CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章72
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 西の山領の"竜"の様子に、目立った変化は見られない。
 まだ、悠然と構える余裕があるのだ。
 覚醒当初の、どんより曇った混濁が、嘘のように澄み渡っていた。
 まだらに冴えてきた意識くもの切れ間で、今では、まざまざと理解している。
 ──竜が、呼んでる・・・・
 宿から消えた、あの彼女を。
 西の尾根でとぐろを巻く、あの巨大な 《 荒竜 》 が。
 対手の手に彼女が落ちれば、のんびり構えてなどいないはず。彼女を追う敵手たちは、あの竜でさえ相当に手強い。
 だとすれば、まだ誰も、あの彼女を捕えていない──そのはずだ。

 《どくろ亭》の主セヴィランは、晩飯時の賑わいを後にし、人もまばらな通りに出た。
 バールの西方、ニトの町宿。彼女らしき客は、ここにもいない。
「── 一体、どこへ行ったんだか」
 月明かりの街路に目を凝らし、夜の町を闊歩する。
 バール中くまなく彼女を探し、やむなくニトに移動した。だが、躍起になって尋ね歩くも、手掛かりさえつかめない。路銀もない女の足では、そう遠くへは行けないはずだが──。
 数日前、バールの客室から忽然と消えた、あの彼女を捜していた。
 北カレリアで営む宿の、あの夏・・・の常連の一人。毎日世話をした、親戚の子らも同然の。そして今や、クレスト領家の正妻の座に収まった──。
 そして、捜す相手は、もう一人。
 同じく、長逗留していた店の上客。彼女の仲間の裕福な──いや、彼女にとっては「ご主人様」か。
 西の竜に近づくにつれ、彼女は「力」を増していく。
 竜の波動に感化され、「あわい」の「精気」を引き出して。
『 血色よくなったと思わない? あいつ 』
 街道に停めた幌馬車にもたれ、そう仄めかしたユージンの言は、それを的確に語っている。つまり、彼女は、瀕死のファレスを治癒していた・・・・・・のだ。
 ──生命の胎 《 あわい 》 に降りて。
 それは命の定め事天命を捻じ曲げる行為── 一つの命はやがて死に、新たな命となって還流する、世のことわりを覆す禁忌だ。
 これまで連綿と続いてきた、その流れをき止めて、渾然一体となった混沌の中から、特定の個人をりあげる。恣意的に操作し、現世に戻す。いたって普通の人間に、なぜ、そんな途方もない芸当ができるのか。
 だが、彼女は「持ち得る者」ではない。あんなことを続けていては、やがて肉体が摩耗して、負担の増大に耐え切れなくなる。
「あわい」の精気を呼び出すような、ああした途轍とてつもなくすさまじい力は、確たる器があればこそ、強靭な資質がそなわっていてこそ、ようやく扱える荒業だ。二界の狭間に生れ落ち、時空を行き来するユージンのように。
 尋常でない膨張を、果たして「人」の身で持ちこたえられるか。膨れあがる内圧で、もろい外殻が破裂しないか。過日の不明の昏倒は、肉体が限界を超えた現れではないのか。このままでは──
「──なんとか、あの子を遠ざけないと」
 西の尾根の荒竜から。いや、問題は今や、それだけではない。
 彼女を追って部屋を出た、あの姿を街路に重ねて、セヴィランは歩きながら舌打ちする。
「なんとか、あの人を止めないと」
 実質的にこの国を牛耳る、ラトキエ領家の血族レノ。
 そして、おそらくこちら同様、この世界のことわりから外れた、特殊な出自の禁忌の存在。しかも、かなり格上の。
 早く、手を打たねばならない。
 彼女を見つけて保護するか、レノを見つけて阻止するか。焦点になっている彼女には、ユージンも執着していたが、レノの手に渡った場合の、彼女が被る危険の度合いは、あのユージンの比ではない。彼女をめぐる奪い合いに、万一、あのレノが勝利すれば──
 どす黒い焦燥に急き立てられて、足がついに走り出す。
 日増しに力を増していく、彼女を間近で見ていたレノの、冷ややかなつぶやきが蘇る。

怪物になる前に・・・・・・・ 始末しねーと・・・・・・

 夜の質が・・、変化した。
 すっと気温が落ちた気がして、セヴィランは駆け急ぐ足を、ふと止める。
 街路を踏んだ革靴の先で、不意に不自然に夜気が逆流、萌黄の波頭を残して消え入り、たゆたうようにうずくまる。
「……な、なんだ」
 ざわり、と背筋をなでられて、怪訝に西を振り向いた。
 
 
 

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