■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章78
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ずっと、無性に息苦しいのは、口の中に押し込められた、丸めたこの布切れのせいだ。
その上から別の布で、鼻下から顎を覆われている。
声ひとつ立てられない。
ぶかぶかの外套の背中で、両手首を縛られていた。足首も縛られ、身動きもとれない。
拡散していた意識を集めて、なんとか瞼をこじあければ、薄くたちこめた闇の先、閉じた鉄の扉が見えた。
ひっそりとした無灯の部屋だ。
右の肩を下にして、固い石床に転がされている。夢と現のあいまいな狭間で、何か考えていたようだったが、意識がにわかに戻った拍子に、明瞭な夜闇に霧散してしまった。
意識を取り戻した暗い部屋には、小さな明りとりが一つきり。
左右の壁を大型の木箱が埋め尽くし、暗い天井付近まで、高く積みあげられている。壁の隅にはいくつもの、どっしり詰まった穀物の袋──。
倉庫の中か、と気がついた。
夜市で隣を歩きながら、あのセレスタンが言っていた。幻想的なランタンの通りの、往来になった倉庫の奥が、海賊たちのアジトだと。
監禁されたようだった。
あの海賊の手下たちに。今は誰もいないようだが、一旦逃げて戻ったからには、どんな恐ろしい仕打ちをされるか。相手は残忍な海賊だ。気分次第で人々を殺め、強奪して、火を放つ。一味がここに戻ってきたら──だが、今は、それどころではなかった。
(……どうしよう)
床に転がされた身を丸め、エレーンはガタガタ、不自由な体を震わせる。どうしよう、
──あたし、どうしよう!
あの後、手下を突き飛ばし、セレスタンの背に駆け寄った。
半狂乱で彼を呼んだ。禿頭の背にすがりつき、シャツの肩を遮二無二ゆすった。だが、彼は応えるどころか、ぐったり力なくのしかかり、重い体を支えきれずに、上背の下敷きになってしまって──。
手下たちは周囲をかこい、持て余したようにながめていた。
金切声にひるんだというより、セレスタンを昏倒させたのは想定外であったらしく、その扱いを決めかねたらしい。
やがて、一人が踏み出して、彼から無理やり引きはがした。そのまま路地の先へ向け、ぶらぶら移動し始めて──
それに気づいて、捨て身の覚悟で抵抗した。だって、この路地は人通りがないのだ。道に面した住民も、騒ぎにおびえて顔を出さない。なのに、手下は見捨てる気なのだ。だが、こんな所で置き去りにしたら! 角材で頭を強打され、誰も来ぬまま放置されたら──!
闇雲にもがき、踏ん張った。
大声をあげようと口をあけた。そこまでは覚えている。だが、それ以降の記憶がない。お腹がひどく痛むから、直後に何かされたようだが、助けを呼べたかどうかも、わからない──。
諍いの声が、外で聞こえた。
何かを壁にぶつけた振動。
手下が喧嘩を始めたのだろうか。血の気が多そうな海賊だから。
カチリ、と開錠した音がして、鉄扉の取っ手がゆっくり回った。
ギギィ……ときしんで、扉が開く。
開いた扉の向こうから、つかつか数人が入ってきた。
外から射しこむ乏しい灯りで見分けることができたのは、男のものらしき複数の足。ゴトゴト耳障りな音を立て、何かを廊下から引き入れている。家具だろうか、ずい分と大きい。
「急げ。戻る前に済ませるぞ」
投げ出された体の左右に、男が二人、おもむろにかがんだ。
脇の下と、縛られた足を、それぞれ男に持ちあげられる。急な動きにフードがずれ、更に顔に覆いかぶさる。
男たちが引き入れた物には、大きな車輪がついていた。
積み荷や穀物などの運搬に使う、人力で引く荷車らしい。荷台は浅い箱状で、囲いの高さは、座った時の胸下あたり。
