CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章75
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 道端につづく露店のひさしで、吊るしのランプが輝いていた。
 ゆらめく火影ほかげに身をかがめ、売り台の品を確かめる人々。店先を冷やかし、そぞろ歩く人波。夜の市場のにぎわいが、歩道の両側を埋めつくしている。
 頭一つ上にある、連れの黄色い丸めがねを、えへへ、と笑ってエレーンは仰ぐ。「なんか縁日みたいだねー」
「もう、姫さん。よそ見しないで。ほら、ちゃんとフードをかぶって」
 背にずり落ちたフードを見咎め、すかさずセレスタンがかぶせ直す。
 視界をふさがれたエレーンは、すそをたくし上げた左手で、むぅ、とフードをもちあげる。「もー、これじゃあ、お店が見えないぃ」
「──あのねえ、姫さん」
 たまりかねたような溜息で、黄色い丸めがねが振り向いた。
「どこで見てるか、わからないんすよ? 手下が街中に散ってるようだし。なるべく顔は隠さないと」
「でもー。こんなに混んでんのに見つけられるー? こんなにいっぱい人がいるのにぃ?」
「──それはまあ、そうなんでしょうが」
「ほっらねー? 少しくらい平気だってば」
 露店のテントが立ちならぶ、人が行きかうざわめきの中、セレスタンと二人、手をつないで歩く。長い裾を踏まないように、もう片方の手でたくし上げて。
 エレーンは露店を見まわしながら、つないだ手をるんるん振る。
「ねーねーセレスタン、これってデートみたいだね」
 似たような夜の雑踏でも、二人で歩くと、何か楽しい。混雑の中に見え隠れする、ケネルの背中を追っていた時には、あんなに心細かったのに。
 そぞろ歩く人波にあわせて、ぶらぶら足を運びつつ、セレスタンは「そうっすね」と上の空。でも、手はしっかり握っている。はぐれないよう。放さないよう。乾いた、大きな手のひらの感触──。
 ほっとエレーンは頬をゆるめた。「……よかったー。あたしのこと嫌いじゃなくて」
 周囲をながめる目を止めて、ふと、セレスタンが振り向いた。「え? なんです?」
「だってー。さっき、あんなこと言うから」
「──あんなこと?──ああ、」
 すっかり忘れていたらしく、けげんそうに聞いていたセレスタンが、脱力したように嘆息した。
「俺が姫さんを嫌うわけないでしょ。俺がどんなに──」
 もどかしそうに言いかけて、ふと、気づいた様子で口をつぐむ。
 え、なに? と首をかしげて促すと、薄く笑って首を振った。「──いえ、なんでも」
「ええー。ちょっとなにー? なんか気になるぅーそういうの」
 精一杯のけぞって、黄色い丸めがねを覗きこむが、微笑わらうばかりで教えてくれない。
「ほら、また。よそ見すると転びますよ」
 仰向いて背中にずり落ちたフードを、やれやれとセレスタンが片手でかぶせる。
 だってー、とむくれて見あげた途端、がくん、と体のバランスが崩れた。
「──ぅわっ! ごめんっセレスタン」
 彼の足でつまずいたらしい。だって、視界がままならない。覆いかぶさるフードのせいで。
 もつれた足をなんとか踏みしめ、セレスタンに引っぱりあげてもらう。
「ほら、もう。まっすぐ歩いて」
 注意されたそばからやっちまい、気まずい笑みですがりつく。「う、うん、ごめん」
 やむなく、縮こまって大人しく歩いた。
 ちら、とエレーンは盗み見る。しまった。追及のタイミングを逸した。今ごろ蒸し返しても間抜けだし。
 ……あーあ、と雑踏をながめやり (あれ? そういえば)と気がついた。
 そう、そういえば意外にも、セレスタンはじろじろ見られていない。皆が外套を着こむ中、ひとり半袖姿でいるのに。
 活気のある露店をながめて、あー、あれかな、と見当をつけた。
 売り手の一人が休憩で、ぶらついている、とでも思われているのかもしれない。売り台の向こうの露店商は、呼び込みをするのに邪魔になるのか、上着を脱いでいる人が多いから。でも、背丈のあるセレスタンは、それだけで人目を引きそうなものだが──。
 だったら、顔のあざだろうか。それで目を合わせようとしないとか。どこかで喧嘩をしてきたと、つまりは危険な輩と思われて。──いや、そんなにギスギス、緊張をはらんだ雰囲気でもない。なんというのか、誰も・・気にしていない・・・・・・・のだ。
 一人だけ浮いた風貌なのに、周囲とあからさまに違うのに、道行く人は不思議なほど、彼の存在を気にしない。彼は人波に溶け込んで、雑踏の中を流れていく。誰の目にも止まることなく。   
 夏の夜の賑やかな市場は、買い物客でごった返し、外套ひしめく雑踏は、中々前に進まない。
