CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章81
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 門前市のにぎわいを抜け、夜にそびえる巨大な街門に駆けこんだ。
 頭上をふさぐ弓なりの天井。外の敵と砂風から、人々を守る分厚い石壁。
 くぐり抜けると、視界がひらけた。
 黒い夜空に浮きたった白茶けた石の街壁が、交差点の街角が、黄金こがねの灯りに照らされていた。
 夜を照らす街のが、一面の石畳に反射する。
 広場から伸びる正面の道が、夜の端まで続いていた。地方都市ザルトの目抜き通り。
 軒を連ねた店舗の灯りが、車道の両端でまばゆく輝き、街の中心にある時計塔が、かなたの夜空にそびえている。
 車道左の歩道に走り、エレーンは夜市の入り口を目ざす。
 昼の強い熱射を避けて、ようやく出てきた人々が、夜風に吹かれて歩いていた。
 外套姿の人波を縫い、爪先だって、じりじり進む。
 ちらと右手を盗み見た。歩道は人で混んでいるが、車道の交通量は、昼ほどではない。
 荷馬車の行き来を見計らい、車道に降りて、路肩を走った。
 そぞろ歩きの人々が気づいて、非難がましい目で振りかえる。巡回の警邏に見つかれば、注意を受けるのは必至だが、今はとにかく急ぐしかない。
 長い裾が足に絡んで、つんのめりそうになりながら、いくつか交差点を通過した。
 息を切らして行く手を見やり、エレーンは額の汗をぬぐう。
 暗い夜空にぽっかりと、黄金こがねの光があふれていた。
 歩道の一つ所に人波が滞留、とめどなく出入りしている。雑踏の隙間に見えるのは、屋台に吊られたランタンの炎。セレスタンと歩いた、あの夜市の──。
 人でごった返す夜の市場に、意を決して踏み入った。
 道の両側に、屋台群。
 左右の屋台に挟まれた、人の頭で埋め尽くされた道。道の果てまでゆるゆる進む、外套姿の頭、頭、頭──。
 相変わらずの混雑ぶりだ。のんびり進む人波に合わせて、エレーンはじりじり、足を進める。まったく、この急ぐ時に!
 なるべく混雑は避けたかったが、市場を抜けるのは、やむを得なかった。この街には土地鑑がない。知っている道を通らなければ、あの路地まで行き着けない。
 長い外套をたくしあげ、背伸びをして、辺りを見やった。混んでいるのは仕方がないが、せめて、もう少し、流れの速い所はないものだろうか──。流れに合わせてそわそわ歩き、市場を埋める一面の頭に、端から視線をめぐらせる。
 ふと、それに気がついた。雑踏の流れの真ん中あたりが、比較的すいていることに。──遅まきながら、そうか、と気づく。屋台の軒先で足を止め、品定めをしているから、両端はどうしても滞る。
 すぐさま中央に移動して、体を斜めにして、人ごみを進んだ。どの辺りだったろう。彼と逃げこんだ脇道は。
 あの時は、三番街のラディックス商会へ向かっていて、混雑の途切れた道の行く手に、こちらと向こうの三番街を隔てる、車道の大通りが見えていた。つまり、角を曲がる前にいた場所は、この市場の終点付近。その手前で、左へ折れた。そして、廃材置き場を左に見、薄暗い路地を道なりに進み──そこまで、あと、どれくらい? どれくらい歩けば、辿りつける? あと、どれくらい進んだら──!
 気の遠くなりそうな焦燥の中、前だけを見て、ひたすら歩いた。
 倒れた彼が、目の前にちらつく。叩き割られた後頭部。そこからどくどくしたたる黒い血──。
 気が急く。焦れる。進まない! 早く──早く行かないと!
 苛々めぐらせた目を止めて、はっとエレーンは見返した。
 ぽっかり、往く手に空が見えた。
 道の左右に建ちならぶ、白茶けたレンガの街壁の狭間に。
 星々またたく濃紺の空。行きかう人々の頭の向こうに、街路灯の白い灯り──。
 息を詰め、エレーンは見入った。「……あ、」
 まだ少し距離があるが、ふっつり道が途切れている。行く手のあの暗がりは、荷馬車行きかう、
 大通り・・・
(……ここだ!)
