CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章68
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 逃げようとしたけど、遅かった。
 気づいた時には、彼女はもう、すぐ目の前に立っていたから。
 卓の手前に目を落とし、エレーンは卓布を握りしめる。
(──やだ。ちょっと。どうしよう……)
 卓の上には、半分食べ残した粥の椀。
 きれいに肉の削がれた鶏骨ほねが、端の方に寄せられた皿。くしゃくしゃに丸めた紙袋と、ジョエルが飲み干した珈琲牛乳の空いた瓶。パラソルの日よけが届かない、卓布のかかった天板の端が、強い夏日に白くかがやく。
「こんにちは。あなたの姿を見かけたから」
 卓の向かいから降ってきたのは、意外にも落ち着いた声だった。
 やむなくそちらに目をやれば、意志の強そうな黒い瞳が、フードの中から見おろしている。つややかな黒髪かみに浅黒い肌。長いまつ毛のケネルの彼女。
 夏日に包まれた外套サージェの肩が、後ろ手にして小首をかしげた。「エレーンさん、でしょ?」
「──なっ、なんで、あたしのこと、」
 エレーンは目をみはって、たじろいだ。「……知って、るの?」
 彼女は思わせぶりに眉をあげ、小首をかしげて口角をあげる。
「なぁんか、わかっちゃうのよね、わ・た・し」
 軽くかがめた肩を戻して、おかしそうに、ふふっと微笑わらった。
「なあんてね、嘘。あなたのことは、聞いていたから。ね、あなたでしょう? 隊長さんを雇ってる人」
「や、雇ってる・・・・?」
 返答しがたく口ごもった。確かにケネルは、街の防衛を引き受けてくれた。ディール領家に奇襲された、自領のノースカレリアで。だが、報酬は払っていない。まあ、大雑把なケネルなら、横着してはしょっても、なんの不思議もないけれど──いや、そんな枝葉はどうでもいい!
「今、見かけた、って言ったけど」
 上目づかいで、エレーンはうかがう。
「初対面よね。あたしたち」
 そう、こちらの顔は知らないはずだ。同じ年頃の女性など、街にはいくらでもいるのだし。なのに、彼女は迷いもせずに、まっすぐこの卓へやってきた。
 思いがけないことを言われたように、あら、と彼女はまたたいた。
「だって、あなた、目立つもの」
「……え゛?」 
 眉根を寄せて固まった。
 内心激しく動揺する。「目立つ」というのは賞賛の意味ではないだろう。こちらをもちあげる理由はないし。だとすれば、外見か? そんなに 変な成り ってことか!?
 ちらと横目で彼女が見、ふふっ、と微笑わらって、自分の外套の襟をつまんだ。
「これよ、これ。着てないでしょ?」
 ──あ。
「外套を着ないで出歩く人って、この辺りでは見ないもの。今は国境の方が危ないから、旅行客もあまりいないし。──ね、ここ、座っていい?」
「……え?──あっ! ど、どうぞっ!」
 散乱していた食器に気づいて、わたわた端へと押しのける。食器を重ねて片づけながらも、胸はどきどき、頭は急きょ高速回転。一体なんの用だろう。ケネルと自分の関係を、彼女はどこまで知っている? どんなふうに思っている? どんな思惑で現れた──?
 そうする間にも、彼女は向かいの椅子を引き、差し向かいに腰をおろす。
 白い卓布の天板をはさんで、意志の強そうな目を、ひたと当てた。
「初めまして。お噂は・・・かねがね・・・・
「……。は、はあ……」
 引きつり笑いでエレーンは赤面、膝でしどもど指をいじくる。なんとも意味深な挨拶だ。てか、こっちのこと、なんて伝えた ケネルの奴!
 あのぉ〜、と引きつり笑いでうかがった。「あたしのこと、ケネルから、なんて?」
「裕福なおうちの若奥様って聞いたけど」
 そして、彼女は口をつぐむ。しばらく待つが、先はない。
 拍子抜けして、またたいた。それだけ……?
