CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章82
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 これで、もう大丈夫だ……。
 
 ケネルが来たから大丈夫。
 自分が下手にうろうろするより、よほどケネルは手慣れてる。
 ザイたちとも連絡をとって、万事上手くやってくれる。後はケネルに任せれば、セレスタンは、
 ──大丈夫。
 張りつめた気が、一気に萎えた。
 エレーンはへなへなへたり込む。緊張を手放し、呆けた頭上で、ケネルの落ち着いた声がした。 
「行き違いだな」
 座った地面から見あげると、ケネルはアールに目を向けていた。
 そういえば、通行を阻害していた通りから、酒場の脇へ歩く間も、二人で何事か話していた。とりあえず泣くのに忙しくて、ろくに聞いてなかったが。
「商都ラディックス商会が用立てて、費用は既に完済している。着手時に半金、退所時に残金、そうした契約になっていたはずだ」
 つまり、身柄の引き渡しの件で、彼らは揉めていたらしい。
 ケネルの側からしてみれば、あの約束をした朝に、手続きを済ませて・・・・・・・・迎えに行ったが、部屋はもぬけの殻だった、とそうした次第であるらしい。
 片や、このアールたちの方は、ウォードと脱出した次の朝、斡旋屋の店番に、彼らの雇い主・あの黒髪の医師にあて、伝言を頼んで出てきたらしい。踏み倒し犯を連れ戻すために。
 つまり、双方の言い分をすり合わせれば、残金を受け取ったあの医師が診療所に戻る前に、こちらがウォードと逃亡したため、話がややこしくなったというか、あの医師とアールたちとの間に「行き違い」が生じたらしい。いや、だが、しかし、そうなると、
(……なにそれ)
 衝撃の事実に口をあけ、エレーンはあんぐり放心する。
 だったら、逃げまわる必要なんて、どこにもなかった、ということじゃ……?
 とはいえ、あの時は必死だったし、そんな話は聞いてもいないし、大体アールメガネも確認してから出てくリゃいいのに、いや、勝手に逃げたこっちも悪いが、さっさと出勤しない医者だって悪い。だが、要するに、とどのつまりは、ケネルと美麗なあの医者に、こっちはまんまと
 ……振り回されたー!
 合点のいかないモヤモヤを、知ってか知らずかケネルは続ける。
「なんなら確認すればいい。金を渡した代表が、丁度支所こっちに出向いている」
「無論、そうする」
 胡散臭げに眉をひそめて、アールは眼鏡の目をすがめる。
 話に区切りがついたところで、は〜……とケネルが嘆息し、げんなりしたように見おろした。「こら。どこに座ってる」
「えー。だあって疲れたもん」
 膝をかかえて一息ついていたエレーンは、むう、とむくれてケネルを見あげる。ケネルは「靴に座るな」と渋い顔。
「だったらケネルは、あたしに地べたに座れって言うのぉ? ケネルは知らないだろうけど、ここに来るまで、あたしがどんだけ大変だったかー」
「どうせ、逃げまわっていたんだろ」
「む。なんで、わかんのよ」
 どこで見ていた、このタヌキ。
「鏡を見てみろ。顔といわず手足といわず、そこらのガキみたいに泥だらけだ」
「……ぬ?」
 エレーンはもそもそ無言でうつむき、ごしごし顔を袖口で拭いた。
 服地の白い砂塊カピカピも、あちこち見つけて、ぱんぱんはたく。むう、倉庫で転がってた時か……
「ほら、立て。行くぞ」
 座りこんだ革靴の先を、ケネルが無下にもちあげた。
 なによちょっとくらい労わってくれたっていーじゃないよーと、せっつかれて文句をぶちぶち、エレーンはふくれっ面で立ちあがる。「もう、あたし、動けな──」
 がくん、と肩が前にのめった。
 げっ、と一転、目をみはり、たちまち不具合を思い出す。──しまった。無造作に立ったりするから。
 そう、今は油断大敵。また外套の、
 ──すそふんだー!?
