CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章59
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 不気味な沈黙が、馬車を満たした。
 あんなにやかましかったジャイルズの手下が、口をつぐんで互いを確認、険しく視線を走らせている。
「……おい。どうなってんだ」
 声を落として隣をつつく。
 何か様子が変だった。瞬時に張り詰めた警戒が、事態の異常さを示している。
 街道の起伏でゴトゴトゆれる音だけが、静まり返った荷台に響く。
 それからどれくらい走ったか、速度が落ちて、やがて停まった。
 聞き耳を立てる車内の耳に、のどかで不気味な沈黙が落ちる。
 手下たちがすばやく目配せ、一斉に刃を引き抜いた。
 夏日に乾いた、荷台の外の土道を睨む。
 ぽっかり空いた半円の枠に、鄙びた街道が続いていた。積み荷の落下防止の役割の、低い木柵の向こう側──。
 低く身構え、手下は近づく。
 押しやられた荷台の奥で、エレーンはびくびく縮こまった。あの殺気立った様子から察するに、彼らが把握しているのとはまた別の、おそらくは敵対する勢力に、馬車を乗っ取られたということらしい。
(ちょ、ちょっとやだ。やめてよぉ〜。ここでならず者の抗争とか〜……)
 顔をゆがめて布壁に張りつく。
 手下だけでもピンチなのに、よりにもよって今の今、なぜ、そんなものが勃発するのだ。裏社会のいざこざになんか、極力絶対巻き込まれたくない。
 街道を見据えるどの顔も、険しく目をすがめている。
「……誰だ」
 白く乾いた街道が、西からの夏日に照らされていた。
 すべてが凪いだ午後の道。誰何の返事は、どこからもない。元より人相の悪い面々が、さらに凶悪な顔つきになる。
 仲間に顎をしゃくられて、一人が様子をうかがうべく、そろりと外に肩を乗り出す。
 ふっ、とその背が掻き消えた。
 一同、目を剥き、怒号で殺到。
 次々、その背が掻き消える。
 あぜんとエレーンは固唾をのんだ。一度に出口に殺到したから、そろって木柵につまずきでもしたのか? いや、最後の手下が消える前、襟首をつかんだ"手"が見えた。
 荷台の外から伸びた片手が、地面に叩きつけるように投げ飛ばし──
 ひらりと影が、上空に舞った。
 とん、と足が荷台に降り立つ。
「──案の定だ。たく」
 奥へと足を進めつつ、人影は視線をめぐらせる。さらりとした薄茶の頭髪、前髪の下の鋭い目、敏捷そうな引き締まった痩身。
 己の仕打ちを思い出し、認めた頬が知らず引きつる。そう、何を隠そうあの彼は、ノアニールの街に置き去りにした……
「や、やーん。もぉー元気だったあ?」
 お愛想笑いをとっさに浮かべて、エレーンはそわそわ後ずさる。「ごきげんよお、ザ──」
「ごきげんよう、じゃねえでしょ、まったく」
 ザイが腕組みで嘆息した。「ほとほと愛想がつきましたよ。なんで、あんたは、勝手にふらふら出歩くんスかねえ」
「あっ──ね、ねえ! そんなことより!」
 じとり、と気まずい空気を押しのけ、あたふた外に指をさす。「ほら! なんかとっても大変なことにっ!」
 それでも目をそらさないその脇を、そそくさ急いですり抜ける。
 ぐい、と首根っこつかまれた。
「はい、見えないー」
 どこか投げやりな声と同時に、ぱっと視界が真っ暗に。
 はあ……とエレーンはうなだれた。又か、
 目隠し。
 そうする間にも外からは、ドカッ、バキッ、ぐえっ!?──などと、いつぞやのような不審な物音。
 ややあって音は止み、目隠しのザイの手がゆるむ。
「……もー。なんでするかなあ、いっつも、そういう悪ふざけをぉー」
 ぶちぶち抗議の口を尖らせ、ゆるんだその手を両手で押しやる。ちなみに今回の物音は、あっさり五回ほどで終了した。時間にして約五秒というところ。
 夏日射しこむ荷台の出口、外との境を振りかえり、今度こそ嬉々として駆け寄った。
「やーん。会いたかったあー! せれす……」
 ふと路上で振り向いた顔に、あれ? とまたたき、停止した。
 地面に伸びた手下どもの中央、にっか、と笑いかけたのは、首に金鎖した太鼓腹のおじさん。シャツの腹で伸びきっているのは、単純な絵柄のウサギの顔。いや、どっかで会ったぞ? このおじさん……
「無事かい? 姫さん」
