CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章16
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 ぽつり、ぽつり、と外灯が、街の舗道に点りはじめた。
 夕刻のざわめき。穏やかな喧騒。レンガの商館が建ちならぶ、小奇麗に整った都市の街なみ。そぞろ歩く人々にまじり、途方に暮れてエレーンも歩く。
「……また、一人になっちゃった」
 一人きりにならずに済んだ、と密かに安堵していたのに。
 今ごろ探しているだろうか。あのザイとセレスタンは。ファレスとも会えると思っていたのに……
 はた、と気づいて首を振った。
「ち、違う違うっ! そうじゃなくってっ!」
 彼らは旅の連れではない。むしろ今は避けるべき相手だ。ファレスもザイもセレスタンも一人残らず例外じゃない。こぞって商都に連れ戻そうとしているのだから。
「……でも、今夜一人で、どうしたら」
 憂鬱な気分で見まわせば、道ゆく横顔、見知らぬ人々。日も暮れ、残金手持ちも心許ない。
 街道を走る馬車の荷台で、降りる隙をうかがう内に、ぐっすり眠ってしまっていた。今日は朝から色々あって、知らぬ間に疲れていたらしい。やがて、がくん、と体が揺れて、あわてて幌をめくってみると、視界を石畳が流れていた。
 馬車の振動が停まると同時に、荷台を飛びおり、街角を曲がった。
 後も見ずにひたすら走った。流れ去る視界に、街の喧騒が息づいていた。夕風に吹かれて、そぞろ歩く人々。見知らぬ町の、見知らぬざわめき──いや、この街の名は知っている。視線を走らせた歩道の先で、実家の家業を営んでいた時分の、取引先の看板を見つけたからだ。そう、この街の名は
 ──ノアニール。
 商都・トラビア間を結ぶ街道沿いの主要都市の一つ。商都からトラビアへ向かうなら、一つ目の要衝。
 思いがけず、遠くまで運ばれていた。
 目的地に近づいたと思えば、喜ぶべきことではあるが──。
 足元から顔をあげれば、見知らぬ街の夕刻の道。馴染みのない都市の風景。
「おなか、すいたな……」
 エレーンはうなだれ、腹をさすった。ゆうべから何も食べてない。むろん、食事代程度の持ち合わせはあるが、使ってしまうのはためらわれる。
 残りは、あと五千カレント。この全額をはたいても、今夜の宿代はギリギリだ。いや、大きな街では一泊も危うい。運よく安宿が見つかっても、それで所持金を使い果たせぱ、明日から食べるにも窮することに──。
 途方にくれて夕空を仰ぐ。「けど、ここで野宿はなあ……」
 なるほど、時計塔のある広場なら、ベンチの一つもあるだろうが、若い娘が深夜にいれば、たちまち怪しまれて通報される。そして、身分が発覚すれば、ただちに屋敷に連絡がいき、連れ戻されて閉じ込められる。それだけは避けたい。
 街を出て林に入れば、確かに人目はないけれど、自分一人で野宿は無理だ。
 これまで夜を越せたのは、ウォードが世話をしてくれたお陰だった。焚き木を拾って火を熾し、一晩中つききりで火を絶やさず、風避けになって暖をくれた。自分は何もしていない。すべて彼が計らってくれた。けれど、その彼も、もういない。
 こうなると、あのヘマが悔やまれた。リナから借りた制服を、どこかで換金できたなら、宿も食事もまかなえたのに。
「──あーもーっ! 何やってんのよあたしのばかあっ!」
 己の不甲斐なさに癇癪を起こして、ぐしゃぐしゃ頭を掻きむしる。あの居酒屋での判断は、いかにも怠惰で致命的だった。何をおいても制服あれだけは、後まわしにすべきではなかったのだ。
「なんで置いてくるかなあの袋! バルドールの入り口なんて、目と鼻の先にあったのにぃっ!」
「これかい? その袋ってのは」
 肩越しの声に面食らった。
 怪訝に後ろを振り向けば、見覚えのある紙袋が、目の前に突き出されている。その端から覗いているのは、忘れもしない制服の生地。だが、なぜ、こんな所に? 
