CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章57
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「──もおぉぉー! なんでないのよ、一軒もぉー!」
 木立ゆれる緑の小道を、エレーンはてくてく歩いていた。
 ふくれっ面の腕組みで、緑あふれる平屋群を見まわす。お日様さんさん真昼の小道、乾いた土道の両側では、庭の生垣に絡んだ緑が、強い夏日にかがやいている。
 避暑地を思わせるほどうららかな、地方の閑静な住宅街。どこにも、だあれも歩いてない。むしろ、人がいなさすぎ。もっとも今は、真夏の午後の炎天下。生垣の隅に植わった梢が、時たまひょろりと揺れるくらいで、この道は基本、日陰がないが。
 ずーっと、ずーっと、果てしなく、平和で鄙びたよそ様のお宅が、延々代り映えなく連なっている。てか、もう見飽きたこの景色。
 汗をふきふき角をまがって、ようやく広い通りに出た。
 カンカン照りの車道をはさんで、所帯じみたカテゴリーの店が、通りにまばらに連なっている。八百屋、雑貨屋、履き物屋。乾物屋に金物屋、ダレたのぼりのお土産屋──店内はひっそり薄暗く、どこもシラっと開店休業。なんてやる気のない町だ。そりゃ、こんだけ大勢が暮らしていれば、破産のつぶれる心配もないんだろうが。
 通りの左のはるか遠くに、のどかな町にはそぐわない、いやに立派な石造建築。あれが役場か、この町の。
 きゅるるるるぅん……と、へんてこりんな音でお腹が鳴った。
 む? と無言でお腹を見おろし、辺りの無人を即座に確認、並木の日陰へそそくさ歩く。
 どさり、とベンチに腰をおろした。
 夏日にさらされ火照った顔を、ふぃー暑い暑い、とパタパタ扇ぐ。宿を出る時セビーの卓からガメてきた干物のスルメをちびちびかじり、水筒の水をごくごく飲む。汗にまみれた服の中が変な具合に蒸れていて、何気にかゆくて不快だが、そんなことより早急に取り組まねばならない事案がある。
「もぉー。なんでないのよ、定食屋がぁーっ!」
 いや、厳密にいえば、店はある。だが、どこもかしこも開いてない。もっとも、それも無理からぬことだが。
「あーあ、せめて一時間──いや、あと三十分早かったらなあ〜……」
 そしたらランチに間に合ったのにぃ〜、と地団太踏んで時計塔を見る。丸い文字盤の短針は「二」 長針は「五」の位置をさしている。つまりは二時半。なんて惜しい!
 舌打ちで見やった向かいの広場で、噴水が飛沫しぶきをあげていた。
 時計塔があるということは、この通りが目抜き通り、町の中心ということか。そのわりには造りがしょぼいが。てか、命に係わるお食事処は二十四時間やってて欲しい。
 確かにこたびの戦争騒ぎで旅のお客が激減し、閑古鳥も鳴いてるだろうが、地元の人たちは「おうちご飯」で外の飯屋にはつれないんだろうが、でも、そんなに潔く閉めなくたって〜。さっさと店を閉て切って、客室の掃除でもしてるのか? お食事処の営業は、たいがい宿屋を兼ねているから──。
 きゅるきゅるいななく切ないお腹を、うなだれた涙目で、よしよし、とさする。
「何時に開くのかな〜夕方は……」
 むろん即行、一番乗りだ。
 そしたら何食べよっかな〜? とうきうき俄然、夢想を開始。
 レノさまの顔見て、とっさに「ドーナツ」とか嘘ついたが、やっぱりここはがっつり焼肉。なにせ、お腹がピンチなのだ。どのくらいピンチかっていうと、大盛りご飯三杯くらいは軽くいけちゃうくらいの大ピンチだ。
 宿の外は商店街で、ご飯処もいくつかあった。けれどもみんな休憩中で、日が暮れたらば来てよね状態。以来、飢餓状態が続いている。むしろ、ぐんぐん増している。ああ、早く食べたい焼肉定食!
「てか、何時間あんのよ、店あくまでにぃー。それまで一体何してたら……」
 ベンチの背もたれに腕をもたせた、ダレきった態度で顔をしかめる。
「……ん?──あっ!?」
 わたわたベンチから跳ね起きた。
「レノさまのご用を片づけないと。たしか、"ルゼロ"とかって仕立て物屋に──」
 眉根を寄せて固まった。
 ……それはそうと店はどっちだ? と午後の通りをきょろきょろ見まわす。なにせ、土地鑑がないんである。まずは、場所の確認をせねば。誰かに訊かねば大至急。ちなみに「黒の上下」って、急なお葬式でも入ったのか? たしかレノさま、一番仕立てのいい奴とかって──
「……て、もらったっけ? お代」
 はた、と気づいて、斜めがけしたポシェットの中から、自分の財布をごそごそ取りだす。今はたまたまラトキエの制服を着ているが、商都じゃないから、ツケはきかない。いつもにこにこ現金払い、明朗会計実行中。
 財布をこじあけ、紙幣を確認。
