CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章61
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 闇を四角く切りとって、通路の往く手に出口があった。
 出口をくぐり、ふとエレーンは合点する。なるほど、ここだけ人が少ないとは思っていたが──。
 赤サビがういた鉄扉があった。ランタン売りが集まった幻想的なこの界隈は、入り口と裏口を開け放した古い倉庫の中だったらしい。
 その向こうは図らずも、隣の通りへ続いていた。あの「気」を強く感じる方へ。
 倉庫を抜けたのが幸いした。この抜け道に入らなければ、もっとかかっていただろう。一本向こうの通りを歩く、彼の姿を見つけるまでに。
「──ケネルっ!」
 混雑する人波のかなた、白茶けた建物群の一区画先。
 垣間みえた横顔は、だが、こちらの呼びかけに応じるどころか、声に気づいた様子さえない。店の商品に気をとられているのか、馴染みのない地方の通りに、まさか自分の知人がいるとは、端から思いもしないのか──。
 宵にざわめく人波の中、ケネルの黒髪が遠ざかる。
「ケネルっ!──待って! ケネル!」
 一心に呼ぶが、活気に呑まれる。
 雑踏に進路をはばまれる。木箱の上に商品をならべ、壁で暇そうに喫煙する男。腰をかがめて品をる客。買い物かごをさげた女性。折悪しく今が一番、人出のある時間帯だ。建物の立てこむ狭い通りは、夏の日中の猛暑をさけ、涼しい夕方を狙いすました、買い物客でごった返している。
 大ザルに盛られた黒い実の山。天板の向こうに座った老婦。赤い実を天秤にのせ、目盛りをすがめ見る白髪の店主。タライに塩を盛る粉売りの親父。道ばたにある標識によれば、屋台ひしめくこの道は「市場通り」であるらしい。
 まるで知らない街の夕刻。
 壁から突き出た布のひさし。弓形にられた建物の石壁。店の入り口に置かれた看板。扉の上の金の鐘。はがれかけた掲示物。ランタンの灯りに照らされた、延々つづく白茶けた壁が、不思議な美しさをかもしている。
 風雨にさらされたレンガの壁に、両側をはさまれた道だった。
 黒鉄の手すり、二階の入り口につづく階段。薄茶色の土壁の、高い位置から吊られた絨毯じゅうたん。ぽつんと壁に外灯のともる、不意に現れるひと気ない路地──。
 前の男が振り向いて、迷惑そうに舌打ちした。
 無我夢中で進もうとしたから、背中を押しでもしたのだろう。しかめた顔にあわてて謝り、脇を横向きにすり抜ける。
 爪先立って、彼を捜した。
 肩から横がけしたポシェットをもっていかれないよう片手でつかみ、掻き分けるようにして人波を進む。馬車を出る際、荷物はザイが持って出て、そのまま門で別れたから、この混雑で邪魔になるあの赤いリュックがないのが、今はせめてもの救いだった。
 活気に満ちた日暮れの市場。膝下までの外套をまとい、路地を行きかう影法師のような人々。ざわざわ、がやがや、路地を往く人々の頭。行きかう人の顔、顔、顔──
「あの、通して……あの! すみません、通してください!」
 背丈はさして高くないから、ともすれば雑踏に埋もれそうになる。
 それでもまだ、ケネルの姿は追いやすかった。サージェをはおる人波の中、彼だけ一人、いつも着ている革ジャン姿だ。
 ごったがえす雑踏の中、それは恰好の目印になった。黒い髪のその肩が、雑踏の波間に見え隠れする。角を折れ、混雑している通りから抜けた。
 危うくそれを見逃しそうになり、あわててエレーンもそれを追う。
 よろめきながら人波を泳ぎ、少し遅れて角につく。道の両側の屋台が消え、人の減った脇道を、革ジャンの背が降りていく。宵闇のかなたへ続いているのは、ゆるい傾斜の薄い石段。右の壁に、その背が折れた。つまり、どこかの
 ──店に入った。
 はっとしてエレーンは息を飲む。それなら、先は行き止まり。これでやっと追いつける。これでやっと、
 ──ケネルに会える!