 ここは前の町から遠く離れたノアニールの町中だ。うろたえ、向かいに目をあげる。
 ぎくりと頬が硬直した。
 心の内を読み取ったように、左にいたメガネの男が、通りの先を親指でさす。「馬車に記章がついていた。そこのグッドール商会の」
 二人を認めて唇を噛み、エレーンは愕然と立ち尽くした。
 年季の入った肩の背嚢はいのう。無造作にさした腰の長剣。三十半ばのメガネの横には、あの小太りの壮年がいる。前の町バルドールでいた、診療所の取り立て屋だ。
「……まさか、こんな所まで」
 絶望に目の前が暗くなる。
 膝から力が抜けていく。馬車がバルドールを出る前に、石畳を走る荷台から、町角にいたこのメガネを──アールの姿を見かけたが、あの時、やはり気づいていたのか。
「ほらよ。ご所望の袋だぜ」
 面倒そうに顔をしかめて、小太りが袋を押しつける。「自分の荷物は自分で持ちな」
「──きゃ」
 不意をつかれて、よろめいた。
 街路灯に肩がぶつかる。無造作なその手は、いささか力が強すぎた。
 向かいの歩道の一団が、怪訝そうに振り向いた。取り立て屋の注意が一瞬それる。
 とっさに袋を引ったくった。
 しゃにむにエレーンは歩道を走る。一拍遅れて、小太りが目をみはって振り向いた。「あっ?──てめえ! またっ!」
 ただちに後を追ってくる。
 だが、制止の声は控えめだ。肩越しに様子をうかかえば、人目を恐れ、気にする素振り。騒ぎになるのは避けたいらしい。
 道ばたで騒ぎを引き起こす迷惑な輩は通報される。大きな商館が建ちならぶ、こうした目抜き通りでは尚のこと。店先で騒ぎを起こされては、大事な商売に差し障る。その手の輩を排除する機関が、大きな街には充実している。
 エレーンはひたすら舗道を駆けた。なるべく人出のある道へ。なるべく人目のある場所へ。
 制止の声を浴びながら、警邏の詰め所を目の端で探す。前からきた一団をすり抜け、雑踏にまぎれて町角を曲がる。手近な路地に迷わず飛びこむ。ぐんぐん追っ手を引き離す。
(……あれ?)とエレーンは首をひねった。馬車で眠り込んでしまうくらい、へとへとに疲れていたのに。
 楽に走れる。
 むしろ、体が軽い気がする。足さえ速くなったような。荷馬車の振動は激しかったが、うたた寝していた時間だけは長かったから、体力が回復したのだろうか。
 息を弾ませ、走り続けた足をゆるめた。木箱の積まれた細い路地。煉瓦の町角、突き当りの通りをぶらつく人々。辺りを慎重に見まわすが、追っ手の姿は、見るかぎりない。
 制服の袋を抱えこみ、額の汗を腕でぬぐう。息をつき、往く手の歩道に目を戻す。だが、まだ油断はできない。ふと、町角で目がとまった。
「……ん?」
 目をこすって、思わず二度見。いや、こんな所に、連中がいるはずはないのだが。
 路地を出た夕焼けの舗道に、見たような三人がうろついている。ジロジロ柄わるく顎を突き出し、ゴミ箱の野良猫にまでガンくれて。とっさにエレーンは回れ右──
「──あっ!?」とイガグリが目をみはった。
 まん丸の目を更に見ひらき、転げんばかりに駆けてくる。
「おっ、おまっ、おまっ、お前っ! こんな所にいたのかよっ!」
「──ぅわっ!? ちょっとあんたっ! 声おっきいっ!」
 わたわたエレーンは両手を振った。
 追っ手がいないのをあわてて確認、睨んで口に指をあてる。
「ばかっ! シィっ! シィっ! シィィィーっ!」
 ばたばた駆け寄った三人が、前のめりで動きを止めた。
(……なんだよ?)と怪訝そうに、互いの顔を見やっているのは、チビのイガグリ、痩せぎすの眼帯、額に傷のあるガタイのいいオールバック。名前でいえば、ボリス、ジェスキー、ブルーノ。かの蓬髪の首長アドルファスの配下、商都の西の森で死亡したバリーとつるんでいた「三バカ」だ。ちなみに、最近断りもなく、兄妹きょうだいを勝手に名乗っているが。
 チビのイガグリ猫顔のボリスが、いぶかしげに顔を寄せる。(……なんで、声ひそめんだよ?)