 ぱちくりまたたき、首をひねった。
「ない、よね。やっぱり……」
 財布の中身は千カレント札が五枚と小銭が少し。一カレントも増えてない。そもそも増えた記憶もない。だったら、あれは
 夢だった?
「……や……そんなはずは〜?」
 確かにレノさまがそこにいたのだ。なんでか顔をのぞいていたが。
 ごそごそ元通りに財布をしまい、首をかしげかしげ、ベンチに歩く。絶対確かに言い付かったはずだ。夢というには、なんだか妙に生々しいし。やっぱり一応確認すべき? そういう店が実在するのか。だって、もし、本当だったら? 
 使えない奴と思われたくない。レノさまにだけは嫌われたくない──
 ふと、目をあげ、振り向いた。
「……え?」
 ぱちくりまたたき首を傾げる。
(おっかしいなあ……?)
 今、誰か見ていたような?
 町角の路地はひっそりと、濃い陰を落としている。人影は、ない。
 釈然としないながらも頬を掻き「ま、いっか」と歩き出した。用があれば、呼ぶだろうし。そんなことより開店してやって定食屋みせがいっこもないな目抜き通りのくせに。それにつけても、
「おなかすいたあー!」
 見覚えのない部屋を出て、宿の古い階段をおりると、ホールの窓際の円卓に、突っ伏して寝ているセビーがいた。
 だが、お腹がすいたとわめいても、両手で肩を揺すっても、セビーはまったく起きようとしない。うつぶせの背中に乗っかって、めそめそべそべそ訴えもしたが、ぐーすか、よだれで寝ているばかり。
 やむなく、たかるのは諦めて、ご飯を求めて外に出た。
 が、そうは問屋がおろさなかった。
 てくてく腕組みで歩きまわり、町中ぐるぐる回ったが、民家ばかりだ。民家しかない。
 お茶処ならチラホラあったし、小じゃれたお茶屋も、あるにはあった。店先に出した円卓の見本は、白い大皿にちょっぴり盛った一切れの肉と鮮やかな野菜。前はああいうの大好きだったが、あれじゃてんで話にならない。まったくなんの冗談だ、スズメにやるご飯かと、シラっと嘲笑ってやりたくなる。
 そうだ。今は倹約第一。
 ちょっぴりしかない軽食なんぞにうつつを抜かしている場合じゃないのだ。懐具合が寂しいのだ。ご飯は基本、がっつり大盛り。なんてデリカシーのない男だと、あざけりもしたけれど、今ではまったく同感だ。ぶっちゃけたらば、あれっぱかしじゃ食った気がしねえ。きっとファレスもそう言うはずで──
「……ファ、レス?」
 鋭く、息を飲みこんだ。
 記憶がこみあげ、目をみはる。そう、だって、ファレスは──
 ──ファレスは、どこ!?
 突き当りの役場に背を向けて、あわてて道を駆け出した。
 宿の部屋にはいなかった。店にはセビーが一人いただけ。ならば、馬車に居残っている。だが、宿の通りは建て込んでいて、停められるような場所はなかった。そもそも、どこも道幅が狭くて、荷馬車でさえ停まってない。だったら、馬車がある場所は──
 午後の目抜き通りを、ひた走る。ゆるく湾曲した人けない道。 
 建物が途切れ、行く手がひらけた。
 青空ひろがる左手に、赤い屋根の掘っ立て小屋。軒下に置いた日陰の椅子に、くっついて座った老人が三人。町の出口──
 街道だ。
 走り出、急いで左右を見る。
 青い空、白い雲。田園風景を貫いて、どこまでも伸びた白い道。右の道端みちばたにぽつんと一つ、幌つきの馬車が停まっている。右折し、道を駆け出した。
 その佇まいに見覚えがあった。ベルセのあの商店から、レノさまが買いあげた、
 ──あの馬車だ。
 馬車を目指してひた走る。息せき切って乗りこんだ。
「ファレス!」
 積み荷のない荷台の中は、がらんと広く静まっていた。
 年季の入った木板の隅に、古い毛布が落ちている。奥へ歩いて、片手で毛布を持ちあげる。
 エレーンは軽く息をついた。
「……いるわけ、ないか」
 ここに、ファレスがいるはずだった。今でも記憶は鮮明なのに。
 手が、まだ覚えている。
 見た目の線の細さからは思いもかけない体の重さ。肩に当たる鼻のおうとつ。手のひらの下の頭の形。硬い肩。冷たい頬。乾いて切れた血の気のない唇。けれど、現にファレスはいない。ならば、やっぱり、あれも──
「……夢ぇ?」
 拍子抜けして、へたりこんだ。
「もぉおー。どーなってんのよ、また夢とかぁ。この暑いのに走っちゃったじゃないよ〜……」
 はー……と盛大な溜息で、後ろ手をついて、足を投げる。
「なんかもー、ろくなことない。お昼ご飯は食べそこねるし、結局ファレスはいなかったし、なんか全然知らない内に、おでこにタンコブできてるし」
 額を触って口を尖らせ、幌の布壁によりかかった。まったく何がどうなっているのだ。
「……夢、かあ」
 幌の天井をぼんやりながめ、疲れた瞼をそっと閉じた。
 