 たたらさえも踏めないで、つんのめった爪先を踏んばる。
 ほんの少しの間でも地面への激突を遅らせるべく、わたわた両手を振りまわす。ひょい、とケネルが襟首つかみ、片手で無造作に引き戻した。
「なんだってそんな、ばかデカい上着を着てるんだ」
 もっともな感想を呆れ顔でつぶやき、やれやれと背を向け、しゃがみこむ。「ほら、来い。負ぶされ」
 エレーンは、ぱっと、喜色満面振り向いた。「えっ? いいのぉ〜?」
「動けないんだろ」
 顔をしかめたその顔は (まったく、この暑いのに!) と正直この上なく言っている。
「あっと。──んじゃあ、お言葉に甘えてっ」
 いそいそ背中に乗りこんだ。
 ケネルの気が変わらない内に。ああ、"動けない"って、言っといてよかった。
 ケネルは軽く背負いあげて、肩越しに見やって嘆息した。
「たく。見つけたそばから、これなんだからな。一体どこをどうやって歩けば、そんなに泥だらけになるんだか」
 天を仰いでぼやいた首に、むぎゅう、とエレーンは両手で抱きつく。
 眉根を寄せて押し黙り、ケネルが顔をゆがめて突っ立った。
「……。おい。なんで、そんなにしがみつく?」
 嫌な気配を察知したらしい。さすがケネル。勘がいい。エレーンはにんまり、お愛想笑い。
「実は、あたし、お財布なくってぇ」
「──。あんたもか」
 え゛? とケネルを振り向いた。
「"も"? ってなによ。あんたってぇ?」
 げんなりうなだれたその顔を、はたと気づいたように、ケネルが上げた。
 ぷい、と素早くそっぽを向く。「別に」
 エレーンは口を尖らせた。どうも怪しい、その態度。
 こちらの視線を殊更に避ける、ケネルの頭を両手でつかみ、それを左右にぶんぶん振って、まなじり吊りあげ、乗りかかる。「ねー。な〜んか、あたしに、隠してることなあいっ?」
「別にっ──こ、こら! 暴れるな! 乗り出すな! 落ちるだ(ろ──)」
「そんなんであたし、誤魔化されないもんっ!」
 そうだ、とっとと白状しろ!
「おい、待て。どこへ行く」
 やり合いながらも歩き出した行く手に、アールが抜かりなく立ちふさがった。
 眼鏡の山を指であげ、じろりとケネルの顔を見る。
「まだ、そいつを渡すわけにはいかない。あんたの話はわかったが、手ぶらじゃ、こっちも戻れない。金を出した代表とやらに、引き合わせてくれるんだろうな」
 つまり、証拠を見せろと言っているのだ。
 話の裏を取ろうにも、そんな大商会の代表になど、庶民が面会する術はない。それを見越して、煙に巻く気じゃないだろうな──疑わしげな言い分を、口を挟まずケネルは聞き、面倒そうに顎を振った。
「なら、あんたも一緒に来い」
 眼鏡のアールと連れ立って、夜の雑踏を歩き出す。
 二人が足を向けたのは、ごった返した市場の先。それを抜け、車道を渡った向かいの区画、三番街にあるのは確か──。
 ようやく辿りついたケネルの背中ですっかり寛いでいたエレーンは、はた、とようやく正気に戻った。
「ま、待ってケネル! ちょっと待ってっ!」
 むぎゅう、とケネルの髪を引っ張り、バンバン肩を叩いて制止。