(追っかけられてんのっ)
 とたん、苦々しく顔をしかめた。「──ウォードの野郎か」
「へ? なんでノッポくんよ?」
「誘拐されたろ?」
「……ゆーかい?」
 おうむ返しに訊きかえし、ぱちくりエレーンはまたたいた。「なに言ってんの?」
「──だからここにいるんだろうがよっ!」
「ちょっと待て、ボリス」
 怪訝そうに見ていた黒眼帯が、がるがる噛みつくその肩をつかんだ。「どうも変だな。一度、話を整理しよう」
「なに。ノッポくんがあたしを誘拐したことになってんの?」
「そうじゃないのか?」
「なに言ってんの、違うわよ。あたしがノッポくんに頼んだのっ!」
 ボリスが苦々しく顔をしかめた。「──お前、諦めたんじゃないのかよ」
「諦めてないわよ」
「俺と約束したろうが」
「してない」
「したろうがっ!? あの商都の時計塔の屋上うえで!」
「山見てただけでしょー?」
 がるがる突っかかるイガグリを、なにゆってんの、と白けて見やる。
 ぬぼっと突っ立っていたブルーノが、困惑したようにオールバックを掻いた。「けどよ、かなり遠いぜ、トラビアは」
「知ってるわよ」
「辻馬車も不通みたいだしよ」
「知ってるわよ」
「着いてもトラビアあっちは交戦中だし」
「──知ってるってばっ!」
「追われている、と言っていたな」
 図体だけは他より大きい言わずもがなのブルーノを制して、ジェスキーが溜息で話を戻した。「ウォードでなければ、一体誰に」
「借金とり」
「──え?」と三人がまたたいて、間の抜けた顔で見返した。
 どんより、微妙な沈黙が落ちる。
 思わず、というようにブルーノが見た。「……食い逃げか?」
「違うわよっ!?」
「だって借金──」
「他にもあるでしょ理由なら!」
「──たく。いくらだ」
 やれやれ、とボリスが肩をかがめた。
 面倒そうに顔をしかめて、尻の隠しから財布を取り出す。「言ってみな。払ってやっから」
商都でのなけなしの実績をこっぱ微塵に粉砕された)実は年下二十五歳は、なんとしてでも兄貴風を吹かせたいらしい。ちら、とエレーンは目を向ける。「三千トラスト」
「──今なんて?」「だから三千トラストだって」
「バカじゃね? お前」
 むう、とエレーンはふくれて見やった。
「そんなこと、あたしに言われてもぉっ! てか、あたしだって、びっくりよ」
 あんぐりブルーノが口をあけ、ふるふる震える指でさす。「そ、そんな大金、おまっ、おまえ大丈夫なのかよっ?」
「大丈夫じゃないわよ」
 ふん、とエレーンは鼻息あらく胸を張る。自慢するようなことでもないが。
 絶句していたジェスキーが、不思議そうに首をかしげた。「しかし、どうして、そんな大金しょいこむ羽目に──」
 気配が騒がしく駆けこんだ。
 ぎくり、とエレーンは振りかえる。
「きたっ!?」
 ……あ? と三人、同時にそちらへ目を向けた。
 ぎょっと顔を引きつらせる。路地の先から駆けてくる、顔をゆがめた取り立て屋。
「い、行くわよっ!」
 わたわた三人を追い立てて、エレーンは一目散に走り出す。「なにしてんの! 早く早くっ!」
 はたと三人も我に返って、わたわた驚愕、道を駆け出す。
 四人横ならびで顎を出し、あわあわしゃかりきに腕を振る。さすがに覚えていたらしい。夜の街路へ放り出した 診療所の用心棒の顔は。
「あれよ! あれあれっ!」
「なにが」
「借金の元っ!」
 三人、眉根を寄せて押し黙る。
 黒眼帯のジェスキーが、合点したようにかぶりを振った。「闇医師の取り立てか」
