CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章86
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「ケネル……好きなんだ、猫」
「……べつに」
 くすくす、ケネルについて歩く。誰も見ていなければ、こねくり回していたくせに。
 まったく、なんで、しょうもない見栄を張るんだか。可愛いものが好きだと知れたら、沽券こけんに関わるとでも思っているのか? 
 ふふっと笑い、後ろ手にして、ついて歩く。
 そしらぬ振りを懸命に決めこむ、その様子が微笑ましくて、もう一度しつこく訊いてやる。
「ねー、好きなんでしょ、猫」
「別に」
「隠さなくてもいいじゃない。正直に言いなさいよー」
「しつこいな」
 ちら、と横目でケネルを見た。
「本当は、好きだよね猫。その子全然怖がってないし、ケネルも扱い慣れてるもん」
 観念したように、ケネルは嘆息。
「──ガキの頃に、飼っていた」
 やっとちょっと認めたものの、もう、いかにも渋々だ。顔をしかめて仏頂面。そんなに秘密にすることか?
 むろん、からかう絶好の機会を、放っておく手などない。ここは速やかに断固追及。
 うきうき口を開こうとした矢先、ぶっきらぼうにケネルが続けた。
「俺はまだ五歳いつつのガキで、こいつと同じ生まれたばかりの、ブチの痩せた猫だった。親とはぐれでもしたんだろう、腹を空かせて草むらで鳴いてて、今にも死にそうに弱っていたから、拾って帰って、飯をやった」
「あ、それで飼って、可愛がってたんだ〜」
「いや。しばらくしたら、いなくなった」
「そっか。──でも、猫は野良でも生きていけるし。あ、ご飯食べて元気になって、お母さんの所に帰ったかな」
「河原で、死んでた」
 ──え?
「夕方の薄暗い河原で、赤い花がそこら中にあって、もう、からすたかっていた。見つけた時には冷たい地面で、もう固くなっていた。自力で餌がとれなくて、結局飢え死にしたんだろう」
 思いがけない展開に焦る。「そ、そっか。──それでケネルは、河原に埋めてあげたんだ」
「いや、見かけただけだ」
 ふと、ケネルの顔を見た。
「……そう」
 嘘だ。
 本当は何日も、探しまわったに違いない。野草生い茂る河原で見つけて、手ずから土を掘り起こし、そこに埋めてやったのだろう。河原の冷たい・・・地面の下に、固くなっていた・・・・・・・その仔猫を。
 鈍い痛みが胸に走って、エレーンはそっと目を伏せる。
 胸に流れ込んでくる。
 あおとばりが辺りをつつむ、夕陽をあびた無人の河原で、ガアガア羽ばたくからすの威嚇が。
 群生した彼岸花の揺らぐ、鮮やかにひらけた情景が。
 閑散と広いすすき野原で、うつむいて佇む少年の背が。
 枝も葉もない反り返った赤が、頭でっかちの赤い花弁が、河原を吹きゆく夕風かぜにざわめく。ゆらゆら、ゆらゆら──ゆらゆら、ゆらゆら──。苦く、やるせない、遠い日の記憶・・が──。

