CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章73
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 ガタン──と大きな物音がした。
 月明かりの窓下の壁から、セレスタンがおもむろに腰をあげる。
 階下が、にわかに騒がしくなった。あわただしい話し声。誰かが階段を駆けあがる音──。
 廊下へ向かうセレスタンに駆け寄り、エレーンはあわててその背に隠れる。
 戸口に、人影が駆けこんだ。
「なにやってんだよ!」
 焦れたようにセレスタンを見たのは、昼に送ってくれた、あの"エンジ"だ。
「早く出ろ! すぐに大群が突っこむぞ!」
「わかった」
 心得た様子でセレスタンは応じ、おもむろに"エンジ"に目を向ける。「しばらく頼む。五分でいい」
「──でいい・・・、って、あのなあ……」
 顔をゆがめて"エンジ"は舌打ち。「あいにくヤワでね、あんたらと違って」
「女連れだぜ。なんとか頼む」
 "エンジ"が詰まったように口を閉じた。
 ちら、と戸惑ったように目を向ける。
「……えっ?」
 急な視線に弾かれて、エレーンはどぎまぎ、たじろぎ笑い。「な、なにか……?」
 往生したように顔をしかめて、"エンジ"がガリガリ茶髪を掻いた。
「──たく。滅茶苦茶だな、あんたらは」
 泰然と微笑むセレスタンを、恨みがましい溜息で睨む。「こっちの商売知ってんだろ。俺らに連中とやり合えっての?」
「なんとかなるだろ? じゃ、四分」
「町中の与太者が押し寄せてんだぞ」
「しょうがねえな、だったら三分」
「十分だ」
 え? とエレーンは面食らった。「あ、でも、それじゃ、三分よりもっと多──?」
 はあ、と"エンジ"が投げやりに嘆息、憮然とセレスタンを振り向いた。
「十分だ。なんとか総出で稼いでやる」
「恩に着る」
「──嘘をつけ」
 白けた顔で"エンジ"は舌打ち。「──お客さん・・・・がいちゃ、しょうがねえし」
 肩をすくめて踵を返し、踏み出した肩越しに振り向いた。
「急げ。それ以上はもたねえぞ!」
 バタバタ階下へ降りていく。
 あっという間に取り残されて、エレーンは呆然と見送った。
「……え? え? え? なになになに?」
 何がどうしてどうなったのか、さっぱり訳がわからない。
 隣で見送っていたセレスタンが、「姫さん」と呼びかけ、振り向いた。
「さ、行きますよ。靴はいて」
「……え?──あ、う、うん、わかった! 靴ね、靴っ!」
 エレーンはわたわた戸口に急行。急な気忙しさに追い立てられて、上がりがまちにしゃがみこむ。
 セレスタンも隣に腰をおろして、自分の編みあげの革靴をとった。
 わしわしブーツに足を突っ込み、エレーンは横顔を盗み見る。「あの〜。下で、なんかあったの?」
「いえ、なに。バレちまったようでね、敵に居場所が」
「……テキ?」
 て、誰。
「散々ちょっかい出してたでしょ。ほら、レーヌの海賊ですよ」
「──。えええーっ!?」
 瞠目して、かぶりついた。つまり、また、
 ── ジャイルズさん かー!?
 しおしお脱力、うなだれる。やっと、いなくなったと思ってたのにぃ……。
 もーやだ。しつこいっ……!と口を尖らせてぶちぶち文句、げんなり肩を落として靴を履く。横で、気配が立ちあがった。て、もう、靴、履き終えたのか!?
 て、いや、まて。
 ぎょっと背後を振りかぶった。
「ちょ!? セレスタン、どこ行くの!」
 禿頭の背がぶらぶらと、部屋にあがりこんでいく。い草の敷物の室内に。
 ──て、あんた、今、土足だからねっ!?
「な、何やってんのセレスタン! 早くあたしたちも逃げないとっ!」
 大群くるって言ってたし。
 半ばで禿頭は足を止め、窓の月明かりをながめている。て、のん気に月とか、ながめてる場合か!? 
 エレーンはやきもき階段を見やって、早く早くー、と引きつり顔で急き立てる。とっととここから逃げないと、また柄の悪い海賊どもが──
 くるり、と禿頭が振り向いた。
 黄色い丸めがねで、にへらと笑い「ちょっと、ちょっと」とひょいひょい手招き。うぬう、このハゲ。このに及んで何用だ!?
 部屋と、逃げ道の階段を、エレーンはあわあわ交互に見やる。
 連れがなんでか動かないので、室内のハ──セレスタンに向き直った。だが、靴は履いてしまったし、部屋は敷物の 土足厳禁どきん 仕様。その上、あんまり時間がない──
 履いたばかりの靴を睨んで、良識と闘い、そわそわためらう。
 ええい、ままよ! と、目をつぶって上がりこんだ。
 そうはいっても、ずかずか踏んづける度胸もないので、せめて、あんまり汚さないよう、そろりそろりと、爪先立ちの大股で歩く。部屋で突っ立ったセレスタン目指して。「んもぉ! 早くここから逃げないとぉ! あと十分って "エンジ"に言われ──」
「ものは相談なんですが」
 え゛っ? と顔が引きつった。また
 ──「ものは相談」かー!?
 さっきの「かけおち」云々がぐるぐる回り始めるが、悶々としている猶予を与えず、セレスタンはのん気に先を続ける。
「ちょっと、そこまで飛べたりします?」
 にっこり、指でさしたのは、隣家との間の暗い裏庭。いや、建物裏手の大木の方か? 仔猫の通路になっている──
「あっ?──いやいやいや──!」
 顔をゆがめた引きつり笑いで、エレーンは廊下を指さした。「そっ、そんなサバイバルしなくても、一階の玄関から 普通に 出(ようよ──っ!)」
「もう遅いすよ、玄関は」
 うじゃうじゃいますよ? おっかない輩が〜と、ひょい、とあご出し、脅すハゲ。
 ──う゛っ、とひるんで顔をしかめた。つまり、階下は地獄絵図? 髪をつかまれ踏んづけられる揉みくちゃ状態の阿鼻叫喚……?
 動揺して、うっかりつぶやく。「ま、まあ……ザイに窓から投げられた時は、これよりもっと遠かったけども──」
「なら、こんなの楽勝すね」
「……えっ?」
「はい、行きますよー?」
 ひょい、と脇の下をもちあげられた。
 てくてく、セレスタンは窓辺へ歩く。
「──え゛え゛え゛っ!? て、ちょっと待っ──行くなんてまだ一言も──!?」
「ザイの奴、窓からぶん投げたんですかー? ひどいことしますねえ、あのキツネも。──あ、枝つかんどいて下さいね? 俺もすぐに追っかけて、姫さん地面におろしますから」
 事もなげに言い添えて、ぽい、と窓から、ほうり出す。
 ──い゛っ!? と顔を引きつらせ、エレーンはわたわた空を掻いた。
 "エンジ"じゃないが、滅茶苦茶だ。あの人でなしのキツネに続いて悪逆非道のこの仕打ち。まったく、なんでこやつらは、すぐにそういうことをする! ていうか、セレスタン、
 ──お前もかー!?
 呪詛が脳裏にひらめいた直後、今飛び出した薄暗い部屋の、片隅の光景がふっとよぎる。
(あっ! かばんっ!?)
 赤のリュック、持ってくるの忘れた!
 セビーにノアニールで買ってもらった、いや、お金を払ったのはユージンくんだが、店のおばさんがオマケでくれたタヌキのお守りがついている──ていうか、かばんの中には、紛失するなどまかりならない、

