■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章71
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静かな青い月明かりの中、肩の"それ"がきらめいた。
細く連なる銀のチェーン。そして、禿頭に黒めがね。灯りのない大部屋の、宵風の吹く暗がりに、あのセレスタンが立っている。
「……どう、して」
口端がわななき、声が震えた。
暗がりに浮かぶ黒いめがねを、浅い呼吸で凝視する。彼は死んだ、そのはずだ。
あの晩、ダナンがそう言った。散々泣いて訴えたザイも、ついに否定しなかった。目覚めた後で、話したジョエルも。
けれど、現に、ここにいる。
訳がわからず、あえぐように言葉がこぼれる。「だって……だって "死んだ"ってダナンが。"秘密は守れるか"って念まで押して」
「──たく。しょうがねえな、あの野郎」
黒いめがねが身じろいだ。
舌打ちして苦笑いする。「バラす気満々だったんじゃねえかよ」
「……え?」
エレーンは聞き咎め、息を呑んだ。だったら、ダナンも知っていて──。
──いや、ダナンだけじゃない。
彼らと過ごした数日の、いくつかの場面が脳裏をよぎる。
ちくり、とトゲがささったような、嫌な違和感は時おりあった。それと指摘はできないまでも、何か変だと感じていた。セレスタンの名前を出した途端、態度がぎこちなく変わった気がして。
ふっと理由が腑に落ちた。
だからジョエルは、宵の街で追い払われた? だからダナンは、すまなそうに何度も謝った? だからザイは、あの時、急にあんなことを──
『 殴っていいスよ、俺のツラ 』
唐突に現れた向かいの顔を、にわかには信じられない思いで、ただただ見つめる。「……あたしのこと、騙したの?」
「ええ」
あっさり、セレスタンはそれを認めた。言葉を濁すでも、誤魔化すでもなく。
震える声で、重ねて尋ねる。「──みんな、グル?」
「ええ」
やはり、何のためらいもない。
言い訳もしなければ、取り繕いもしない。今そう答えれば、こちらが傷つくことであろうことは、たやすく想像できるだろうに。
黒いめがねが、無言で見ていた。こちらの気持ちが楽になるような言葉は、何ひとつ、かけてくれない──。
ひやり、と身が引き締まる思いがした。
そう、彼はこういう人だ。
いつも彼は優しいが、安易な妥協をすることはない。御しやすそうな上辺に反して、その実あなどってはならない相手──以前、身に染みた戒めを、今になって思い出す。
要の場面にさしかかれば、彼が手を抜くことはない。
威嚇で相手をねじ伏せはしないが、徒におもねることもない。その流儀は一貫して、合理的でブレがない。
唇をかんで目をそらし、腿の横におろしていた、感覚のない手のひらを握る。「……ひどい、セレスタン」
「ええ、そう思いますよ」
「し、死んだなんて急に言われて、あたしがどれだけ、びっくりしたと──」
「わかってますよ」
「わかってない!」
「わかってますよ」
セレスタンは淡々と、だが、譲ることなく重ねて打ち消す。
「ちゃんと、わかっていますから」
気圧され、とっさに目をそらした。「……な、なに考えてんのか、わかんない。ザイも、ダナンも、セレスタンも」
この理不尽な扱いに、不服と反発が渦をまく。
悪いのは、明らかにセレスタンの方だ。ひどい嘘で、傷つけ、騙した。それでも決して、敵わない──。
天井近くの陰の中、黒いめがねのその顔は、やはり落ち着きはらっている。いっそ、平然とした佇まいで。すでに嘘は暴かれたというのに。
口をつぐんで笑みを消せば、彼が何を考えているのか、まるでわからなくなってしまう。あらかた表情を隠してしまう、あの黒いめがねのせいで。
「……ザイたちと会ったのに、セレスタンがいなくって」
無言の視線から思わず逃れ、薄闇にひろがる敷物を見つめた。
「だから、みんなに理由を訊いたら、急に雰囲気が変になって。なんだかすごく気になって……セレスタンに何かあったんじゃないかって、胸騒ぎが続いてて、ずっと、あたし心配で。なのに──」
そうだ。彼はわかっていない。
ようやく手に入れたその答えが、どれほど過酷なものだったのか。どれほどの衝撃だったのか。どれほどの恐怖だったのか。いつも、そばで寄り添ってくれた、親しい人を喪うことが。
