CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章87
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 行く手の暗がり、戸口の左に"足"が見えた。
 がらんと物のない敷物の上、手足を伸ばし、仰向けで寝ている。いや、あれは、
 ──倒れている?
「セっ──!?」
 ひやり、と危うさが肌を刺した。
 踏みこみかけた足を止め、口をつぐんで、気配を探る。言いしれない切迫感。猛獣のいる巣窟に、知らず踏み入ってしまったような──。
 ひっそり静まった闇の中、視線が自分を捉えている。
 月影だけが射していた。
 無灯の大部屋にうずくまっていたのは、一人ではない、五人もの人影。初めに目にした仰向けの"足"は、がっちりした体格の男。すらりと長身のあの彼とは、似ても似つかぬ太い胴。その奥の窓辺付近に、背を向けて横たわった大きな男。
 窓の右手に視線を移せば、膝で雑誌を広げた人影。その手前の暗がりに、片膝を立てた小柄な輪郭。その彼と向かいあった、この部屋の中央に、月影の届かぬ陰の中、煙草をふかすあぐらの人影。
 さらりと長めの薄茶の頭髪。痩身の背を気だるげに丸め、だが、前髪から覗く双眸は鋭い。あれは──
 ぶるり、と全身に震えがきた。
 あぐらで見やった煙草の男に、両腕を振って駆けつける。
 熱い塊で胸が詰まり、矢も楯もたまらず飛びついた。
「──ザイ〜っ!」
「おや。早いお戻りで」
 あぐらの懐にしがみつかれて、ザイは煙草を遠ざける。「熱烈歓迎、感激スねえ」
「……えっ、えっ、……ざっ、ざいっ……み、み、みんなもっ……ひいっく!……せ、せれっ……せれっ……がっ……!」
「まずは靴、脱ぎましょうね。部屋ん中は土足厳禁どきんスよ」
 煙草の火を灰皿でもみ消し、ブーツの左右をよどみなく脱がせる。
「で、今度はなんでベソかいてんです? 誰かと喧嘩でもしましたか」
 脱がせた靴を脇に横たえ、ふと、戸口に目を向けた。
「──おや、隊長。一緒でしたか」
 寝転がっていたロジェとレオンが、声で気づいて、身を起こした。後ろの気配もうごめいて、どうやら居住まいを正した様子。あのダナンとジョエルだろう。
「お前たちも来ていたか」
首長うえがほっつき歩いていましてね。怪我人だってのに困ったもんです。ちなみに、先に言っときますが、見ての通りの──」
 ぱっとザイが、両手を離した。
「不可抗力スよ?」
 ケネルは上がりがまちに腰をかけ、背を向け、靴を脱いでいる。「勘ぐるな。俺と客は、そんなじゃない」
 ……え? とエレーンは動きを止めた。
 胸がえぐられ、唇を噛む。思いがけない、そっけない口振り。
 ザイも面食らったように口を閉じた。
「──へえ。そうスか」
 どこか慎重な口ぶりで言い、一考するように視線を外す。
 仕切り直して目を戻した。
「これには色々ありましてね。周囲が例によってザワついてまして。身元不明の二人連れやら、レーヌの海賊風情やら、闇営業の取り立て屋やらで」
「取り立ての件は、片付いた」
 答えてケネルは上がりこみ、戸口の壁に肩でもたれる。
「あっ、海賊も、もういないって!」
 思い出して追加すると、「はい?」とザイが目を向けた。「誰が言ったんスか、そんなこと」
「……え?」
 たちまち詰まり、エレーンは戸惑う。そういえば、誰だった? 確かにそう言われたはずだが、誰の声だか思い出せない。
「そういや、しばらく、小うるせえを見ねえようだが。ま、そっちは置くとして」
 視線で軽くこちらを示して、ザイがケネルに目を向けた。
「動いてますよ、統領が」
「──この客を・・・・、か?」
 面食らって、ケネルが見返す。「なんだって、客に目をつけた」
「理由はなんだかわかりませんが、それでこっちも、この先の進路の変更を、余儀なくされた有り様で。早急に連れ戻す気でいたんですが」