 総毛立って、息を呑んだ。
 ひしめく人々の頭の向こうの、白茶けた町壁に視線を這わせる。「──ど、どこ?」
 あの路地への入口は。
 付近の様子がどんなだったか、必死で記憶をたぐりよせ、人波を掻いて前に進む。似たような脇道は、無数にある。屋台は似たり寄ったりで、これという確証がない。そもそも、急に逃げたから、周囲をよく見ていなかった。だが、入る道を間違えば、余計に時間を食ってしまう。近くまで来ているのは、もう間違いないのだが──。
 ふと、彼の話を思い出す。そういえば、ボリスたちが、商会の支所に来ていたはずだ。ならば、先に支所を訪ねて、協力を仰ぐべきだろうか。
 ……でも、とためらい、爪を噛んだ。
 そんなことをしてる間に、セレスタンの身に何かあったら──。三番街でボリスらを捜し、商会の支所と往復していて、もしも、それで、
 間に合わなかったら・・・・・・・・・
 強く、首を横に振った。
 そうだ。駄目だ。そんなの駄目だ。今は何より一刻も早く、彼を迎えに行かないと。現場付近は民家だし、与太者さえいなければ、きっと、住人が出てきてくれる。きっと、手を尽くしてくれる。
 安全な場所に運び入れ、早く傷の手当をするのだ。それが優先、ボリスたちは後でいい。──そうだ。詰め所に拘置された、ザイたちにも知らせないと。彼らが牢から出てくれば、そつなく対応してくれる。
 立ちはだかる人ごみに苛々しながら、爪先立って、脇道を捜す。こんなに混んでいなければ、すぐに入口がわかるのに。走って捜すことができれば、どんなにか早く──
 溜息まじりに、何気なく視線をめぐらせる。
(あの、感じ……!?)
 はっとして目を止めた。
 往く手の右手を凝視する。酒場の佇まいに見覚えがある。あの時、与太者の一団が出てきた──。ならば、あの時の脇道は、通りを挟んだ、はす向かい──
「す、すみません! 通してくださいっ!」
 あわてて背後を振りかえる。
 怪訝そうに振り向く顔。脇に避けてくれる人。迷惑そうに舌打ちする顔。押すな、と言わんばかりの目──。
「お願い、通して──急いでいるの!」
 そこに──そこに、あるはずなのだ。あの路地への脇道が!
 行きかう雑踏に目を凝らし、やっとのことで、それを見つけた。少し先の屋台の陰だ。わずかに途切れた進入路。あまり目立たない入り口だが、屋台の看板に見覚えがある!
 ほっ、とようやく息をつく。もうすぐだ──
 ──ここまで来れば!
 強ばった頬が、ぎこちなくゆるむ。
 ざわり、と胸が、不意に騒いだ。
(……ねえ。だけど、そういえば、)
 どれくらい・・・・・時間が経っている? 路地で、セレスタンと別れてから。
 あれからしばらく、倉庫の中で気絶して、荷車で外に運び出され、そこから、あの街道に出た。数時間たった気もするし、大してかかっていない気も──。だが、記憶がぼやけて、はっきりしない。
 あれはどの辺だったのか。借金取りが荷車を停めた、待ち合わせのあの場所は。街門まで、どれくらい距離があったのか──。
 空を見ても、相変わらずの夜で、どれだけ経ったか判断できない。市場も変わらぬ賑わいで──。もしも、あれから、長い時間がたっていたら──?
(……。間に合う、わよね?)
 道端に一人置き去りにされた、悲惨な姿が脳裏をよぎった。
 あの薄暗い壁際に、彼の血液がしたたっていた。彼の黄色い丸めがねの縁が、路地の地面についていた。呼んでも揺すっても起きなくて、泣いて体にすがっても、彼は応えてくれなくて──。
 その可能性に行き当たり、焦燥に駆られて唇を噛む。もしや、自分は重大なことを見過ごしていたのではあるまいか。間に合う、間に合わない以前の問題で、彼から引き離されたあの時点で、彼が、とうに
 事切れていたら?
 不穏に胸がざわめいて、たまらず固く目をつぶった。
(──お願い、待って。行かないで!)
 顔を振りあげ、行く手に目を据え、一心に進む。
 今すぐ、そこに迎えに行くから! お願い、行かないで、
 ──セレスタン!
 どん、と弾き飛ばされた。
 はっと衝撃で我に返る。
 よそ見をしていて、ぶつかったらしい。道に転げるすんでのところで、踏みとどまって再び踏み出す。
「おい、待てよ、姉ちゃん」
 肩をつかまれ、引き戻された。
「"ごめん"もなしに行く気かよ」
 険のある声に振り向けば、そこには憮然とした中年の男。
「どうしてくれんだ、この服を」
 外套の右の肩下あたりに、ソースらしき染みがついていた。その片手には、屋台の焼き串。今、ぶつかった拍子に汚したらしい。
 あわててエレーンは頭を下げた。「ご、ごめんなさい」
「しょうがねえな、二千カレントだ」
 え? と面食らって首をかしげた。
「だから、洗濯代だろうがよ。あんたが汚したんだ、当然だろ」
 エレーンは戸惑い、困惑する。こんなに混んだ雑踏で、ものを食べるのはどうかと思うし、要求してきた金額が妥当かどうかも疑問だが、男の言う理屈はわかる。だが、応じようにも財布がない。急に宿から逃げ出したから、ポシェットは部屋に置いたまま。
 ちらと相手を盗み見れば、普通の市民の風体で、別にならず者という感じではない。そもそも "ならず者は、もういない" あの彼が・・・・そう言った──。
「ほら。さっさと出せよ、急いでんだよ」
「……あ、あの」
 居丈高な調子に困り果て、エレーンはおろおろ辺りを見まわす。
 ふと、その目を、雑踏で止めた。
 怪訝そうに盗み見ながらも、誰もが脇を通過する中、ひとり見ている者がいる。外套姿のメガネの男。こちらに目を据えたまま、人ごみを掻き分け、近づいてくる。
 息をつめ、硬直した。
 こんな時に、と唇を噛む。見覚えのある顔だった。指でメガネを押しあげる仕草。そう、あれは、商都のあの診療所の──
 迂闊だった、と思い出す。そういえば、あの小太りが、待ち合わせていたではないか、うすら寂しいあの街路で。つまり、警戒すべき・・・・・相手は、
 ──まだ、街の中にいた。
 あわてて雑踏にきびすを返した。
 借金取りに捕まれば、セレスタンの所まで辿りつけない──!
