■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章65
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卓に片手を突いたのは、身の軽そうなランニングの肩。
横から夏日をさえぎっていたのは、枯れ草のように明るい茶髪、うなじで髪を一つにくくった、きかなそうな顔つきの。
茶色い飲み物の入った瓶と、パン屋のものらしき紙袋を、どさり、と片手で卓におき、あいた椅子をガタガタ引いて、よっこらせ、と腰をおろす。
ダナンは「別に」と受け流し、「班長は?」と逆に尋ねた。
「……あー、今、ちょっと」
大きく倒した背もたれの向こうを振りかえり、ジョエルはガシガシ、枯れ草色の頭を掻いている。「おっちゃんたちは、わっかんね。二人でどこ行っちまったんだか」
そわそわ白い卓布をつかんで、エレーンは店奥をうかがった。
ジョエルが置いた袋が気になる。確かにここは歩道だが、歴としたテラス席だ。他店の食べ物などを持ちこまれては、店の商売にさしさわる。
店の奥にいる店員たちは、カウンターにもたれてながめている。さすがに、こうまであからさまでは、気がつかないはずもない。ちらちらこちらに目をやりながら、彼らは何事か話している。そもそも他に客はないから、視線が嫌でも集まってしまう。
ジョエルは構うことなく瓶をあおり、パンの袋に片手を突っこみ、ガサガサ大雑把に漁っている。その頓着しない横顔を盗み見、エレーンははらはら店員をうかがう。
店員の一人がうつむいて、自分の首のチェーンをいじった。
隣がカウンターに腕を置き、もう一人の茶髪頭も、棚から雑誌を取りあげる。
入店時に見たのと同じ、気だるげな円陣に戻っていく。注意に出てくる気配は、
ない。
ほっとエレーンは息をついた。
店を切り盛りする店長は、あの中にはいないらしい。雇われているだけの人たちのようで、客が席で何をしようが、大して興味はないようだ。しばらくこちらを見ていたのは、おそらくご用聞きか何かのためだろう。
ジョエルは背もたれに左腕をおき、肉のはさまった丸いパンを、右手でつかんで無造作にかじり、後ろの街路を見据えている。何か気になることでもあるのか、挑むように目をすがめて。
振り向きもせずに瓶をとる、斜向かいの横顔に、エレーンはぎこちなく微笑いかけた。
「来てくれて、ありがとね」
ぶっきらぼうにあおったジョエルが、ふと、気づいたように一瞥をくれた。「いきなり、なに」
「だから、来てくれてたんでしょう? お見舞いに、毎日」
「……は?」
あっ!? と弾かれたようにダナンを見た。バラしたな!? という顔で。
両手をついて卓に乗り出し、中腰のまま、あわあわ口パク。
だが、何かを思い止まったようにガタガタ着席。苦虫かみつぶして椅子に背を投げ、だが、その指は忙しなく、卓の天板を叩いている。
結局、ギッとダナンを睨んだ。
「どうして、お前は余計なことを!」
ダナンは脇から新聞をとりあげ、気にも留めずに紙面をひらく。「事実だろ」
「なんだよ、そういう自分だって、あわてて気付けだの解熱剤だの──!」
「余計なことは言わなくていい」
内輪もめを始めた二人を、あっけにとられてエレーンは見た。
一蹴されて渋い顔のジョエルは、腿に持ちあげた片足の膝を、せかせか忙しなくゆすっている。背もたれに片腕をおき、飲み物の瓶をあおりながら。
ダナンも新聞をひろげてしまった。もそもそ心もち肩をそむけて、どこか気まずげな顔つきで──。ふと、エレーンは顔をあげた。そういえば、なぜ、ダナンが知っていたのだ? ジョエルが二階に、頻繁に出入りしていたことを。
そう、なんと好都合な話ではないか。二日も経って目覚めたその時、ダナンも偶然、階下にいるとは。野草しかない建物の裏手に、何をするというのでもなく。
「……そっか」
膝にうつむいて唇をかみ、エレーンは内緒でくすくす笑った。二人とも、何も言わないけれど──
頭上の大きなパラソルが、強い夏日を遮っていた。