「そんなことよりセレスタンが! 大変なんだってばセレスタンがっ!」
「こら!──蹴るな、叩くな、引っ張るな!」
 頭をかじるな! 首を絞めるな! と青筋立ててそこまで続け、ケネルがげんなり振り向いた。
「なんだ一体。奴がどうした」
 
 月あかりに照らされて、白茶けた石壁が続いていた。
 石塀に挟まれた薄暗い路地。露店を設営した際の、木材が積まれた廃材置き場を、左手に見て通過する。
「──まさか、あいつがやられるとはな」
 道々これまでの事情を聞いて、ケネルが腑に落ちない顔で首をひねった。「いくら、大人数が相手とはいえ」
「あ、でも、セレスタン、ひどい怪我してて」
「怪我?」
 あわてて付け足した説明を、ケネルがいぶかしげに聞きとがめた。
 だが、詳しく尋ねることはせず、連れの旅装を振りかえる。
「ちょうど良かった、あんたがいて。運び出すには手が要るからな」
「遠慮する」
 行きがかり上、同行したアールは、だが、態度はすげなく、そっけない。「ご免だぜ。頭かち割られた野郎なんざ」
「手間賃は弾むが?」
 すかさずねじこみ、ケネルはちらと一瞥をくれる。
「どうせ、暇だろ、あんたの方も。俺の手が空かなきゃ、身動きがとれない」
 それについてアールは一考、ぶっきらぼうに目を戻した。
「いいだろう。引き受けた」
 ケネルの首にしがみつき、二人のやりとりを聞きながら、ほっとエレーンは安堵する。
(……もうすぐだからね、セレスタン)
 すぐにケネルと迎えに行くから。
 状況は着々と進展している。あの・・脇道を歩いているのだ。ケネルと現場に向かっている。ここまで来たら大丈夫。今度こそは大丈夫。
(となると、気になるのは──)
 暑苦しそうに顔をしかめる、ケネルの横顔をちらと見た。
 ぐうたらへたり込んだ肩の上から、エレーンはむっくり身を起こす。
「ねぇえ? ケネル。何かあたしに 言うこと なあい?」
 じぃぃっと至近距離で、穴のあくほど顔を見る。白状することがあるわよねえ? 彼女のこととか彼女のこととか彼女のこととか──!
 言われてケネルは、何やらつらつら、思い起こしている様子。
 やがて、上目遣いで首をかしげた。
「別に」  
「……」
「……」
「……」
 折り返した袖をおもむろに戻して、ケネルの汗ばんだ首筋を、エレーンは無言で拭きふきする。
 かぷ、と一思いに食らいついた。
 わたわたケネルが飛びあがり、まなじり吊りあげ、振りかえる。
「又かあんたはっ!? 蹴るな! 締めるな! 頭を噛むな! なんで、そんなに見境いがないんだっ!」
「見境ないのはケネルでしょおー!?」
「──あァっ!?」
「なによ今度はどこの女よぉ!」「あ? あんた一体何を言って──!?」
 静かな石壁に挟まれた、外灯の少ない脇道を、言い合いしながら、ぎゃんぎゃん進む。
 隣を歩く眼鏡のアールは、見向きもせずに歩いている。いっそ素知らぬ他人の顔で。
「……あれ?」
 ふと、エレーンは目を戻した。路地の行く手が開けている。
 路地の先の突き当りに、ほの暗い通りが見えていた。
 先の市場と並行して走る、隣の道であるらしい。つまりは路地を
 抜けてしまった?