 大ザルに盛られた黒い実の山。天板の向こうに座った老婦。赤い実を天秤にのせ、目盛りをすがめ見る白髪の店主。タライに塩を盛る粉売りの親父。露店の途切れた左手に、ぽっかりあいた、きらびやかな暗がり──。
 洞窟を思わせる闇の奥、黄金こがねの輝きが揺れていた。
 摩訶不思議な異界へといざなう門であるかのように、外側に開いた入り口は、赤サビのういた鉄の扉──。
「……あれ? あのドア」
 うつろう視界の片隅で、ふと、エレーンは目を止めた。
 刹那よぎった感傷とともに、確かな既視感がこみあげる。
 黄色い丸めがねを振り仰ぎ、彼とつないだ手を引いた。「ね。セレスタン、こっちこっち」
 混雑した人ごみの中、引っ張られてセレスタンは歩く。「え──ちょっと、どこ行くんすか。三番街はそっちじゃないすよ」
「せっかくだから、セレスタンにも見せてあげるっ」
「姫さん、寄り道はだめっすよ。まずは支所に行かないと。そこに何かあるんすか?」
「それがもー、すんごくきれいな場所あってー。向こうの通りとつながってるんだけど、なんていうの? 幻想的っていうの? あ、脇道じゃなくて建物の中で、お店が通路に並んでて、それが全部ランプとかランタンなんかで、もー、すんごくきれいなのー」
「──ランタン?」
 その言葉を聞き咎め、セレスタンが足を止めた。
「……俺も、こんなことは言いたくないんすが」
 はあ、とうなだれ、額をつかむ。「なんでそう見境なく、顔を売ってくるんすか」
 えええ? なによお、と眉をよせてエレーンはたじろぐ。
「それ、敵のアジトすよ」
「……あじと?──あ、だけど、お店しか」
「奥の方すよ、根城は倉庫の。店の方は隠れみので、あの構造の目的は、儲けより通路の確保でしょう。倉庫の出入り口を開け放して、はなから往来にしておけば、人目に立たずに出入りできるし、敵に根城を攻められても、二方向へ逃げられる。こっちの市場通りにも、もう一方の脇道にも。つか、姫さんトラビアは初めてでしょ。なんで、あんな場所を知ってんすか」
「来たもん、初日に」
 え、とセレスタンが顔をゆがめた。
 ……あー、そういや、そんなことを言ってたよな〜、と独りごちて頭を掻く。「もう。何やってんすか、狙われてるのに。市場なんかに来ちゃだめでしょ」
「あ、それ、ジョエルにも言われたー」
 そんでもって怒られてぇー、なっま意気よねー年下のくせにぃ―、とこれ幸いと言いつける。
 セレスタンが額をつかんで脱力した。「……。苦労してんな、あいつらも」
「あ、ねえ、」
 関連事項を思い出し、とっさに彼を振り仰ぐ。「そしたら、ケネルに助けてもらえばー? 泊まってる宿とこ、ここから近──」
 しまった、と気づくが遅かった。
「隊長が?」
 ふと、セレスタンが聞き咎め、いぶかしげに視線をめぐらせた。
 口を滑らせた己のポカに、内心、頭を掻きむしる。
(もー! なにやってんのよ、あたしのバカっ!)
 まだ、ケネルとは会いたくないのに。
 だって、ケネルの顔を見て、一体なんて言えばいい。"彼女に会ったよ。結婚するんだってね、おめでとう"?
 連れの様子をうかがえば、どこか難しい顔つきだ。
 黄色い丸めがねの横顔が苦々しげに眉をひそめる。「──上っちゃ上か・・・・・・隊長も・・・
 奇妙な独り言を聞き咎め、彼をうかがったその矢先、溜息まじりに首を振った。「──いや、よしましょう、隊長は」
「なんで?」
 ふと、セレスタンが我に返った。「──あ、いや、その」
「ねえ、今のどういう意味?」
 秘密の匂いを嗅ぎつけて、エレーンはただちに追及する。
「いや、なんでもないすっよ」
「あっそう。あたしに 隠し事 とかしちゃうんだー?」
 とぼけて誤魔化すセレスタンを、ふくれっ面でエレーンは見た。
「そーゆー人なんだーセレスタンって。あたしのことなんかどうでもいいって。あっ! じゃあ、さっきのも? さっき、あたしに嫌いじゃないって言ったのも、やっぱりそういう適当な感じで──!?」
「──わかったわかった! わかりましたよ」
 頭痛でもこらえる面持ちでじっと耐えていたセレスタンが、観念したように手をあげた。
 肩を落として首を振る。「たく。敵わねえな、姫さんには。──実はちょっと、まずいことになってましてね」
 まずいことー? と仰いで促す。ずれたフードをセレスタンが戻す。「どうやら上に、目ぇ付けられちまったようなんで」
 ──んもぉー、とエレーンは顔をゆがめた。
「何をやったの、セレスタン」
「俺じゃないすよ」
 ぱちくりエレーンは己をさす。「へ? なら、あたしぃ?」
 身に覚えは、まったくないが。
「なにそれ。あたしはなんにもしてな……」
 はたと気づいて口をつぐんだ。──いや、やったか。大いにやった。身に覚えは全然ある。勝手に部隊を駆り出して、散々ケネルたちを振り回したし。
「なら、あたし、叱られるってことぉ? そっちの、セレスタンたちの偉い人に?」