吹きゆく風が心地いい。ぽっかり虚ろで凍えた胸に、淡くほのかな灯がともる。
両肘をかかえるようにして、エレーンは卓布に腕をおき、行儀の悪い斜向かいを見た。「ねえ、なに飲んでるの?」
街路を睨む横顔で、ちら、と目だけをジョエルはよこす。「珈琲牛乳。──要るなら、あんたにも買ってきてやろうか?」
「あ、ううん」
エレーンは微笑って首を振った。「ジョエルって、甘いの好きだよね」
「──別に」
口を尖らせ、ジョエルの返事はぶっきらぼう。
「あ、だって商都でも、クリームソーダ注文して──」
「──あれは」
顔をしかめて舌打ちし、きまり悪げに目をそらした。
「──そういう気分、だっただけ」
それきりジョエルは話を打ち切り、隣のダナンに声をかけた。
ぼそり、ぼそりと、わからない会話。聞いたことのない人名が混じる。「トリモノ」「移動」「あの仕掛け」「ここら辺も、そろそろやばい」──
エレーンは頬杖で匙をいじった。連絡事項では蚊帳の外だ。
そういえば、セレスタンの名が一度も出ない。この二人は仲間なのに。こうして顔を合わせても、亡くなった彼を悼むでもない。
あいた穴は均されて、すでにふさがってしまったようだった。
初めから何もなかったように。こうした生業では、ままあること──彼らの淡々とした横顔は、そんなふうに言っているようにも見える。人が死ぬということに、彼らは慣れすぎているのかもしれない。でも、彼らも本当は辛いはず──
はっとして、エレーンは息を飲んだ。
そう、一番辛かったのは彼らのはずだ。
急に仲間を失ったのだから。付き合いの長い、親しい仲間を。皆の上辺に変わりはなくとも、はるかに自分などより傷ついている。
あの晩ジョエルがカリカリしていた、理由が今になって、ようやくわかった。確かに、そんなことを訊かれたくはあるまい。むしろ、なぜ、わざわざ披露せねばならないのか。立ち入った話を、部外者に。深くえぐられた心の傷は、まだひどく生々しいのに。なのに自分は、取り乱して迷惑をかけて。
自分が彼らにしたことに、今になって愕然とする。
おごそかに凍りついた領域に、土足で踏みこんだも同然ではないか。それは傷口に塩を塗るにも等しい行為だ。
あまりに大きな衝撃が続いて、立ちすくんでしまっていた。だが、心の麻痺が解けてきた、今ならば、はっきりわかる。自分が何を考えればいいのか。この先どう振る舞うべきか。
どれほど心が傷だらけでも、どんな想いを抱いていても、彼らは表に出さないだけ。甘えてはいけない時だってあるのだ。
外野の方が取り乱し、泣きわめいたりしては、いけなかったのだ。大事な仲間を失った、この彼らを差しおいて。
優先すべきは、彼らのはずだ。出会ってまだ日も浅い、自分なんかが泣いてはいけない。それは、おこがましいことだ。今さら取り返しはつかないけれど、せめて、今、自分がすべきは、彼らの負担にならないこと。
膝にかかった卓布の端を、唇をかんで握りしめる。
守ってもらってばかりいて、いつの間にか、自分を失っていた。
すっかり彼らに甘えていた。怠惰に他人に寄りかかってはいけない。そんなことを他人にされたら、自分だって嫌なはず。そんな確認するまでもない当たり前のことが、いつから、できなくなっていたのか。
(──しっかりしないと)
大きく息を吐き出して、エレーンは自分を叱咤する。今からでも、きちんとしないと。
──自分の足で、立たないと。
向かいの連れはぼそぼそと、低くやりとりを続けている。
話は耳に入るものの、内容はまるでわからない。ダナンは卓からグラスをとって、水を口へもっていく。ジョエルは話を聞きながら、椅子の背もたれに両腕をかけ、よりかかった背中に頭を倒して、脚一本で支えた椅子で、靴の先をぶらつかせている。
ふと、エレーンは目をあげた。頭上に、影がさした気がしたのだ。
鳥だった。
三羽の、大きな黒い鳥。翼を広げ、空の高みを旋回している。
すい、と一羽が向きを変えた。
狩りの獲物でも見つけたか、そのまま、ぐんぐん急降下。糸で釣られたように二羽も続く。
息を飲み、エレーンは首をすくめた。自分めがけて
──突っ込んでくる!