「アシュリーよ。よろしく、奥様」
「──あっ、えっと、スレーター・・・・・です。こちらこそ、よろしく」
 相手に合わせて旧姓で名乗った。後ろめたさは若干あるが。
 クレスト領家の名称を、ケネルは伏せたようだった。
 やはり、することに卒がない。領家の名が表に出ては、それだけで何かと差し障りがある。それについては、これまでの旅で身に染みている。
「ごめんなさいね、お邪魔して。あなたに訊きたいことがあって」
 改まった口調で彼女は切り出し、じっと、こちらの顔を見つめる。
 ためらうように視線を外した。
 心を決めたように目を戻し、探るように、ちら、とうかがう。
「──隊長さんと、戻らないの?」
「え?」
 不意打ちされて、心がゆれる。
「彼、捜しているわ、あなたのこと」
 とっさに、膝に目をそらした。「……あの、トラビアの方に用があって、だから、まだ──」
「なぜ? トラビアは開戦するわよ?」
「あ、危ないから行くなって、よく他の人にも言われるんだけど──。でも、今、どうしても、会わなきゃならない人がいて──危ないのは、わかってるんだけど──」
「わかってないわ」
「え?」
「あなたは、何もわかってない」
「──それでも、やっぱり、行かないと。行かなきゃ、後悔すると思うし」
 強い夏日に干あがった地面を、細かな砂がさらさら流れた。
 昼の街角は、凪いでいる。どこもかしこも白茶けた、街の通りにひと気はない。
「──そう」
 気が抜けたような彼女の声は、冷たい余韻を帯びていた。
 戸惑い、向かいを盗み見る。
 気まずい空気が、卓に流れた。この場かぎりの相手なら、それらしい理由で適当に、やり過ごすこともできたろう。だが、誤魔化すことが、今はできない。
 真摯に見据えた彼女の瞳に、一瞬強まったまなざしに、不可思議なものを見た気がした。それは、せっぱつまった、もどかしげな光。だが、初対面の彼女がどうして、そうも真剣になるのか、わからない。
 彼女が軽く嘆息し、椅子の背もたれに身をあずけた。
「あなたのことが、うらやましいわ」
「……え?」
「だって、めったにないことよ。部隊の隊長が直々に、個人の護衛をするなんて。自国うちの方なら盟主とか、豪商の当主くらいのものよ。盟主の家族でも、まず無理ね。カレリアの人って裕福なのね」
 語尾にいぶかしげな響きを聞きつけ、そら笑いの裏で含み・・を精査。つまり──
 ── " でも、お嬢様には・・・・・見えない・・・・わよね " ?
「あっ、ううんっ! 違うからっ!」
 あわてて彼女に手を振った。
「あたしの場合は、たまたま嫁ぎ先が裕福だっただけで。実家は、商都の雑貨商だし」
 こういう訂正は、早い方がいい。後になればなるほど、言いにくくなる。
「そうなの? なら、もしかして玉の輿ってこと?」
 彼女は目を丸くして、にっこり楽しげに頬杖をついた。「いいなあ。ラッキーだったわね」
「え、ええ。まあ……」
 うなずき難く、お愛想笑い。いそいそ嫁いでいったらば、実は彼氏が 子持ちだった、ってオチでもか?
 白い卓布の天板の向こうで、彼女は屈託なく笑っている。
 乗り出していた背を、エレーンは戻した。彼女に対する緊張と気負いが、強ばった肩から抜けていく。
(……なんだ)
 臆するでもなくやって来た彼女に、なぜ、こうも余裕があるのか、もう察しがついていた。
 この人は知っていたから。こちらが護衛対象であることを。護衛の対象でしか・・・ないことを。何より、もう既婚者と。身構える必要など、なかったのだ。だって、彼女は初めから、
 ──相手にもしていないんだから。
 彼女にとって自分はさしずめ、ケネルの仕事の関係者。話に聞いた相手を見つけて、ちょっと声をかけてみた、それだけのこと。まして、競争相手なんかじゃない。
「この国には、家の用事で来たのだけれど」
 彼女は片手で頬杖をつき、顔をしかめて嘆息する。
「まったくもう散々よ。連れとは途中ではぐれるし、知らない土地で強盗には遭うし。でも、隊長さんが助けてくれたの。それで、わたしのはぐれた連れを、一緒に捜してくれていて。だって、わたし無一文でしょ?」
 え? とエレーンは見返した。だったら、この人、
 ──ケネルの恋人じゃないってこと?
 拍子抜けして、呆然とする。彼女は元よりケネルを知っていたような口ぶりだから、やはり、街で知り合いと会って、一緒にいた、ということなのか?
