■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章79
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猛々しい罵声が聞こえていた。
夜闇にまぎれた街道で、海賊の一味と借金取りが、もみ合い、つかみ合い、殴り合い、手に手に棍棒を振りあげている。
敵の排除に誰もが躍起で、ぽつんと道に取り残された、古い荷車になど見向きもしない。
ゆるく吹きさらう夜の風に、さらり、と彼の髪がそよいだ。
解いた縄の切れ端を、へたりこんだ手首に絡ませ、エレーンはあぜんと顔を仰ぐ。
不明な点に色々気づいて、きょろきょろ街道を見まわした。「え?……ええ? ユージンくん? なんでいるの? こんな所に」
この状況が飲みこめない。
なぜ、居場所を知っている? しかも、街中というならまだしも、ここはあの街門付近──ランタンの黄金の灯がともる、門前市から少し離れている。屋台群を冷やかした足で、ついでに出てくる距離ではない。
月明かりに照らされた荷台で、ひっそり膝をついていた。
抗争の現場にそぐわない、静けささえも身にまとい──。荷台の暗がりで覗きこむ、賢そうな茶色の瞳。ふと、彼が、その目をみはった。
「何を、されたの?」
ぽかんと見ていた口を閉じ、え? とエレーンは我に返った。いぶかしげな低い声? なぜか、ただならぬ雰囲気だが……?
「──わわっ!? ううんっ、違うの、これはっ!」
わたわた両手で頬をぬぐった。
うっかり世を儚んで、ベソかいてたのが、ばれたらしい。そういうの、彼はすごく気にする。へばって茶店で突っ伏しただけで、すぐに見咎め、心配するような人なのだ。まして、こんな──手足を縛られ、転がされた、物騒な有り様を目の当たりにすれば──。
ユージンが息を呑んで凝視していた。
顔から血の気が引いている。あまりの真剣さにたじろいで、あわてて大至急、言い訳を追加。
「こ、これは違うの、大丈夫。あの、ちょっと痛かっただけで──あ、縄がね。そう、縄が! ほらね、手首に食いこんじゃって」
「……。そう」
食い入るように見ていたユージンが、ほっと、ようやく頬をゆるめた。
肩の力をぎこちなく抜き、へたりこむようにして嘆息する。
「君が無事でよかったよ。何もされてはいないんだね?──いや、」
念押しするも、それもつかの間、ゆるんだ表情を引きしめた。
硬い表情で、改めて見る。
「何をしたの」
咎めるような真顔に面食らった。「……え?」
「君、あいつに何をしたの?」
「あ、あいつ?」
「何を言われているのか、わからない?」
畳みかけるような詰問口調。だが、何をそんなに怒っているのか謎だ。
首をかしげてたじろぎつつも、己が仕出かした直近の失態を、あわてて大至急洗い出す。
はたと気づいて、上目遣いでお愛想笑い。「そ、そっか、ごめん。……あ、セビーも怒ってた?」
「あいつのことは関係ない」
苛立った様子で一蹴され、う゛っと笑顔が凍りつく。しまった。セビーとは険悪だった……。
ユージンは依然として厳しい顔つき。たいそう怒っている様子。
「あ、あの、ごめんね。先に来ちゃって」
そう、謝るのが先だろう。
世話になっていた一行から、断りもなく抜けていた。
そりゃ、怒るに決まってる。急に姿を消したりすれば。連れが行方不明では、いつまでも町から出られない。てか「こっちで話通しますよ〜」的なこと言ってなかったかザイの奴!
