■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章85
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じっとケネルが、真顔で見つめる。
今のなけなしの口上を、咀嚼するように一つまたたく。
そして、身じろぎ、首をかしげた。
「誰と?」
ひくり、と頬が強ばった。「──だからっ! 一緒に、町を、歩いてたでしょー!」
「──見てたのか!?」
「見てたら悪いぃっ?」
エレーンはねめつけ、徹底抗戦。ケネルは二の句が継げない顔。
軽い溜息で、身じろいだ。「──それなら、どうして声をかけない」
「かけられる訳がないでしょが!? あんなにイチャイチャされてたらっ!」
タヌキのとぼけた言い草に、爪先立って全力で突っ込む。
その剣幕にたじろいだか、ケネルがそそくさ踏み出した。「あれは、別に何でもない」
エレーンもつかつか、大股で並ぶ。「なによ。とぼけなくてもいーじゃない。男らしく認めたらどーなのよ」
「だから、別に何でもない」
ケネルの足が若干速まる。
がぜん、がんばってエレーンも追走。「なによ。おめでとうって言ってんだから、素直に受けときゃいーじゃないっ!」
「だから、あれはそんなんじゃ──。どうしてあんたは、すぐに色恋沙汰へもっていく。あれはそんな間柄じゃないと、何度言えば──」
「だったら、どんな間柄ぁ?」
「刺客だ」
「──。はあ!?」
ムカつきが先走って己を追い越し、エレーンはわなわな、ぶち切れそうに拳を握る。言うに事欠き「刺客」だとぉ!? イチャイチャ笑い合っていたくせに!
新たな怒りが沸々こみ上げ、地面をずんずん踏んづけて歩く。タヌキだタヌキだと思っていたが、この期に及んで、そんな口から出まかせを! てか、どっから飛んできたんだその回答。どうせ、焦って言い慣れた語彙から、引っ張り出してきたんだろうが、こちとら甘っちょろい部下とは違う。ファレスやザイなら手もなくホイホイ騙せても、こっちの目は誤魔化せない。そも、誰と心得る! 逢い引き現場をこっそり押さえた、他でもない目撃者さまだぞ!?
弾劾と不快と不退転の決意が、嵐のごとく吹き荒れて、鼻息荒くねめつける。
すがめ見やった肩先で、ケネルはてくてく歩いていく。困っているというよりは、うんざりしたような顔つきで。はー、やれやれ、と頭を掻いた、ゆるみ切った背中には、この手の修羅場に不可欠な、緊張感のカケラもない。──ぬう、許せんおのれタヌキめ! 密会発覚の大罪人のくせに!
そうとも、あれはただ事じゃなかった! 刺客だとかなんだとか、荒唐無稽なことでっちあげ、煙に巻く気でいるんだろうが、このあと、どう申し開きする気だ!
──さあ、聞かせてもらおーじゃないのっ!
二人の逢瀬を思い出し、むかむか不愉快になりながら、ギッと元凶をねめつける。
はたと気づいて、あたふた走った。
「あっ?──待ちなさいよ! おいてく気っ!」
横から忽然と消えていたケネルが、少し先で振り向いている。
腕組みして、靴先をパタパタ(もー。さっさとこい)とのしかめっ面で。ぬぅ、こっちが立腹中に、置いていくとは不届き千万! ちなみにケネルは、歩行速度がたいそう速い。不利だ。
「なんで、先に行くかなあーっ」
ごちて到着、横に並ぶ。
口を尖らせ、腕組みで仰げば、ケネルは白けきった顔。なにそれ。覚えがないってアピール?
でも、あれだけバッチリ目撃して、昼のあの子の口ぶりで、「彼女」でないなど、あり得ない。「翌朝、気づいたら、男の隣で目が覚めた」とか、巷でよくあるシチュエーションだし、ケネルは聖人君子じゃない。こっちと一つ屋根の下でも手ぇ出してこなかったのは魔訶不思議だが。あれだけ毎晩一緒にいたのに。そうとも、こっちには、いっぺんたりとも……
「……ぬ?」
ひょんなところで不都合な事実に直面するが、そっちの方は見なかった振りで、弾劾及び糾弾に戻る。
とはいえ、ケネルの反応はさっぱり。
言い訳もしなければ、誤魔化しもしない。あの彼女をかばうでもない。だったら、もしや、"結婚"云々のあの件は、実は、彼女がとってつけた、勇み足だったりしちゃうとか……?
