■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章83
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卓にともった数多のランプの、黄金の灯りがゆらめく中、佇んでいた者たちが、一斉に目をあげ、振り向いた。
二人の守衛が立っていた正面玄関はすでに閉じ、五階建ての窓の明かりも、半分以上が消えていた。なのに、営業を終えたロビーには、思いがけない大人数──そう、二十人ほどもいるだろうか。
重厚な石像を設えた扉を開けたその先へと、ケネルに続いたエレーンは、視線にひるんで足を止める。
帳場にいた壮年の男が、飴色のカウンターをただちに出、いぶかしげに見据えてやってきた。
黒い髪をなでつけた、きちんとした身形の商会の者だ。ためらいもせずにケネルは進み、ここの代表への取り次ぎを頼む。ここラディックス商会の。
盗み見ている男たちは、怪訝そうな顔つきだ。
場違いな相手でも見るような目つきで、ちらちら目配せしながらも、だが、何を言うでもない。
エレーンは居心地悪く目を伏せた。なんだろう、この人たちは。
ただただたむろす風情の顔には、商人たちが浮かべるような、抜かりのない愛想はない。当たり前のようにロビーにいるが、こうした大商会を相手にする、商人という風情ではない。とはいえ、従業員という身形でもなく、帳場から出てきた男とは、彼らは明らかに職種が違う。
だが、清掃等の下働きにしては、仕事中のようにも見えないし、搬入口や荷揚げ場で働く力仕事の者たちにしては、その服装はいたって普通。そう、街中でよく見る、ありきたりの平服姿だ。ならば、何かの用で集った、この近隣の者だろうか。だが、それならどうして、そんなにこちらを気にするのか。──いや、彼らが見ているの自分ではない。
ケネルだ。
──ああ、アレか、と気がついた。
ケネルが着ている革ジャンだ。外套でないよそ者が何の用だ、と気になるらしい。とはいえ目つきが、何かいやに鋭いようだが。
探るような視線に戸惑う間にも、二階に取り次ぎに行っていた、髪を撫でつけた帳場の男が、大階段を降りて来た。
後ろに誰かを伴っている。小奇麗な身形の、壮年の男。
三十代半ばだろうか。白い絹のシャツブラウスに、肩で切りそろえたウエーブの髪。
額で分けた髪の下、どこか羊を思わせる細面に丸眼鏡。ボタンをあけた立て襟の首に、品の良い金の鎖。
いつかファレスと息抜きに出かけたルクイーゼの町宿で、生成りのワンピースをもってきてくれた、そして、ラトキエ邸からの脱出の際も、馬車で外に連れ出してくれた──
そう、あの脱出劇で知ったはずだ。あの彼の正体を。ファレスの知り合いのあのハジが、ラディックス商会の代表であると。
ケネルの来訪は予定外だったか、ハジは面食らったように何事か言いかけ、何かに気づいたように口を閉じた。
「そちらは?」
仏頂面で立っていた、後ろの連れの素性を尋ねる。
穏やかに目を向けられて、アールが値踏みするようにすがめ見た。「あんたがここの代表か? この客の治療代を、肩代わりしたと聞いたんだが」
ケネルがハジに向き直り、事情を手短に説明した。脱走した未納の患者を、連れ戻しにきたアールの立場と、件の治療費の清算について。
納得したようにハジはうなずき、物柔らかな笑みをアールに向けた。
「いかにも私どもが用立てました。ですが、言葉だけでは不足でしょうから、私が一筆認めましょう。では、すぐに参りますので、二階でお待ちを。──君、この方をご案内して」
目で促された帳場の男が、おもむろに進み出、階段へ促す。
「どうぞ、こちらへ」
アールが無言でこちらを見、不審そうに目をすがめた。三千トラストもの大金を、肩代わりした理由が解せない、そういう目──。
それは、もっともな反応だった。
なにせ、街の小娘風情と、一二を争う大商会だ。取引をするには、つり合わない。これが仲間の"小太り"の方なら、ハジと顔を合わせた時点で、とうに詮索していたろう。だが、こちらの身分は明かせない。クレスト夫人がうろついている、などと噂が街に広がれば、余計な災難を招きかねない。領邸にだって迷惑が──
うかがうような視線を避けて、エレーンは思わず目を伏せた。
アールが無造作に足を踏み出す。
すっと脇を通過して、帳場の男の後に続いた。