 たっ、と仔猫が、ケネルの肩から飛び降りた。
 夜に沈んだ塀沿いに、夜道の先へと走っていく。駆け去る"黒"を目で追えば、黄金こがねにともった外灯のあかり。
 夜道の往く手に現れたのは、見覚えのあるあの建物。
 黒い梢が、建物の屋根でざわめいた。
 この街では珍しい、間口の広い木造建築。世話になっているあの宿だ。そういえば、仔猫のねぐらだと、"エンジ"から聞いたと思い出す。
 塀にともした外灯が、静かな夜道を照らしていた。
 うら寂しいその様に、不意に胸がつかまれる。
 あの外灯の塀にもたれて、ザイが戻りを待っていてくれた。そして、あの禿頭とくとうの彼も、二階の窓から連れ出してくれた。傷だらけの弱った体で──
 ざわり、と心が沸き立った。
 足を止めて、振りかえる。
 三番街の商館に、今すぐ駆け戻りたい衝動に駆られた。だって、こうしている間にも、セレスタンの身に何かあったら──。
 呼吸が浅く、胸が詰まる。
 宿はもう、すぐそこだ。なのに、足が動かない。
 見ない振りして閉じこめた、叫び出しそうな焦燥が、黒い辺縁へりを覗かせる。
 ひと気ない夜道の闇を、唇を噛んで、じりじり見つめた。だって、もしも今まさに、事切れそうになっていたら──!
 低いざわめきが、耳朶じだをかすめた。
 次いで脳裏に、あの光景。ロビーに薄くたちこめた紫煙。卓を囲む低いざわめき。眉をひそめて地図を囲んだ、難しい顔の大勢の人々──。
 ……手を、尽くしてくれている。
 商会代表の指揮の下、皆が捜してくれている。
 なのに、今さら駆けこんでどうする。取り乱して困らせるのか? あらゆる手段を講じてくれる、無償で働く人たちを。
 詰めていた息を浅く吐き、ゆるりとエレーンは首を振った。
 彼らに任せるべきだった。
 今、自分が戻ったところで、できることは何もない。ならば、今すべきことは、部屋から荷物を引き取って、今夜の宿を探すこと。捜索の進捗を聞くのは明日──。
 後ろ髪を引かれる思いで、視線を夜道から引き剥がす。
 涼しくなった夜風に吹かれて、ケネルはぶらぶら歩いている。少し間があいてしまった。
「──あー、悪いね。満室だよ」
 道の先で、声がした。
 どこかで聞いた若い声。少し先を歩いていたケネルの、その肩の向こう側。宿の中から男が出てくる。
 その手前で足を止め、ケネルがそれに応答した。「昨日も満室だったがな」
「運が悪いな、お客さん。けど、宿を探すなら、もっと早く動かなきゃ」
「昼にも一度声をかけたが、誰も出てこなかったがな」
「そいつは間が悪かったね。ま、宿なら他にもあるからさ。悪いが、よそを当たって……?」
 ふと、男が口をつぐんだ。
 あれ? と気づいたように向き直る。顔をしかめて頭を掻いた。
「──人が悪いな、隊長さん。からかわないで下さいよ」
 外灯の明かりで、姿が見えた。掃除でもしていたか、銀のブレスレットが落ちかかる片手に、濡れた雑巾ぞうきんをぶら下げている。
 お洒落な無精ひげの若い男だ。長い茶髪をうなじでくくり、首には銀のネックレス。臙脂えんじ色の丸首シャツ。 
 昼に宿まで送ってくれた、臙脂えんじのシャツの店員が、ぶらり、とケネルに向き直った。
「お疲れさまっす、隊長さん。どうしたんです、こんな夜更けに」
「荷物を取りにな。二階、いいか」
「あ、どうぞ、あがってください。片づけは大体済みましたんで。通報が速かったんで、そう荒らされずに済みまして。ああ、荷物も無事っすよ」
 襲撃時の経緯について、"エンジ"は簡単に説明する。
 賊徒の突入を抑えきれず、二階の部屋まで踏み込まれたが、警邏の到着で賊徒は退散、それでなんとか事なきを得た──。
「仕事を増やして、すまないな」
「ま、床を拭く程度で済みましたんで。お役に立てれば、俺らも本望ってもんですよ──て、んん?」
 何かに"エンジ"が気づいたらしく、目を凝らすようにして顔をしかめる。
 ぎょっと、たじろいで飛びすさった。
 あわてた口パクで、こちらを二度見。
「──あっ、──あ、いや、あの、違うんすよ?」
 片頬引きつったお愛想笑いで、あわあわケネルの顔を見た。
「俺らは何も、わざと隠していたわけじゃ──!?」
 しどもど何やら弁明を始める。
 こっちをチラチラうかがっているから、不都合の原因はこっちってことか? 会話を始めた当初から、ずーっと、ここにいたのだが。
 "エンジ"はへらへら媚び笑い。
「あっ、俺らは奥で詰めてますんで、何かあれば声かけてください。まあ、どうぞ、ごゆっくり〜……」
 上目遣いで「──では」とうかがい、そそくさ逃げるように踵を返した。
 奥へ逃げ戻る足を止め、「──あ、そうだ」と振りかえる。
「お連れさん、戻ってますよ」
 右手の階段を目でさして、廊下の先へと引っ込んでいく。
 お連れさん・・・・・
 はっとエレーンは息を呑んだ。
 海賊たちの襲来時、この宿から逃がしてくれた、あの"エンジ"が言うのなら、その「連れ」というのは、
 ──まさか!
 あわてて玄関に駆け込んだ。
 木板の階段を駆けあがる。
 もどかしい思いで段を上がって、二階の床板をようやく踏めば、無灯の廊下はひっそりと暗い。部屋の灯りも、点いていない。空気の入れ替えをしているのか、部屋の引き戸は開いたまま。
 その向こうは、ひっそりしている。物音ひとつ聞こえてこない。もしや、もう動くことができず、ひとり暗がりで伏せっているのか……?
 矢も楯もたまらず駆けつけた。
 全開の腰窓が、目に飛びこむ。
 白々とした月明かりが、ひっそり床に射していた。
 一面い草の敷物の大部屋。夜闇の中で、うずくまる人影。
「……え?」
 思いがけない光景に、エレーンは息を呑み、立ちつくした。
 
 
 

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