横たわった体勢のまま、荷台の中に降ろされた。周囲の人影を仰いだが、小窓からの星あかりだけでは、一様に立ちこめた暗闇に、うごめく輪郭しかわからない。
ばさり、と囲いに布がかけられ、わずかな視界もふさがれた。
そこらにあった麻布らしく、生地の目が粗いから、外の気配は伝わってくる。
がくん、と肩の下の荷台が揺れた。
荷台の板床が振動し、ゴトゴト車輪の回る音。それに伴い、気配も動く。一体、どこへ行くのだろう。ここに運び入れたばかりだろうに、わざわざ出そうというのなら、屋内では都合の悪い、何かが
行われる、ということか。
ガタガタひどい振動に、体を打ちつけられながら、エレーンはうつろな目を閉じる。そうか、自分は、
──もう駄目なのか。
人目のない場所に引き出して、殺すつもりでいるのかもしれない。市場の中では憚られるから。
逃げなければ、後がなかった。
今、何とかしなければ。まだ街にいる内に──。だが、力が入らない。意識がよどみ、散漫で、危機というのに注意が向かない。
ぐったりうつ伏せた禿頭の背が、目に焼きついて離れなかった。
頭を後ろから強打され、地面に突っ伏したあの姿が。泣いても呼んでも揺すっても、彼を抱きしめ、耳元で呼んでも、目を開けることは、ついになかった──
耳が、やがて、ざわめきを拾った。
ランタンの店が軒を並べる、幻想的な通りに出たらしい。
すぐ、そこに、人がいる。
助けを呼ぶなら、今しかない。──でも、とエレーンは、我が身の状態を意識で探る。手足は全く動かせないし、口に詰まった布切れのせいで、うめき声さえ立てられない。
ガタガタ揺れる荷台の中、多くの人々に踏みしだかれ、すり減った石畳の往来を思った。賊から逃げるには最後の機会が、ただただ無為に失われていく。
荷車が角を曲がった。外から聞こえるざわめきも、大きくなったり、小さくなったり。横たわったまま、荷台で揺られ──。
閉ざされた闇の虚空をながめて、そうして、どれだけ進んだろうか。
気づけば、静かになっていた。
ガタン、と大きく荷台が揺れて、わずかばかり床が傾く。支えをおろして停車したらしい。ぼそぼそ、男たちの話す声。
「おい。念のため確認しろ」
外の声が耳に届いて、頭上を覆う麻布が、ばさり、と脇に退けられた。
荷台の外から手が伸びて、顔に覆いかぶさったフードをつかむ。
観念して目を閉じて、エレーンは浅い吐息を漏らした。どうやら、処刑場に着いたらしい。
ここで逃げねば、後がない。だが、手足を動かす気力がない。頭が麻痺してしまったように、まだ何も考えられない。
フードを無下に引き剥がされて、うつろに外に目を向ける。
覗きこんだ人影の向こうに、濃紺の夜空が広がっていた。
街路灯を背に浴びて、値踏みするように男が見おろす。荷台の囲いの両端をつかんで、逆光の外套が乗り出した。
「よう。久しぶりだな、お姉ちゃん」
転がされた横臥のまま、エレーンは面食らって眉をしかめた。とっさに状況が飲みこめない。
「なんでいる、ってツラだな、ねえちゃん。そんなに意外か? 俺らがいるのが」
クリっとした目に丸い鼻、肉付きのいい厚い頬。背丈はさほど高くない、小太りの体型の壮年の男。一見、愛嬌のある見てくれだが、一瞥をくれる眼光は鋭い。
これまで何度か出くわした、あの借金取りの一人だった。二人組の小太りの方。前にノアニールで見つかった時には、ボリスたちが逃がしてくれたが。
見覚えのあるその顔が、頬をゆがめて苦笑いする。
「なにも阿漕な海賊稼業に、鞍替えしようって話じゃねえよ。あんなのはクズのやるこった。──ま、蛇の道は蛇って奴だな。近ごろレーヌがきな臭えから、そっちの動きも睨んでいたら、なんと奴らの標的が、お前さんだっていうじゃねえかよ。しかも、頭目みずから出張ってるとくる。あわてたねえ、あの時は」
