■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章31
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「……な、なんで、ここにレノさまが?」
あぜん、とエレーンは口をあけた。
ゴシゴシあわてて目をこする。商都大好きなあの彼が、なぜ、こんな地方にいるのだ?
彼は商都カレリアを領有するラトキエ領家の縁戚の一人。然るべき要職に就き、莫大な財産を分与された数少ない直系血族。但し、
不 良 。
彼の容姿の定番は、はだけたシャツに真っ赤な頭。あのど派手な頭髪と、ふてぶてしい身のこなしは、遠目からでも一目で分かる。
領邸に住んでいるわけではないが、故あって彼は「ご主人さま」だ。元いた職場ラトキエ領家で、あのアディーの世話係として抜擢した当人だから。
そんな誼のある人と同じ街にいるというのに、知らん振りするのも無礼だし、ご挨拶くらいはすべきだろうか。いや、そもそもあの彼が、どうやって、こんな地方まで? 辻馬車は未だに不通だし、徒歩で来られる距離でもない。
いや、相手はラトキエ領家。庶民が使う辻馬車なんか、そもそも眼中にもなかろうし、馬車なら屋敷にいくらでもあるか。至れり尽せり、礼儀正しい御者こみで。
「……。ある所には、あるもんよね〜」
はあ〜、とエレーンはうなだれる。
「こっちなんか辻馬車がなくって、どんだけ苦労していると……」
セビーの渋い顔が思い浮かんだ。西へ向かう荷馬車を探して街の商店を渡り歩き、交渉しては玉砕し──別に無理なことなんか頼んでない。ちょっと荷台の隅っこに、便乗させてくれるだけでいいのに──
はた、と目を見ひらいた。
「ま、ま、待って……」
たたらを踏んで、わたわた駆け出す。
「レ、レノさまっ! レノさまっ! お久しゅうございますぅぅぅーっ!」
そうだ。彼は自前の馬車で来たはずだ。だったら、その馬車、あたしも
──乗せてえっ!
それが駄目なら、もう一台買って。
お代は爺が返すから! だから待って、
──待って! その馬車あ―っ!
グーの両手をぶんぶん振って、しゃかりきに背中を追いかける。
すでに二人は道の彼方、二区画ほど先を爆走中。注意を引く呼びかけも、心の雄たけびも届かない。そして、徐々に遠ざかる何故だ。
両手を振って、わっせわっせと駆けながら、ぜえぜえ顔をゆがめて首をひねる。足は速い方だと思っていたが、追いつくどころか引き離される。気合いの入れ方が違うのか? てか、何故にそんなに
全 力 疾 走 ?
爆走する追いかけっこの背が、そうする間にも、ひょい、と左折。
「ぅっわ!? 待って!? そこの人たち、ちょっと待ってええーっ!」
ここで見失っては万事休す。そうだ、逃がすか!
──快適な旅がかかっているのだっ!
エレーンはわたわた、前のめりで歩道を疾走。続いて町角をわしわし曲がる。
ばんっ、と弾き飛ばされた。
歩道に尻もち、ぐるん、と後方一回転。
手をつき、むくり、と起きあがる。
「……い、痛ったあ〜い!……首ひねったあ〜……!?」
ぞりり、とこすった後頭部をさすって、エレーンは半べそ、うるうる涙目。明らかに前方不注意だから、文句を言えた義理でもないが。
目をあげた道の向かいに、複数の足が立っていた。
平服のズボンと男物の靴。ヒリつく手のひらの痛みをこらえ、えへへ……と泣き笑いで目をあげる。「す、すみません、ちょっと急いでて」
「あっ、お前っ!」
非難がましいというよりは素っ頓狂な男の声。
(ちょ──のっけから "お前"って……)
はああ? とエレーンは胡乱な気分で眉根を寄せる。誰だこいつは無礼者。
向かいで仁王立ちになっているのは小柄な猫顔、イガグリ頭。──て、いや、まて。
三人いる面々の、端から視線をめぐらせる。向かいにいるのは、チビのイガグリ。痩せぎすの眼帯。ガタイのいいオールバック、
……あ、とエレーンは指さした。「三バカ」
「あァ!?」
イガグリがまなじり吊りあげた。
「お前、今なんつった!?」
「んもおぉー。なによー。信じらんなーい」
尻もちついた歩道の上で、エレーンは構わずぶんむくれる。「なんで駆け寄るの、そっちかなー。来るなら普通、こっちでしょー? か弱い乙女が転んでんのにぃー」
ぎょっとブルーノが振り向いて、あわててどたどた駆け寄ったのだ。同じく向かいで尻もちをついた黒眼帯のジェスキーに。
すりむいた手をパンパン叩いて、ふん、とエレーンは立ちあがる自力で。
そう、こいつは誰あろう、ゆうべ路地で別れたきりの、チビの猫顔ボリスではないか。
それに、大柄なブルーノと黒眼帯のジェスキー。今更ながら思い出す。そういやいたっけ、こいつらも。
背を向け、かがみこんだブルーノは、見るからにおろおろ戸惑った様子。
「わ、悪りィ! ジェスキー……」
長めの髪がふりかかる黒眼帯のジェスキーが、向かいの歩道で足を投げ、うつむいた顔をつかんでいた。ゆるゆる首を振っている。「くそっ……ぼやけて、よく見えねえ」
前を歩いていたブルーノが立ち止まったか何かして、吹っ飛ばされてしまったのだろうか。なにせブルーノはガタイがいいし、ジェスキーの方は痩せっぽちだ。
ぱちくりエレーンはまたたいて、隣のボリスを振りかえる。「どしたの? ガンタイ」
「──たく。急にお前が突っ込んでくるから」
心配そうにボリスはながめ、苦々しげに顔をゆがめた。「肘が当たったんだよ、ジェスキーの眼に」
だからなによ、と首を傾げ、はた、とその意味に気がついた。ジェスキーは顔をつかんでいる──。
どん! と体当たりでブルーノを押しのけ、わたわたその前に滑りこんだ。
「ご、ごめんガンタイっ! 大丈夫っ!?」
ジェスキーは眼帯をしているから、見えるのは元々片方だけだ。なのに、その眼にまで何かあったら!