空から降ってきた風圧と共に、バサリ、と耳元で、大きな羽ばたき。
続いてバサバサ、肩に重み。
足を踏み代える鉤爪の感触。視界に映りこむ黒い翼。鋭い鉤爪がつかんでいる。頭と肩、それに、卓の腕にいる──。
二人が、椅子を蹴って立ちあがった。
片足を引き、前傾姿勢。彼らの反応は速かった。たった今まで寛いでいたとは、とても思えない素早さだ。椅子の背から跳ね起きたジョエルが、店内に視線を走らせる。「──おい!」
ほの暗い店のカウンターの片隅、気だるそうにしていた店員たちが、いぶかしげに振りかえる。
一転、事態に目をみはり、弾かれたように駆けてきた。
辺りがにわかに騒然とし、興奮して、鳥たちが羽ばたく。ふと、エレーンは目をあげた。いや、違う。この鳥たちは──
右肩をひねってズボンの隠しを探りつつ、ジョエルが飛び出してきた店員に、苛々と顎をしゃくった。
「さっさとどけろ! 吹っ飛ばすぞ!」
「──ま、待って! 来ないで! ぶっ飛ばすとか、だめだからっ!」
黒い翼が、ばさばさ羽ばたく。
やる気のなさそうな店員たちも、これにはさすがに顔色を変えた。黒く大きな鳥が三羽も、客に集っているというのだ。
その当惑した引きつり顔が、ジョエルを見やった視界をかすめ、エレーンはあわてて首を振る。「こっちに来ないで!──大きいだけで大人しいから! 別に何もしないから! ただじゃれてるだけだから!」
店から出てきはしたものの、店員たちは棒立ちで、青ざめた顔でおろおろしている。追い払おうと腕を振る、二人の連れを振り向いた。
「乱暴しないで! 大丈夫だから! この子たちは特別なの! トリシさんの大事な鳥なの! だから、お願い、傷つけないで!」
似たような体験を、以前にも、していた。
馬群で商都へ南下中、ファレスと息抜きに行った街道の町で、二階の部屋に入った途端、やはり、窓から自分めがけて、何羽もの鳥が飛来した。その後しばらく集られたが、あれは襲われたわけではない。
「この子たちは人間のことを、親みたいに思っているの! なのに、人がいじめたら──!」
人を慕う鳥が不憫だ。
あのセレスタンから聞いていた。トリシは鳥の「刷り込みの習性」を利用して、雛から鳥を育てると。
ジョエルとダナンが、ためらいがちに見交わした。
鳥とこちらを交互にすがめ見、ジョエルは顔をしかめて、ためらっている。ダナンも腕の鳥を見据えて、いつになく厳しい顔つき。だが、警戒してはいるものの、なぜか、行動を起こさない──。
その理由にようやく気づいて、いささかきまり悪くダナンを見た。「あの……もしかして、知ってる、よね? この子たちのこと」
どこか複雑そうに顔をしかめて、ダナンは「──ああ」とうなずいた。
「鳥師の使う、青鳥だ」
そう、ファレスやセレスタンが知ることを、同じ部隊に属する二人が、知らないはずがないではないか。
だが、ジョエルは警戒を解いていない。
隣のダナンも同様だ。つまり、危険と判断すれば、処分も辞さない、そうした構え。
「は、はいっ! みんな集合〜!」
あわててエレーンは鳥たちを見やった。「せっ、せっかく来てくれて悪いんだけどー」
黒光りする翼を畳んで、鳥たちは小首をかしげている。鳥の動きを注視する、連れの利き手が刀柄に触れる。
「ご飯食べてるとこだから、また今度遊ぼうね? ねっ? ねっ? もう帰ろうね?」
ひょい、と三羽が、卓の天板に飛び降りた。
卓の上に置いていた腕の中に潜りこむように、懐に顔をすりつけてくる。
「な、なに、どしたの、お腹でもすいてる?──あ、でも、困ったな。あんたたちが食べられるような木の実とかは、ここには──」
シャツのボタンをくちばしで突ついて、しきりに何かをねだっている。皆ぐるぐる喉を鳴らして、うっとりしたような顔つきだが──
(え? なんか、こういう感じ、前にも、どこかで見たような……?)
