■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章25
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「俺は街道を西へ進むが、あんたはどうする」
あらかた店をまわったが、やはり、ここでも、クリスの父親は見つからない。
ひときわ目立つ異国人の風貌ならば、情報を得るのは容易いはずだが。
「とりあえずザルトへ行こうと思うの。あの街には知り合いがいるから」
トラビア街道沿い、バールの町。
クリスが街で聞きこんできた「バールでの目撃情報」を頼りに、ケネルはノアニールの街を出て、更に西へと移動していた。
地方都市とはいえ、ノアニールは広い。
やみくもに相手を捜していても、往来を行き来する群集の中から捜し出すのは至難の業だ。同時に各所を見張るのは不可能で、時間のずれも行き違いもある。まして相手が店内奥深くに潜ってしまえば、見い出すことさえ困難だ。
そのためケネルは、街道への出入り口に張りついて、人の出入りを注視していた。街道を使う者なら誰しも、必ずここを通るからだ。
だが、成果はついに得られなかった。
彼女がまだ到着していないか、疲れて宿にこもっているか、あるいは既に、街を通過してしまったか──いや、これはないだろう。たとえウォードが一緒でも、単騎で馬を飛ばしてきたケネルを追い抜いたとは考えにくい。
いずれにせよ、この真夏の炎天下では、水と食料の補給は必須、最寄りの町には必ず立ち寄る。そして、目的地トラビアまではトラビア街道一本道との条件ならば、この通過点より以西で待てば、いずれは出会える、そう踏んだのだ。
昼の強い夏日を避けて、路地の日陰を選んで歩いた。
街道口へ向かうケネルに連れ立ち、後ろ手にしてクリスも歩く。
「それにトラビアへ戻るなら、父もザルトには立ち寄ると思うし。それで、悪いんだけど、もうしばらく一緒にいてもいいかしら」
「まあ、駄目とは言えないな。土地鑑のない無一文じゃ」
「そう言ってくれると思ってた」
ふふっ、とクリスは楽しげに微笑う。
「ありがとう隊長さん。本当に面倒見のいい人ね」
ケネルは空を見、肩をすくめる。「ロズモンドの令嬢を見捨てたとあっては、部隊の評判に差し障るからな」
「……。もういいわよ、それぇ」
何度言うのよ……とクリスは嫌そうに顔を歪める。
軽くうつむき、ふっと微笑った。
「どうした?」
クリスは軽く首を振る。なんでもない、というように。
ほんのわずか顔をしかめ、そっと嘆息、つぶやいた。
「……本当に、いい人」
路地の建物のひさしから、夏日が鈍く射しこんだ。
裏手に出された木箱に寝そべり、黒い猫があくびをしている。やはり、この町でも、昼の町中は閑散としている。街道口へと向かいつつ、ケネルは連れの様子を見た。
そして、小さく嘆息する。やはり、クリスが盗み見ている。
何かありそうだとは思ったが、理由までは分からない。何とはなしに息をつき、ケネルは気まずく目をそらす。
ふわり、と甘い何かが香った。
クリスがつけている香水の──。
とっさに、壁へと目をそらした。
胸がざわめき、鼓動が速まる。切なさに、胸をつかまれる。ケネルは眉をひそめて奥歯を噛む。
平手で軽く頬を叩いて、常の間合いを取り戻す。そろり、と連れをうかがった。
空をながめて後ろ手にし、クリスは上機嫌で微笑っている。のほほんとした"彼女"とは違う、芯の強そうな凛とした横顔──。幸い、何も気づいていない。ケネルは密かに息をつく。
「ねえ、隊長さん」
不意をつかれて、返事が遅れた。「──ん? なんだ」
「鈍感って言われるでしょう」
ぎょっとケネルは振り向いた。
たじろぎ、思わず目が泳ぐ。
「……な、何をいきなり」
クレスト領邸から預かった彼女に、散々その言葉で罵られてきた。
『 ケネルのばか! ケネルの鈍感! 』
とはいえ、それはカレリアでの話。そんな呼ばわれ方をしたことは、隣国ではなかったはずだが──。
ちら、とクリスが横目で見、含みありげに眉をあげた。
「ふふっ。な〜んか、わかっちゃうのよねえ? わたし」
外套の裾をふわりと広げ、くるりとクリスが振り向いた。