黄金の灯が揺らめく中、奥の大階段へと向かっている。
振り向きもせずに階段を上がる、アールの旅装の背を見やり、ほっ、とエレーンは息をついた。個人と大商会の関係にも、肩代わりに至った経緯にも、大して興味がないらしい。言質をとったその相手が確かに本人であればよく、それについては、さすがに疑いようがない。なにせハジは、アール自ら商館に出向き、取次ぎを頼んで現れた相手だ。
やがて、二階に辿りつき、廊下に続くのだろう壁の向こうに、連れだった二人の姿が消えた。
部外者を難なく追い払ってしまうと、ハジはさばさばと振り向いた。
「さて、本題に入るとしましょうか。宿舎が襲撃された一件の、事後処理ですかね、隊長さん」
ともし火ゆれる方々で聞き耳を立てていた男たちが、はっと振り向き、目をみはった。
ケネルの姿を盗み見て、隣と顔を見合わせる。(……おい、あれが)(意外と若いな)(あれが噂の"戦神ケネル"──)
「迷惑をかけて、すまなかったな」
不躾な視線には慣れているようで、ケネルに気にした様子はない。
「損害については補償する。だが、悪いがその前に、早急に頼みたいことがある」
「頼み、とは?」
丸眼鏡の向こうで、ハジはうかがう。
ケネルは淡々と説明した。路地から忽然と姿が消えた、部下の行方を捜してほしいと。
「──なるほどね」
眉をひそめてハジは聞き、検討するように目を閉じた。
すぐに目を開け、顔をあげる。
「無論、協力は惜しみません。例の襲撃の一件で、丁度集まっていることですし」
遠巻きにしていたロビーの者に、ちらと視線を走らせた。「誰か、地図を」
一同、我に返って身じろいだ。
その内の一人が帳場へ走り、ハジの元へと取って返して、四角く畳んだ紙を手渡す。ハジは手近な卓に寄り、ばさり、とそれを振り広げる。
流れるようなその手際を、エレーンはただただ目で追った。
あっけにとられて紙面を見る。
(え? なにこれ……)
紙面に引かれた数多の線。
全面にひしめく様々な記号。よく知るいわゆる「地図」とは違った。通常、地図とは、単純な線と文字で書かれた、もっと大雑把な配置図だ。書かれているのは、目的地までの道筋と、役所などの目印がいくつか。だが「地図」と言われて、出てきたこれは──。
(……すごい)
これほどまでに詳細な、込み入った地図など見たことがない。
実測図のようだった。精巧な記録にたじろぎつつも、街道沿いの街門から辿って、現在地の見当をつける。すべての配置が一目でわかる。しかも、もしや、ザルト全域が網羅されているのではないか?
まじまじ紙面を凝視して、エレーンは密かに舌を巻く。名だたる大商会の一角といえども、ここは一介の商館だ。領邸の書庫でさえ望めない、これほど詳細な見取り図を、一体どこで入手したのか──。
ほっそりとした人差し指で、とん、とハジが一点をさした。
そこが事件現場であるらしい。その周辺に点在する、決まった意匠の二つの記号を、次々指でさしていく。「詰め所、診療所は、ここと、ここと、ここ──それから、ここと──」
先の現場を中心に、ぐるりと指が円を描く。
「昏倒していた重傷者に、遠方への移動は無理だろう。さしあたってはこの辺り、現場付近と近隣を押さえる」
ちら、と背後に目配せした。
男が数人うなずいて、無言で速やかに外へ出ていく。いつの間にそこで控えていたのか。
ハジはそれを見届けて、おもむろにケネルに目を戻した。
「報告が上がるまで、しばし、お待ちを」
「悪いな。助かる」
どういたしまして、と軽く片手をあげ、ハジは大階段へ歩き出す。二階で待たせたアールの所へ行くらしい。
あれよあれよという間に手が打たれ、あっけにとられて、エレーンは呆然。
はた、とケネルを振り向いた。
「あ、だけど、ハジさん、なんで、詰め所まで──」
助けを乞うにも、今さらだ。セレスタンはすでに襲撃された後というのに。
「収容先から連絡があるなら」
ハジの背中を見ていたケネルが、振り向き、淡々と目を向けた。
「生きていれば診療所、死ねば、詰め所ということだ」
ドゴール、ラディックス、エンブリーといえば、この国では知らぬ者のない、三大商会の名前だが、通常こう呼び習わされる通り、ドゴールが筆頭、最大手。とはいえ、それは、この国最大の市場規模を誇る、かの商都カレリアでの話だ。