灯りのない室内に、夜風だけが吹いていた。
月明かりの届かない、天井下の宵闇に埋もれて、じっと黒めがねは聞いている。底のしれない盤石さで。
「……ひどい、セレスタン!」
静寂に耐えかね、たまらずなじった。
「なんで、そんなひどいことをするの? なんで、あたしに、そんな嘘を! 死んだなんて、いきなり言われて、あたしが今まで、どんな思いで──!」
「居所、知られちまいましてね、母ちゃんの」
面食らって、声を呑んだ。「……え?」
「──敵わねえな。姫さんには」
黒いめがねが目をそらし、往生したように頭を掻く。「──あいつがほだされたのも、わかる気がするわ」
観念したというように、やれやれと向き直った。
「こうなった以上、姫さんには、話した方がいいでしょう。要するに人質ってことです。昔の仲間に脅されちまって」
思わぬ話に目をみはり、エレーンは視線をさまよわせる。
「盾にされましてね、母親を。それで二進も三進もいかなくなって。で、俺がいると、つけこまれるんで、しばらく潜伏して身を隠していたような次第で」
応えに窮して床に目を伏せ、利き手の親指の爪をかむ。「……あ、あの、ごめんなさい。あたし、ちっとも知らなくて……」
そうだった、と思い出す。この彼の揺るぎなさには、いつも、きちんと理由があると。
「実のところ、誰も思ってなかったんすよ。俺のことで姫さんが、そんなに泣いてくれるとは。だから、あいつもいつもの調子で、こっちの表向きの名目を、一律に伝えちまったわけで。もっとも、それを気取られた時点で、俺らの手落ちなんすけど」
向かいの気配が身じろいで、うかがうように覗きこむ。
「すみませんでした、姫さん。心配かけて」
エレーンは目をみはって顔をあげた。
事態の急転に追いつけず、見つめたまま、返事ができない。彼に親がいたという当たり前のことでさえ、こうして改めて突きつけられれば、唐突な気がしていたのに。けれど、混乱した頭でも、確実にわかることが一つある。
あの彼が、ここに、いる。
あの優しい笑みをたたえて。以前と何ひとつ変わることなく──。
熱い塊がせりあがり、喉が詰まって、ひくついた。
それが涙となってあふれ出て、ぽろぽろ頬を滑り落ちる。
わななく唇をかみしめて、こらえきれずに床を蹴った。
ぶつかるようにしてしがみつき、力のかぎりに抱きしめる。「会いたかった! 会いたかった、セレスタン!」
ビク──とその背が強ばった。
突っ張ったように、全身が硬直。指の先まで、いびつに伸びて──
「ひ、姫さん、待って!?──痛い痛い痛いっ!?」
……え?
ぽかんと、エレーンは顔を仰いだ。きつく抱きかかえたセレスタンが、精一杯仰向いて、じたばた身をよじっている? なんというか、死力を尽くして。
「待って姫さん!? まじ待ってっ!」
振り絞るような悲痛なうめき。痙攣一歩手前の切実さ。そう、何が起きたか不明だが、たぶん、これは
大マジの悲鳴だ。
ぎょっとエレーンは飛びのいた。
腕で脇腹を抱きかかえ、セレスタンが身を折り、へたりこむ。
エレーンはあわあわ両手を見、首をかしげて、うろたえる。「え──えええ? そっ、そんなにあたし、力いれてた……?」
そうする間にもセレスタンは、い草の敷物の床を這い、腰窓の下の壁にもたれる。長い足を無造作に投げ、脇腹をかかえてうなだれる。こらえるように眉をしかめて。
エレーンは顔をゆがめて突っ立った。「そっ、そっ、そんなに……?」
悶絶しそうなほど痛かったのか? てか、
いつから己は、そんなに怪力になったのだ……?
壁にもたれて、ぐったりうなだれ、セレスタンは必死な形相。ゆっくり肩を上下させ、注意深く呼吸を整えている。
はあ……と浅く息をついた。「大、丈夫……」
──じゃないよね!?
見やった顔が、涙目で引くつく。まったく素直にうなずけない。
そわそわ正座で滑りこみ、うつむいた顔をおろおろ覗いた。「セ、セレスタン……」
「大丈夫、ですって……じっとしてれば、治りますから」
彼は穏やかになだめてくれるが、奥歯を食いしばった横顔と、額の脂汗が痛々しい。
「姫さんが、飛びついてくれるとは、思わなかった、もんだから……」
それってつまり、不意を突かれて逃げられなかった、ということか?
