CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章58
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 ひやり、と冷たい指先が触れた。
 額からこめかみへ、右の頬から首筋へ──
 まずい、とようやく気がついた。
 今更ながら舌打ちする。一体、何をぼんやりしていた。こんな事態に陥るまで、諾々として放置するとは。
 指は喉の横あたり、頸動脈を押さえている。
 刺客に捕らわれた、とようやく悟った。
 最期の時が来たのだと。
 ファレスは体の力を抜いた。もう、やり合う気力もない。
 
 頸動脈を圧迫されて、次第次第に意識が遠のく。
 かたわらに、巨大な気配を感じた。
 理屈でもなく経験でもなく、勘のようなものが働いた。そうか、と唐突に腑に落ちた。
 ──死神が、来た。
 実在するのだ 「死神」は。比喩でも空想でも何でもなく。
 それは、生の終わりを告げる者。「人生の最期に出会う者」 出会ってしまえば、逃れられない──。
 力を抜いて、身を委ねる。
 抵抗する気は起きなかった。苦悶も恐怖も断末魔もない。密かに恐れ続けた死とは、こうもあっさりとしたものか──。
 凪いだ湖面を見るような、静かな諦めだけが、そこにあった。
 あらがったところで、すべては無駄だ。この相手は手に余る。そして、もう・・出会ってしまった・・・・・・・・。未練、と呼べるものなら、ないでもないが──
 ふっ、と首から圧が消えた。
 するりと指が離れていく。
 甘美な陶酔を取りあげられて、軽い失望に襲われる。指は首筋を伝っている。気まぐれに。戯れるように。むしろ、愉しんでいるように。
 ぼんやり霞んだ意識の片端、皮肉な冷笑が薄くかすめた。命乞いでもさせる気か……
 今更だった。
 そんなものは今更だ。すぐそこにまで死神が来ている。
 焦らすつもりか、いたぶるつもりか、指はゆっくり降りていく。やはり、確実に心臓を突くか──
 手が襟首に滑りこみ、シャツの前立てを払いのける。
 慣れた手つきで、鳩尾みぞおちあたりのボタンをはずし──
 
 ……し?
 