国軍の置かれた国境付近は、利器の需要が格段に高く、それはラディックス商会の一人勝ちの市場。つまり、そうした市場占有率も西部では、筆頭と次点が逆転する。
ラディックス商会ザルト支所。
玄関を入った正面に、台座にのった「天秤」のオブジェ。そして、突き当りに大階段。天井の高いロビーの右手に 受付を兼ねた帳場がある。
昼には商売相手が集うのだろう、ゆったりと広い間隔で置かれた、卓と椅子、革張りの長椅子。絵画や調度が壁には置かれ、黄金の灯が揺れている。ロビーの中央に据えられたあの「天秤」がなかったら、貴族のサロンと見紛うほどの豪華さだ。
ロビーでたむろす男たちが、ちら、と一斉に目を向けた。
それにつられて奥の大階段に目をやれば、数人の人影が下りてくる。
先頭は旅装のあのアール。白いブラウスの細身のハジと、帳場の男がそれに続く。アールの用が片付いたらしい。
そうする間にも階段を降りきり、ぶらぶらアールがやってきた。
出口に向かっているのだろう。長椅子にかけたこちらの脇を、そのまま一行が通り過ぎ──
足を止め、アールが見おろした。
「感謝するんだな、行ないの良い両親に」
エレーンは面食らってまたたいた。「……へ?」
アールは怪訝そうにハジに目をやり、親指の先でこちらを指す。
「大恩があるんじゃなかったのか」
はたと、エレーンは振り仰いだ。
「……あ、──う、うん! そうなの実はっ!」
背筋を正して胸で手を組み、お愛想笑いで、ぶんぶんうなずく。「むかしむかしその昔、両親が縁あって色々お世話をっ!」
無口なアールとの場つなぎに、融通した理由を見つくろったらしい。
引きつり笑いのこちらの顔と、澄ましたハジとを交互に見やって、アールは胡散臭げな顔つきだ。「……ふ、ん」
「何か?」
にっこりハジが即座に返す。問答無用の微笑みで。
「──いや」
アールが背嚢を背負い直し、止めていた足を踏み出した。「俺には関係のないことだ」
思わず椅子から立ちあがっていたエレーンは、拍子抜けして見送った。あのしつこい借金取りが、見向きもせずに、ぶらぶら出ていく──。
「……終わったぁ……」
本当に。
なんというあっけなさ。あんなに散々手こずったというのに……。
脱力して、しばし呆然。
「遅くなったが、ご機嫌いかが?」
軽く身じろいだ気配に気づいて、エレーンはあわてて振り向いた。「え──あ、はい! お陰様で、なんていうか、そのっ、」
つくづく、というようにハジは見て、絹の腕をおもむろに組む。「しかし──目の当たりにすると、さすがに怯むな。聞きしに勝る生命力だ」
「……へ?」
エレーンはぱちくり、己を指した。困惑したような口ぶりは、嫌味や皮肉ではなさそうだが。
「聞いてないのか? あんたが西の森で見つかった時、馬で運べる状態じゃなかった。それであの隊長が、炎天下のあぜ道を、あんたを担いで移動して」
ぽかんと見やって、エレーンはあわあわ。「……ケ、ケネルが? 歩いて?」
なんのことだ。
「だが、あんたを連れてちゃ、町にも寄れず、あんたの容態がもたなくて──それでカノ山の坑道にこもって、医者の到着を待ったとか」
「……。ケネルとぉ?」
初耳だ。
しかも、森の奥まで逃げこんだから、徒歩で商都まで戻るとなると、気の遠くなるほどの道のりだが……。
顔をゆがめて突っ立って、ケネルの姿をロビーに捜す。
この椅子から少し離れた、あの地図の卓にいた。立ったまま天板に片手をつき、卓の地図を睨んでいる。
視線は紙面に据えたまま、シャツの胸から煙草を取り出し、一本抜いて口にくわえる。
眉をひそめて一服した。ずっと平然としていたが、思いがけない厳しい顔つき──。
その横顔をちらと見て、目をそらして、エレーンは戸惑う。この炎天下に連れ歩いたというのか。肩に担いで野道を往き、山の暗い坑道に入って──。
「でも、ケネルは一言も──」
パタン──と玄関の扉がひらいた。
夜を切り取った戸口から、つかつか人影が入ってくる。
目つきの鋭い平服の二人。少し前に、ハジの指示で出て行った──
その意味に気づいて、びくり、と肩が居竦んだ。
足も止めずにロビーを突っ切る、二人の動きを注視する。
気分がざわめき、胸がさわぐ。ぎゅっと、手のひらを胸で握った。
(セレス、タン……)
街から、彼らが戻ってきた──。
姿を消したあの彼の、生死の結果を携えて。
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