我が身を抱えた禿頭が、あえぐように息をついている。
エレーンはおろおろ左右から覗く。なんというきまりの悪さ。悪行の自覚がひしひし押し寄せ、身も細るような思いでうなだれる。「ご、ごめんね、セレスタン。あたし、つい……」
「──姫さんのせいじゃ、ないっすよ」
手の重みが、後頭部にのった。
おそるおそる目をあげると、壁にもたれた黒めがねが、こちらに片腕を伸ばしている。
ふう……と大儀そうに息をつき、眉をさげて笑って見せた。「情けないとこ、見られちまったな。でも、本当にもう、平気すから」
「……。ほ、ほ、ほんとーに?」
ごくりとエレーンは唾をのみ、疑わしげに眉を寄せる。その言葉、嘘ではあるまいな。
セレスタンは足を投げ、その体力が尽きたかのように、腰窓の下にもたれている。窓の手すりに禿頭を預けて。
何か不思議な光景だった。だって、訃報に泣き伏して、慕ってやまなかったあの彼が、この目の前にいるというのだ。
──もしや、夢か、と不安がよぎる。
静かな虫の音に包まれて、月明かりの部屋に二人きり。青い静寂に満たされた、がらんと何もない敷物の大部屋。ひっそりとして幻想的な──。
よく知る彼の見慣れぬ身成りも、このふわふわとあいまいな、淡い不思議さに輪をかける。フードの付いた外套の肩。きらきら闇で光をはじく、彼には珍しい長いピアス。そして、底のしれない黒めがね。彼の感情を押し隠し、意思の疎通をたちまち遮断するような──。
「……ねえ。もう、やめちゃったの?」
ぽつり、と思わず言葉が漏れた。
浅く息をついていた、セレスタンが怪訝そうに目を向ける。
「似合ってたのに。黄色いめがね」
──ああ、と合点したように、その頬がゆるんだ。
注意を向けて持ちあげた頭を、苦笑いで手すりに戻す。「失くしちまって。あれは、もう」
「でも、暗い部屋で黒いめがね、なん、て──?」
はた、とエレーンは目をみはった。
すっくと床から立ちあがる。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
わたわた部屋の隅へ飛んでいき、赤いリュックをひっつかむ。
鞄の中をごそごそ漁り、それをつかんで駆け戻った。「セレスタン、これ! よかったら」
目の前に差し出された手に、セレスタンは気だるげに目を向ける。
眉をひそめて、身を起こした。「……これ、どこで」
「実は、ベルセで泊まった宿の、窓のところで見つけちゃって」
えへへ、とエレーンは照れ笑い。
「あ、でも、安心して? 持ち主はいないから。前に泊まってた人の忘れ物かなって思ったけど、着いた時にはなかったし。他の人にも訊いてみたけど、なんでかみんな知らないって言うし」
リュックの中から出してきたのは、黄色いレンズの丸めがね。レノさまと同室のあの窓辺に、いつの間にか置いてあったものだ。
「ね、黒いめがねより断然似合うって。大体、夜に黒いのってどうよ。それじゃ、なんにも見えないでしょー?」
「……。ええ。まったく」
感慨深げにセレスタンはつぶやき、手を伸ばして、それを受けとる。
手のひらにのせて、しばらくながめ、くすり、とおかしそうに苦笑いした。「……持ってて、くれたんすね」
「え?……あ、うん。なんか、なんとなく持ってきちゃって」
投げた足を引き寄せて、ゆるいあぐらで、くつくつ一人で笑っている。黒いめがねをうつむいて外し、黄色い丸レンズのめがねをかける。
ひょい、と顎を突き出した。
「どう?」
エレーンは両手を握って満面の笑み。「やっぱ、そーゆーのセレスタン似合うぅぅー」
「でっしょー?」
にぃ、と歯をむき出した。
膝の黒めがねを、苦笑いで見る。「──姫さんは、こいつが嫌いすか」
「え……ていうかー。セレスタン絶対、黄色のが似合うし。黒い奴はなんていうか、ちょっと怖い感じするし。あ、でも! よく見えるようになったでしょ?」
「──ええ」
ふっとセレスタンが目を伏せて、微笑するように頬をゆるめた。
「……世界が明るくなりましたよ」
どことなく、ぎこちなく。
やっと、息がつけたかのように。
「あ、でも、ピアスとは合わなくなっちゃったかー」
禿頭の肩を見おろして、エレーンは、ふ〜む、と首をかしげる。