 そういえば、ずっと夢を見ていた。
 ずっと誰かが呼んでいた。立ち込めた揺らぎのかなたから。あれは誰の声だったのか──。
 しきりに語りかけていた。戻ってくるよう呼んでいた。
 けれど、あそこは馴染みの場所で、さほど怖いとは思わなかった。
 何度も夢でみる場所がある。
 いつも、その場所に辿りついてしまう。どこか不思議なあの場所は、そのたびに姿を変えるけれど。声は、戻るよう警告していた。
 何をそんなに、懸命に訴えていたのだろう。
 とても重要なことだった気がして、声の記憶をたぐり寄せる。
 意外にも覚えていた。一語一語はっきりと。いや、いくつもの声の言葉の意味が、今ようやく追いついた。
 
『 できれば君には、こんなことしたくはないんだけど── 』
 
 でも、君に意識があると、僕を拒んでしまうから。
 
 どうしても、君に来てほしい。
 少し痛いかもしれないけれど、すぐに済むから我慢して。
 すまない。けれど、大丈夫。君を殺しはしないから。
 
 声から放たれた燐光は──一瞬で飛来した白刃は、だが、直進の軌道を大きく逸れて、ゆらぎの後方へ飛び去った。
 二度、三度と後に続くも、蛇のように素早く蛇行し、いずれも軌道を逸れていく。
 三度、白刃は飛んできた。
 そして、燐光を放った彼方の主は、それで諦めたようだった。
 