 ためらうようにセレスタンは見 視線を外して、つかのま一考。
 凝りをほぐすように首をまわした。「……あー」と言葉を探すように上目遣い。「そうすね。さしあたっては姫さんを、捕まえる・・・・ってことすかね。上層部うえの意向が耳に入れば、それに沿って隊長も、動く可能性があるわけで。だから、接触しないのが無難かと」
「や。まさか〜。ケネルが誰かの手先になるとか〜」
「俺たちは仕事柄、上からの指示は絶対なんすよ。この先、隊長がどう出るかは──」
 立場は未知数、追手の側に回ることも十分ありうる、ということだ。
 そぞろき歩きのざわめきに包まれ、手をつないで黙々と進む。
 歩く自分のブーツを見つめて、エレーンは密かに戸惑った。なんだか気持ちがざわざわする。だって、思ってもみなかった。ケネルが追手になるなんて。だから、ケネルには知らせない。それなら確かに、ケネルと会わずに済むけれど。でも、そういうのは、ちょっと違う──
 ぶらぶら足を運びつつ、セレスタンが軽く息をついた。
「──着いたら、連絡を入れますか」
 ずばり本心を言い当てられた気がして、ぎくりと強ばって振りかえる。「えっ?」
「姫さんの言うように、」
 黄色い丸めがねの横顔は、雑踏に視線を投げている。
「実は俺も、そう思わないでもないんすよ。ノースカレリア開戦で、上に盾ついたのも知ってるし、レーヌに直行した時の、常軌を逸した強行といったら──。とはいえ、今は猶予がないんで、まずは支所に向かいましょう。隊長が部屋にいるとは限らないし、いなけりゃ、余計に時間を食うんで」
「あ……う、うん。そだね、賛成」
 どぎまぎエレーンは笑いかけた。
 目を伏せながらも、視線が泳ぐ。胸がバクバク落ち着かない。ならば、やっぱり、ケネルと会うのか。つまり、もうすぐ、
 ──ケネルに会える。
「だが、もし、隊長が、向こうにつくなら、その時は──」
 はっとして奥歯を噛んだ。つまり、ケネルが敵方ならば──
「その時には、俺が何とかしますから」
 え? と面食らってセレスタンを見た。それは単身、組織と敵対するということか?
「……どうして、そんなに」
 戸惑い、エレーンは彼を見つめる。
 黄色い丸めがねが苦笑いした。「そうだな。──あえて言うなら "全幅の信頼" かな。俺のこと、姫さんは疑わないでしょ」
「そ、そりゃあそうよ。いつも助けてくれるもん。今も、宿から連れ出してくれたし。だけど、そんなことしたらセレスタン──」
「姫さん。俺はね、誓ったんすよ」
 何を、とは言わなかった。代わりに彼は「……ねえ、姫さん」と呼びかけた。
 混み合う雑踏をながめやり、人波の先に目をすがめる。
あんたの敵が・・・・・・誰だって・・・・俺は・・姫さんの味方すよ・・・・・・・・
「……え?」
 はっと頬が強ばった。
 長い外套をたくしあげた、胸の前の手に力がこもる。
 ざわり、と何かが胸をよぎった。不吉な影を見た気がした。なにか嫌なものが近づいてくる──。
 周囲の混雑を見まわして、おろおろ唇をかみしめる。なんだろう、進みたくない。
 もう、この先には行きたくない。急いでいるのは、わかっている。けれど、前に進みたくない──
「どうかしました?」
 はっと我に返って、振り向いた。
 雑踏のざわめきに包まれて、セレスタンが困ったように笑いかけている。
「もう、疲れちまいましたか」
「──あっ、ううん。平気! 歩ける!」
 あわてて彼の横に駆けよる。自分でも知らぬ間に、足を止めていたらしい。
「さ、ここまで来れば、三番街まで、あと一息すよ。じきに混雑も終わりますから」
「そ、そだね」
 彼にぎこちなく笑い返して、気を取り直して歩き出す。まったく、こんな時というのに、なにを変な妄想を。不安になるような要素など、何一つないというのに。
 そう、この先には何もない。もうすぐ着くと聞いたから、気がゆるんで怖気づいた、そう、ただそれだけのこと。あんなことを言うから、ちょっと恐くなっただけだ。いつになく硬い表情で、覚悟を決めたようなことを、彼が言うから──。
 そぞろき歩く人波に合わせて、ぶらぶら横を歩いている、めがねの横顔を盗み見る。
『 ものは相談なんですが 』
 今になって、腑に落ちた。あの時、持ちかけた「駆け落ち」の意図が。
 あの宿に現れた時から、彼は初めから、そのつもり・・・・・だ。
 一緒に逃げようとしてくれている。自分の組織を裏切ってまで。周囲の全てと対峙してまで。もしや、ザイたちを通報したのも──。
 決意の固さを思い知らされ、エレーンは気圧されて唾をのむ。セレスタンは、
 ──本気だ。
 彼は見極めるつもりなのだ。
 もし・・ケネルが・・・・味方でなければ・・・・・・・──
 
 
 

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