「今のが繊細な感じだから、そういうラフな丸いめがねじゃ、なんか、ちょっとチグハグって感じ? あっ、それはそれで、キラキラしてて、きれいなんだけども」
肩に流れる三連のチェーン。彼の普段の好みとは大分イメージが違うので、さっき部屋に入って来た時、すぐには彼と気づかなかったのだ。
「ねー。セレスタン趣味変わったー?」と首をかしげてつくづく見ると、「──ああ、これのことっすか」と困ったようにセレスタンは笑った。
「なら、いつもの奴に戻しますか。せっかく、こいつをもらったことだし。こだわりなんかは別にないんで」
形の良い禿頭を左の肩にかたむけて、チェーンのピアスを取りはずす。
こちらの手をおもむろに取り、シャラリとそれを、手の上にのせた。「はい、姫さん。めがねのお礼」
「──え? そんなつもりで言ったんじゃ!?」
あわあわエレーンは顔をあげる。
いつものピアスを取り出して、セレスタンは早速つけかえる。「替えなら、いくらでも持ってるんで」
「……だ、だよね。でも、あたし、ピアスの穴あけてないし」
「あけましょうか?」
「──え゛?」
じっとり、至近距離で見つめ合う。
セレスタンは事もなげな顔。ちなみに、妙に上手そうだ。
「……う、うん。まあ、その内に」
あいまいに笑って、じりじり後退、エレーンはそれをズボンのポケットにねじこんだ。彼の手が届かない、ポケットの奥の、奥の奥へと。
「あ、ありがとね、これ」と誤魔化し笑って、もそもそ床に膝をつく。
「でも、よかったあー。セレスタン生きてて」
幸せに浸って、しみじみ嘆息、口を尖らせて腕を組む。「もーなによ、ダナンの嘘つきぃ。あたし、すっかり信じちゃったじゃないのよ。なあにが"秘密は守れるかー"よ」
まったくお陰で散々よー、とダナンのこれまでの言動を、つらつら脳裏で再生する。
はた、とその意味に気がついた。
こちらに口止めしながらも、結局、騙した、ということは……
あぜんと口を半開きにして、己の顔をエレーンは指さす。
「なら、あたし、秘密 守れない って思われてるってこと!?」
言おうかどうしようか迷った末に(こいつはペチャクチャ喋って回るな)と判断したということか?
「ひっどーい! なにそれ!」
ちょっと、かっこいいかも、って思ってたのに!
「許してやってもらえませんかね」
セレスタンが眉を下げ、なだめるように苦笑いした。
「あいつとしては、そう言うしかなかったんすよ。表向き、そういうことになってたんで」
「だけど、嘘とか、つかなくっても〜」
「結局のところ、姫さんを、巻き込みたくなかったんじゃないかと思いますよ。知れば、姫さんの負担になるし、妙な輩がちょっかいを出してくるかもしれない。そういう計算はできる奴だし、この対処は正しいすよ」
「……むぅ」
どうも、なんだか釈然としないが。
だって、それは彼らの理屈で、振り回されたこっちとしては……
「──あ、でも」
よぎった疑問に、顔をあげる。
「ずっと内緒にしてたんなら、なんでセレスタン、今になって」
そう、そうまでして秘密にしたなら、なぜ、今頃になって現れた?
「言ったでしょ。今、誰もいないって」
へ? とエレーンはまたたいた。確かに、さっきも、そう聞いたが。
そういえば、ダナンたちが戻らない。あの時、店で別れたきりで、未だになんの連絡もない。すぐに戻ると言っていたのに。──いや、
ふと、階下の物音を思い出した。
セレスタンが上がってくる前も、ざわついた感じがしていたが、まだ、遠くで物音がしている。もしや、店の誰かが戻ったのだろうか。赤い鉄枠のお洒落な店の。ダナンたちがいるのなら、とうにあがってきているだろうし。
「昼間、あいつら、一網打尽でしょっ引かれましてね」
……え?
「ま、通報したのは 俺 すけど」
ぎょっと泡食って見返した。「え゛え゛え゛っ!? なんでセレスタン、そんなこと──!?」
「ものは相談なんですが」
ひそひそ話をするように、あぐらの肩をセレスタンが乗り出す。
黄色いめがねの禿頭が、にんまり笑って己をさした。
「駆け落ちしません? 今から、俺と」
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