(……なんだ)
 胸のつかえが消えていき、ほっと密かに安堵する。どうりで妙だと思ったのだ。牽制するために来たわりには、態度がいやになごやかだし。
 そういえば、商都に戻らない、と断ると、落胆したような気配さえあった。だが、この人がケネルの彼女なら、彼が別の女を連れ歩くなど、むしろ許しがたい事態だろう。そう、彼女のこちらへのまなざしは、恋敵に向ける敵意とは、何かちょっと質が違う・・・・
 ケネルはただ、困っていた女性を助けただけ。──ああ、ケネルのやりそうなことだ。自分にも覚えがある。そういう出会い方を、自分もしたから。異国でひとり困っている女性を見かけたら、ケネルはきっと放っておけない。
 街の物音に聞き入るように、彼女はそっと目を閉じる。「……静かね」
「この辺り、昼は暑いから。夜は結構、にぎやかな感じだったけど」
 長いまつ毛を彼女はひらき、のどかに晴れた空をあおいだ。
「こんな国に、生まれたかったわ」
 降りそそぐ陽を一身に、浴びようというように仰向いて、焦がれるように目を細める。「静かで、穏やかで、安全で──。町角は、やっぱり怖いけれど」
 エレーンはまごつき、首をかしげた。町角が怖い・・・・・
「……平和な国で暮らす人には、こういう感覚はわからないでしょうね」
 相手の戸惑いに気づいたようで、きまり悪そうに彼女は微笑む。
「わたしたちの国は、長い間戦争をしているの。まだ子供だった頃、うちの店も奇襲を受けたわ。その時、わたしたちも焼け出されて──」
 長いまつ毛を半分伏せて、彼女は静かな街並みの先の、記憶のかなたを遠くながめる。

 まだ、停戦中のはずだった。
 なのに、敵の兵が乱入して、急いで裏口から外に出たの。でも、その時にはもう、軍刀を持った兵士が街中にいて。
 何が起きたか、わからなかったわ。道に、血まみれの人が倒れてて、わたしたちと同じように焼け出されてきた人たちが、容赦なく兵に斬られてて──。
 姉の手を握って、必死で逃げたわ。
 通りに土煙が立ちこめて、そこら中でガラスが割られて、建物からは火の手があがって──。
 裏道を走って、息があがって。曲がり角に来るたびに、角を曲がるのが怖くって。静かな壁の向こうから、兵士が飛び出してくるんじゃないかって。斬りかかられるんじゃないかって。ううん。怖いのは町角だけじゃない。木箱が積みあがった物陰だって。通りの街路樹の裏だって。
 悲鳴や怒鳴り声が飛びかって、皆がおびえて、走ってた。大人も子供も、白いひげの老人も。
 壁伝いに、逃げて、隠れて──けれど、とうとう、通りの先に立っていた兵士の一人と目が合って。
 姉と震えあがって抱きあったわ。足がすくんで動けなかった。
 兵士はどんどん歩いてきて、道の両側の町角からも、次々兵士が現れて──。
 そうしたら急に、兵が向きを変えて逃げ出したの。
 何が起きたかわからなくて、通りの先を見ていたら、何頭も馬が現れて──

「隊長さんの部隊だったわ。知らせを受けて駆けつけてくれたの。兵士を追い散らして追い出してくれた。彼らはわたしたちの英雄なの。傭兵部隊と戦神ケネルは」
 当時に思いを馳せるように、彼女は晴れた空をながめる。
 白い卓布に置かれた手の、細い指が組み合わされた。
「ずっと、彼を見てきたわ。彼のことだけを考えてきた。──こんな所で会うなんて……」
 ふっつり、彼女の言葉が途切れる。
 怪訝に向かいの彼女を見、とっさにエレーンは目をそらした。
 はっとしたように彼女が身じろぎ、あわてて頬を手の甲でぬぐう。
 狼狽したように目をそらし、外套の下から、横掛けのポシェットを取り出している。
 何かもやもや釈然としない思いで、エレーンは向かいを盗み見た。気のせいだろうか。最後に付け足した異質な言葉が、苦々しさを含んでいたように思うのは。彼女はうつむいてポシェットを開け、中からハンカチを取り出している。
 ぽろり、と何かが、その拍子にこぼれ落ちた。
 ゆるい昼の風に吹かれて、足元までやってきたそれに、エレーンはかがんで手を伸ばす。
 指の先で拾いあげれば、硬貨ほどの大きさの、紫色の薄紙の包み。これは──
 それを彼女に返しつつ、思わず顔をうかがった。
「あの、どこか体の具合が?」
 彼女は薬包を受けとって、苦笑いでポシェットにしまう。「ううん、そういうわけじゃないの。まだ、うまく眠れなくて」
 つまり、中身は睡眠薬──。エレーンは密かに困惑する。そうした薬を常用していたからではない。驚いたのは、その量だ。ちらりと見えたポシェットの中には、ぎっしり詰まった紫の薬包。
「……あの、いつも、そんなにたくさん?」
 きょとん、と彼女がまたたいた。
 おかしそうに笑いだす。
「やあね。飲むのは、一度に一つよ。薬漬けってわけじゃないわ。たまたま分けてもらったばかりなの。偶然こっちで知り合いに会って。彼とはあまり会えないから、その分を一度に。わたしは毎晩薬が要るから、すぐに買い置きが切れてしまうの。そうかといって、町の薬じゃ効かないし」
