■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章89
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昼の人けない市場通りを、ズボンの隠しに両手を突っ込み、ぶらぶら気負いなく歩いている。
ひょろりと高い痩せ型の背丈、空色の綿の丸首シャツ。黒いメガネに石のピアス。そして、あの特徴的な──
「……なぜ、奴が生きている?」
カルロは我が目を疑った。
バールの町の、月下の路地で、処刑されたはずだった。自分の仲間の特務班に。
ザイはあの男を甚振るにあたり、一切手加減はしなかった。演技かどうかは、見ればわかる。その手の凄惨な抗争は、仕事柄いく度も見ているのだから。──そう、だから慣れているはずだが、それでも目をそらしたくなるほど、それはひどい甚振りようで。
特務の班員が集合し、逃げ道をふさぐように立ちはだかっていた。
仲間というのに、止めるでもなく、目をそらすでもなく。
これが特務の「処刑」かと背筋の凍る思いだった。そういう噂は密かにあったが──。
脇腹を一突きされ、ついに伏した亡骸の始末を、ザイが部下に命じていた。
造作もなく、抑揚もなく、身も凍るような乾いた声で。泥水に突っ伏した禿頭を、あの路地の血だまりを、この目で確かに見たはずだ。それが──
あの男に違いなかった。
何度見てもセレスタンだ。一見、屋台の下働きふうの、市場の日常に馴染んだ姿は、街の景観に溶けこんで、うっかりすると見過ごしそうだが、風貌がかもす雰囲気は、あの禿頭の姿かたちは、疑う余地もなく本人だ。車道を渡って入っていったあの豪壮な建物が、それを裏付ける何よりの証し。
ラディックス商会ザルト支所。
ここは、この国の経済を牛耳る三大商会の、二番手の規模をもつ大商会だが、実は、商会の代表ハジは、国内の鳥師を取り仕切る、組織全体の顔役の一人だ。つまり、出入りする者は、商談相手というのでなければ、こちら側の関係者。
──だが、とカルロは首をひねる。
あれが当人というのなら、どうにも解せない点がある。
建物に消えたあの男には、側頭部を縦断する「ミミズ腫れの傷跡」があった。あんなものはセレスタンにはない。
禿頭についた傷跡は、髪がないだけに嫌でも目立つ。処刑の暴行でやられた傷か。いや、刃物は最後の一撃だけで、頭へ斬りつけることはなかったはずだ。そもそも、それでは時期が合わない。あのミミズ腫れは治りかけ、つまり、あの処刑より、もっと前でなければならない。──いや、そんなことより何よりも、なぜ、こんな所を歩いている? あの時、路地で死んだはずではなかったのか。
腹を一突きにされていた。それは確かに、この目で見た。倒れ伏したその場面も。無残に突っ伏した血だまりも。もしや、よく似た別人か?──だが、あれはどう見ても──
ぎくり、とカルロは硬直した。
右の二の腕を、つかまれている。
後ろから、強い力で。とっさに肩越しにうかがえば、目端に、あの防護服。つまり、相手は部隊の者。
背後を取られた失態に、カルロは密かに舌打ちし、言い訳を用意する時間を稼いで、殊更にゆっくり振りかえる。
腕をつかんで立っていたのは、蓬髪のむさ苦しい男だった。
ひげが頭髪につながって、黒々と顔を覆っている。これでは人相も何もあったものではないが、知らない顔であることは確かだ。ならば、向こうの部隊の者か? そういえば、何度か町角で見かけた気もするが、部隊からの連絡だろうと、気にも留めずにやり過ごしていた。それが接触してきた、ということは──
無言で腕をつかんだまま、男はその手を放そうとしない。カルロは苛立ち、舌打ちする。「──なんの真似だ。手を放せ。お前に絡まれる謂れはねえぞ」
「俺の顔を忘れたか?」
男は言うなり、自分の蓬髪を鷲づかんだ。
ばさり、と無造作にむしり取り、路地の壁に寄せてある、木箱の上に放り投げる。
「……カツラ?」
あぜんと、カルロは振り向いた。
四十絡みの精悍な顔立ち。短髪の左耳には、異名の由来の赤いピアス。痛々しい痣こそあれど、不敵に笑うこの顔は──。
鋭く息を呑みこんだ。
干上がった喉を上下させ、裏返った声で相手を呼ぶ。「……か、頭」
「よう、班長」
部隊を率いる首長バパが、にやり、と青痣の頬をゆがめた。
瞬時に、それをカルロは悟る。すべてが終わった、ということを。首長が来た、ということは、すなわち──。
「一応訊くが、粘る気はあるか?」
「──いえ、」