むんずとジェスキーの後頭部をつかみ、瞼を押さえた彼の手を、エレーンはとっさにさわさわ撫でる。
「ち、ちちんぷいぷいのぷいっ!」
「……。なにしてんだお前」
顔をゆがめて、ジェスキーは胡乱。迷惑そうにシッシと手を振る。「今は遊んでる気分じゃねえから。下らねえ冗談は要らねえし」
「──あっ、いや、知らない? 手を当てると楽になるって」
エレーンはあわてて、ぶんぶん手を振る。「だから、ほら、"手当て"って言うでしょ、治療のことを」
「「「……」」」
互いを見やって三人は無言。
「せーのっ!」
白けた空気を踏みにじり、エレーンは天に両手を広げる。
「痛いの痛いの飛んでけーっ!」
「……。お前よー」
ついにボリスが、たまりかねた顔で頭を掻いた。「効くわけねえだろ、そんなのが」
「む。でもぉー」
エレーンは口をとがらせ、上目使い。「ファレスはけっこう好きなんだけどな。コレやれコレやれって飛んでくるし」
「触って欲しいってだけなんじゃね?」
「勝手に触るって、ファレスだし」
ドングリ眼をぱちくりまたたき、ボリスは顎をつかんで首を傾げた。
「……それもそうか」
あっさり納得したらしい。
自分の手を見て、しきりに首をひねっている猫顔ボリスはほっといて、エレーンはジェスキーを覗きこむ。「……い、痛い? ガンタイ。まじでごめんね?」
「別にお前のせいじゃない。つか、俺は "ガンタイ"なんて名前じゃねーし」
顔をしかめて片手で押しのけ、ジェスキーはふらつきながら立ちあがる。
両膝をついた正座のままで、エレーンはしょんぼり上目使い。「ご、ごめんね? まじでごめん。まさか、こんなことになるなんて……」
ふと、ジェスキーが見おろした。
手を伸ばして、頭に置き、ぶっきらぼうにぐりぐりなでる。
「言ったろ、お前のせいじゃない。気にすんな」
「……あ、や。だけど〜……」
横からブルーノが、恐る恐る覗いた。
「……おい、大丈夫かよ、ジェスキー」
片頬をゆがめて、ジェスキーは笑う。「大丈夫だろ。ちょっと、ぼやけているだけだから」
その様子を覗きつつ、エレーンもそわそわ立ちあがる。
ふと、ボリスが気づいたように見返した。「なあ」
じろじろ、いぶかしげに顔を寄せる。
「きのう、こんなの持ってたか?」
引っぱっているのは赤いリュック。
「あっ、やっぱ気がついちゃったあ〜?」
うきうきエレーンは笑みを作る。「かっわいいでしょ〜お。さっき、ユージンくんに買ってもらったんだー」
「……ゆ、ユージンくん〜?」
「あたし、あんまりお金なくって──あっ、でも、本当はセビーが買うはずだったんだけどね」
「セ、セビー……?」
「あ、そうそう。ゆうべあの後、知り合いのおじさんと偶然会ってー。それがすんごいいい人で、旅費とかご飯代とか全部出してくれるとかって、もーっすんごくかっこよくってえぇー。あ、けど、セヴィランさんは、急用で先に出ちゃったんだけど。あ、でもでも大丈夫、その代わりにセビーが来たから。だからリュックも本当はセビーが買うはずで、けど、ユージンくんがお近づきの印にって──」
「ちょ、ちょっと待て! お前いったん口閉じろ!」
気圧され、呆然と聞いていたボリスが、我に返って割りこんだ。
「それじゃあ何か? お前、男に 貢がせてる のか?」
「──なによ。貢がせてるとか人聞きの悪い」
むう、とエレーンはふくれっつら。「ちょっと借りてるだけだもん」
「"だけだもん"って──」
「ちゃんと返すもん。後で爺が」
「……。つまり、爺かよ、払うのは」
往生したように頭を掻き、やれやれ、とボリスは体を傾げた。
尻の隠しに手を突っ込む。「いくらだ」
「何が?」
「だから鞄の代金だろ。俺がその野郎に突っ返してやる」
「えー。いいよー。だって悪いしー」
「いいから俺に言ってみな」
