■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章69
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「──さげていい?」
はっと声を振り向けば、怒鳴られて店から飛び出してきた、茶髪の店員の一人だった。
いつから、そこにいたのだろう。目線で示した先にあるのは、白い卓布のかかった天板──いや、隅に積まれた汚れた皿。あわててエレーンはうなずいた。
「あっ、はい。どうぞ」
丸い盆を卓に置き、かったるそうにかがんだ拍子に、銀のチェーンが胸元で揺れた。
絵柄のない丸首のシャツ、生地の色は黒っぽい赤、そう、あれは臙脂色。卓の隅に寄せた皿を、長い指で片づけていく。
節くれだった左の手首に、ゆるい銀のブレスレット。女性にもてそうな端正な顔に、お洒落な感じの無精ひげ。茶髪をうなじで一つにくくり、こざっぱりと垢抜けて──
あれ? とエレーンは見直した。
かがんだ腰で、何かが揺れた。クールな装いとは不似合いな、武骨で分厚い──革紐の先にぶら下げた、見るからに使いこんだ、
……革手袋?
「なに。置いてけぼり?」
「──えっ?」
ギクリと尻から目をそむけ、わたわた茶髪に目を向ける。「あ、えっと……すぐに戻るって、言ってたんだけど……」
彼が言うのはあの連れの、ダナンとジョエルのことだろう。そういえば、まだ戻らない。席を立って、ずいぶん経つのに。
卓から椀を取りあげて、ちら、と茶髪が横目で見やった。「まずかった?」
ぽかんとエレーンは見返した。なんのことか、と首をかしげる。
はたと、その意味に気がついた。
「あっ、ううん! そうじゃなくって!」
茶髪に向かって、あわてて手を振る。「ごめんなさい。今、あんまり食欲なくて──あ、この辺、すごく暑いから」
椀の中には、半分も残した冷めた粥。
ふうん、と茶髪はどうでもよさげに、卓から空き瓶を取りあげた。
無造作にねじった紙の袋を、片づけた皿の上に放り投げる。あれは──
「すっ、すみません……」
小声でエレーンは首をすくめ、気まずい思いで小さくなった。ジョエルがここで食べていた、パンの包みの残骸だ。
そっけない茶髪の横顔を、上目づかいで、あのぉ、とうかがう。「あの、やっぱ駄目ですよね? よそのお店からの持ちこみとかは。それに、失礼な口まできいて」
卓を拭いていた手を止めて、ふと、茶髪が一瞥をくれた。
かがんだシャツの背を起こし、腰でしめた黒い前かけの片足に、体重を預けて向きなおる。
怪訝そうな目に気圧されて、エレーンはしどもど手のひらを握る。
「あの、ごめんなさい。連れが偉そうに怒鳴ったりして。──でも、悪気はないんです。あの子、なんていうか不愛想で、つっけんどんなところがあって、急に鳥が降りてきたから、それできっと、びっくりしちゃって──そんなに悪い子じゃないんだけど……」
くっ、と茶髪が、顔をゆがめてふき出した。
握った手を口にあて、クスクスおかしそうに苦笑っている。
「こりゃ、さしもの発破師も形なしだな……」
ぱちくりエレーンはまたたいた。
イケてる茶髪は、目じりの涙を指先でぬぐう。「あの物騒な連中を、悪ガキ扱いするとはね。いや、あんた、いい度胸してるわ」
卓から盆を取りあげて、クスクス笑いを噛みしめながら、店の中へ戻っていく。
気だるげにカウンターにもたれていた、仲間二人の元に戻り、何やら笑って話している。
茶髪あたま一同が、ちら、と一斉に目を向けた。
今の臙脂のシャツと同様、濃紺のシャツと黒シャツが、ふき出した様子で、それぞれ身じろぐ。
「……な、なに?」
予期せぬ事態が発生し、眉根を寄せてエレーンは固まる。どうも彼らに笑われたようだが、そんなにウケるようなことを言っただろうか。きちんと正しく謝っただけだが。てか "ハッパシ"ってなに。
訳がわからず悶々と、首をひねって頬を掻いていると、さっきの茶髪が戻ってきた。臙脂のシャツの店員だ。
片手で持った盆の上から、ことり、とカップを卓におく。赤銅色の金属の。
そして、ことり、ともう一つ、ガラスの足つきコンポート。涼しげな器に盛られているのは、茶色いカラメルのかがやくプリン?
