【ディール急襲】 第3部2章

CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章30
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 白み始めた街道を外れ、野草の斜面を、騎乗したまま降りくだった。
 転げ落ちるようにして馬を降り、手近な枝に手綱をつなぐ。
 枝を張り出した樹木の根元に、くず折れるようにして腰をおろした。
 震える指で上着を探り、煙草を取り出し、一服する。
 深く肺まで吸い込んで、細く長く紫煙を吐き出す。煙草のない空いた手は、前かがみの腹を押さえている。肩で息をつきながら、何度かゆっくり喫煙し、ファレスは朝の野原を睨む。
 眉をしかめて、うなだれた。
「──駄目か」
 地面に落ちた利き手の二指には、黒い巻紙の煙草 ≪ホーリー≫
 頼りの麻薬は、すでに効かない。こうなれば、最強の≪ヘブン≫に手を出すのは、もはや時間の問題だ。
 痛みが腹を苛んでいた。傷がまるで回復しない。
 これはおかしな事態だった。負傷から時間が経っているし、宿で休息も取ったというのに、むしろ日に日に悪くなる。いっそ商都を出た直後の方が、今より余程ましだった。移動による負担もあるのだろうが、進むにつれて悪化する。
 轟々打ち鳴る水流に、逆らって進むかのようだった。水が傷口に入りこみ、絶え間なく注ぐ水の流れで、傷の端がめくれていく。初めは些細な傷口が、次第次第に広がって──。
 自分の呼吸だけが響く頭で、霞む意識を自覚しながら、ファレスはぐったり樹幹にもたれた。額に汗を浮かべた顔で、西の彼方をぼんやりながめる。
 瞼を閉じて、薄く笑った。
「……嘲笑っていやがる。あの野郎」
 西の尾根に圧し掛かった竜が、今や、はっきりと見えていた。
 赤く巨大な胴をうねらせ、じっとこちらを睨んでいる。爛々とかがやく双眸で。
 幻覚だとは分かっている。
 だが、不思議と捉われてしまう。これも麻薬の作用の内か、それに執拗にこだわってしまう。無視することが、どうしてもできない。その存在を肯定し、実は密かに確信さえしている。
 ──竜が・・往く手を・・・・阻んでいる・・・・・、と。
 西への進路を、あの竜が阻んでいる。濁流に逆らって進むかのような"見えない圧"で押し戻し、渦に巻きこみ、弱らせて。そして、警告を無視した報復がこの有り様これだ。
「……生憎あいにくだったな」
 膝を立てて腕でかかえ、ファレスは気だるくうつ伏せた。「……それでも俺は、行かねえと」
 青く張り出した梢の下、外敵から身を守るようにうずくまり、睡眠をとるべく瞼を閉じる。
 消耗の激しい昼は避け、日が暮れてから移動していた。一晩中馬を駆るなら、日中は努めて眠らねばならない。体を休め、少しでも体力を回復する。それに、眠りで意識がなくなれば、この痛みから解放される──。
 降りかかる長髪の中、ファレスはうとうとまどろんだ。
 蓄積された疲労もあって、すぐに睡魔が訪れる。茫洋と広がる薄闇に、吸い込まれるように意識が落ちる。
 跳ね起き、地面に両手をついた。
 続け様に激しくえずき、胃の中の物をぶちまける。
 咳きこみながら水筒をとり、その中の水で口をすすいだ。
 口元の水を腕でぬぐって、肩で荒く呼吸する。つきぬけたように頭が軽く、野草の地面がぐらぐらゆがむ。
 嘔吐した地面には、わずかな胃液。むかつきはあるのに何も出ない。もうどれだけ食べていないか、自分でも分からなくなっている。食料はあるが、このところ、胃が受けつけない。
「……ざまァねえな」
 肩で荒く息をつき、片頬をゆがめて、せめて苦笑わらった。「こんなザマで、いつまでもつか──」
 ぶわり、と光彩が視界をよぎった。
 瞬時に四方に拡散し、ゆるやかに収束、像をかたどる。
「……又かよ」
 無駄と知りつつ、ファレスは苦々しく顔をそむけた。
 何度も見たいものではないが、瞼を閉じても無駄なこと。主の意思などお構いなしに、それは繰り返し立ち現れる。しかも、薬の影響か、より一層あざやかに。
 先予見だった。未来の事象の引き写し。
 現れた事象は、近日中に到来する。数多の経験で知っている。
 否応なしにそれをながめて、ファレスは決意を新たにする。どれほど体がきつくても、だから・・・先を急がねば。
 ──近日中に、ケネルが死ぬ。
 それがちらつき出したのは、馬での移動の最中だった。街道を見据えた眼前に、それはだしぬけに現れた。以来、頻繁に現れる。
 ケネルの死亡それ自体には、特に感慨は抱かなかった。驚きはしたが、不思議なことは何もない。人はいつか必ず死ぬ、という当たり前の事実を持ち出すまでもなく、傭兵稼業である以上、死亡の確率は格段に高い。言ってしまえば、常にそこに用意された、数ある予測の一に過ぎない。問題は、いつ、それが起きるかだ。そうなれば──
「……そうなれば、阿呆が放り出される」
 混乱の嵐のただ中に。
 受け皿が必要だった。その場にいる必要があった。誰よりも早く、誰よりも先に、彼女に辿りつく必要が。そして、戦地から引き離す。できるだけ遠く、安全な場所へ。
 ふと、ファレスは眉をひそめた。
 ぽつん、と現れた一点が、みるみる拡大、元の像を塗りつぶしていく。
 息をつめ、凝視する。
 わななく唇から、つぶやきが漏れた。
「何が、起きた……」
 またたく間の出来事だった。
 新たな構図が完成し、揺るぎなく、そこにある。
 全貌が示されていた。あたかも先のは通過点で、ようやく開示が完了した、というように。つまり、
 ──未来の構図が・・・・・・書き変わった・・・・・・
 覆った結果に翻弄され、呆然と思考が停止する。いや、差し替えられた影像の、指し示すところが問題だった。
「……犬死、かよ」
 愕然と、ファレスは瞠目する。「──俺か、」
 死ぬのは。
 
 
 

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