 自分の話をしているらしい二人の顔を交互に見、エレーンはふと、またたいた。これと同じ内容の話を、最近、誰かから聞かなかったか? 自分は、部隊の上層部に、目をつけられて・・・・・・・しまったらしい、と。周囲に身柄を狙われているから、無闇に助けを乞うことはできない──脳裏に浮上したあのくだりが、落ち着きのある、あの・・声と重なる。
『 上っちゃ上か、隊長も 』
 はっと息を呑み、ザイを仰いだ。
「──せっ、セレスタンっ! セレスタンが!」
 ケネルに向けていた視線の先を、ザイが怪訝そうに懐に戻す。
 息せき切って、説明した。
 襲われた宿から、彼と逃げたが、街で賊と出くわして、路地で、彼が袋叩きに──。賊に拉致され、現場に戻れば、倒れていた彼の、姿はなくて──。
 ちら、と皆が目配せした。誰も口を挟まない。
「──消えた、ねえ」
 思案するようにつぶやいて、ザイが淡々と顎をなでた。「あのハゲのことだから、一旦外れたんじゃねえスかね。仕切り直して取り返すつもりで」
「違う! すごい怪我してたもんっ!」
 存外に悠長な言い草に、エレーンは焦れてこぶしを握る。
「だってセレスタン重くって、呼んでも返事もしてくれなくてっ! 気づいているのに知らんぷりとか、そんな意地悪、セレスタンはしない!」
「のほほんと見えてもあのハゲは、支度はきっちりする奴ですよ。どれだけ数がいたところで、しょせんは町のゴロツキ風情。そんな雑魚ざこにやられてやるほど、可愛げのある野郎とは。それとも、焼きでも回ったか?」
「──転んだの!」
 揶揄するような苦笑いを、たまらずエレーンはさえぎった。
「違う! あたしが転んだの! セレスタンはちゃんと逃がしてくれた! ちゃんとあたしを隠してくれた! なのに、あたしがすそ踏んで! だからセレスタン、あたしをかばって!」
 ザイが軽く目を見開き、その目が静かにこちらを見つめた。
「あたしがいるから動けなくて! だからセレスタン、ひどく蹴られて! 角材で思い切り叩かれて──! 頭から血がいっぱい出ててっ!」
「──こいつは」
 一考するように視線を外し、思案するように顎をなでる。にわかに事情が呑みこめたらしい。苦々しげに舌打ちした。「──あのハゲの、やりそうなこった」
「商会が行方を追っている」
 ケネルが壁で腕を組み、淡々と口をはさんだ。
「だが、現時点で収穫はない。付近の診療所に、該当はなし。詰め所は閉所につき、回答保留。現場は『市場通り西』から南に入った、三番街交差点から二本目の路地。夜警は騒ぎさえ、つかんでいない」
「だが、現に襲撃はあった。──忽然と消えたって訳ですか」
「捜索範囲を、明日には全域に拡大する」
「ゴロツキのヤサは当たりましたか。近隣民家への聞き込みは──」
 淡々と応酬する事務的な声を聞きながら、エレーンはいたたまれない思いでうなだれた。
「……ごめんね、ザイ……ごめんね、みんなっ」
 膝で、こぶしを強く握る。彼を放置している罪悪感が、ひしひし押し寄せ、押しつぶされそうになる。
「あたしが悪いの。あたしのせいなの。セレスタンは駄目って言ったのに、フードとって、まわり見て、それで追手に見つかって! ひどい怪我をしてたのに、あたしのせいで殴られて……あんなにひどく叩かれてっ!……あたし……あたし、どうしたら……」
 垂れたこうべに、重みがかかった。
 ザイの手のひら、と気がついて、びくりと肩が凍りつく。
「あんたに一つ、言っときますが」
 身を固くして、うつむいていると、ひょい、とザイが横から覗いた。
「情けをかけると、バカ見ますよ?」
「……え」
 思わぬ気軽さに面食らった。
 あんたも、よーく知ってる・・・・でしょ、とザイはぬけぬけと仄めかし、「それに──」とおもむろに言葉を続ける。
とががあるなら、この俺だ」
 振り向きざまに目配せし、後ろで、ロジェが立ちあがる。
 太鼓腹にそぐわぬ身軽さで、つかつか引き戸に足を向ける。いつの間にか立ち上がっていたレオンも、大きな体でのっそり続く。うごめく気配に振り向けば、闇に紛れてうずくまっていたジョエルも、引き戸に歩き出している。
 通りすぎ様、足を止め、じろり、と顔をすがめ見た。「──じゃあな」
「……え」
 つっけんどんな物言いにひるむ。なぜだか不機嫌そうな顔。怒っている……? 