「そ、そうなんだ。でも、珍しい色よね。紫なんて」
 薬包の色は、たいてい白だ。商都の領邸に勤めていた頃、病人の世話をしていたが、そんな色は見たことがない。
「この薬はとても強いから、わざと奇抜な色にして、誤用を防ぐ目印にするの。たくさん飲むと、毒にもなるから」
「……た、大変ね」
「ううん。慣れれば、なんでもないわ。飲み物に溶けるし、苦くもないから」
 彼女はポシェットを外套に戻し、我が身を抱えこむようにして両肘をつく。「ねえ、あなたは、どこの学生? それとも、もう卒業した?」
「へ?──いえ、あの、」
 思わず、エレーンはたじろぎ笑った。最近よく言われるが、そんなに幼く見えるのだろうか。そういえば、あのジョエルにも、商都の茶店で小馬鹿にされたし。
「もう、勤め先とっくに辞めてて、大体もう二十六歳で」
「……え?」
 彼女が驚いたように口をつぐんだ。
 指の先を唇にあて、困惑したように目をそらす。「ご、ごめんなさい。てっきり、まだ十代とばかり……」
「あ、ううん、いいの。気にしないで。なんか最近、そういうの言われ慣れてるし」
 一転そわそわしていた彼女が、ちら、とこちらの顔を覗いた。
「……そ、そう。カレリアの人って若いのね。色が白くて、線が細くて……小さくて、もろくて。ふわふわと柔らかい宝物──守ってやりたくなる気持ちもわかるわ」
 半ばから独り言になったつぶやきに、どきり、と胸が飛びはねる。それを言ったのは、まさかケネル……?
 だが、夢想に浸るその前に、向かいの彼女が身じろいだ。
「いいところね。カレリアって」
 静かな昼の街並みに、ゆっくり視線をめぐらせる。「私も、こんな国に生まれたかったわ。何も考えなくても、生きていける」
 エレーンは引きつり笑いで頭を掻く。「や。何も考えてないわけじゃ──。悩みくらいは一応あるし……」
「どんな?」
「えっと、例えば、よく聞くのが、他人ひとから、どう思われてるか、とか」
「……それが何?」
 怪訝そうに彼女が見た。
「どう思おうが、関係ある? 何をしてくれるわけでもないのに?」
 心底信じられないような、呆れたような目を向ける。
「わたしなら、自分の好きにするわ。自分のすべきことをする。明日も生きている保証なんて、人にはどこにもないんだから──」
 ふっと、そこで口をつぐむ。
 ためらいがちに視線を揺らし、念を押すように顔を覗いた。「──ねえ、いいの?」
「なにが?」
「本当にいいの? 戻らなくて。今ならまだ、戻れるのよ?」
 急な勢いに気圧されて、あっけにとられて彼女を見る。
 せっつくように乗り出した彼女が、はっとしたように口をつぐんだ。
「……そう、よね」
 のろのろと、きまり悪そうに目をそらす。
「そうよね。……当たり前よね。あなたにはもう、お金持ちの旦那様がいるんだもの。でも……だけど、だったら、どうして──!」
 その先をつかの間ためらい、だが、意を決したように目を向けた。
「宿に訪ねてきたでしょう? わたし、後で気がついて、あなたの後を追いかけたんだけど」
 そうか、とようやく腑に落ちた。やはり、彼女は見ていたのだ。ケネルを追いかけた、あの晩の酒場で。でも、何かわからない。彼女は、なぜ、そんなにも、腹立たしげな様子なのか。
「彼、約束してくれたわ。わたしのことを幸せにするって」
「……え?」
 柳眉をひそめ、彼女は気まずそうに目を伏せる。
「わたしたち、あの日は酔っていて──。目が覚めたら、隣で寝ていて、そういうこと・・・・・・ってあるでしょう? それで隊長さん、責任とってくれるって」
 一瞬強ばった頭の中が、不意にくっきりと冴えわたった。
 まざまざと光景が立ち現れる。彼女の言う「その朝」の。
 じわじわ現実がしみてきて、エレーンはなす術もなく手のひらを握る。
「……そう」としか言えなかった。
 だって、ケネルなら、きっと、そう言う──。
 いたたまれないというように、彼女が椅子を鳴らして立ちあがった。
「もう、行くわ」
 冷たい口調で言い捨てて、サージェの肩をひるがえす。
 ブーツの足で街路に踏み出し、だが、ためらうように足を止めた。
「……聞いたわ。あなたに振られたって」
 感情を押し殺した低い声。通りを見据えて、背中で言う。
「でも! もういいのよね・・・・・・・? あなたは彼を振ったんだもの!」
 捨て鉢に退路を断つような、やりきれなさのにじむ声。
 端正な横顔が振りかえり、強い瞳が胸を射抜いた。
「それなら、わたしの邪魔はしないで」
 腹立たしげなその声が、彼女が立ち去ったその後も、しばらく耳の奥に残った。

 
 
 

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