引っぱり出した革の財布で、ボリスは自分の手のひらを叩く。「あ? いくらだ。そいつにいくら借りたんだ」
「三万二千カレント」
しん、と虚ろな沈黙が流れた。
もそもそボリスは目をそらす。「……帰ったら、爺に出してもらえ」
「えー……」
そそくさ財布を隠しにしまい、ボリスは憮然としかめっ面。「領邸の奴なら金持ちだろ? つか、お前もなんだって、そんなバカ高けえ袋を買うんだよ」
「だあって、どうせなら、かわいい方がー」
「──金もねえのに、なんで、そんなに豪胆なんだか」
理解不能という顔でボリスはげんなり溜息し、いぶかしげに腕を組む。「つか、そいつら結局、何者なんだよ」
だからー、とエレーンは顔をしかめる。
「セヴィランさんのー甥っ子と友だち」
「つまりは 赤の他人 じゃねえかよ!?」
まなじり吊りあげ、ボリスががなる。
「男から簡単に金なんぞ借りるな! 見返り要求されたら、どうすんだ!」
「もー。やーねー。あるわけないでしょ、そんなこと」
「下心があるに決まってんじゃねえかよ!? たく。なんでお前は、そんなに考えなしなんだ!」
むに、とエレーンは口の先を尖らせる。「……考えてるもん、あたしだって」
「どこがだよ!? ろくに金もねえくせに飛び出すわ、知らない男に金は借りるわ! まるで考えが足りねえだろ!」
「考えてる!」
むっと顔を振りあげて、エレーンはまなじり吊りあげた。
「いつもいつも考えてる! あたしに何ができるのか!」
トラビアまで、どうやって行くのか。着いたら、どうやってアルベールさまと会うのか。どうやってアルベールさまを説得するのか。ケネルは? ダドリーは? そしてファレスは? この先どうやって進んだらいい? そうだ、いつだって考えている。寝ても覚めても考えている。ぐるぐる、ぐるぐる。ぐるぐる、ぐるぐる──
まだ何か違和感があるのか頭を振っていたジェスキーと、ちらちら見ていたブルーノが驚いた顔で振りかえる。
ボリスが顔をしかめて顎をしゃくった。「……で、お前どうすんだよ」
「なによ、どうするって」
「行くのかよ、トラビア」
──えっ? と面食らって見返した。
急転換に虚をつかれ、エレーンはたじろぎ、後ずさる。「ぜ、絶対戻らないからね? 言っとくけど」
「だから訊いてんだろうが。行くのか行かないのか」
エレーンは動揺、ちら、と 上目使いで顔をうかがう。「そ、そりゃー、行くけど」
「よし!」
ずい、とボリスが腕をくんだ。
「俺らも一緒に行ってやる」
ぱちくりエレーンはまたたいた。
「……あたしのことを連れ戻しに来たんじゃ?」
「どうせ聞かねえだろうが、止めたって。だが、戦地なんぞに妹分を、一人でやるわけにはいかねえだろ。だから、こいつらとも相談して、お前と一緒に行くことにした」
な? と二人に目配せする。二人もうなずき、同意を示す。
「面倒みるよう、バリーにも頼まれたことだしよ」
「い、いいの?」
「いいわけねえだろ」
このやろう──と続けそうな顔つき。
エレーンは虚ろに引きつり笑う。「……そ、そうだよね〜」
ふん、とボリスは胸を張る。
「けど、勝手にうろつかれるより、はるかにマシだ」
「あ、でも」
「それなら、お前も心強いだろ?」
「あ、う、うんっ! そうだねっ! あの、でもね、その──」
「ああん?」
ボリスがじれったそうに目を向ける。
「なんだよ、お前は、さっきから」
えへへ、とエレーンは頭を掻いた。「や、その……だから一緒なんだけど、その、セビーたちも」
「……あ?」
「あっ、よければ一緒に行く?」
三人が顔を見合わせた。
気の置けない仲間内だけで、身軽に行くつもりでいたのに、
気づけば六名の大所帯、結成。
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