 両腕ふって、わしわし駆けつつ、ボリスが顔を引きつらせる。
「お、お前、足、速ええなあ……?」
 他の二人もあっけに取られた顔つきだ。
 わっせわっせと腕を振りつつ、エレーンも「なんだかね〜?」と首をひねる。
「そーなのよねえ? なんでかあたし絶好調で」
 そう、我ながら不思議だった。確かに足には自信があったが(逃げ足だけは速そうな)足腰鍛えた三バカ本職と互角。むしろ、連れさえぶっ千切りそうな勢いだ。
 不思議なほどに、足は疲れを知らなかった。大きく透明な塊が、後押ししてでもいるように。
 取り立て屋は執拗に追ってくる。昼の昏倒の影響は、完全に払拭したらしい。
 だが、エレーンには余裕だった。駆けても駆けても疲れない。信じられないくらいに体が軽い。むしろ、先に脱落したのは、連れの三人の方だった。
 わずかに肩が遅れ始める。いち早く察したジェスキーが、連れの二人に目配せした。
「──おい。次で止めるぞ」
 二人も一瞥、うなずき返す。
 ひとり事情がのみこめず、エレーンが首をかしげる間にも、次の町角にさしかかる。
 三人同時に急停止した。
 今来た道を逆走し、追っ手に突っこみ、体当たりする。
 ブルーノがメガネを押し倒し、もんどりを打って倒れこんだ。
 上背を駆使して、すばやくメガネを押さえこむ。ボリスとジェスキーは二人がかりで、小太りの手足にしがみついている。
 組み伏せられた取り立て屋は、たやすく身動きがとれないようだ。暴れているが、抜け出せない。ヘタレには見えても本職の傭兵。それなりに格闘技術はあるらしい。
「行けっ!」
 道の先で足を止め、エレーンはおろおろ突っ立った。「──で、でも」
 がむしゃらに暴れる小太りの手に、顔を押しのけられながら、睨めつけるようにしてボリスは怒鳴る。
「──もたもたすんなっ! 何してんだ!」
 叱責に肩を弾かれて、あわててエレーンは踵を返した。
 駆けつつ、胸に言い聞かせる。大丈夫。ひどいことにはならないはずだ。取り立て屋の目当ては三人ではない。彼らの目的は取り立てなのだ。目の前の獲物そっちのけで、必要以上に構ったりしない。ならば、自分の務めは逃げること。できるかぎり遠くまで。時間を稼いでくれている内に!
 街路灯の舗道を蹴って、角を曲がり、路地へ入る。別の通りへ走り出る。
 周囲を見渡し、平穏を確認、駆け続けた足をゆるめた。宵のとばりが薄っすらおりた、薄青に染まった石畳──。
 夕刻の雑踏につつまれて、とぼとぼエレーンは歩き出す。
 あの三人と会って尚更、物寂しさが身に染みた。気づけば、やはり一人きり。色々な人と会ったのに。クロウ、ザイ、セレスタン。そして、うるさいあの三バカ──胸がざわめき、振りかえる。
「……大丈夫かな、ファレス」
 はっと息を呑んで、足を止めた。
 指の先がチリチリする。
 それ・・を悟って、頬が強ばる。覚えがある、この・・感じ。
 痛いほどの緊張が、突風のように襲いかかった。
 宵のざわめきが広がるただ中、一筋の帯が伸びていた。いかなる干渉も受けつけない、そこだけ真空のような透明な──
「ど、どこ……?」
 その"気"をたどり、駆け出した。
 ざわり、ざわり、と心がうごめく。ピン──と糸が、張りつめたようなこの感じ。近くにいる、
 あの・・彼が。
 
 
 

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