 太鼓腹だが意外にも、とん、と身軽に乗りこんでくる。
 ずかずか荷台に踏み込んで 「──にしても」と眉をひそめて振り向いた。
「へえ。マジだよ。ぴんぴんしてるぜ」
 腕を組んで首をひねり、何が不思議かまじまじと見ている。そう、まじまじと。まじまじと。
 ……ちょっと、なによぉ? と引き気味で顔をしかめていると、ザイが荷台の奥へと振り向いた。「出せ」
「了解。班長」
 御者台の方から、返事があった。
 道で伸びた手下を置いて、ぐんぐん馬車は走り出す。
「……は、んちょお?」
 聞き慣れない名称に、思わずザイの顔を見た。
 ひょい、と指で、ザイが自分の顔をさす。「班長」
 引きつり笑いで後ずさった。「そっ──そーなんだー、ザイが "班長" へえぇ〜……」
嘲笑わらったでしょ、今」
「まっ、まっさかあ〜……」
 ちょっとかわいいと思っただけだ。
「そ、それより」
 とっとと話を変えるべく、荷台の布壁をきょろきょろ見まわす。「ねー、セレスタンはー?」
 すばやく、二人が目配せした。
 太鼓腹のおじさんが、頭を掻いて目を背ける。どこか苦々しげな顔つきで。
 ちらと、ザイが目を向けた。「気になりますか。そんなにあいつが」
「そっ、そりゃあね。友達だもん」
「いつもは訊かないでしょうが、そんなこた」
「だってえー。やっぱ、顔見たいし」
「たまにあんたは、嫌になるほど鋭いスね」
 往生したように天井をながめ、ザイが「わかりました」と向き直った。
「殴っていいスよ、俺のツラ」
 ばちくり、エレーンは見返した。「……は……えっ?」
とう数えますから、その内にどうぞ」
「──や、どうぞ、って言われても」
「十、九」
 あわあわ無為に辺りを見まわす。「ぶ、ぶっていいってこと? でも、なんで」
友達ダチなんでしょ、あのハゲの。──八」
「──そっ、それはそうだけど。でも、」
「七」
「なんで急に、そんなこと言──」
「六」
「えっ? えっ? えっ?」
「五」
 ちら、とザイが盗み見た。
「四、三、二──」
 一気にそこまで数えあげ、「一」とザイが振りかえる。
「惜しいことをしましたねえ」
 いかにも残念そうに顔をしかめて、ぬっと顎を突き出した。
「こんな機会は二度とないスよ?」
 じわじわ、なんでか負けた気がして、むう、とエレーンは顔をゆがめる。「……ちょっとお。なんで最後は、あんな早口?」
 ズルでしょ、ズルじゃないスよ、とやり合う間にも、馬車はゴトゴト、結構な速さで進んでいく。
「それで、どこよー、セレスタンはぁー」
「あいつはちょっと、野暮用で」
 さらりと今度は受け流した。「で、あいつの代わりにロジェとレオンが──」
「ロジェって?」
 太鼓腹のおじさんが、ひょい、と指で自分をさす。
「ロジェ」
 横目でチロっと(忘れた?)と言わんばかりの非難がましい目。
 エレーンは引きつり笑いで手を振った。「あっ、……うんうん、そういえばっ!──じゃ、じゃあ、レオンっていうのは──」
「ほら、いたろ、顔が長くて、でっかい奴が」
 太鼓腹のおじさんロジェが、御者台の方を顎でさす。「ほら、こう、つぶらな瞳の」
 親指と人差し指の隙間で 「ちっこい目の」と念入りに追加。
「ところで、なんスか、その成りは」
 ザイがじろじろ、こっちを見ている。
 ……んん? とエレーンは我が身を見た。そういや今の服装は、ラトキエ領邸メイド服──
 制服のスカートの両脇をつまんで、照れ隠しに、でへへ、と笑う。「あっ、そんなにかわいい? あたしってば?」
「自分が追っかけられてんの、あんた、本当にわかってんスか」
 ザイは溜息まじりに額をつかむ。「そんな目立つ成りだから、一発で敵に見つかるんでしょうが」
「あっとぉ──そっ、そういえば!」
 説教開始の雲行きを察して、わたわたエレーンは話を変える。「ね、ねぇえ? なんで、みんなは、あそこにいたのぉー?」
 急に馬車が動き出したのは、バールの町のすぐ近くだ。
「悪い奴ってのはいるもんで、馬、持ってかれちまいましてね」
 預かり賃ケチったのが、まずかったんスかねえ、と苦虫かみつぶしてザイはごちる。
「荷物までられちまって、どうしたもんかと思っていたら、これがなんといい具合に、馬車があるじゃあーりませんか」
 う゛っ、とエレーンは引きつり笑った。つまりは 物色 してたってことか?
