥の、御者台との仕切りに据えた、大きな籐のゆりかごの中では、しん、とプリシラが眠っていた。ふわりと柔らかな上質の毛布に包まって。ガスパルが持ってきた硬い生地の布を見かねて、クレーメンスが手配し直したのだ。女児の扱いにもまごつくことなく、クレーメンスはそつなくこなす。
少女の無事をギイは確認、手前の二人に目を戻す。その口元を苦笑いでゆがめた。
「こいつら案外、お前を母ちゃんとでも思ってんじゃねえか」
眠りこけたダイの手が、クレーメンスのシャツを握っている。
その手を外してやりながら、クレーメンスも苦笑いした。「せめて、父ちゃんにしてもらえませんかね。──じゃ、子供も寝たんで、馬の様子を見てきます」
脇によけた隙間から、クレーメンスは外に出る。
幌の端に手をかけて、前にまわったその背を見送り、ギイは改めて荷台をながめた。
ランタンだけの暗がりの中、三人は思い思いの姿勢で寝入っている。頓着のない子供の寝顔。
「──ガスパル」
馬車の側面にもたれて喫煙していたガスパルが、煙草を投げ捨て、やってきた。
平服にはそぐわぬ機敏な動きに、ギイはおもむろに目を向ける。
「ちょっと頼まれてくんねえか」
怪訝な顔で指示を聞き、ガスパルの背が夕闇に紛れた。クレーメンスにも指示を伝えに行ったのだろう。
後ろ姿をしばらくながめて、ギイは荷台に目を戻す。肚に一つ、腹案があった。確かめておきたいことがある。
日暮れた外光の中にたたずみ、荷台のあどけない寝顔を見た。
「……俺に、お前らを殺させないでくれよ?」
遊牧民のキャンプに出向いたあの時、子供らは観念したような顔をした。
自分らを殺しにきたと思ったからだ。だから怯えて隠れていた。むろんギイには、子供を始末する気など、さらさらなかった。なぜ、そんな勘違いをしたものか。
今では謎は解けていた。プリシラが二人に言ったのだ。ギイの突然の来訪や「ケインの死」を言い当てたように。
プリシラの異能は本物だ。
それは日々の検証が実証している。しかも、子供らはまさに「受難の年」
三歳、六歳、九歳。両親ともに遊民である奇形児は「三」に倍する年齢で死ぬ。寿命であろうと。人災であろうと。そう、
──予知が、必ず到来するなら。
ギイはよく承知していた。自分が誰より冷徹であると。
必要とあらば、躊躇なく他人を手にかける、そうした部類の人種であると。
たとえ相手が、いたいけな子供であろうとも。
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