■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章66
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古い車庫を思わせる、ささくれだった分厚い木戸が、白々と夏日を浴びていた。
砂塵舞い飛ぶこの時間、この付近で一番にぎわう、間口の広いこの酒場も、分厚い表戸を閉じている。
開店前の昼さがり。
宵には華やぐこの界隈も、ひっそりとして、ひと気がない。日除けが張り出した軒先に、出されたままのベンチの一つに、男が一人いるきりだ。
野ざらし同然の五つのベンチ、向こうの端から二番目だ。上背のある《 サージェ 》の男が、背を向け、新聞を広げている。
目深にかぶったフードの端で、シャラリと長い銀光がのぞいた。
左の耳から肩下に垂れた、数本の細い鎖のピアス。それと背中合わせで足を組み、ザイは懐から煙草を出した。
くわえた先に火を点ける。
「──市場通りの古倉庫、」
空に向けて一服すると、そむけた背中の向こうから、男の落ち着いた声がした。
「"ランタン通り"が敵の根城だ」
間違いない。肩まで垂れた銀の鎖は、この街を探っている、例の連絡員の目印だ。街の者が一様に外套を着こむザルトでは、相手の判別が難しい。
眼鏡で紙面をながめたままで、銀のピアスは勝手に続ける。
「人数は三十から三十五、すぐに五十を超すだろう。外から続々と集まってきている」
「──こっちとしては、もう少し、」
薄茶の頭髪を背中に倒し、苦り切ってザイはごちる。「離したんじゃねえかと思ったんだがなあ。ま、馬と馬車との競争じゃ、どうしたって分が悪いが。──それにしたって、早すぎやしねえか、特定が」
「協力者がいる。客の顔を知っている」
「──たく。さっそく徘徊が祟ったか。なんで勝手にうろつくのかね」
ここまで到着しましたと、顔を売ってきたも同然だ。手ぐすねを引く賊どもに。
「その上、寝込んで足止めってんだから──。夜を日についで突っ走っても、どっかのハゲのせいで全部フイだぜ」
「そろそろ頭目が街に着く。明日にも 宿舎 への突入がある」
「──了解」
ベンチの背もたれに片腕をかけ、ザイは空に紫煙を吐く。「で、どんな具合だ、あっちの方は」
「潜伏場所は突き止めた」
「なんで、さっさと仕留めねえ」
「仲間ともども一掃する。泳がせて、そいつをあぶり出す」
へえ、と気のない相槌を打ち、はす向かいの町角に目を向ける。「──あのニヤけた風見鶏に、そんな仲間がいたとはな」
濃く落ちた建物の影に、いつの間にか、男がいた。
この街では珍しい、外套のない平服姿。だが、黒い蓬髪を伸ばした上に、黒いメガネをかけているため、その男の年齢はおろか、目鼻立ちさえ見当がつかない。顎ひげとつながった頭髪は、男の目元を覆うほどに長い。
「おい! 特務!」
荒げた声が、呼びかけた。
ザイは顔をしかめて舌打ちする。「──たく。なんで来るかね、こんな時によ」
隠しようもなく苛立った、あのぞんざいな物言いは、見当はずれの妨害を排除し、ノアニールで煙に巻いてきた──。
目をやれば案の定、ひと気ない歩道を突っ切って、激怒の形相で駆けてくる。
「てめえ! キツネ! 鎌風野郎! お前、あいつをどこへやった!」
ばたばた騒がしく駆けこんで、どんぐり眼のチビが噛みつく。やっと、出し抜かれたことに気づいたらしい。
ザイは耳をほじって空を見た。「さあてな。どこぞで飯でも食ってんじゃねえのか」
「──なにを、そんな、悠長な!」
こぶしを震わせ、ねめつけているのは、蓬髪の首長アドルファス配下の第二班。
チビでいがぐり、音頭とりのボリス、図体ばかりのでくの坊ブルーノ、痩せっぽちの黒眼帯ジェスキー。頭格のバリー亡き後、以前にも増してつるむようになった、首長がお情けで置いている純血種の側仕え。つまりは、使い物にならないお荷物グループ。我が身を憐れんでばかりいて、どこへも行けなかったガキどもだ。通称「三バカ」
「おい、よく聞けよ、キツネ野郎っ」
手の届く範囲には入らぬよう、きっちり距離をとりながら、ボリスがまなじり吊りあげた。
「あいつのこと狙ってんのは、レーヌのゴロツキだけじゃねえんだぞ! すっげえ怖ええ借金取りまでいるんだからなっ!」
ザイは横を向いて、紫煙を吐く。「へえー……」
「お、お前っ! 特務っ! 信じてねえだろっ!? だからっ、闇医師の診療所だよっ! あいつ、治療代払ってなくて、けど、それが、とんでもねえ額ふっかけられてて──」
