■ CROSS ROAD ディール急襲 第３部２章49
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ぎくり、とセヴィランは凍りついた。
隣でユージンも目をみはり、愕然とそれに見入っている。
くわえた煙草に火を点けていたレノが、目をあげ、ゆっくり振り向いた。
その目が件の幌馬車を捉え、くわえ煙草で目を戻す。
もの問いたげな、怪訝そうな視線。息を飲んでしまったが、もしや変に思われたか──？
「……あ、あいつかよ」
とっさに誤魔化し笑ったその時、ユージンが素早く一瞥をくれた。
「知ってるの？」
不意を突かれて返事に詰まる。「──え？ あ、」
「ファレスって友達。オカッパの」
レノが親指で幌馬車をさした。
未点火の煙草を隠しに戻し、顔をしかめてユージンを見る。「あいつ、俺に張り合って、散々突っかかってきやがってよ。つか、セビー、お前も知ってんの？」
「──あ、ああ。まあ」
急な名指しにまごついた。
もそもそセヴィランは頭を掻く。「知り合いってほど親しいわけでもないんだが、ちょっと前に色々あって」
「色々って？」
「いや、あの……商都の路地で、腹を刺されたあいつを拾って」
へえー、とレノが、面食らったようにまたたいた。
意外な話だったのだろう、まじまじ馬車をながめている。
ぶらぶらと足を向け、幌の枠を片手でつかんだ。
「どーよ。まだ息してる？」
中の彼女を覗きこみ、頓着なく荷台に乗りこむ。
彼女は両手でファレスを抱きしめ、振り向くどころか身じろぎもしない。レノはしげしげその背を見おろし、顔をしかめて、しゃがみこんだ。
「よく抱えていられるな。そんなすげえ匂いの奴を」
おい、と連れに真顔で呼びかけ、ごくりとセヴィランは唾を飲んだ。
「見たか、今の」
「……ああ、もちろん」
共に居残ったユージンの目も、幌馬車の荷台に釘付けだ。
町角の馬車を凝視したまま、セヴィランはのろのろ顎をなでる。「──夢や幻じゃない、ってことか」
「セビー」
ひょい、とレノが、荷台の縁から顔を出した。
馬車の前方を顎でさす。
「出して」
はっとセヴィランは我に返る。
「……あ、……いや、だが──」
近づくことを、ためらった。
馬車なら、むろん動かせる。前の町からこの町まで、一人で御者を務めてきたのだ。問題なのは、その前の段階だ。
荷台の縁に腕をかけ、怪訝そうにレノが見ている。「気にならないんだ？」
「な、何が……」
「だから、こいつ」
向かいの布壁を、レノはさす。
「知ってる奴だろ、曲がりなりにも。生死の境をさまよってんのに、知らん顔きめこむってどうよ」
「──あ、」
自分の行動の不自然さに気づいて、遅まきながら、あわてて尋ねた。「ど、どんな具合だ？」
「確かめれば？ 自分の目で」
怯んで、セヴィランは目をそらす。
踏み出すことが、できなかった。
不測の事態に、動けない。なぜなら、迂闊に近づけば──
「──見なくても、わかるさ」
何とか声を絞り出した。
視線をめぐらせて唇を舐め、続く言葉を必死で探す。
さらり、とうまく口をついた。
「荷台で死体と揺られるほど、あんたも酔狂じゃないだろう。──そうだよ、まずは、そいつを医者に──」
「麻薬中毒者だぜ？」
いいのかよ？ と呆れたように、レノは顔をしかめている。
「こんなの連れこんだら、こっちもやばくね？」
そう、物によっては、麻薬は違法だ。のこの出向けば、仲間とみなされ、一蓮托生で投獄される。
大体、とレノが肩をすくめた。
「こんな片田舎に、医者なんかいるかよ。ザルトか、精々バールあたりまで行かねーと。ま、見たとこ包帯真新しいから、手当は一応済んでるんじゃないの？」
今日も寝不足であるらしく、レノはあくびで幌の布壁に寄りかかる。
そうか、と相槌を打ちながら、セヴィランは内心で舌打ちした。こんな時に居合わせるとは、まったくなんて間の悪い男だ。
いかにもレノが邪魔だった。
ユージンと二人だけならば、何事か起きても、対処はできる。だが、何も知らない常人に、見咎めさせるわけにはいかない。常軌を逸した異能の力を。