 すぐに、理由に思い当たった。今というなら、あのセレスタンのことしかない。ジョエルは彼と親しくて、だから腹を立てている──うろたえ、おろおろ目をあげる。だが、彼をなだめる言葉どころか、言い訳さえも出てこない。
 足が、そっけなく通りすぎた。
 黒いざわめきが胸に広がり、なすすべもなく、その背を目で追う。
「──気にするな」
 すっと気配が、横に来た。
「照れてるだけだ。ガキだから」
 静かな声を耳に残して、短髪の背中が通りすぎる。
 ダナンだった。セレスタンの訃報で寝込んだ翌日、唯一あの彼だけが、ひどい嘘を詫びてくれた──。
 開け放った上がりがまちに、四人の背中が集っていた。無言で手早く靴を履き、暗い廊下に次々出ていく。
 エレーンはたじろぎ、無為に見まわす。「な、なに? 急にどこへ──」
「いえなに。ハゲを回収しに」
「──い、今から捜しに?」
 驚いて、ザイの顔を見た。
「だけど、もう真っ暗で──みんなも牢から出てきたばかりで、まだ体が疲れてるんじゃ──今も灯り、消して寝てたし──」
「獄囚ってのも、あんがい楽で。外に見張りがいるお陰で、久しぶりに安眠できましたよ。もっとも、ハゲにぶち込まれるとは、こっちも予想だにしなかったが」
 隊長、とザイが壁を見た。
「後はこっちで面倒見やりますんで、戻りを待たずに出てください」
 ケネルもうなずき、それに了解の意を示す。
「明朝、出立するたつ
「"街道"はまずいかも知れません。ノアニールまでの道中で、統領むこうの一行と出くわすおそれが。一々町を覗いて歩いて、西へ進んでいるとすりゃ、まだ猶予はありそうですが」
「やむを得ないな。大事をとって裏道を行くか」
「用心するに越したことはありませんからねえ。敵に回すにゃヤバい相手だ」
 ケネルが腑に落ちたように苦笑いした。「──なるほど、それで"セレスタン"か」
「なんにせよ、これで独り言は・・・・しまいってことで」
 さばさば、ザイが切り上げた。
「奴のことはお構いなく。適当な理由もできたんで、回収後、トラムに帰隊します」
「──ザイ」
 ケネルが改めた口調で呼びかけた。
「頼む」
「はい」
 見やってザイは真顔で返し、あぐらを崩して、膝を立てる。「じゃ、そちらも気を付けて」
「──ザイっ!?」
 立ちあがりかけたその足に、エレーンはとっさにすがりついた。
「もう、会えなく、なっちゃうの?──だって、今、帰るって。そしたら二度と会えなくなる? だから、ジョエルが"じゃあな"って言ったの?」
 今しがた、別れを告げた理由は──。
「大袈裟ですねえ。おっ死ぬわけでもあるまいし。──ま、これが最善スよ。隊長が家に帰してくれれば、こっちもあんたを差し出さずに済む・・・・・・・・
「やだっ! やだもん! やっと友達になれたのに! ジョエルともダナンとも、まだあんまり話してないし、ちゃんとお礼も言えてなくて。なのに、急にこんな形で──」
「この稼業、辞めるわけにはいかねえんで」
「だけど!」
「しんどいんスよ、あんたに、あんなふうに泣かれるのは」
 辛辣な言葉に、息を呑んだ。
 ザイが中腰になっていた背をかがめ、片膝をついて、目線を合わせる。
「あんた、気づいてないでしょう。そうやって、あんたに泣かれると、嫌〜な気分になるんスよ。とうに他所よそへ片づけたもんが、またぞろ引っ張り出されて」  
「……ご、ごめん、」
 目をみはって、おろおろ見やる。「ごめん、あたし、そんなつもりは──」
「別に責めちゃいませんよ。そいつはこっちの領分だ。そんなことより、くれぐれもあんたに言っときますが」
 ぽん、と頭に手を置いて、しかめっ面で顔を見た。
「もう、わがままはダメっスよ? 駄々こねて隊長を困らせないで、ちゃんといい子で帰るんスよ?」
「な゛っ!?──あたし、そんな子供じゃな──!?」
「あんたの身柄が向こうに渡れば、ハゲの努力が無駄になる」
 とっさに詰まったその間近で、じっとザイが顔を見据えた。
「達者で」
 すっと、手を放して立ちあがった。
 肩を返して戸口へ向かい、靴を履いて、廊下へ出ていく。
 足早に階段を下りていく、その音だけが耳に届いた。引き留めることはできなかった。だって、セレスタンが待っているのだ。ひどく傷ついたあの彼が、この暗い夜のどこかで。
 階下のざわめきが大きくなり、ややあって、ふっつり、物音おとが途絶えた。
 引き戸の向こうの暗い廊下は、闇に静まり返っている。
 息をつめて凝視していた、頬にぽろぽろ、涙が伝った。
 とっさに追いすがった膝が折れ、エレーンは床にへたり込む。
 ……大丈夫だ。
 これでセレスタンは大丈夫。
 自分なんかがうろうろするより、よほど手際よく助けてくれる。
 あの彼らに委ねれば、彼はもう大丈夫──。
 床に触れた指先が、敷物の表を軽く掻く。我知らず、つぶやきがこぼれた。
「……よかったね、セレスタン」

 今、みんなが迎えに行くよ──。
 
 
 

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