張りつめた気が抜け落ちて、苦笑いで片手をあげた。「もう、どうにもいけませんや。手詰まりってやつですかね」
セレスタンの処刑は「発覚」を意味する。そう、すでに発覚したのだ。自分が獅子身中の虫、黒獅子の残党であることが。自供一つで一蓮托生。
カルロは長く息を吐く。「焚きつけてきた海賊どもも、引きあげちまったようですし。ま、しょせんは与太者風情、宛てにするようなものでもありませんやね」
「そうかい。そいつは助かるな」
首長があっけなく手を放した。
カルロは呆れて腕を組み、その顔をしげしげと見た。「──年とりましたねえ、頭。手ぇ放せば、逃げるでしょうに」
「逃げるって、どこへ。降参ってことで、いいんだろ?」
首長は片足を引いたぎこちない動きで、木箱に大儀そうに腰かける。上着の懐を片手で探り、煙草の紙箱を取り出しながら。
まだ青あざの残る顔で、「たく、重くて敵わねえな」と、ごちつつ上着を脱いでいる。丸首シャツの袖下の腕には、ぞんざいに巻かれた白い包帯。
「──聞いてますよ。商都でえらい目に遭ったとか」
クレスト夫人を救出すべく、ラトキエ邸に潜入するも、逆襲されて痛めつけられた挙句、焼却炉に突っ込まれたと。邸内を漁っていた調達屋が見つけ、辛くも難を逃れたが。だが、しばらく目を覚まさず、相当な痛手を被ったはずだ。
「九死に一生を得た怪我人が、なにほっつき歩いてんすか。一班の班長がうるせえでしょうに」
煙草をくわえて、一服し、にっと首長は口端をあげる。
「サシで、お前さんと話したくてさ。言い分あるだろ、そっちにも」
「ありませんや、そんなものは。こちとら"ザルスの黒獅子"一派、つまりはそれだけのことですよ」
「"黒獅子"か。──色々あったよなあ、一つの部隊にまとまるまでには」
首長は膝で紫煙をくゆらせ、湿った路地から垣間見える、狭い夏空を仰ぎやる。
「知った顔もずいぶん消えたし、仲間の血も、無駄に流れた」
細かな降るような蝉の音が、じっとり汗ばむ首筋に戻った。
暑いさなかの昼の街路は、人通りもなく静まっている。
「なあ、いいか。カルロさんよ。お前を責める気は、俺にはねえんだ。思うところは、誰しもあるさ。だが、あのセレスタンについちゃ、手放してやってくれねえかな」
カルロは軽く眉をひそめた。
視線を外し、小首をかしげる。
頬をゆがめて苦笑いした。「いやだな、頭。俺はなにも強制なんか」
へえ、と首長が目をすがめた。
含みのある目を向ける。
「"お袋は元気か?"」
カルロは面食らって瞬いた。「……は? 俺の母親ですか?──さあ、どうだか最近は。もしや、何ぞありましたかね」
「──なるほどな」
見極めるように据えた目を、首長はそらして、苦笑いした。「──利口な奴だが、切れすぎるんだよな、あのハゲは」
カルロは戸惑って口をつぐみ、一拍おいて目をあげた。
「あー。つまり、脅されたと?──参ったね。そんなつもりはなかったんだがなあ。あいつ、あれで義理堅いから、それで味方についたとばかり」
「なら、その義理って奴かな」
笑って紫煙を吐きながら、ちら、と首長は目端でうかがう。「あの羊飼いの娘、殺ったのも」
「──ご冗談を」
顔をゆがめて、カルロは笑った。
「できるわけねえでしょう、あのハゲに。むしろ、女に逆恨みされて、殺られてやるクチですよ。頭もよく知ってるでしょうに。──ま、あれには事情がありましてね」
「その事情ってのを聞かせろよ」
「──つまらねえ話ですよ?」
「そこまで話して、それはないだろ」
カルロは無為に頭を掻いた。「なに大した話じゃありませんや。脅されましてね、小娘に。こっちの正体、ぶちまけてやると」
初めはねえ、乗り気だったんですよ、あの小娘。
こっちが野営をしているところへ、副長を捜しに来た時は。こっちが協力を持ちかけると、二つ返事で引き受けて。
『 隊長の隙をみて一服盛る、それだけでいい 』
わずかな金でも欲しかったんでしょうね。
だが、何を血迷ったんだか、返す刃で脅してきた。黙っててやるから、金をよこせと。
「まあ、よくあるアレですよ。で、どうにもならなくて」
「なら、つるんで殺った、ってんじゃねえのか」
「よして下さい。女一人を、つるんで甚振る趣味はねえ。俺は端から一人すよ」
「けど、どこぞの店で会ってたろ。ほら、フードをかぶった外套の、小柄な、」
「──ああ。ありゃ、何でもないです。女なんで」
女? と首長は怪訝そうな顔つき。
「自国は隣国なんですが、偶然こっちで会ったんで、一緒に飯を食ってただけで。いわゆる義妹って奴ですか」