 ── リナから借りてる制服がー!?

 あせって窓を振りかえる。
「──わ!?」
 ずるり、と手のひらが、枝で滑った。
 つかみ損ねた枝を起点に、ひねった体が大きく振られる。
 宙に投げ出され、のけぞった視界に、吸い込まれそうな濃紺の夜空。窓辺にセレスタンの驚いた顔。
 即座に、外套が手すりを蹴った。
 背中に何かがぶつかった衝撃。肩を強くつかまれる。
 がくん、と全身に衝撃が走った。
 こめかみの下に、ひんやり、夏草。
 投げ出された弾みでぶつけた額を「痛たた……」と涙目でのろのろさする。「……やだもー、まじで?」
 とはいえ、思ったより痛くない。
 あの枝をつかみ損ねて、まともに二階から落ちたのに──。あれ? なんでよ? と首をかしげて、黒い夜梢をしげしげと仰ぐ。
 はた、と気づいて飛びのいた。この、尻に敷いた感触は……
「わわっ!? ごめんっセレスタン!?」
 四方に張り出した根の脇の、生い茂った夏草に埋もれて、セレスタンが横倒しになっていた。窓にいた彼が「下に」いるということは、あの後すぐに窓から飛んで、まさか、空中で抱きとってくれた──?
「ど、どうしよう、あたしのせいで……」
 おろおろ正座で滑りこみ、横たわった彼を、涙目で覗く。「ご、ごめん。ごめんね、セレスタン。あたしが途中でよそ見なんかしたから」
 夏草に埋もれた横顔は、玉の汗を額に浮かべて、きつく歯を食いしばっている。長身を折り曲げ、つかんでいるのは、編みあげ靴の右の足首。
「あ、足が痛いの? どうかしちゃった? い、痛い? ごめんねっ、セレスタンっ」
 動揺に干上がった浅い呼吸で、おろおろ裏庭を見まわして、なすすべもなく靴をさする。
「やっ、やだっ。どうしようっ。あたしのせいでっ!」
「……大、丈夫、姫さん……泣かないで……」
 あえぐような、息をつめた声。
 夜の裏庭の暗がりで、黄色い丸めがねの横顔は、きつく奥歯を食いしばっている。もしや、骨でも折れたんじゃ──。夏草の暗がりに転がったまま、セレスタンはまだ起き上がらない。
 軒下の夏虫が鳴き出した。
 困って見あげた二階の窓は、灯りもなく、ひっそりしている。夜梢が黒く、夜空でざわめく。
 予期せぬ事故が起きていた。
 焦燥と後悔に、手が震える。動けない彼を覗きこみ、せめて、ごしごし、革靴の上から足をさする。「や、やだっ、あたし、なんてことをっ! もう、あたし、どうしたらっ」
「……やっぱ、」
 食いしばった頬が、ふっとゆるんだ。
 くすり、と口元が困ったように微笑う。
「……やっぱり、隊長みたいなわけには、いかねえな」
 声を立てずに息をつめ、セレスタンが肩を起こした。「……もう、大丈夫」
「ほっ、ほんとにっ?」
 とっさに膝立ちで追いすがる。
 外套の土を軽くはたいて、セレスタンは大儀そうに立ちあがる。「立てますか」
「……え?」
 黄色い丸めがねが、首をかしげる。「姫さん、怪我は?」
「あ……ううんっ! あたしは全然、どこもなんともっ!」
 ただちに、あわあわ立ちあがる。
「なら、よかった」
 セレスタンはうっすら笑い、自分の足元にうつむいた。
 右足を軽く振っている。痛めた足の、その度合いをみるように。膝から順次、爪先まで、注意深く確認するように。
 やがて、戸惑ったように動きを止めた。
「ど、どうかした? 歩けない?」
「──てっきり、っちまったかと思ったんですが」
 ためらいがちに首を傾げ、釈然としないといった顔。
「あんがい大したことはなかったようで。──大丈夫、ひねっただけっすよ。さっさと、ここを出ちまいましょう」
 外套のフードを手早くかぶり、裏庭の奥へと促した。
「裏から出ましょ。さ、長居は無用すよ」

