CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章47
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 軽く乱れた敷布の皺が、白々と陽射しに静まっていた。
 あの連れの寝台が、ひっそり朝日を浴びている。
 ひぃぃっ、と顔を引きつらせ、お守りのタヌキにかぶりつく。
「ど、ど、どうしよう……」
 ── 寝過ごした。
 隣の寝台は、もぬけの殻だ。
 三十分、いや、四十分経ったら起こすよう、レノさまに言われていたのに。
 さっさとレノさまに眠られてしまい、ゆうべ散々愚痴ったタヌキは、相も変わらずとぼけ顔。
 目が覚めたら、ふとんで寝ていた。
 すがすがしい朝日に包まれ、掛け布に包まった熟睡で。だが、ゆうべはずっと、壁で膝をかかえていたはず。なら、誰かが壁から動かして、ふとんを被せて寝かせてくれた? ちなみに、部屋にいた人物といえば……
(ま、まじで……?)
 衝撃の結論をはじき出し、半開きの口で目をみはる。
(まじで!? あのレノさまが!?)
 いてもたってもいられずに、あわあわ部屋中駆けまわる。なら、 お姫様だっこ で運んでくれたり!? そんでもって、優しく寝かしつけてくれてっ? さじより重たい物なんか、持ったことのないレノさまが!?
「な、なんかもう生きててよかった〜……」
 じぃぃ〜ん……と涙目で感無量。
 ふと、振り向き、窓辺に歩いた。
「あれ、これって──」
 キラリと朝日を弾いたそれを、片手で取りあげ、首をかしげる。
「……流行はやってんのかな、こういうの」
 陽ざしにぬくまった窓辺のそれは、どこかで見たような黄色い──
 かたん、と背後で音がした。
 わたわた踊りあがって、それを置く。
(帰ってきたー!?)
 レノさまが!
 わしわし手ぐし頭髪あたまを整え、あわてて戸口を振りかえる。
 愛想笑いで相手を認め、思考停止で、ぱちくり瞬く。
「……えっ、と……なに?」
 ふと思い出して、おはよう、と追加。
 彼は顎に手を当てて、からの寝台をいぶかしげに見ている。「レノは?」
「あ、きのうから出かけてて」
「変だな、戻ったはずだけど」
「……なんで知ってるの? ユージンくん」
 はっとユージンは目をそらし、ほんの一瞬顔をしかめて、とりなすように微笑んだ。「あ、ああ。今朝がた、こっちで物音がしたから。戸があいて、人の気配が」
 へえ、そうなんだ? と瞬いて、エレーンはしげしげ扉を見る。「あたしは気づかなかったけどー。あ、でも、レノさま、まだ戻ってないし。──なら、なんか用事を思い出して引き返したとか? ていうか、ユージンくんは徹夜だったり? あの後セビーと何かしてたの?」
「睨めっこ、かな」
「へ?」
「僕が部屋から抜け出さないよう・・・・・・・・、あいつ、ずっと見張ってて」
「……。またぁ〜? もー。せびぃーは〜」
 むう、とエレーンは眉根を寄せる。セビーの奇行にも困ったもんだ。もっとも、セビーが妙なのは、今に始まった話でもないが。それにしたって意味不明。外出せぬよう一晩中見張るとか。レノさまなんか、到着・仮眠後三十分で、とっとと夜遊びに出かけて行ったぞ?
「それでセビーは?」
「寝てるよ、部屋で。君と合流するまでは、頑張るつもりでいたようだけど」
 肩をすくめてユージンが、今もセビーが寝ているのだろう部屋の方向の左壁を見た。「まだ早い・・・・んだよ、張り合おうなんて」
 蔑むようにくすりと微笑い、さばさば肩で振り向いた。
「とにかく、レノはいないんだね?」
「……う、うん。まあ」
 不意の真顔にエレーンはたじろぎ、手のタヌキに目をそらす。「あっ、でも、さすがにそろそろ戻るんじゃないかと」
「そう。なら、急がないとね」
 つかつか歩み寄る気配を察し、ふとタヌキから目をあげる。
 体を強ばらせて、目をみはった。
 顎の下に、しなやかな腕。背中から抱きしめられている?
 真後ろにいるぬくもりに、あわあわ赤面でうろたえる。「……ゆ、ゆ、ゆーじんくんっ?」
「僕と一緒に来てほしい」
 耳元で紡がれたささやきに、どぎまぎ視線が床をさまよう。
 胸が激しく鼓動を刻む。落ち着いた声が、耳朶をくすぐる。「頼むから、抵抗しないで」
 首をすくめて目をつぶり、がちんがちんにエレーンは固まる。
(わわわ!? どうしよ。どうしよ。どうしたらっ!?)
 ……やっぱ、これって、駆け落ちのお誘い?