「……む〜」
堂々巡りに陥って、しばし、無言でてくてく歩く。
ふと、思い出して振り向いた。「あっ、ねえ。──そういえばケネル、払えるのー?」
「何を」
「だから、あたしの治療代、ケネルが払うって、ハジさんが」
ケネルはぶらぶら歩きつつ、ああ、あれか、と事もなげ。「気にするな」
「するでしょ普通!? だって、三千トラストよ!? そんな大金ほいほいと──」
「上層部が払う」
だからおれは大丈夫──と、ケネルは、うむ、と、きっぱり断言。
「……はあ? ウエって」
さらりとすり替わった「恩人」名を復唱し、エレーンは片頬ひくつかせる。ケネルじゃないのか、肩代わりしたのは。なんだ、ちょっとときめいて損した──。
あれ? と瞬き、今の言葉に立ち戻った。さらりと耳をよぎった響きが、何か意識に引っかかる。今の"ウエ"……?
「なんか、その言葉、前も誰かが……?」
指の先で唇を触って、やきもき語感を追いかける。胸がチリチリ、もどかしさに焼けた。ざわり、と暗い何かの記憶と、密接に絡みついている。気が急くような、凄惨な、悲鳴をあげてしまいそうな──
ばさり──と何か黒っぽいものが、ケネルの右肩に降りかかった。
風にのって飛んできたハンカチの類とでも思ったか、ケネルは無造作に引きはがす。そのまま片手で、かたわらに投げ捨て──
ん? と停止し、その手を見る。
「あっ、こいつ! 今まで、どこへ──」
はっ、としたように口をつぐんだ。
そろり、とゆっくり、顔だけこちらに振りかえる。
ぽかん、とエレーンは口をあけた。なんだ、今の反応は。"ケネル"にあるまじき気安い口調。しかも、相手は、手の中の──。
じとり、と微妙な沈黙が、二人の間に立ちこめる。
ミィ……とか細く、"それ"が鳴いた。
引きつって突っ立ったケネルの片手で、じたばた "黒"がもがいている。華奢な手足を突っ張っているのは、生後もない黒い仔猫。
思考停止で放心中のケネルに、むぎゅっ、と容赦なく握られたらしく、死の物狂いであがいている。だが、ケネルは気づいていない。
「さ、こっち、おいでー」
ケネルが手を放すよう、わざと仔猫に声をかけ、ケネルの手から取りあげる。
はいはい、いい子ねー。痛かったねー、と逃れ出た仔猫の頭をなでる。
あれ? とエレーンは顔を見た。
「あんた、もしかして、お店に来た──」
ミィ、と仔猫が甲高く鳴いた。それに返事をするように。そう、昼に遊んだ仔猫ではないか。
「知ってるの? この子のこと」
硬直して突っ立っていたケネルが、呼ばれて、はたと我に返った。
ぷい、とあわてて目をそらす。「──いや」
「えーっ? うそうそ。だって、今、」
「おれはしらない」
ぷぷい、とケネルは、更に殊更に目をそらす。絶対話しかけていたくせに。
仔猫の頭をなでながら、ふ〜ん、とすくい上げるように、その顔を見やった。「そぉおぉ? ずいぶん懐いてるみたいだけどぉ?」
「気のせいだ」
即刻、一蹴。問答無用で。
「……へー」
まったく、なんで、このタヌキは、そんなしょうもない嘘をつくのだ?
そうする間にも、仔猫はしきりに、ケネルに手を伸ばしている。まあ、姿を見かけて飛びついたくらいだ。ケネルの所に行きたいのだろう。てか、こんなに執着されるとは、内緒で餌でもやっていたのか?
ちらと様子をうかがえば、ケネルは相変わらず知らんぷり。それはもう不自然なほどに。てか、そんなによじって、首、痛くないのか?
「そっかー。あっちに行きたいか〜」
仔猫の背をなで、にんまり笑い、ケネルのシャツで手を放す。
「さ、遊んどいでー」
案の定ケネルに飛びついて、すぐさま仔猫はよじ登っていく。
ミィミィか細く鳴きながら、肩にあがり、首筋をまわり──。
か細い四肢をいっぱいに広げて、ケネルの耳に張りついた。何事か訴えるように、ペロペロしきりに舐めている。つれない態度を詰っているのか?
顔をしかめて、ケネルはうるさげ。それでも仔猫をどけようとはしない。片手で持てるほどの華奢な仔猫だ。投げ捨てることなど容易いだろうに。
ケネルはただただ、引きつり顔で突っ立っている。けれど、そわそわ、指先が泳ぐ。
行きつ戻りつしているようだ。足を踏ん張ってくっついているから、そ知らぬ顔で抱きとるか。けれど、一体どんな顔で? だったら、怒声で振り払うか。ここは、やっぱり振り払うべきか。だが……
悶々としているようなので、ちら、と横目で言ってやった。
「いーんじゃない? どけなくて。すぐに飽きて、どっか行くって」
「……あ、ああ。そうだな」
むっつりした顔を殊更に作って、ケネルは憮然と歩き出す。仔猫を後ろ頭に張りつけて。
エレーンは笑いをかみ殺す。
ケネルの背中に手を伸ばし、上着の裾をそっとつかんだ。
ケネルといると、安心する。
肩の力を抜いていられて、心が、少しだけ自由になる。
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