■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章17
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足を止め、通りの先に目を据えた。
そぞろ歩きの雑踏の中、その横顔に息を呑む。
「やっぱり──」
エレーンは憑かれたように凝視した。足が、勝手に前に出る。まっしぐらに彼へと向かう。まさか、こんな所で会うなんて。──いや、彼は避けるべき最たる相手。トラビア行きを妨害する、この旅最大の障壁なのだ。見つかれば、ただちに連れ戻される。それは十分わかっている。けれど──
止めようもなく胸が高鳴る。目に降りかかる黒い頭髪。引き締まった頬の線。深く澄んだ率直な瞳──
「……ケネル」
ぎくり、と足裏を踏みしめた。
一瞬思考が停止して、うつけたように立ち尽くす。落ち着きなく視線が泳いだ。思いがけないこの事態。連れがいるのだ、肩の横に。遠目にもわかる異国人。つややかな浅黒い肌。くっきりとした目鼻立ち。長いまつげに、大きな黒瞳。旅装姿の
若 い 女 。
「……あっ、あっ、あいつぅ〜っ!」
半開きの唇わなわな、ふるふるゲンコがうち震える。
すべてが一瞬で吹き飛んだ。あまりに驚きすぎて、呼吸をするのもままならない。だって、そんなことがあり得るだろうか。外套につつまれた小柄な肩と、笑い交わしているなんて。事もあろうに、
あのケネルが。
「……なぁに、へらへらしてんのよっ!」
両手のゲンコを前後に振って、口をとがらせ、ずんずん進む。こっちと一緒にいた時は、ろくに笑いもしなかったくせに! 怒ってばっかいたくせに! 俺かあいつかどっちか選べ〜とか意地悪したかと思ったら、脱走したからってこの仕打ち!?
今は会うなど以ての外だが、諸々の事情はぶっ飛んだ。そうよ! そんなこたァどうだっていい! また、あんのタヌキの奴はあああ〜!? じぃっと間近で顔を見つめて「一緒にくるか?」とか言ったくせに! 「一生守る」とか言ったくせに! 「嫁にこい」とか「愛してる」とか「もう放さない」とか言ったくせにぃぃぃっ!!!(←言ってない) なのに誰よ!
──その女ぁっ!?
往く手に、人影が立ちふさがった。
「……え……な、なに?」
不意をつかれて、エレーンはまごつく。小首を傾げてながめているのは、見知らぬ男たちの一団だ。柄の悪いゴロツキ風。全部で五人。この付近のチンピラだろうか。
まったく、こんな時に! とわずらわしい思いで眉をひそめ、エレーンは行きすぎるべく脇に避ける。
ゴロツキが急に向きを変えた。
にやにや取り囲むようにして歩いてくる。一人が隣に目配せした。
「こいつか」
制服の袋を強く抱いて、エレーンは戸惑い、後ずさる。「な、なんですか……」
なにやら嫌な雰囲気だ。中央にいる長身の男が、口をくちゃくちゃさせながら、品定めするように見まわした。「一緒に来てもらおうか。ジャイルズさんがお持ちかねだ」
「ジャ、ジャイルズさん?」
あん? と男が小馬鹿にしたように顔をゆがめた。「ああ? 姉ちゃん、知らねえってか? 南海レーヌを取り仕切る大親分の名前をよ〜」
「──あ、やっ、でもぉ〜。確かレーヌを束ねているのは」
えへらえへらと小首をかしげた愛想笑いを強ばらせ、エレーンはさりげなく軸足を引く。
「オーサーさんと組合の人たちじゃ?」
「──なにぃっ!?」
飛びあがってエレーンは反転、脱兎のごとく、すっ飛んで逃げた。
今来た道を、わたわた逆走。背後のゴロツキも一斉に、食らいつくように走り出す。柄の悪い制止をまき散らし、野犬のごとく追ってくる。
(ちょっとやだっ! なによあいつらぁ〜!?)
なに言ってんのよ一番はオーサーさんに決まってる! いや、そこじゃなくって、あいつら誰だ!?
泡くって逃げる胸中を、ふと、あの光景が掠めた。昼さがりのバルドールの路地。ザイとセレスタンの足元に転がる、やはりこんな雰囲気の──。もしや、この一団は、昼に見かけたゴロツキの仲間?