 耳に、ささやきが滑りこんだ。知らない言語のあの呪文。背に忍び寄る広大な闇。竦むような、あの感覚。ずぶずぶ背中から浸っていく──
 小さくユージンが息をついた。
「力を抜いてくれる?」
「……あ、あたしは別に、なんにもしてな──」
 あわてて彼を振り向いた頬に、硬い肩がぶつかった。
 さらりと髪が覆いかぶさる。
「エレーン。頼むから」
 すばやく踏み出した懐に、抱え込まれてしまっている──。
 視線が間近でかち合った。
 じっと見つめる深い瞳。かあ、と頬が熱くなる。
(もっ、もっ、もしかしてユージンくんて──)
 今までよく見てなかったけれど、実は彼って、
 ──かっこよくイケてない?
 いや、決して「金持ちだから」とか、そういう不埒な理由じゃなくて。
 ちょっと目を放しただけで、女子が群がった理由がようやくわかった。笑顔の下で彼女らが、熾烈に火花を散らした理由が。賢そうな整った面ざし。躊躇のないこのまなざし。自信に満ちたあの振る舞い。誰にも臆することのない──
 彼から視線を逸らせない。わずかに顔を傾けて、彼の唇が不意に近づく。
「……。なにこれ」
 間に挟まった口元のそれを、顔をしかめてユージンがどけた。
「あ……まあ、うん」
 えへへ、とエレーンは引きつり笑い。「えっと、たぶん、タヌキ、かな……」
 軽い溜息で身じろいで、ユージンが肩を抱きよせた。
 わたわたエレーンはタヌキで突っ張る。
 むぎゅ、と口にくっついたそれを、指でつまんでユージンがどけた。
「……。タヌキはやめてくれるかな」
「ご、ごめん。なんか、つい……」
 しばし、じっとり見つめ合う。
 身じろぎ、ユージンが向き直った。「……エレーン」
「ぅわ。やっぱ! ちょっと待っ──!」
 すばやくユージンが身をかわした。
 タヌキの手首をつかみとる。「もう、その手は食わないよ」
 すっかり抱きすくめられてしまい、エレーンはじたばた引きつり笑い。「で、でもっ! やっぱ! みんなもいるしっ!」
「関係ないだろ、あいつらは」
「いやでもやっぱ! そういうのはまずいと──っ!」
「僕たちスイーツ仲間じゃない」
「それってどういう関係がっ?」
「なにやってんの?」
 はたとエレーンは動きを止めた。
 顔をゆがめて、相手を探る。深みがあるようでいて、軽い響きのあの声は──
「レノさまっ!?」
 ぴょん、と脇に飛びのいた。
 身をひるがえして、わたわた見る。案の定、扉の横に、壁にもたれたあの姿。
「──また君か」
 ユージンが軽い溜息で、つかんだ手首を渋々放した。
「まったく、いい勘してるよね」
 辟易と顔をしかめて、腕を組んでレノを見る。「ひとの邪魔するの、そんなに楽しい?」
「もちろん」 
 笑ってレノは受け流し「お帰りはこちら」と脇にどく。
「君も野暮だな。少し外してくれないか」
「手ぇ出すなって言ったよな? 俺」
「見てわからないかな。大事な話をしているんだ」
 あらそ、とレノが左壁を見た。
おやぁ? ユージンっ? なんの用〜?
 どたん、とどこかで落下音。
 どこかで激しく戸が開いて、どたばた廊下を走る音。
 バン! と部屋の扉があいた。
 セビーが肩で息をつき、おどろおどろしく見入っている。
 鼻息荒く部屋に突入。
「てめえっ! ユージンっ!? 何やってんだ!?」
 ぐい、と首根っこ引っつかみ、ずるずるユージンを引きずり出す。
 ばたん、と部屋の戸が閉じた。
 
 ……速えーな、あいつ、と口笛ではやして、ちらとレノが目を向けた。
「どうするつもり?」
 エレーンはしどもど引きつり笑う。「……ど、どうって」
「狙われてるだろ、どう見ても、お前」
「……。や……狙われてるとかぁ〜、そっ、そういうんじゃないと思っ──」
「あいつと行くのか」
 問答無用で一蹴され、エレーンはもじもじ、両手の指をくっつける。「あ、やー……そんなことは……」
「迷ったろ」
 ぎくり、と背筋が硬直した。「……え?」
「俺をとるか、あいつをとるか」
 引きつり笑顔で後ずさる。な、なんて答えにくいことを……
「罰として」
 しかも、答えは「レノさま」一択!?
「お前、制服着用な」
 あんぐりエレーンは見返した。
「な、なんで制服あるって知って……あっ! あたしのリュック、まさか見たんじゃ!?」
 荷物検査か!? 抜き打ちの!?
「じょ、女性の持ち物を勝手に見るとか、いくらレノさまでも──」
「同じ部屋で寝泊まりするのに、やばいもん持ってたら、まずいだろ」
「……う゛っ?」
 一発で文句を封じられた。
 そう、彼の言い分にも一理ある。なんといってもレノさまは、チャラくは見えても領家の直系。つまりは要人と言えなくもないから、自分の身を守るため常に用心を怠らないというのはこうした階級では基本中の基本で──
 いや、だけど!? ダメだろうそれ!?