「──何しやがる!? 変態野郎っ!」
 がばっ、とファレスは跳ね起きた。
 頭の霧はただちに消滅、逆毛を立てて睨めつける。そうだ。なぜ、服まで脱がす必要がある!
 あ、起きた、と指さしたのは、ここで会ったが百年目。そう、忘れもしない商都の宿敵!
「てめえ赤頭っ!? 今何しようとしやがった! ひとが動けねえのをいいことに!」
 商都の赤頭こと宿敵レノが、うるさそうに顔をしかめた。「なんだよ、全然元気じゃねーかよ。だったら返せよ、俺の護符。いつまでも死んだ振りしやがって」
「振りなんぞしてねえ!? 起きられるもんなら、もうとっくに──!」
「起きてんじゃん」
「──。おっ──起きた、けどよ……」
 う゛っと詰まって、頬が引きつる。
 せめて向かいをガン見しながら、なぜか、ぬらりと濡れていた自分の唇を腕でぬぐう。
 はた、と飛びあがって振り向いた。
「い、いや! 違う! そうじゃねえ!」
 じりじり布壁に後ずさり、向かいの男をねめつける。「……てめえ、乳首触ったろ」
「あ。悪り。感じちゃった?」
「今、ぜってえ脱がそうとしたろ!」
「そうだと言ったら?」
 う゛っと返す言葉に詰まった。
 おののき、顔をゆがめてレノを見る。「──なっ、なに平気で言ってんだド変態!? ひとが正体ないのをいいことに!」
「あんな切なそうな顔してたくせに」
てめえが悪ふざけして 死神連れてきたからだろうが!?」
「死神?」
 くすり、とレノがおかしそうに微笑った。「ずいぶんロマンチックなこと言うんだな。なに、俺に殺されると思った?」
 あっさり心を見透かされ、顔をしかめて目を背ける。「──くだらねえ悪ふざけしてんじゃねえ」
「そんなに好き? 俺のこと」
「──どんな耳をしてやがる!? 言ってねえぞ!? いっぺんも!」
「心配しなくても遊んでやるって」
 しゃがんだ膝に腕を置き、レノはにんまり手を伸ばす。「ちゃんとキレイにしてからな」
「……」
 ポンポン頭をなでている。そこらの子供にするように。
 はた、とファレスは振り払った。
 ぶんぶん首を横に振る。危ねえ。危ねえ。あまりにぶっ飛んだ言い草で、思考がうっかり停止したが、まったく、なんてやべえ野郎だ。ちょっと気ぃ抜いて油断すると、危ねえ道に引きずり込まれそうになる……
「て、てめえ、ひとをバイ菌みてえに──」
 冷や汗ふいて睨みつつ、くん、と自分の腕を嗅ぐ。
 うげっ、と沈没、顔をゆがめて悶絶した。「くせえ……」
「だろ?」とレノが肩をすくめた。「こんなすげえの、よく抱えていられたもんだぜ。根性だけはマジであるわ、あいつ」
 ぺちゃっ、と何かを押しつけた。
「……なんだ、これは」
 指の先でつまみ上げれば、ぐっちょり濡れそぼった──ぞうきん、か?
「起きたんなら、自分でやって」
 目で、床の隅をさす。「感謝しろよ? 川まで行って、わざわざんできてやったんだからな」
「……。お、おう。すまねえ」
 桶だ。半分ほど、水が入っている。
 濡れそぼったぞうきんを、所在なくもてあそんだ。うっかり礼を言ってしまったが、どうも何か釈然としない……
 はた、と顔を振り上げた。
「ち、違う! そうじゃねえっ! そうだてめえ赤頭っ! そもそも、なんで、てめえがいる!?」
「俺がお前を買ったから?」
「買っ──?」
「これで、借りは返したからな」
 切り上げ、レノが立ちあがった。
「借り?」
 ……なんぞこいつに貸してたか? と怪訝に首をひねった隙に、馬車の荷台を蹴りやって、とん、と街道に飛び降りる。
「行ってくる」
 ファレスは外に目をやって、溜息まじりに顔をしかめた。「……お前も好きだな。こんな所でまで女かよ」
 町の入り口の木の下に、若い女の二人連れ。
 くすり、とレノが肩越しに笑った。「焼いてんの?」
ちげえだろっ!? てめえのイカれた頭には、アレのことしかねえのかよ!」
「他に何があるっての?」
 きょとん、とレノが顔を見た。
「食って出して殖える。たかが生き物、それだけやっときゃ十分だろ。──ああ、お前、その服もうダメだろ。カラダ拭いたら着替えれば? ちゃんとできたら、褒美をやる」
「……あ゛?」
 罵倒を返す暇もなく、鼻歌まじりで歩いていく。──いや、肩越しに、笑って一瞥をくれた。
「イイ子にしてろよ? 子猫ちゃん」
 ついに絶句したその前で、ぶらぶら道を離れていく。隠しに両手を突っ込んで。
 ファレスはひとつ、またたいた。
「……こうやって……女をたぶらかしてんのか、あいつ……」
 なんとはなしに頬を掻き、荷台の隅へと目を戻す。レノが示した床板に、無造作に置かれた布切れの山。なにげなく取りあげ、両手で広げる。
 ぅげっ、と片頬ひくつかせた。
「これを、俺に着ろ、ってか……」
 でっかいお花の真っ赤な柄シャツ。
 