「食後のデザート」
あわてて茶髪を振り仰いだ。「あのっ、あたし頼んでな──」
「いいよ、サービス」
笑って、茶髪は片目をつぶる。
「栄養あるから食っときな。あれっぱかしじゃ、すぐにバテるぜ。──いや、久々にスカッとしたからさ。あんたみたいな女の子が、連中を一喝するってんだから」
「……れんちゅう?」
はた、と気づいて見返した。
「ダナンたちのこと、知ってるの?」
「日に三度は顔出すからな」
「さん、ど──!?」
予期せぬ頻度に、あぜんと絶句。つまり、それって朝昼晩? いや、でも、それは最低回数ってことだから──ってことは、もしや、まさかの、
行きつけ、か!?
かるく動揺をきたした脳裏で、連れの様子を急きょ再現。いや、そういう事情であるならば、かの脱色頭の態度について、いささか気になることがある。
おそるおそる、うかがった。「あの、もしかして……いつも、あんな偉そうに?」
「あの人たちって、横柄っていうかさ」
昼の凪いだ通りを見やって、茶髪は溜息まじりに頭をかいた。「いつも強引なんだよな」
(……わかります〜!) と内心で手を組み、エレーンはコクコク激しく同意。問答無用で二階の窓から、ほっぽり投げてくれちゃうし。
内緒話をするように、垢ぬけた茶髪が背をかがめた。
「あんた、すごいね」
意味がわからず見かえすと、立てた親指で空をさす。「さっきの鳥」
「──ああ。さっき、ここへ来た、」
クロウの青鳥、ジゼルのことだ。あの時は脱色頭の、今にもぶった斬りそうな勢いに焦って、あわてて言い包めて帰したが。
いかにも「聞いてます〜」という顔つきで雁首ならべた三羽の顔が、つらつら脳裏に思い浮かぶ。
今の褒め言葉の意味に気がついた。
「へ、変よね。鳥と、喋るとか……」
冷や汗たらたら、引きつり笑い。はたから見れば、さぞや異様だったろう。刷り込みで育てる青鳥は、人との関係が特別に密だが、事情を知る連れでさえ、戸惑った顔をしていたし。
──つまりは、完璧に怪しい奴じゃ?
指をいじくり、せめて抗弁。「あっ、あのぉ〜、でも、なんていうか──あの子たちの言いたいことが、なんとなく、わかるっていうか」
「うん。わかるよ、言ってることは」
ぽかん、とイケてる茶髪を見た。「……ヘ?」
「俺も飼ってる」
三羽が飛び去った空のかなたに、茶髪は視線をめぐらせる。
ガリガリ片手で頭をかいた。「ああ上手くはいかないけどな。あいつらにだって、意思がある。好きな餌なら喜んで笑うし、理不尽に叱れば、嫌そうな顔をして抗議もする。──いや、あんたのおかげで潰されずに済んだよ」
「……。は、はあ」
あいまいに笑って、エレーンはうなずく。まったく人は見かけによらない。こんなにイケてる兄ちゃんなのに、そんなに鳥が大好きか? 他人の鳥のことで礼を言うほど?
茶髪が卓から背を起こし、片づけた盆をとりあげた。
「ま、ゆっくり、していって」
はたと、エレーンは我に返る。「──す、すみません、長居して。連れが、まだ戻らなくって」
「好きなだけ、いていいよ。どうせ宵まで、客なんかねえから」
じゃあね、と鳥が大好きな茶髪は、気負いない足取りで戻っていく。相変わらず気だるげに、カウンターでたむろす二人の茶髪も、どことなく和やかな雰囲気だ。
大きなパラソルの日よけの下、白い卓布の天板の上には、汗をかいた赤銅のカップと、ガラスの器に盛られたプリン──。
カラメルの上にのっていた、かわいいサクランボをとりあげた。
それを口へと放りこみ、ぷらぷら揺らして軸で遊ぶ。
「……どうなってんの?」
彼らの機嫌が良くなった。なぜだか急に、格段に。
ダナンと店に入った時には、あんなに不愛想だったのに。卓には、サービスで出してくれた、クリームたっぷりのかわいいプリンと、滴のついた赤銅のカップ。
まだ、食欲はないのだが、あの茶髪のせっかくの好意だ。ひんやり冷たいカップを取りあげ、なんの気なしに、コク、と一口。
二度見で、中を覗きこんだ。
「……あまい」
一転コクコク、両手で持って、夢中で飲む。
甘くて、おいしい。冷たくて、ミルクがたっぷり入った──これは、そう、珈琲牛乳? 何も喉を通らないと思っていたのに。
プリンをかきこみ、ごくごく飲んで、人心地ついて気がついた。
喉が渇いていたことに。彼女と対峙し、ずっと緊張していたことに。──そうか、と今になって気がついた。これらを作って持ってきてくれた、あの茶髪の気遣いに。