 とはいえ、正面きっては言えないので、せめて、からめ手から不服を表明。
「でもぉー、なんで制服とかぁ〜」
 メイド服なんかで歩いていたら、みんなにジロジロ見られるではないか。
 ひょい、とレノは指をさす。
「だって、侍女だし?」
「メイドさん遊びですか」
 ぬう、とエレーンは魂胆を指摘。しかも「侍女」の設定なんだ?
 てか、ご自分は 「 姫君 」 の設定ですか。
「そりゃあ、確かにセビーたちの手前、そういうふうには言いましたけどー」
 あっそ、とレノがチラ見した。
「なら、バラ(す?)」
いやいやいや──っ!
 ぶんぶん首を振り、暴露を阻止。
 でもー、とぶちぶち、ぶんむくれた。
「一応あたし、クレスト領家の正夫人 とかやってるんですけどー。立場でいったら、公爵夫人っていうやつで──」
「お前は公爵夫人じゃねえよ」
 なに言ってんのお前、とレノが見ている。
「……ぬ? いやいやいや。公爵夫人ですってば。ダドリーが公爵になったらしいし、なら、その奥さんは公爵夫人って呼ばれるわけで──」
「済んでないだろ、謁見が」
 事もなげにレノは言い、肩をすくめて、ぶらぶら歩く。
「領家の椅子に座るには、必須の条件が二つある。国王の許可と三領主の了解。お前はいずれも取り付けていない。つまり、お前は現時点では、まだ候補の一平民。公式の立場としては──」
「こ、公式にはっ?」
 がばっ、とエレーンはがぶり寄る。
 ……あれ? そういやなんだろうな? と首をひねって、ああ、とレノが膝を打った。
「内縁の妻?」
 目と目を合わせて、しばし停止。
 くるりと背を向け、離れたレノを、呆然と見送り、己をさす。
(な、内縁、なんだ? 実はあたし……?)
 秘めやかで甘やかなそうした立場に、よもや己が置かれようとは。
 すっかり興味が失せたらしいレノは、窓から外をながめている。
 連れが出て行った扉を一瞥、「……捨て置けねーな」とつぶやいて、あくびまじりで寝台へ歩く。
 ふと、エレーンは目を向けた。
「あ、そうだ、レノさま! 忘れ物が!」
 その存在を思い出し、窓に駆け寄り、それを取る。「これ、レノさまのじゃ──」
「ない」
 無茶いうな、とレノはつくづく顔を見る。「そんな黄色、かけるかよ」
「……。ですよね」
 エレーンはお愛想笑いで、たじろぎ笑った。赤毛に黄色の原色どうしじゃ、確かに強烈な取り合わせ……。
「昼まで寝るから、次こそ起こして」
 う゛っ、と嫌味に顔が引きつる。
 冷や汗たらたら盗み見た。
(や、やっぱ、レノさま怒ってるぅ……)
 きのう、言いつけ破って起こさなかったから。
「……あ、あのぉー、レノさま?」
 しどもど指をくっつけて、上目づかいで媚び笑った。
「きっ、きのうはすみませんでした。なんだかあたし、疲れてたみたいで。あ、その上、お手数までおかけしたみたいで」
 レノは小首をかしげて怪訝そうな顔つき。
「あ、だから、きのう、あたしが寝ちゃった後に──」
 あわててあたふた先を続けた。「レノさま、あたしのこと寝かせてくれたり?」
「なんの話?」
「だって、あれ、レノさまじゃ──」
「ない」
 興味なさげに、あくびで一蹴。「なにそれ妄想?」
「もっ──!?」
 レノは寝台に身を投げる。「飯食うから、昼には起こして」
「……。かしこまりました〜」
 しばし呆然と佇んで、エレーンはぱちくり瞬いた。
 ぽりぽり所在なく頬を掻く。なら、ゆうべ寝台に寝かせてくれたのは、
(レノさまじゃ、ないんだ……?)
 どうも、色々と釈然としないが。
 なら、自分で這いずって、ふとんに入った……? 溜息まじりに、寝台を見た。でも、まあ、レノさまが、そんな肉体労働するわけないか。むしろ期待する方が間違ってる。
 ふと、持ったままの"それ"を思い出し、もそもそ耳にかけてみた。
 ぬっと、タヌキに顔を突き出す。
「どーよ。似合う?」
 たちまち視界が黄色く染まる。
 タヌキも、窓も、板張りの床も。向かいの建物も、隙間の空も。
「あー。こんなふうに見えるんだー……」
 黄色いレンズの丸眼鏡。こういう眼鏡を、かけていた人を知っている。間違えば、きちんといさめ、慰めてくれる優しい笑顔。あの彼も、見ていたのだろうか。少しだけ、明るくなったこんな世界を。
 さわり、と街路樹の葉がそよいだ。
 窓の下はひっそりとして、朝の街路にひと気はない。
 陽ざしにぬくい窓辺の木枠に、うつぶせるように両腕をつく。
 ふふん、と頬杖で微笑んで、晴れた黄色い空を見た。
 
 
 

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