『 ──これでも駄目か 』
 これじゃ埒があかないな。
 
 それからどれくらい経ったのか、息が詰まるほどの衝撃があった。
 背中の後ろから巨大なものに、容赦なくはたかれた・・・・・ような。意識が一瞬で吹き飛ぶほどの、何かとてつもなく強い力で。
 それきり、何もわからなくなった。
 そよ風になでられ、気がつけば、あの宿の寝台で寝ていた。一体、あれは何だったのか──いや、目覚めた今なら、理由もわかる。あの燐光が、ぶつかったのだ。
 後方へ飛び去った白刃は、つまるところ届いていたのだ。ゆらぎに行く手を阻まれて一度はかき消えた音声が、大分遅れて届いたように。
 脈略なく立ち現れる見えない壁で跳ね返り、いくつもゆるやかに螺旋を描き、時空のひずみを経由して。
 そう、白刃は時を経て、三方から・・・・戻ってきた・・・・のだ。彼が想定したのであろう当初の三倍もの威力・・・・・・・・・となって──

「……なあんてね」
 目を開け、軽く息をついた。
 さ、ご飯食べに行こ、と寄りかかった背を起こす。
 こだわったところで仕方ない。その謎を解き明かしてみせたところで、夢はしょせん夢でしかないのだ。それにしても夢ばかり。あれも夢で、これも夢。ファレスの惨事が間違いだったのは良かったけれど、会えなくて残念な気も、ちょっぴりする。
 手をついて立ちあがり、両腕をあげて、伸びをする。
 ふと、またたいて、手を下ろした。
 荷台の外を、怪訝に見やる。外が急に騒がしくなったような?
 へ? と思わず見直した。
 あんぐり口をあけ、首をかしげる。
(……なにやってんの?)
 五人ほどもいるだろうか。街道の彼方、町の方から、男たちの一団が駆けてくる。大の男がまなじり吊りあげ、大真面目な顔つきで。このまだ暑いさなかに、徒競走でもしてるのか? それとも金でも賭けている? 今日は誰が一等賞か。てか、なんだかどうも、こっちをめがけて
 ── 突進してくる 気がするが?
 あれよあれよという内に、先頭走者が荷台にタッチ。
 一直線に駆け込んだ。どやどや荷台に乗りこんでくる。
 ぐるり、と取り囲んだ一団の顔を、尻もちついて、後ずさって見まわす。「──えっ? えっ? あの、どちらさま?」
「やっと見つけたぜ、この野郎!」
 ぐい、と腕をつかまれた。
 いや、知り合いみたいなこと言ってるが、見たこともない人たちだ。言っちゃ悪いが、一人残らず人相が悪いし。──あ、どっかの店の用心棒とかか?
 心当たりはさっぱりないが、なぜだか、みんな怖い顔つき。ひとまず、へらっと、引きつり笑いで媚を売る。「……や、なんか、人違いとかじゃ……これだって、ちゃんとウチの馬車だし、なにか盗った覚えもないし──あっ、無銭飲食とかもまだしてな──」
 にやり、と男が口端をあげた。
「ジャイルズさんがお待ちかねだぜ」
「……え」
 眉根を寄せて固まった。この頃ちょっと、それどころじゃなかったけども、正直すっかり忘れていたけど、実はちょっと飽きてもきたけど、そうか、また、
 ──ジャイルズさんかー!?
 あわあわ涙目で四つん這い。
 青空ひろがる街道めざして、荷台の端へわたわた這いずる。「わ、わざわざ来てくれて悪いんだけど、今ちょっとお腹すいてて、そっちの話は、ご飯食べてからってことに……っ!?」
 ごとん、と不吉な音がした。
 馬車の荷台が、ぐらりと揺れる。
「え゛?」
 眉根を寄せて(……まさか)と固まる。ガラガラ車輪の回る音──。
 五人の賊に取り囲まれて、馬車が街道を走り出した。
 
 
 

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