通りに面した店の扉は、すべて端まで開け放ってある。
いくら奥のカウンターにいても、見えていないはずがなかった。「ケネルの彼女」に、一方的になじられた様が。
だが、彼女については一言も、話題にのぼることはなかった。あえて茶髪が触れなかったから。責められてばかりいて、言い返すことさえできなくて、さぞ、みじめな女に見えたろうに──。
よぎった記憶に胸が痛んで、カップを力なく卓に戻した。
一気にあらかた飲み干した底で、わずかに残った液体が揺れる。彼女が浴びせた厳しい言葉が、責めるような視線がよみがえる。
溜息まじりにうなだれた。「なんで、あたしが、ケネルを振ったことになってんのよ……」
確かに、ケネルとは会えなかった。
迎えにくる、と約束した、診療所の、あの朝に。
でも、どうすることも、できなかったのだ。急に病室に閉じこめられて、ノッポくんが逃がしてくれて、朝まで留まれる状態じゃなかった。そもそも、まだ、一緒に「行く」とも「行かない」とも言ってない。まだ、何も答えてない。けれど、ケネルは、あの朝の不在を、こちらの拒絶と受けとった。そして──
強い瞳でこちらを見据えた、去り際の彼女が頭をよぎった。
思わず、眉をしかめて目を伏せる。
いぶかしい思いで、首をかしげた。
……なんだろう。しっくりこない。
これから所帯を持つというのに、彼女はちっとも、幸せそうには見えなかったのだ。長らく想いを寄せた相手と、一緒になれるはずなのに。
伝わったのは、むしろ苛立ち。せっつくような、責めるような、それでいて、すがられているような──。なぜ、あんなにも必死になって。
彼女が話しにきた目的は、牽制のためというよりむしろ、商都に戻るよう促すことにあるように思えた。自分の彼の、ケネルと一緒に。
そう、それこそが釈然としない。自分の彼を他の女に、なぜ、わざわざ近づけるような真似を? しかも、実は勘違いとはいえ、自分の彼を振った女に。もしや、それは、ケネルの目的を叶えるため? つまりは「味方をする」ために?
「……なんて、いうのか」
夏の陽射しに温められた白い卓布に肘をつき、眉をしかめて額を揉む。自分が彼女の立場なら、いい気はしないに決まっている。
思っていたのとは、何か違った。
通りに現れた彼女を見た時、てっきりこちらを排除しに来たと思ったのに。
彼女の言葉の端々に、すっきりしない淀みがある。こちらを牽制しながらも、ケネルと共に立ち去らせようとしている、そんなふうに見えるのだ。それに、初対面の相手というのに、あんなにも立ち入った身の上話。なぜ、彼女はそんなにも「この国に生まれたかった」のか。──ああ、まったく、わからないことだらけだ。
けれど、あの表情、あの視線。これだけは、はっきりしている。彼女はケネルを、
愛している──。
だから、何も言えなかった。
利き手で他方の手をくるみ、口元にあてがった拳の中に、ぎゅっと思わず力がこもる。
さわり、とどこかで風が立つ。
向かいからの砂風に、目をつぶって顔をそむけた。とっさに伏せた視線のその先、天板の下で、風が騒ぐ。
視界を掠めた、その光景をいぶかしみ、腰を浮かせて椅子を引いた。
そっと天板の卓布をめくり、歩道の上で三方に分かれた、黒鉄の支柱の台座を覗く。歩道の褪せた石畳で、さわり──と引っ張られるようにして集まった砂が、奇妙な動きを見せたのだ。ふわりと浮いて、一瞬停まり、すぐに逆流したような。
砂はさらさら、小さく渦を巻いている。
とん、と"黒"が、足元から卓に飛び乗った。
驚いて卓に目をやれば、目の前で顔を見あげているのは、か細い前脚を行儀よくそろえた──
「……猫?」
あぜんと両手で、毛皮の両脇を抱きあげた。
黒い仔猫は逃げようともせず、大人しく身を委ねている。まだ生まれて間もないのか、手のひらに乗るほどの小ささだ。毛皮の砂を軽く払って、懐にかかえて頭をなでる。「──よしよし、いい子ね。どこの子かな〜?」
脆さを感じる軽い体。
それでも生きている健気な体温。薄く柔らかい毛皮の向こうに、仔猫の華奢な骨格を感じる。砂にまみれて痩せこけた感じは、親とはぐれた野良だろうか。
「……そっか。もしかして、おなかすいてる?」
仔猫の事情に気がついて、小さなその顔を覗きこむ。日々の空腹に耐えかねて、それで卓まで登ってきたのか?