「そうかい。妹がいたとはな」
「いえ、義理のって奴なんで。戦後の町で、怪我人を回収している時に知り合いまして。──不憫な子でね。奇襲の余燼がくすぶって、今でも上手く眠れない。それで、様子を見に行っては、薬をやったりしていたら、いつの間にか懐いちまって」
「カルロ」
改まった口調で首長が呼びかけ、強い視線で顔を見据えた。
「戻る気はないか。俺のところへ」
カルロは苦笑いで首を振る。「……よしましょうや、そういうのは。くたびれましたよ、潜伏にも。それより頼みがあるんですが」
なんだ? と目線を返した首長に、人差し指を、笑って立てた。
「俺にも一本、もらえませんかね」
首長は木箱の上着を漁り、煙草を取り出し、一本勧める。「そんなことなら、お安い御用だ」
「それから、もう一つ、頼みついでに」
火を囲って一服し、カルロは紫煙をくゆらせる。
「ケリは自分で、つけさせちゃもらえませんかね」
懐を探って、それを取り出す。
指先には紫の包み。薬包には珍しい色だろう。
「一包飲めば、眠りにつける。二包飲んだら、昏睡に陥る。三包飲んだら、もう二度と目覚めない」
ついでに、無味無臭で苦痛もない。
首長が見やって、目を返す。「そういうのは調合屋の、独擅場かと思ったがな」
「一応、心得はあるもんで、試行錯誤しましてね。ほら、怪我して運び込まれても、助からねえ奴っているでしょう。──まあ、そういうわけなんで、一班を煩わせるまでもねえ。本音を言えば、あそこの班長は恐いんで」
「向こうも、お前は苦手らしいぜ?」
「まさか。気にも留めてないでしょうよ」
「俺にはわかるぜ? 奴の気分も。そういうところが嫌なんだろうな。脅威だろうぜ、ザイにしてみりゃ。自分にも他人にも甘いくせに、他人に慕われ、懐かれるってんだから。あいつは自分にも厳しいが、他人の方にも厳しいからな」
「──難しい話はわかりませんが、痛い思いはご免なんで」
「面倒を見てきた特務の連中に、嫌な思いをさせたくねえんだろう」
虚をつかれ、カルロは言葉を呑んだ。
手もなく首長に看破され、向かいの視線から目をそらす。
カルロはぎこちなく口端をあげた。「──何を言ってるんだか、この人は」
「薬を使うなら手間はねえし、後始末も比較的楽だ」
「そんなんじゃありませんて。ただ臆病なだけですよ」
首長は静かに、じっと見る。
空に向けて、紫煙を吐いた。
「いいよ。お前の好きにしな」
カルロは気まずく、そわそわうかがう。
「その、礼と言っちゃなんですが、その腕、見せてもらえませんかね」
面食らった顔で、首長が見た。
自分の利き腕に目をやって、怪訝そうに目をあげる。「──これか?」
「あ、いえ、その、包帯がね。──性分ですかね、嫌なんですよ。たるんだままになっているのは」
首長が苦笑って腕を出した。
「頼むよ、班長」
片膝をついて、その腕をとり、カルロは包帯をほどきにかかる。
「あーあー。まるでなっちゃねえ。巻きつけときゃいいと思ってやがるな。これじゃ治るもんも治りゃしねえや……」
町角を行く人影が、ちらと覗いて、通りすぎた。
昼下がりの路地裏に、中年二人がたたずむ様は、世間話でもしているように映ったろう。
蝉しぐれが注ぐ中、街はひっそり静まっている。
街一面の日干し煉瓦が、絶え間のない、夏日に白い。
「──だてに衛生班を束ねちゃいないな」
自分の腕を任せながら、首長は手際に目を細める。
「どれだけやったか、わかりませんからねえ。怪我を治して、帰してやって、又、そいつが運び込まれて──。自分が何をしているのか、もう、わかりしゃしませんよ。やられてきたから治すのか、やられるために治すのか。ちょっとどこかを切っただけでも、傷と痛みがとれるまで、ずい分長くかかるってのに。──ねえ、頭。俺らは何をしてるんですかねえ。殺ったり、殺られたり、いつまでたっても終わりゃしねえ」
目を伏せ、くすりとカルロは笑った。
「本当に、何やってんだかな、俺たちは。こんなことを続けたところで、誰の得にもならねえのによ」
苦笑いして、首長も微笑む。「まったく、馬鹿げた話だな」
「──ねえ、頭、覚えてます?」
ゆっくり、カルロは瞼をあげる。
「戦神の所でおっ死んだ、サランディーの妊婦がいたでしょう。あれねえ、あいつ──」
頬にうっすら笑みをのせ、昼の夏空に目を細めた。
「俺の女、だったんですよ」
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