一仕事終えて機嫌がいいのか、おかしそうにクツクツ笑う。
「場末の酒場で聞いたところじゃ、ザルトに結集してるって話だ。これは! ってんで、飛んできたねえザルトに。けど、あんたの行方がわからねえ。向こうより先に捕まえようにも、手掛かり一つありゃしねえし。で、ちょっと閃いて、あの根城で張ってたんだよ。連中が先に捕まえても、戻るのは、どうせ根城だからな。そうしたら、これがドンピシャで、まんまと連中、あんたを連れこんだって寸法よ」
得意そうに鼻をこする小太りの男の肩の向こうに、仲間と思しき二人がいた。背の高い顎ひげの男と、白髪まじりの中年の男。どちらも、あの晩見かけた顔だ。商都の診療所の応接室で。見舞いにきたボリスたちを、夜の街路に叩き出し、こちらを一室に閉じ込めた──。
海賊の手から借金取りへと、身柄が渡ったようだった。粗暴な海賊より、こちらの方が、まだマシといえるだろうか。だが──
三千トラストもの治療費を、即金で払えと迫られていた。
かの商都カレリアで、余裕で店が持てるほどの高額だ。小太りたちの雇い主は、商都五番街で店を構える斡旋所付属の診療所。長くつややかな黒髪の、不思議な医師の顔が脳裏をよぎる。
顔をしかめて荷台を離れ、夜の街路を小太りは見まわす。
「──よお。まだかよ、アールたちは」
外は暗く、閑散としている。二車線の通りにひと気はない。街に散っていた手下と同様、手分けして捜していたらしい。
たく、しょうがねえな、と頭を掻いて、仲間二人を振り向いた。「なら、一足先に戻るとするか、例の印をそこらに残して」
白髪の中年が肩をすくめた。「ああ、とっとと済ませて、ずらかるとしようや」
「こんな近場でモタモタやってて、鉢合わせなんざ、ご免だぜ」
背の高い顎ひげも、苦々しげに同意する。小太りがせかせか踏み出して、荷台にかけた麻布をとった。
「ま、そういうことだからよ。悪りぃな、ねえちゃん。もうしばらく辛抱しろや」
ばさり、と麻布をおっかぶせた。
それからややあり、ガタン、と荷台の床が揺れる。二輪車を水平にして停めていた、支えを地面からあげたのだろう。
石畳をゴトゴト鳴らして、ゆっくり荷車が動き出す。覆いで閉ざされた荷台の頭上で、あの小太りの声がした。
「ま、観念して戻るこったな。海賊どもにとっ捕まって、腹裂かれるよりマシだろが」
そういえば、とエレーンは、それについて、ぼんやり思う。そんな話を手下からも聞いた。海賊の頭目ジャイルズは、仲間を殺めるほど冷酷で、気分次第で惨殺し、人の心臓を好んで食らうと。
ケネルを引っ張り出すための人質として、自分を捕らえたようだったが、今度は容赦しないかもしれない。前に一度逃げ出して、顔に泥を塗ったのだ。きっと腹を立てている。もう、取引するまで待たないかもしれない。
だが、診療所に戻っても、決して安泰なわけではない。
確かに領邸になら払える額だが、こんな身成りで身分を明かして、一体誰が信じるというのだ。なるほど、指輪には家紋があるが──。
それに気づいてしまっていた。
指輪の威光は相手によると。その威光が通用するのは、価値を評価できるのは、この国の上層に位置する一部の者に限られる。いつぞやのクロウの言い草ではないが、作ろうと思えば、いくらでも、勝手に意匠を真似られる。
とはいえ、自力では工面できない。借金の返済ができないとわかれば、早々に売り飛ばされるだろう。どこかの下働きにでもなれればまだしも、借金相手の業種が業種だ。業界つながりで売り飛ばされれば、悲惨な目に遭いかねない。死ぬまで肌を剥がれ続けた、首長の小さな娘のように。
横たわった荷台は激しく揺れ、車輪はガタガタ、夜の石畳の街路を進む。