 垣根の破れ目から外に出て、壁の暗がりを、選んで歩く。  
 まだ、いくらも行かない内に、後にした宿の方から、大きな物音が聞こえてきた。何かをひっくり返すような殺伐とした音。咆哮のような男たちの怒号。やや甲高いわめき声の応酬。切迫した猛々たけだけしい気配──。
「── 間一髪か」
 裏道を急ぐ横顔で、眉をひそめてセレスタンがつぶやく。
 さ、と笑って振り向いた。「あっちが足止めしてるに、なるべく遠くへ離れましょ」
「──だ、大丈夫かな〜、あの人たち」
 小走りでついて行きながら、エレーンはやきもき彼を仰ぐ。「ものすごい音してたけど。ねえ、ひどい怪我をしたりとか──」
「無理するほどの根性はないすよ。やばくなれば、逃げますって」
「でも、」
「連中、逃げ足は速いすよ?」
 要領いいし、とセレスタン。
「そっ、そうなんだ? だったら、いいけど。なら、みんなが頑張ってくれる十分の内に──」
「五分すよ」
「……え?」
「もって精々五分ってとこです」
「でもぉ、さっきはセレスタン──」
「いや、残り三分切ったかな、足やって時間食っちまったし。ま、この界隈を抜けちまえば、後はどうにかなりますから」
 建物と建物の狭い隙間を、体を横にして奥へと進み、狭く暗い通りに出る。
「けど、あの宿には戻れないし。この先、あたしたち、どこに行ったら」
「本来ならば、目指すべきは、何をおいても "トラムの部隊"なんですが──」
 暗がりの中、言葉が途切れた。
 考え込むような横顔を、首をかしげてエレーンは仰ぐ。
 怪訝そうな視線に促されたか、どこか慎重にセレスタンが濁した。「ちょっと、気になることがありましてね」
「──気になること?」
 それについては応えることなく、思案を走らせるように口をつぐむ。
 意を決したように足を止め、西の方角を振り向いた。
「ひとまず、三番街を目指しましょう」
 ぽかん、とエレーンは咀嚼そしゃくする。「さん、番街?」
「ラディックス商会のザルト支所があります。あそこなら、確実にかくまってくれる」
 建物と建物の間に入った。
 壁との狭い隙間を進み、先に抜け出したセレスタンが、振り向き、手を引いてくれる。
「その前に、ちょっと寄り道します」
 建物の裏に出してあった木箱を、エレーンはブーツでまたぎ越す。「──え、でも、急がないと。なんで今、寄り道とか」
「姫さんの恰好かっこう、目立つんで」
 それから二区画、裏道を歩き、薄暗い曲がり角で、足を止めた。
 静かな辺りに視線をめぐらせ、町角の向こうを、セレスタンはうかがう。
 黄色い丸めがねの横顔が、眉をしかめて舌打ちした。
「──手回しがいいな」
 
 
 

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