「──あ、だけど、あの時はっ、」
だが、彼は貴重なスイーツ仲間。しかも、気前よくお会計をもってくれる──。
なんとしてでも嫌われたくないので、ここは全力で釈明開始。
「急にさらわれそうになっちゃって、みんなに知らせる暇とかなくて──あ! あたしの方は大丈夫! 別にどこもなんともないから! 偶然知り合いが通りかかって、そいつらのことやっつけてくれて! あ、でもでも! そのまま馬車で逃げちゃったから、そっちに知らせる暇なくて──!」
片膝をついたユージンは、厳しい顔を崩さない。
「……。そっ、そっ、それで、そのぉ〜……」
あっという間に、進退きわまる。
笑顔も相槌も一切なし。包み隠さず、正直に話しているのだが。
仕方がないので、取るに足りない語句について、更につまびらかに無理やり説明。
「そ、それで、その知り合いっていうのは──」
……う゛っと早々に行き詰まる。舌先三寸で丸めこむザイの顔が脳裏をよぎった。あの奇縁きわりない間柄を、なんと説明してよいものか。育ちの良さそうなこの彼に。
縄の切れ端をいじりつつ、引きつり笑いで時間稼ぎ。
「そっ、そのぉ〜、あれは、なんていうのか──あ、そう! 友達かな? 友達!」
ああ、なんて便利な言葉。ちょっと違う気もするが。
ふと、ユージンが視線を外した。
夜道の乱闘を、ちらと一瞥。かがんだ腰を、舌打ちであげた。
「まあ、いい。話は後だ。今は、早く離れないとね」
とん、と身軽に地面に飛びおり、振り向き、手をさし伸べる。「さ、降りて」
あわてて、その肩につかまった。即刻、仰せに従いますとも。
こちらの両脇を無造作に支えて、ユージンは難なく地面に降ろす。小柄な体格にもかかわらず。
いつになく不愛想な横顔を、ちら、とエレーンはうかがった。「──あ、あの、ユージンくん?」
「なに」
「怒ってる?」
抗争中の街道と、街の灯りを等分に見ていたユージンが、一瞥をくれて停止した。
しばし口を引き結び、溜息まじりに目を伏せる。
「……怒ってないよ。ただ、君が心配なだけ」
え、と見あげた頭に手をおき、荷車の脇を、後部へ歩く。「さ、行くよ」
足を向けた往く手には、夜にかがやく黄金の灯り。街門付近の屋台の屋根屋根。祭りのようなにぎわいの、地方都市ザルトの門前の市──。
夜闇にまぎれ、乱闘場所からは裏手にあたる、荷車の後ろへ回りこむ。
「君はすぐに街に戻って、友達の所に身を寄せて」
「──えっ? ユージンくんは行かないの?」
「僕も、そのつもりでいたんだけどね」
溜息まじりに、街道に目をやる。
「どうやら、少し、遅かったようだね」
彼が投げた視線の先を、エレーンもつられて振りかえる。
ぎくりと硬直、目を凝らした。
異様な光景が、そこにあった。
少し前から続いている、あの乱闘のことではない。そこからさらに進んだその先、灯りのともる預かり所の向こうの、ゆるやかに曲がった街道の先──。
彼がその横顔で、何を見ていたのか、ようやく気づいた。
塗りこめられた闇の中から、黒い塊が近づいて来ていた。
無灯の暗がりで目を凝らせば、どうやら人馬の一団らしい。だが、到着が遅れた旅人にしては、十や二十の数ではない。
道幅いっぱいに広がって、不気味な群れが蠢いていた。おそらくは三十以上もの──いや、事によると、五十を超えているかもしれない。
「……な、なに、あれ」
絶句でエレーンは後ずさり、向かいの不気味な一団と、落ち着き払ったユージンの、静かな横顔を見比べる。
預かり所の前で一部が離れ、馬を受けとり、ひいていく。
足も止めずに大半は、身軽になって移動を再開。
大勢の足音と不穏な気配が、闇の先から、やってきていた。
夜道の先の乱闘に、むろん気づいてはいるのだろうに、足を止める気配もない。
「──無謀だな」
抑揚なくつぶやいて、ユージンが乱闘へ目を戻した。
「こんな時に出立するなんて」