「待ちな、姉ちゃん」
 肩を、強くつかまれた。
「どこへ行く気だ。逃げようたって、そうはさせねえ」
「放してっ!」
 身をよじって、とっさにかわし、力まかせに押しのける。
 男がたたらを踏んで後ずさった。
 脇目もふらずに駆けてきた「アール」と呼ばれていたメガネの男に、のけぞったその背でのしかかる。不意をつかれて、ひっくり返った二人の体が、通行人をなぎ倒す。
「──待て!」
 すぐさまアールが膝を立て、立ちあがって追って来た。
 先の焼き串も、後に続く。
「おい! 誰か、その女捕まえてくれ!」
 大声でよばわる呼びかけに、そぞろ歩く通行人が、何事かという顔で振りかえる。
 元々この混雑で、思うように逃げられない。足を止めた人壁で、すぐに、行く手がふさがった。
 立ち止まったとたん、たちまち周囲をかこまれる。
 すぐにアールが追いついて、人垣を掻いて前に出た。
 声をあげた焼き串も、勝ち誇った顔で後に続く。人垣の中央に捕らわれて、エレーンはおろおろ無為に見まわす。
 黒山の人だかりになっていた。
 いくえにも取り囲む善意の人々。物見高い野次馬が、さらに続々と集まってくる。興味津々の人々の顔。人垣に囲まれ、出られない。
 アールがつかつか近づいて、右の腕を引っつかんだ。「もう、観念するんだな」
「放して! お願い! ここを通してっ!」
 エレーンはもがき、力任せに振り払う。
「話だったら、後で聞くから! お金のことなら、なんとかするから! 今は、早く行かないとっ!」
「──見苦しいぞ。たいがいにしろ」
 苛立った様子でアールが吐き捨て、片手を高く振りあげた。
 エレーンは居竦み、目をつぶる。
 左肩の後ろを、強く突かれた。
 体が反転、たたらを踏んで、真後ろにいた誰かに、頬をぶつける。
 もぎ取るようにして引っかかえた、その勢いを殺すことなく、革ジャンの男が振りかぶる。
 ガッ──と鈍い音がして、右の腕が振り抜かれた。
 叩きつけられ、地面をる音。
 市場のざわめき。野次馬のどよめき──。
 突き伸ばされた腕の先、見物人の足元で、アールが尻もちをついていた。
 メガネの飛んだ頬をさすって、革ジャンに顔を振りあげる。「──何をするっ!」
「こっちの台詞せりふだ」
 革ジャンは見おろし、淡々と応じた。
「他人に手をあげるなら、殴られる覚悟もしておくことだな」
 次いで、隣へ目を向ける。取り囲む人垣から前に出たそこには、吹っ飛ばされたアールの姿を、あっけにとられて見ていた男。
「いくらだ」
 ギクリ、と焼き串がすくみあった。
 とたん、きょろきょろ辺りを見まわし、開いた五指をぶんぶん振る。「あ、……あ、いいよ、俺のは。……俺のは、洗えば、落ちるから……」
「そうか。悪いな」
「……い、いやぁ」
 ぎこちなく頬をゆがめた媚笑いで、焼き串がそそくさきびすを返した。
 ほうほうの態で人ごみに分け入り、一目散に逃げていく。
 鼻で嘲笑わらって、革ジャンは見届け、溜息まじりに目を戻した。「たく。やっと捕まったか。しばらく大人しくしていてもらうからな」
 見おろす黒髪のその顔に、エレーンは息をつめ、目をみはる。
 とくん、と一つ、鼓動が跳ねた。
 とくとく胸が騒ぎだす。
 視界がゆがみ、あわててうつむく。口を覆った手のひらの下、止めようもなく唇が震える。こみあげた熱で、喉が熱い。
 革ジャンがいぶかしげに背をかがめ、横から顔を覗きこんだ。「ん、どうした。腹でも減ったか」
「……もう、」
 ふるふる口を「へ」の字にひん曲げ、エレーンは顔を振りあげる。
「もーケネルぅーっ! おーそーいぃぃぃぃーっ!」
 ──え゛? とひるんだケネルに抱きつき、ひとまず、むぎゅうぅぅっ! と締めあげて、
 そして、わんわん泣き出した。
 
 
 

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