思わず、猫と見つめ合った。空腹の辛さはよくわかる。そりゃもう、とんでもない拷問だ。度重なる災難で、近ごろ特に身に染みてるし!
何かないかと卓を探すが、あいにく皿は下げられたばかり。あるのは、半分手をつけた、カラメル・プリンのコンポート。
かわいいガラスの器から、白いクリームを一すくい、ぽとん、と自分の手のひらに落とした。
腕の仔猫の鼻先へ、手のクリームをもっていく。
ふんふん仔猫は匂いを嗅いで、華奢な前足をふんばった。かかえた手から乗り出して、転げ落ちそうになりながら、ぺろぺろ懸命に舐めている。
「ごめんね。今、こんなのしかなくって」
ざらつく舌がくすぐったい。
「これじゃ、お腹の足しにならないよね。なにか食べられそうなのがあれば、よかったのに。消化のいい……お粥とか」
……ああ、なんて皮肉なタイミング。
返す返すも悔やまれる。あんなにたくさん残っていたのに。
後ろ髪を引かれて店内を見れば、茶髪たちは相変わらず、カウンターの前でたむろしている。
営業は夜が本番のようで、三人三様思い思いに暇を潰しているようだ。天板にうつむいた黒シャツは、気だるげな手つきで雑誌をめくり、隣の高椅子で臙脂のシャツが、首からさげた鎖をいじり、カウンター手前の天板で片肘をついた濃紺シャツが、二人に話しかけている。暇そうに寛いだあの様子では、片付けものもすっかり済んで、さっきさげたあの粥も、もう捨ててしまったろう。
椅子からそわそわ腰を浮かせて、首を伸ばして様子をうかがう。
「も、もう一品、頼んでもいいよね?」
財政事情の逼迫する昨今、そんな余裕はどこにもないが、お財布係──もといダナンとジョエルも、そろそろ戻ってくるだろうし。
仔猫が、いやに気にかかる。
打ちのめされたばかりの心が過敏になっているのだろうか。か細い手足で頼られて、今は、どうしても見捨てられない。
(だって、この子、今食べられないと、死んじゃうかも……)
だって、こんなに痩せこけている。体力だって、きっとない。こんなにか細い小さな体で、厳しい暑さに耐えられるだろうか。
とはいえ、追加注文も気が引ける。あれだけ大量に残しておいて。──いや、鳥大好きな"えんじ"なら、残飯だとか切った肉の切れ端だとか調理場にある余りものを、もしかすると持ってきてくれる、かも?
「あ、あのぉ〜……」
ぎこちなく笑って、もじもじ挙手し、そろり、と椅子から腰を浮かせる。まったく、なんて間の悪い──
ぎくり、と肩が強ばった。
「……え?」
頭で理解するより先に、体が勝手に反応した。
体を駆けぬけた強い軋みが「何であるのか」の認識が、少し遅れてやってきた。
息をつめ、意識を凝らす。
すべての力が内へ集まっていくように、停止した全身が硬直する。
疑いようもなく肌で感じる。
その気配を追いかけて、全神経が集中していく。
ぴん、と張りつめたこの気配。一方向に引かれるような、引っ張られるようなこの感じ──
「ど、どうしたら……」
近づいてくる。
狼狽して、視線をめぐらす。どんどん、こっちに、
──やってくる。
卓布をつかんで、とっさにめくり、天板の下に滑りこんだ。
卓布にかこまれた天板の下で、仔猫をかかえて息を殺す。身を固くした顔の横には、天板をささえる黒鉄の脚。しゃがみこんだ足元に、歩道の褪せた石畳。
(どうして、ここに……)
気持ちが乱れ 鼓動が速まる。
間違いない、この感じ。
路地をぬけ、街角を曲がり、この歩道の先に入った。そう、この店に向かっている。
覚悟を決める暇もなく、どんどん、こちらに近づいてくる。あの気配が、
ケネルの気配が。
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