「……え、なんで?」
 きょろきょろ思わず見まわした。
 セレスタンの姿は見なかった。ケネルに話しかけつつも、左の壁際はずっと見ていた、それなのに──。
「本当に、この道か?」
 ケネルが肩越しに目を向けた。
 戸惑い、道を振りかえる。「……た、たぶん、ここだと思うんだけど」
「一つ手前の脇道じゃないのか」
 アールが指で、眼鏡の山を押しあげる。「こんな何もない壁際で、人を見逃すはずはない」
 歩き通したこの道は、廃材置き場があっただけで、あとは石壁が続くばかり。壁際に生えた雑草もまばらで、草丈もさほど高くない。
「……でも、そんなはずは」
 何が起きたかわからずに、エレーンは来た道をおろおろ見やる。路地の入口に見覚えはあったし、廃材置き場も確かにあった。確かに、ここだ。この道なのだ──
「──戻って、ケネル。もう一度、あたし、捜してみるから」
 だが、とケネルは、ためらい顔で路地を見る。
「無駄だ」
 言下に言い捨て、アールが身じろぎ、腕を組んだ。
「何度やろうが、結果は同じだ。今捜していなかった者が、戻ったところで見つかるはずが──」
「だって、絶対ここだもん!」
 顔を見合わせた連れを促し、薄暗い路地を、三人で戻った。
 今度は話をしながらではなく、目を皿のようにして地面を見つめて。
 塀に挟まれた薄暗い路地に、虫のだけが静かに響いた。
 左右の建物はひっそりと、紺色の夜空に静まっている。暗い道を照らすのは、まばらな外灯の乏しいあかり。
 そう、アールが言うように、道端に倒れた人ひとり、見逃すはずは絶対になかった。でも、もしも、そこだけ草が高く生い茂り、彼が埋まってしまっていたら? それが暗くて見えなかったら?
 焦燥に駆られて、身を乗り出す。一体どの辺りだったろう。付近に何か目印は──
 だが、あの時は逃げるのに精一杯で、周囲の様子まで覚えていない。近くに何があったのか、暗かったのか、明るかったのか、まばらに立つ外灯から、どれくらい距離があったのか。
「たぶん、確かこの辺り──あっ! 止めて! おろしてケネル!」
 足を止めたケネルの背から、あわててエレーンは滑り降りた。今、何か見咎めた。壁際の草に埋もれて、何かまっすぐな細長い物が──。
 そろそろ近づき、草に落ちたそれを見つめる。
 廃材置き場の、あの角材。セレスタンの頭を強打した──。ここに捨てられている、ということは──
(……ここだ)
 ざわり、と確信に総毛立った。
 やっぱり、この道で合っている。薄暗い塀の下、のろのろ視線をめぐらせた。あの衝撃的な姿を捜して。うつぶせに倒れた禿頭の、ぱっくり割れた赤黒い──
 まばらに立った外灯が、鈍い揺らぎを投げていた。
 石塀に沿って歩きつつ、路地の道端に注意を凝らす。
 きらり、と何かが、雑草の中で反射した。
 息を呑んで足を止め、吸い寄せられるように膝をつく。
 肩をかがめて、手を伸ばし、おそるおそる拾いあげた。雑草に埋もれて落ちていたのは、見覚えのある、あの眼鏡、
 ──彼の黄色い丸めがね。
 丸いレンズの片隅に、黒く血がこびりついている。
 辺りの地面を、おろおろ見やった。暗い地面に目を凝らせば、乏しい外灯の届かない、壁際に沈む雑草に、おびただしい黒い血痕。
「──ここか、現場は」
 ケネルが後ろで見おろしていた。
 苦々しく眉をひそめて、辺りに視線をめぐらせる。気配を確認するように。
 確かに、現場に到着していた。
 血の付いた黄色いめがねが、二つとない確かな証し。草の茂った地面には、事件を示す血痕もある。だが、当人だけが、どこにもいない。
 ……これは一体、どういうこと? 
 あの後、意識を取り戻し、自力で移動したというのか?──まさか。あのひどい様で。
 一人でなんか歩けない。そんなことはあり得ない──ひっそり静かな夜の路地を、困惑しきりで無為に見まわす。覚束ない手で、黄色い丸めがねを押しいだく。ちゃんとケネルを連れて来た。これ以上ない助っ人を。これで助かるはずだった。それなのに──
 暗く静まる壁際を見つめて、エレーンはきつく唇を噛んだ。
 どこへ行っちゃったの? セレスタン……。
 
 
 

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