もやもや脳裏に情景が浮かんで、エレーンは密かに首をひねる。
はたと瞠目、三羽をさした。
「もしかして、あんた "ジゼル" ?」
ガア、と三羽が、果たして同時に返事をした。そう、光り物が大好きな、あの彼の鳥ではないか。
「……。てか、なんで又、増えてんのよ」
そお? というような顔つきで、鳥はそろって首をかしげる。
そう、なぜだか途中で二羽になったが、またも一羽増えている。いや、百歩譲って、それはいい。そんなことより問題なのは……
ジゼルがいる、ということは、つまり──
ひやりと背筋に怖気が走り、白茶けた通りをあわてて見まわす。「……い、いるんじゃないでしょうね、近くに、あいつが」
震えあがって卓を振り向き、ぐい、と三羽を引きはがす。
「は、はい、おしまいっ! また今度ねっ」
ばたばた羽ばたき、三羽はいかにも不服げな顔つき。エレーンは大真面目に釘をさす。
「いい? クロウのところに戻ったら、あたしは " いなかった " って言っといてね!」
まだ付近に姿はないが、ジゼルを捜しに、現れでもしたら大変だ。
卓に居ならんだ青鳥たちは、そろって小首をかしげている。いかにも「聞いてます」という顔つきで。
その殊勝な顔つきに、「ほんとに聞いてる〜?」と眉根を寄せる。
「これ、バラしたら絶交だから。もう、お守りにくっつかせてあげないから。いい? わかった? あんたたち」
ばさり、と右端が羽ばたいた。
続いて真ん中。そして、左も。
ばさばさ大きく、黒翼が羽ばたく。
たん──と軽く弾みをつけ、同時に卓から飛び立った。
たちまち高みへ舞いあがり、空の彼方へ飛んでいく。
茶髪の若い店員たちが、ぽかん、と戸口で見送っていた。客に怒鳴られ、飛び出してきたが、あんがい聞き分けがいいらしい。
どさり、とジョエルが、脱力したように背を投げた。
椅子の背もたれにそっくり返り、うかがうようにすがめ見る。「あんた、何者?」
「……そ、そう言われても〜」
「青鳥は、肉食の猛禽だ」
小さくなった鳥を見送り、ダナンもおもむろに腰をおろす。「人が襲われた話ならまだしも、素人が手なずけるなど聞いたことがない」
「や、そんな、手なずけるとか〜……」
エレーンは困ってあいまいに笑う。「な、なんか、最近、もてちゃって」
「──へえ」
乾いた声でジョエルは返し、いぶかしげに眉をひそめる。
もたれたまま首を回して、鳥の行方をすがめ見た。「ねえだろ、あんなの。青鳥を服従させるとか、アレを育てた鳥師だって無理だぜ」
突っ立っていた店員たちは、まだ、あっけにとられている。
ちらちら、こちらを盗み見ては、鳥の飛び立った空を見て、何が起きたかわからない顔つき。
そうしてしばらく、しきりに首をひねっていたが、対処の必要もないことに、ようやく気づいたものらしい、特に声をかけるでもなく、のろのろ店へ引きあげた。
平和が戻った昼さがり。
街路に置いた椅子の脚で、くるくる風が舞っていた。地面の砂塵を巻きあげて。
そういえば、砂っぽい。町中ざらついた印象だ。空き席の座面が、うっすら砂をかぶっている。店の窓の手すりにも。
窓のガラスはかき曇り、どこもかしこも、うっすらと白い。なるほど街壁が高かったのは、絶えず街に吹いている、この風をよけるためか──。
すっと、ダナンが席を立った。
「ごゆっくり」
「……え?」
すでに歩き出した黒髪の背を、面食らってエレーンは目で追う。「な、なに急に。どこ行くの?」
ジョエルもいぶかしげに顔をしかめて、通りへ視線をめぐらせる。
ぎくり、とその頬が強ばった。
「あ、俺もちょっと、班長んとこに……」
そそくさ席を立ち、ダナンに続く。
「え……あ、ちょっと!」
とっさにその背を呼び止めると、小走りの足をジョエルが止めた。
つかつか卓に引き返し、たん、と天板に片手をつく。
じろり、と顔をすがめ見た。
「すぐに戻る。消えんなよ?」
……は? とぱちくりまたたいた直後、脱兎のごとく掻き消えた。
すぐに、その背が町角を折れる。前にも増して早足で。
尋ねる間もなくとり残されて、エレーンはあぜんと見送った。
思わず椅子から乗り出していた背を、溜息まじりに背もたれに戻す。
「……もう、なんなのよ、あの二人はぁー」
何か用でもあったのか。いや、そういうのとは感じが違う。ダナンが席を立った時、ジョエルは何を見たのだろう。そう、急に態度を変えた──。
ジョエルが見ていた方向に、通りをはさんだ向かいの歩道に、いささか腐ってエレーンも目をやる。一体何があるというのか。
「え?」
とっさに、脇に目をそらした。
道の先に、人がいた。
夏日を浴びたひと気ない街路に、サージェをまとった小柄な人影。いつから、ああして見ていたのか。
革靴の先で裾をさばいて、つかつか、女が歩き出す。
強い視線でこちらを見据え、脇目もふらずに近づいてくる。形の良い眉を軽くしかめて。そう、フードの下のあの顔は──
(……どう、しよう)
膝にかかった卓布の上で、エレーンはどぎまぎ手を握る。
暑く、ひと気ない昼さがり。
パラソル席のかたわらに、あの彼女が立っていた。あの晩、暗い酒場で見かけた、美しい風貌の、異国の顔立ち、
あの「ケネルの恋人」が。
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