そう、迂闊に近づけば、何が起きるかわからない。
あの"気"が共鳴、反応し、あのすさまじい奔流に、巻き込まれるか、弾き飛ばされるか、さもなくば、瞬時に消し飛ぶか──。
どん──と突き上げるような波動を感じた。
実際、肌で風圧を感じた。
目には見えない衝撃波。興味なさげに背を向けて、煙草をくわえたレノでさえ、火を点けようとした手を止めて、怪訝そうに振り向いた。
だが、どんなに目を凝らしても、レノには見えなかったろう。あの時、何が起きたのか。彼女が飛び込んだ馬車の中、どんな異変が起きていたのか。
彼女がファレスを抱き取った瞬間、すさまじい閃光が四方に走った。抑えに抑えた凶暴な力が一気に解放されたように。
何かが爆発したかのごとく突如噴きあがった緑焔は、今も尚めらめらと、二人を包んで立ちのぼっている。荷台いっぱいに充満し、萌黄が激しく渦巻いて。
目もくらむほどの光の洪水。
おびただしい萌黄の噴出。鮮烈で、強いきらめきの──
「何してんの、早く行こうぜ」
声が、思考に飛びこんだ。
焦れたように、レノが促す。「さっさと乗れよ。いつまでそこで突っ立ってんの」
「──だが、」
危険だった。
近づくのは。
荷台の中では今まさに、あたかも何かが生まれ出るかのような、不気味な焔が燃え盛っているのだ。軽はずみに近づけば、即座に気配に反応し、取り込もうとするに違いない。己が糧を得んがため。
貪欲な焔が、獲物を捉えた。
一瞬はっきり意識が向いた。もしも、あの餌食になれば、消し炭となって消滅する──いや、たちまち同化し、無に還る。後には何も残らない、元より同質なのだから。
じりじり手の中に汗を握る。
促し、ながめるレノの顔から、苦々しく目をそらした。「……だが、馬車の振動は、怪我人の体に障るんじゃ」
「どっちにしても出さねえと」
レンガの町壁を、レノは指す。「店の奴がうるせえぞ？」
確かに、それはもっともだった。店先ではない裏道でも、気づけば、いい気はしないだろう。こうしていつまでもゴネていては、やがて不審を抱かれる──
「──それも、そうだな」
溜息まじりに声を吐き、やむなくセヴィランは腹をくくった。
「いつまでも停めてはおけないか」
意を決して荷台に近づく。
「頼む」と荷物をレノに手渡す。すぐさま、荷台の端から離れた。
不意の風に煽られるように、緑焔が触手を伸ばしたが、その舌先に捉われる直前、辛くも肩をひるがえす。
前髪に絡みついた緑焔が、視界の端でちらついた。だが、大気に吸い込まれるように、はかなく消え入る。
ためらっていたユージンが、ふんぎりをつけるように踏み出した。
慎重な足取りで近づいて、荷台の前で足を止める。
踏み出しかけて、爪先が惑った。
荷台の中をユージンは凝視し、竦んだように動かない。いや、動くことができずにいる。近づいただけでもこのザマというのに、まして、荷台に乗りこめば──
「乗らねーの？」
目ざとくレノが見咎めた。
案の定の鋭さに、セヴィランは密かに舌を巻く。この男は、いつもこうだ。何もわかってはいないのだろうに、きっちり異変を捉えてくる。野生の獣なみの嗅覚で。
（どうする、ユージン……）
立ち去りかけた肩越しに、固唾をのんで様子をうかがう。だが、荷台に乗りこめば、火中に身を投じるようなもの──。
荷台の端に腕をかけ、レノはいぶかしげな顔つきだ。
「──いや。僕は御者台でいい」
やっとのことで切り抜けた。
「そんなにショック？」
揶揄笑いの顎先で、レノが彼女の背を指した。「オカッパ、ファレスに取られたの」
「そんな狭い所、息が詰まる」
憮然とユージンは言い返す。幌の布壁でファレスに抱きつき、彼女はじっと身じろぎもしない。
あっそ、とレノが満足そうにほくそ笑んだ。
してやったり、とユージンを見やる。
「俺の勝ちだな」
「──言ってろよ」
苦々しげにユージンは舌打ち、その手にザックを押しつけた。
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