 その場所に目を据えて、薄い石段をもどかしく降りる。
 壁の扉の正面に立てば、元は緑に塗られていたらしい、上が弓形の木製の扉。
 他と似たような白茶けた壁だ。建物の外観に特色はなく、やはり白茶けたレンガ造り。窓から中を覗いてみるが、暗くて様子がわからない。砂塵でざらつくガラスの向こうに、おそらく卓上ランプだろう、灯りがぼんやり点っている。広いのか狭いのか、なんの店だかわからないが、飲食店のような趣きだ。日暮れたこの時間なら、早めの夕食というところか。
 髪の乱れにふと気づき、手で大至急ととのえる。肩かけポシェットの位置をなおして、彼にかける最初の言葉を、小さく唇にのせてみる。
 色のはげた緑の扉の前に立ち、木板を見つめ、深呼吸した。やっと、やっと辿り着いた。この戸の向こうに、
 ──ケネルがいる。
 鈍く光る取っ手を握る。
 古い建物であるようで、かすかにきしんで扉があいた。
 頬に押し寄せる、ざわめきと熱気。
 視界がかすんでしまうほど、紫煙が濃くたちこめていた。人いきれで暖かい。ざわざわ、がやがや、低いさざめき。天井が高く、薄暗い。
 あけた扉を閉めるのも忘れて、エレーンは戸口で立ちつくした。いや、ケネルが酒場に入ったことに困惑したわけではない。
「……どこ?」
 戸惑いしきりで、ホールを見まわす。くつろぐ客の大半が、めいめい様々な普段着姿。飲酒と店内の人いきれで、外套を脱いでしまっている。
 目印にしていた革ジャンが、すっかり埋もれてしまっていた。その上こうも暗くては、どうやってケネルを見分ければいいのか──
 気だるく紫煙に沈むホール。
 戸口正面の暗がりに、上の客室へつづくのだろう階段。右手の壁には、酒瓶をならべたカウンター。方々にある円卓で、立ったままグラスを傾ける人々。客の大半は男性だ。
 ふと、その"サージェ"で目が止まった。
 右手の奥のカウンターだ。もう暖かい店内というのに、頭からすっぽり、フードまでかぶった客がいる。確かに外套の者も皆無ではないが、晩の冷え込みはあるにせよ、今、季節は夏の盛りだ。強い風雨のさなかでもないのに、フードまでかぶる重装備など、外を歩く者でも稀だ。
 見るからに小柄なその肩は、男ばかりの店内で目を引いた。ここの店主を呼んでいるのか、カウンターの向こうを覗きこむようにして、天板に身を乗り出している。はしゃいだような無邪気な動作。もしや、子供か? こんな酒場に。
 周囲もちらちら"フード"を見ている。酒場にそぐわない異質な客が、彼らもやはり気になるらしい。見るともなしにそれをながめ、あ、とエレーンは息をつめた。
 乗り出した"フード"の背中の向こうに、目指すあの・・顔を見つけたのだ。
 財布から紙幣を取りだして、飴色の天板に置いている。何か注文しているらしい。
 奥から現れた初老の店主が、片手で壁から何かをとって、ケネルのほうへ手渡した。
 ケネルは鍵を受けとって、カウンターを離れて歩きだす。
 足を向けたその先は、暗く煙るホールの奥、正面にある階段だ。寝るには早い時間だが、もう部屋で休むらしい。食事は済ませたのか後にするのか、酒場のざわめきを後にして、ゆっくり二階へのぼっていく。
 その横顔を凝視して、エレーンは唇をかみしめた。間違いない。あのケネルだ。ここまでくれば、逃げられようがない。やっと彼に追いついた。やっと、やっと、
 ──やっと!
 階段に向けて、おもむろに踏みだす。
 虚をつかれ、足を止めた。
 階段をのぼるケネルの横に、さっきの"フード"が駆け寄ったのだ。
 その手が、ケネルに腕を絡める。ケネルの顔を仰ぎやった拍子に、顔を覆うフードがずれた。
 呼吸も忘れてエレーンは見入った。
 動転した頭のどこかで、そうか、とようやく、それに気がつく。周囲にたむろす男たちが、ちらちら"フード"を見ていた理由に。暖かい店内にいるというのに、頑なにフードをとらなかった理由に。
 フードから現れたのは女の横顔、あきらかに異国の顔立ちの。
 黒い瞳で長いまつ毛の、浅黒い肌の横顔が、ケネルに笑いかけている。いつかの路上、夜の街路で見かけた美女が。
 凝視の視線を感じたか、ふと女が立ち止まり、いぶかしげに振りかえる。
 気づいた時には、肩を返して逃げ出していた。
 
 
 

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