ずぶり、とファレスの右腕が沈んだ。
 横たわった体が傾き、ずぶすぶ背中から沈んでいく。
 虹色にかがやく天蓋の下、あたかも蟻地獄に捕らわれたように。
 白く、ほのあたたかい、流砂にさらさら呑まれていく──

 両手で、必死で押さえていた。
 だくだく命が、流れ出ていく傷口を。
 瞼を閉じた体を抱きしめ、白い頬に頬ずりする。
 一たび流砂に呑まれれば、二度と戻ってこれないけれど、ファレスと一緒なら、構わない。引きずり込まれても構わない。
 ──なぜ、会いに行かなかった。
 ぐるぐる悔いが渦をまく。
 予感は、胸にあったはずだ。二度と会えなくなるかもしれないと。なのに、なぜ真っ先に、ファレスに会いに行かなかった。食事で入った居酒屋から、通りを三つ隔てた宿、そんなにも近くにいたというのに。
 あの時、会いに行っていれば、無理を押してまで出歩かなかった。
 見知らぬ土地の路地裏で、ひとり倒れることもなかったはずだ。今もきっと無事だった。なのに自分は、あの時、どうして──!

 体の血流を食い尽くし、今や隅々にまで巡った かの血・・・が 「力」が足りないと告げていた。
 もっと力が必要だった。これよりもっと強い力を欲している。もっと。もっと。
 もっと──!

 風に天幕がはためくように 《 あわい 》 の天蓋がひるがえる。
 乳白色の天蓋の、虹色の光彩が輝きを増す。
 彼方でかすかに鳴っているのは、ごー……と命のめぐる音。耳を両手でふさいだ時の、自らの体内の響きにも似た──
 
 《 ここにいる 》
 
                                       《 ここだ 》
 
           《 さあ、早く来い 》
 
 
 
 
 《 見ぃつけた 》
 
 
 ……誰の声?
 幼い子供と戯れるような、くぐもった男の笑い声。

 時間がねじれ、混在している。
 だって、それは、ずいぶん前のことだから。

 それは小さな女の子。
 大事に大事にかくまわれていた、セカイを救う盲目の。
 けれど、死神が見つけてしまった……

 時が、たわむ。
 光が、ひずむ。
 時と光が、ひるがえる。


 《 飼い主が どうにかしろ、と言われてもな 》

 《 俺も、たった今、思い出したところだ 》


 言い交わす「声」がした。
 光に満ちた膜の向こうで。
「光の中に佇む女」 と 「闇の陰にもたれた男」  
 どこかで聞いたことがある。
 記憶にあるその声とは、ひどく違っているけれど。


 《 つまり、あの竜に脅かされている、と?

 取り込まれれば、地平が消し飛ぶ?
        ── お前と心中しようってわけだ。

 なるほど事情は分かったが、俺になんの関係が?
 あいにく俺は、ただ働きはしない。
 何事にも見返りは必要。
 骨を折るなら、相応の対価が必要だろう?

 世の総和は、常にゼロ。これが世のことわりだ。
 こいつは取り引き。
 お前の頼みを聞く代わり、こっちの要求も呑んでもらう。
 なあに。大したことじゃない。
 事が成った暁には、そいつ・・・を俺に引き渡せ。

 よかろう。
 利害は一致した。

「逃げるなよ? 月読・・
 
 
 
 
 
 

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