 助けてもらっておいてアレだが、釈然としないのは何故なのか……。
 ともあれ、揉み手の上目づかいで、伺いを立てた。「それでそのぉ〜、この先は……」
「当然、商都に即時連行」
「あっ、やっ! でも、あのぉ〜!」
「と言いたいのは山々だが」
 荷台の外を、ザイは見る。
「商都への道中、厄介なのがはびこってるんで、そっちの方が片付くまでは、ひとまず直進しますかね。他にも、まだ質問が?」
 はた、と気づいて、反射的にがぶり寄った。そう、超重要案件が。しかも、最上級の緊急を要する──。
 胸倉つかまんばかりに、ザイを凝視。
ご飯はいつ?
「あんたはいつでも腹ぺこなんスね」
 つけつけザイは言い返す。
「副長が飯やりたくなるのもわかりますよ、うっすらと。ま、言いたいことは色々あるが、ひとまず食いにいきますか」
「わんっ!」
「……わん?」
 ぶんぶん振れる犬のしっぽが脳裏をよぎり、とっさに喜びを表現すると、ザイが嫌そうな顔をした。
 
 
 太鼓腹ロジェの手を借りて、荷台から地面に降りたつと、日の暮れた街道は、ほんのり青く、涼やかだ。
 御者台から降りてきた人影が、荷台を回りこんでやってきた。
 薄闇の夕刻が始まった、街道を背にした大柄な人影。「レオン」とザイが呼んでいた人だ。他の二人が目もくれない中、まっすぐ大股で近づいてくる。
 エレーンはもじもじ、あやふやに笑った。確かに初対面ではないのだが、どこで会ったか思い出せない。
 長い顔の大男は、目の前まできて足を止め、じっと無言で顔を見ている。
 つぶらな瞳がみるみる潤んだ。
「──え?」
 がっし、と両肩がつかまれて、逃げる間もなく抱きつかれる。
「よっ、よかったなあ、あんたっ!」
 つぶらな瞳の大男が、ばんばん肩の後ろを叩いている。「よかったよかった! 元気になってっ!」
 おいおい泣きださんばかりの感激っぷり。涙目でぐしぐしはなをすすり、かかえた頭のてっぺんを、ぐりぐり大きな平手でなでくる。
 頭のてっぺんまで埋まりつつ、エレーンは顔をゆがめて突っ立った。盛り上がっているところ、水を差すわけにもいかない。

 ザイが乗っ取った幌馬車は、午後の街道をぐんぐん進み、座りこんだ荷台の隅でうつらうつらし始めた頃、小さな町に到着した。
 そして、彼らは何軒かまわって、今宵の宿をようやく決めた。ずい分長らく焦らされて。ロジェによればポイントは、付近に街路樹があるかどうかだ。て、店の近くの街路樹は、ご飯がおいしい印なのか?
 まあ、選定基準は解せないが、今は、食べられれば、何でもいい。
 すいたホールの片隅で、「待て」を食らったご飯にがっつく。
 積んだ皿を見やったザイに「よく食いますねー」と呆れられ、満腹になったお腹をかかえて、ご機嫌で二階にひきあげる。むろん部屋は、ザイたち男どもとは別々だ。
 部屋に入って窓を閉め、メイド服から普段着に着替えた。それがザイからの言いつけなのだ。
 疲れた体を寝台に投げると、睡魔はすぐに訪れた。
 それからどれくらい眠っただろうか。
 うつらうつら夢を見ていた。
 誰かに肩をゆすられて、顔をしかめて目をこすった。
「……もー。ちょっと、なにすんのよぉー。ひとがせっかく、いい夢をぉ〜……」
 不機嫌なあくびを中断し、はた、とエレーンは飛び起きた。鍵はきちんと、かけたはず。部屋に人がいるはずが──
 かたわらの人影が顔を覗いた。「おや、いいお目覚めで」
「なっ、なんでいるのよ!?」
 わたわた上掛けをひっつかみ、後ずさって見まわした。いつからいたのだ、つまりは夜這いか? てか、こっちがぐっすり寝ている間に、変なこととか、しなかったろうな!?
 構わずザイは身をかがめ、どこかへ子供をどかすように、両脇の下に手を入れる。
 難なく持ちあげ、窓へと移動。
 向かいの建物の色合いは、もうすっかり夜の風情。そう、窓はなんでか全開。──て、閉めたぞ窓もきっちりと!? まさか、ここから入ってきたとか? いや、一体何のために? そもそも夜中に叩き起こすとか、嫌がらせとしか思えない。いや、嫌がらせにしたって度を越してる!
 何かやったろうか怒らせるようなことを……? とそれについて頭を絞るが、あまりに前科がありすぎて、原因がさっぱり特定できない。今一つだけわかっているのは、ザイがやっぱり、すんごく怒ってるということだ。いや、理由はやっぱりアレだろう。ノアニールの街中に
 ──置き去りにしたからかー!?
 様々な思いが錯綜し、一体どんな目にあわされるのか……と戦々恐々身震いした時だった。
「はい、行きますよー」
 しごく気軽なかけ声で、二階の窓からほうり出された。
 
 
 

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