 
「誰がきくかよ、あんなイカレ野郎の言うことなんざ。こっちは先を急いでんだよっ」
 川でザバザバ体を洗い、ファレスはしかめっ面でぶつぶつごちた。
 馬車から持ち出した大きめのタオルで、頭と体をごしごしふきやる。そうだ。さっさと行かないと。ここでモタモタやってたら、あの破廉恥野郎が戻ってきて、変態なことをされてしまう。
 赤頭が置いていった赤の柄シャツに腕を通す。どうにも頭の悪そうな格好だが、今はやむなし、贅沢は言えない。ズボンや靴はともかくとして、今まで着ていたシャツの方は、得体の知れないすえた匂いで、洗濯しなけりゃ使い物にならない。ちなみに、なんでタンコブできてんだ? 
「まずは馬か」
 首をかしげて額をさすり、土手上に停まった幌馬車をながめた。だが、あれは赤頭の馬車……
 土手下の川沿いに広がった雑木林へ足を向けた。
「預かり賃ケチったシケた野郎が、そこらに繋いでいねえかな」
 そうだ。まずはアシの確保だ。隠しに残った数枚だけでは、寝泊まり、飲食にも支障をきたす。中継地点の町に行き、何はさておき早急に路銀を──いや、連絡要員の鳥師を確保だ。
 ぐうぅぅ〜、と唐突に腹が鳴る。
「……。いや、町に着いたら、まずは飯だな」
 ひもじい腹を両手でさすり、何を食うかな、と首をかしげる。
「ま、焼肉定食だろ、当然ここは」
 考えるまでもなく、ただちに即決。何はさておき肉だろ肉。
 それにしても、よく寝たな。むしろ寝すぎで肩凝った……とぐるぐる利き腕をぶん回し、首をひねって藪を掻く。それにしても珍しく、今回はずいぶんかかったな。いつもだったら、こんな怪我、とうの昔に治ってんのに──
「……お?」
 ひっそりと緑梢きらめく、目立たない場所を見咎めた。
 少し入った木陰に栗毛──いや、とファレスは首をひねる。
「この辺りの馬にしてはデカすぎるな」
 荷馬という風情ではない。むしろ、どうみても、これは軍馬。つまり、
「なんで、あんだ? 部隊の馬が」
 現在、部隊の駐留位置は、トラビアの南、トラムのはずだが。
 きょろきょろ、辺りをさりげなく確認。くくった木から手綱を外し、草むらに隠してあったらしい、使いこんだザックを取る。「……いいよな? 部隊ウチの馬なら、もっていっても」
 なんでか、ちょうど備品もあるし。
 馬を連れて斜面をあがり、土手の上の街道にあがった。
 東の先に見えている最寄りの町の方角へ、内心ほくほく歩き出す。
 ぴたり、と三歩で足を止めた。
「……。あそこは、赤頭がいやがるな……」
 くるり、と急きょ方向転換。
 西に向けて、かかとを下ろし、何事もなく歩き出す。
「にしても、飯食いに行ったはずなのに、なんで急に、こんな所で寝てんだ?」
 馴染みのない街道を、今更ながらやぶ睨み。
「とっとと阿呆をふん捕まえにゃならねえってのによ」
 その名を口にした途端、にんまり笑ったあの顔が、ぼんっと脳裏に弾け出た。
 うっ、と反射的に渋面になる。
「たく! どこまで行きやがった、あの阿呆が!」
 苦虫かみつぶした舌打ちでごち、無言でさりげなく、もそりと身じろぐ。
 ぽくぽく馬をひきながら、上目遣いでむくむく思案。ところ構わずぺたぺた触り、えへえへまとわりつく人懐こい顔……。あの阿呆をとっ捕えたら、今度こそ、とっちめてやる。もう、絶対に逃がさねえ。ふらふら飛んでいかねえように、どこかにきっちり閉じ込めて、あんなことやこんなことや──
 はた、と足を止め、顔をゆがめた。
「……それじゃ俺、変態じゃねえかよ」
 それ、ダメな奴じゃねえかよ……と腕を組んでげんなり嘆息。それでは同類になってしまう。イカレポンチの赤頭と。
 むろん、荒っぽい商売柄、女を買うことも、たまにある。むしろ、そういうのはザラにある。だが、店で媚売るあれらは「女」 店の商品、問題ない。だが、あんぽんたんに関して言えば、阿呆はやはり、どこまでいっても阿呆なのであって、ちゃんとした・・・・・・「女」とは若干成分が異なるというか──
「──いや、そんなこたァ後でいい!」
 ばりばりしゃにむに頭を掻いて、西へと伸びた街道を見据えた。すべてはアレを捕まえてからだ。今度、阿呆に会ったなら、次こそ必ず
 かっさらう。
 
 
 

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