どこをどう進んでいるのか、覆いの下ではわからない。気配は布越しに伝わるものの、吟味するには意識がうつろで、うまくその意味を捉えられない。
ガラガラ車輪が、街路を進む。角を曲がり、直進し、しばし停まって、再び進み──。
往来の賑わいを聞くことはなく、周囲はずっと、ひっそりと静かだ。大通りへの乗り入れは、どうやら避けているようだ。
彼らの宿はどの辺りだろう──ぼんやり、そんなことを考えている内、荷台の周囲がざわざわと、賑わい出していることに気がついた。
どこかの角を大きく曲がって、体の下の振動が止まった。
つかの間の賑わいから一転、又も、ひっそりと静まっている。聞こえてくるのは、梢のさざめき。そして、静かな虫の声。
「着いたぜ、ねえちゃん」
あの小太りの声がして、頭上の覆いがめくられた。
ぼんやりそちらに目をやると、夜風がひんやり頬をなでる。夜空をわたる冷たさが、暖気の混じった町中の風とは、なにか、どことなく違う気がする。
横たわったまま頭をもちあげ、エレーンは何気なく外を見る。
面食らって眉根を寄せた。
夜空に下に広がっていたのは、思っていたような街路ではなかった。めぐらせた視界に映るのは、鬱蒼と茂った夜闇の草むら。店も通りも何もない。これでは完全に街の外だが。
──街道か、と気がついた。
そう、ここは街道だ。
街灯のない星あかりの道を、仲間二人の外套の背が、道の先へと歩いていた。行く手にあるのは、道沿いの灯り。そう遠くはない場所に、何か大きな建物がある。
だが、街の外に建物なんて──そこまで考え、気がついた。街道沿いにあるのなら、馬や馬車などの預かり所だろう。つまり、二人は、預けておいた馬か馬車を引き出しに行ったに違いない。
荷車の番で居残ったらしい小太りは、二人の背中をながめつつ、外套を探って煙草を取りだし、口にくわえて火を点けた。
「さ、遊びはおしまいだ。馬車を出したら凱旋するぞ。麗しき商都カレリアにな」
荷台の囲いに片腕をもたせて、預かり所の灯りに向け、満足そうに紫煙を吐く。
……ありゃ? とその顔を、小太りがしかめた。
荷台の上に転がされたまま、見るともなしにエレーンも目をやる。預かり所に向かった二人が、なぜか小走りで戻ってくる。何度も肩越しに振り向きながら。
「──おいおい、どうした」
顔をしかめて顎をしゃくった面倒そうな小太りを、あわてた様子で二人は見た。
「もう、いやがるんだよ、この先に!」
あぁん? と小太りは眉根を寄せる。「あ? 何がいやがるって?」
「──だからっ!」
もどかしげに見た顎ひげが、焦れた様子で舌打ちする。「決まってんだろ! いるっていやあ──」
「あれか」
道の先で、声がした。
二人が戻ってきた方向の、星あかりの月下の道を、男たちの一団がやってくる。
先頭の顔に見覚えがあった。物置に閉じこめた海賊の手下だ。
「おい! うちの倉庫の荷車が、なんで、こんな所にあるんだ、あァ!?」
暗がりからの大声に、小太りが苛々と白髪を見た。「──なんで、いんだよ、奴らが、あそこに!」
「そんなこと知るわきゃねえだろう」
白髪の中年が肩をすくめる。
「つか、掻っ攫おうとすりゃ、こうなるわな」
顎ひげが鋭く一瞥をくれた。「ドジ踏んだじゃねえのかよ」
「いや、そんなはずは──?」
しきりに小太りは首をかしげる。ふと、腑に落ちたように顎をなでた。
「はっはあ。グルかよ、あの親父」
顎でさした向かいを見れば、暗がりに佇む海賊の一味に、小男が一人取りついている。
チラチラこちらを盗み見ながら、なにやら報告しているようだ。きちんとした平服の身なりは、ランタンの店が並んだ通りの、店主の一人であるらしい。つまり、場所を借りている海賊と、ひそかに通じた通りの店主が、異変を見て取って注進に及んだということか。そして、脱出を見越した海賊に、馬車のある街道に先回りされた──?