腕に、手を滑り込ませて、しがみつくように腕を組む。
「──お、おい。何を」
「気になる?」
上目使いで小首をかしげ、クリスは目線で通りを示す。
真昼のことで、静まり返った路地にひと気はない。突き当たりの通りにも。
「……ごめんなさい」
とっさに確認した視界の隅で、クリスが長いまつ毛をそっと伏せた。
「まだ、少し怖くて。だって、前の街で、あんな目に。だから──」
クリスは前の街ノアニールで、町の与太者に絡まれて、所持金を強奪されている。
腕からおずおず手を引いて、クリスが悄然と溜息をついた。「迷惑よね、こういうのは。カレリアの人とは、わたし、見た目が違うもの」
「──ああ、いや」
気落ちした様子に、ケネルはあわてた。「──だが、こんな真昼に暑くないのか?」
「このくらいの暑さ、暑い内には入らないわ」
さばさば言い捨て、ぱっと離れた。
「シャンバールはもっと暑いもの」
また後ろ手にして歩き出す。まるで何事もなかったように。
まだ戸惑いを抱えつつ、ケネルもやれやれと、その横に並ぶ。とりなした矢先に、するりと逃げる。怒っているようでもない。拗ねているというのでもない。目まぐるしく様変わる女心というものが、ケネルにはよく分からない。
「見る目がないわね、その彼女」
歩く爪先を見やったままで、ぼそり、とクリスがつぶやいた。
「あなたのことを振るなんて。わたしには信じられないわ」
不意打ちに、とりあえずケネルは笑う。「──世辞でも悪い気はしないものだな」
「お世辞じゃないわ!」
思いがけない強い調子に、あっけにとられて返事に詰まった。
「……あ、だって」
はっとクリスは我に返り、あたふた、はにかんだようにうつむいてしまう。「だって、シャンバールじゃ考えられないことだもの。こんな英雄を振るなんて」
「──掩護をどうも」
ケネルは困って苦笑い。真に受けるのも愚かだが、謙遜しても怒られる。
腹立たしげな横顔で、クリスが靴先の石を軽く蹴った。
「ひどいわよ、その彼女。いいように振り回して。あなたが優しいものだから、いい気になっているんだわ。そうよ。そうに決まってるわ」
なだめようと振りかえり、だが、開きかけた口をケネルはつぐむ。
思いつめたような顔つきで、クリスは歩道を睨んでいる。
「……そうよ。そんなに恵まれているくせに。わたしなら隊長さんに、寂しい思いなんかさせないのに」
何か妙な引っかかりを覚え、ふと思案を巡らせる。
ふらり、と隣の気配が揺れた。
崩れ落ちるようにうずくまる。
物思いから引き戻されて、はっとケネルは振り向いた。
膝をついて顔を覗き、へたりこんだ肩を揺する。「──おい、どうした。大丈夫か」
暑い中を連れ回して、もしや貧血でも起こしたか、とあわてて腕を引っぱりあげる。
肩を、細い手に押し戻された。
呆気にとられている内に、壁面に背を押しつけられる。
建物の隙間から射してくる鈍い夏日を遮って、軽い体重がのしかかる。
積まれていた壁際の木箱に座らされた太腿に、外套の膝がのりかかった。首に絡みつくしなやかな腕。押しつけられる柔らかなぬくもり。小首をかしげたクリスのそれで、自分の唇がふさがれている。ふわり、と香る甘い芳香──
合わせていた唇を放し、潤んだ瞳でクリスが見つめた。
「……上手だな」
「あなたこそ」
微笑って、クリスは軽く睨む。「ずいぶんと慣れているのね」
「あんたと俺とじゃ、年齢も境遇も違うだろう」
「あなたは、わたしを見くびりすぎよ」
肩を軽く押しやって、そっけなくクリスは身を起こした。
「わたしのこと、途方にくれて泣いている小さな女の子だとでも思っているの?」
一転、強い瞳で見つめる。
「借りは、返すわ」
思いがけない挑戦的な顔に、ケネルは困惑、苦笑いした。「──たくましいな」
艶めいた笑みで、クリスは微笑む。
「わたしの方が、きっと色々と巧いはずよ? その彼女よりも。"クリス"よりも」
しなやかな手が、腕をとる。
「ね、来て?」
じっと見つめる大きな瞳。
ふわり、とクリスの香水がかおる。
「……戻りましょ、宿の部屋に」
耳元に口を寄せ、クリスが甘くささやいた。
「あなたの傷を舐めてあげる」
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