「じゃ、なんか、手ぇ打たねえとな。けど、その前に話がある」
首をまわして背を起こし、ザイは三人に目を据える。
「お前らは、本日ただ今をもって、配置換えだ」
殺気立った三人が、気勢をそがれてまたたいた。「……配置、換え?」
「なんでも今度の異動先は、商都ラディックス商会とか」
あっけにとられて、戸惑い、反芻。ほどなく、はたと我に返る。
顔をゆがめて打ち震え、人差し指を突きつけた。
「「「 なんで、てめえに、指図されなきゃなんねえんだっ! 」」」
煙草の手先でザイは耳栓、顔をしかめて舌打ちした。「なんで一々カリカリするかね。俺は指示を伝えただけだぜ」
「──今さら商人になれってのか」
苦々しく要約したのは、黒眼帯のジェスキーだ。
「知ったことかよ。文句はそっちの頭に言いな。──てぇことで初指令だ」
空に紫煙を吐きだして、ザイは突っ立った三人の、困惑顔を振りかえる。
「商会の支所に、ただちに出向け。市場通り向こうの三番街。でかい建物だから、すぐにわかる」
「まだ納得したわけじゃ──!」
「ぐずぐずしてて、いいのかよ。商会の代表が出張ってんのに。わざわざお前らを引き取るために、忙しい時間を工面して」
「けど! 俺らは、あいつと約束──」
「客の身柄は、こっちで引き取る。もう、お前らの出る幕はねえよ」
三人が顔をしかめて立ちつくした。
街路の砂を巻きあげて、風が街を吹き抜ける。
砂の侵入を防ぐため、通りに面したどの店も、ぴったり扉を閉じている。
ボリスが大きく息を吐き、すくい上げるようにしてねめつけた。「……なら、せめて約束しろ」
「何を」
「あいつに言っちまったんだよ! 絶対トラビアに連れていくって」
「知るかよ、てめえらの都合なんぞ」
「あいつ、何か用があんだよ!」
拳を握って、ボリスが怒鳴った。
「ろくに路銀もねえくせに、先に進もうとするくらい、大事な用がトラビアに! てめえなんかに頼みたくねえけど、俺らじゃ先に進めねえから! だから頼む、特務の力で!」
「死ぬぞ、あの客」
ぎくり、と三人が居竦んだ。
ザイは膝で紫煙をくゆらせ、強ばったその顔に目をすがめる。
「トラビアに行け、だ? 馬鹿か、お前ら。客を保護しに来たってのに、前線に突っ込んでどうすんだ」
「だったら、どこへ連れて行く気だ!」
「トラムに南下、部隊に合流」
「──トラム?」
黒眼帯のジェスキーが、怪訝そうに聞き咎めた。「だが、トラムは軍の目前だ。ディールとラトキエが衝突間際に、武装部隊にあいつがいたら、まずいことになるんじゃないのか」
「へえ。お前は中々わかってんじゃねえかよ」
ザイは鼻先で薄く笑い、背後にさりげなく一瞥をくれる。「部隊への避難は急場しのぎだ。付近の抜け道から、国境を越す」
「──出国する気か!?」
「上層部からの指示だ」
愕然とボリスが目をみはった。「……それ、あいつは、知ってんのかよ」
怪訝そうに見ていた二人も、にわかに顔をこわばらせる。
「てめえ特務!? さらう気かよ!」
「──たく。何をオタついてんだか。危ねえから、国外へ逃がす、それだけのこったろ」
ボリスが疑わしげに眉をひそめた。「──逃がす、ため? 本当だろうな!」
「客は、上と懇意だぜ」
「……え?」
「だから、特務が出向いてる」
とっさに怯んだ三人を、片手を振って追い払う。
「ほら、もう、行った行った。お前らなんぞのお遊びに、いつまでも付き合ってられっかよ。つか、いつまで油売ってんだ。お前らの新しいご主人様は、銭金にうるさい商人だぜ。座右の銘は"時は金なり"ってな。守銭奴の時を無駄にして、ただで済むとか甘いこと考えてんじゃねえだろうな」
うっ、と三人が顔をゆがめた。商会の者とは、バリーの葬儀で、散々顔を突き合わせたはずだ。
誰の顔がよぎったか、とたんにたじろぎ、ぶるりと身震い。
そわそわ落ち着きをなくしたボリスが、せめて指を突きつけた。
「い、いいか、そこを動くなよっ! とにかく顔だけ出してくるから!」
きっと睨んで、三人同時に背を向けた。
通りをわたわた、転げるようにして駆けていく。
急行するその背を見届け、ザイは空に一服した。「── 他愛もないねえ。一丁あがりと」
「班長」
呼ばれて、声に目をやれば、あの二人が立っていた。
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