「──冗談じゃねえぞ、おい」
小太りが向かいを睨んで吐き捨てた。
「ここまで来て、渡せるかよ。こちとら商都を出てからこっち、どれだけ渡り歩いたと思ってんだ」
煙草を投げ捨て、長い外套を脱ぎ捨てる。
他の二人も、それに習った。脱いだ外套を荷台に引っかけ、それぞれ荷台の棍棒をとる。
手のひらで棍棒を弄び、小太りが一味をねめつけた。
「甘く見るなよ、海賊風情が! 俺らを誰だと思っていやがる!」
「おや。誰かと思えば、商都の賞金稼ぎご一行様じゃねえかよ」
ばか丁寧な先頭の揶揄に、海賊一味がゲラゲラ笑う。
一転、一味の先頭が凄んだ。
「吠えてんじゃねえぞ、犬コロが! 獲物をどこへ持っていく気だ。食い詰めて横取りしに来たってか!」
「そっちだろうがよ! 横取りしたのは! 全員まとめて、しょっ引いてやるから、そう思え!」
両者、一斉に地を蹴った。
険しい怒声。荒い物音。無灯の街道の暗がりで、十人近い男たちが、入り乱れてやりあっている。
その喧騒を聞きながら、エレーンはぼんやり腕を見た。誰もいないが、逃げられない。両手は背中に回ったままだし、足の拘束もそのままだ。口には布が巻かれているから、悲鳴の一つもあげられない。
打ち捨てられた荷台の中、ひとり取り残されていた。
薄暗い夜半の街道で、海賊一味と借金取りが、自分を取り合って争っていた。
だが、間もなく決着するだろう。人数はさほど多くない。
いずれの手に落ちるにせよ、行く末はもう知れていた。周囲を散々振りまわし、良くしてくれた人をひどい目に遭わせた、これが
──天罰、というものか。
険しい怒号を聞きながら、エレーンは絶望に目をつぶる。
(……もう、だめ、か)
あの宿からセレスタンが、せっかく逃がしてくれたのに。
混雑する夜市を歩いた、すぐ隣の確かな気配と、握った手のひらを思い出す。乾いた、大きな、あたたかい──
熱い塊がこみあげて、はらはら、とめどなく涙があふれた。
ここ最近の出来事が、これまで出会った人たちの顔が、次々浮かんでは消えていく。ケネル、ファレス、首長にウォード、原野を駆ける傭兵団の馬群。ボリスたち。ザイたち。暗い路地の道端に、打ち捨てられたセレスタン──。
(ごめん、セレスタン……ごめん、みんな……)
みんなに支えられて、ここまで来た。あんなに手を貸してくれたのに。身勝手なわがままに付き合って。
今は亡きあの祖父の、しわくちゃな笑顔が脳裏をよぎった。最期の時まで避けつづけ、間に合わなかったあの祖父の。血のつながった、最後の家族の──。
荷台に頭を押しつけて、固く目をつぶって嗚咽をこらえた。心に固く誓っていたのに。絶対やり遂げると思っていたのに。今度こそは、間に合わせると。
幕切れだった。こんな所で。
目的地トラビアを目前にして。
ディールを攻めているラトキエ領家の総領息子アルベール、彼が抱いた恐ろしい誤解は、自分にしか解けないものだった。脱落するということは、それが意味するところは、つまり──
こちらの意をくみ、戦の仲裁に入るべく、国境トラビアへ赴いた、彼の笑顔が胸を突く。
(──ごめん!)
ダドリー。
ふわり、と前髪が舞いあがった。
闇に呑まれた沿道の先、ざわり、となびいた野草の先が、千々に乱れて渦を巻く。
とてつもなく速い何かが瞬時に通過したような、音が不自然に引き伸ばされて、なめらかに収斂したような、突き通すような無音の揺らぎ──。
耳鳴りかと思った瞬間、夜風に、何かの気配が割りこむ。
頬に、冷たい手のひらが触れた。
「……大丈夫かい?」
耳元でささやく誰かの声。
エレーンは怪訝に目を向けた。近くには誰もいなかったのに。今の今まで誰一人。
夜を背負った人影が、荷台のかたわらにしゃがみこむ。
背中でくくられた拘束を解き、足首の縄も断ち切って、口の布も外される。
口内の布を取り出して、エレーンは呆然と絶句した。
一瞬、訳が分からない。
なぜ、彼がここにいるのだ。
あの彼が背を支え、体を抱き起してくれていた。荷台の床に片膝をついて。
薄くあいていた口を閉じ、エレーンはその名を口にした。
「ゆーじん、くん……?」
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