(な、なあんで、あたしよ? てか、ジャイルズって、)
誰。
引きつり顔で腕を振り、エレーンはあわあわ逃げまわる。そういや、そんな名を聞いた気もする。ひょんなことからレーヌに滞在していた二年前、漁業組合が揉めていた相手。むろん、面識など一切ない。だけども現に、めっぽう追いまくられてるし! ああ、なんか今日はついてない。てか、今日は昼から
(な、なんか、ものすごい追っかけられるんですけどあたしぃっ!?)
どうしてなのだ。会う者会う者ことごとく、やたらと後を追いかけてくるのは。
急に周囲が賑わしくなった。
あの彼と別れた途端、借金取りは出現するわ、妙な翅鳥はくっ付いてくるわ、荒くれ一味には追っかけられるわ──。そういやクロウや、ザイやセレスタンとも町で会った。ノアニールに着いたとたん、あの三バカやケネルとも。まあ、思えば、それも当然か。その全員の目的が、他ならぬ己だった、というのだから。会わない方が、むしろ──
ふと、エレーンは眉をひそめた。
そう、不思議だ。きのうまでの静けさが嘘だったように、たった一日で大勢と会った。ザイとセレスタン、三バカ、ケネル。そして、取り立て屋とゴロツキ連中。こぞって自分を捜していた。おそらく商都を出た日も同じ。トラビアまでは一本道で、同じ街道を全員が使う。なのに、その誰とも出くわさなかった。こんなにも大勢の人間が、自分一人を追いかけていたのに──。
ふと瞬き、顔をあげた。
一度はやり過ごした、あの軋み。今朝方別れたウォードに抱いた、漠然とした一抹の危惧。あのシャツの赤い染み──あれが争ってできたものだとしたら?
実は、あの大勢の追っ手も、ずっと近くにいたのだとしたら? ウォードが密かにやりあって、
追跡を潰していたのだとしたら?
「……。ノッポくんが?」
思考停止で眉根を寄せ、エレーンは顔をゆがめて首を振る。「いや〜……ないよね、ないない。ノッポくん、まだ十五だし」
まだ、彼はほんの子供だ。もしも、町で暮らしていれば、学校に通っている年頃だ。それがそんなに大勢を──大の大人を向こうにまわして一人で立ちまわるなど、できるわけがない。
「……え?」
たたらを踏んで、とっさに体勢を立て直した。
がくん、と足が重くなったのだ。ずっしり重石をつけられたように。
不意の変調に戸惑った。
逆風の中に切りこむような、いや、泥沼を進んでいるかのようだった。まとわりつく空気が重い。どんどん足が重くなる。前のめりに踏み出すその都度、力を削がれていくような。一枚、また一枚と、まとった外皮を引き剥がれていくような──。駆け続けて疲労した、本来あるべき姿に戻った──メッキがはがれた、そんな感じの。
息があがる。体が重い。何が起きたか分からない。これだけ長く走っていれば、汗が吹き出ていいはずなのに、体はどんどん冷えていく。 背後を走る一団が、たちまち距離を詰めてくる。荒く息をつきながら、やみくもに視線を走らせた。もう、追っ手を振り切れない。このままでは、いずれ捕まる。──助けて
──誰か助けて!
目抜き通りは、とうに出ていた。
追っ手を撒くため、障害物が散乱する細い路地を選んで入り、いく度もでたらめに角を曲がった。外灯ともる歩道は暗く、雑踏はすでに消え失せている。もしや町外れに出てしまったか──。
徐々に追っ手が追いあげる。大分引き離したはずだったのに。どこかに身を隠さねば──いや、その手を使うには、もう遅い。追っ手との距離が近すぎる。
形勢不利に、気ばかり焦った。走り続けた息があがる。汗が入って目がかすむ。今にも座りこんでしまいそうだ。肩で息をつきながら、現れた町角を辛うじて曲がる。
どん、と頬がぶつかった。
腕をつかまれ、強く引かれる。
(……な、なに?)
ただの通行人ではない──にわかに状況を呑みこんで、あわてて手足を振りまわす。
「目」を見た気がした。
鮮やかな緑にかがやく、あのお守りの翠玉と同じ──。
息が止まる。硬直する。すべての力を奪われる。喉がひくつき、金縛りに遭ったように動けない。
外套の裾がひるがえる。追っ手の声と足音が近づく。懐の闇に閉ざされて、唇をかんで目を閉じた。
(しまった……!)
はさみうち。
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