ここに残ると宣言した彼の言葉を思い出し、エレーンは彼の袖を引く。「ね、やっぱり戻ろう、ユージンくんも。だって、あんな怖そうな──」
「やることがあるんだ、僕は、まだ」
「そんなの後でいいでしょう!? 今はそんなこと言ってる場合じゃ!? だって、ほら、あんなに大勢! ここにいたら、ユージンくんも危な──」
「エレーン」
振り向きざまユージンが、両肩をつかんで、引き寄せた。
体を振られて仰向いた間近に、あの賢そうな茶色の瞳──
思いがけない相手の動きに、あわてて手を突っ張った──いや、手が動かない。指一本、動かせない。
焦りだけが振り回されて、なすすべもなく見あげた視界で、賢そうな瞳が見つめていた。
月の青さを思わせる、静寂をまとった風情で。皮膚の壁をすり抜けて、意識と体の深部まで、入り込んでくるような不思議な視線で。
「いいかい。僕は大丈夫」
静かに、彼は口をひらく。
「君は、一刻も早く街へ戻って。大丈夫、ならず者は、もういない」
言い置くような話し方。
ゆっくりと。確実に。体にしみこませるように。
よく知る彼の落ち着いた声音が、なぜだか奇妙に歪んで聞こえる。遠くなったり、近くなったり。高くなったり、低くなったり──。
じっと見つめる茶色の瞳に、吸いこまれてしまいそうで、不意に怖気に襲われる。
手放しそうになっていた、なけなしの意識をかき集めた。
「で、も……だめ、逃げないと……ここにいたら、ユージンくん、あぶな……」
「誰のこと?」
「……え?」
見つめる瞳に、力がこもった。
「そんな奴は、ここにはいないよ。ずいぶん遠い別の町で、彼とは別れたきりだろう?」
そう言われて、思い出す。あの一日の光景を。
目覚めた宿に、彼はいなくて、仕方がないから空腹をかかえて、昼の町を歩きまわった。そう、それは覚えている。けれど、頭に霞がかかって、記憶を辿るのに苦労する。
「……うん……そう……ずいぶん、前に……」
そう。連れの"彼"と、町で別れた──それは事実だ。
ぽっかりと荘厳な、暗い闇に漂っていた。
光さえない、広大な。意識だけが浮遊する──。
気がつくと、消えていた。あの乱闘の喧騒が。いや、耳に入る、すべての音が。
水を打つような静寂の中、聞こえるのはただ、語りかける一つの声だけ。
《 君はなぜ、こんな所にいるの?
ああ、門前市をぶらついて、そのまま散歩に来たんだね。
でも、もう戻らなきゃ。友達が街で、帰りを待ってる 》
「とも、だち……?」
《 そう、友達。
君は彼らと、このザルトに来たんだろう? 》
……そうだった。
さっき、自分で、そう言ったはずだ。
頭の芯がぼうっとして、うまく意識を集められない。
ふわふわと浮遊する、泡のような記憶が捕まらない。左右の腕で抱きしめた拍子に、するり、と腕から逃げ去って。
《 さあ、早く帰らないと。
君に急に消えられて、今ごろ、彼らが心配している 》
「……しんぱい?……あたしを……?」
はっ、とその言葉に息を呑んだ。
そう、とても心配していた。あの路地で倒れるまで。そして、夜市の続く通りから、ひっそり細い脇道に入った、人通りのない路地に一人きり──。
まざまざと急務を思い出す。
倒れ伏した禿頭の、皮膚を割った、鮮烈なあの赤──!
「い、行かないと……!」
夜空にそびえる街門を見つめ、もがくようにして "手"から離れた。「あたし、早く、行かないと……っ!」
「……エレーン?」
怪訝そうな色を宿して、茶色の瞳がじっと見つめる。
ややあって、声が、静かに命じた。
《 ── 走って。 》
呪縛が解けたように、体が動いた。
たたらを踏んで、夜道を駆け出す。
外套の裾をたくしあげ、街門付近に黒く集った、かがやく屋台の灯りをめざして。
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