【ディール急襲】 第3部2章

CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章90
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 寝床の敷布に両手をついて、ケネルはがっくり、うなだれた。
 うつろに見やった視線の先には、ぴら、と置かれた一枚の紙。その白い紙面には、あの丸っこい彼女の文字で、

 《 ちょっと行ってくるねー 》

 ──だからっ! とケネルは打ち震える。
 どこへ! 何しに! いつ戻る!
 肝心要の内容が、きれいさっぱり書かれていない。
 まったく毎度のことではあるが、ノリと愛嬌・楽観だけで、やり過ごそうとする強引さ、いっそ意図的な陰謀さえ感じる。しかも、無内容な報告を、臆面もなく突きつける、この神経の図太さはどうだ。
 そうだ、報告・連絡・相談ほうれんそう共同生活くらしの基本。意思疎通を良好に図る、必要欠くべからざる伝達手段だ。部下ならファレスに張り倒されて、けちょんけちょんに踏んづけられてるところだ。しかも、なんだ、この紙は。端にこびりついた黄色いコレは、まさか菓子の食べカスか? つまりは食い終わった包みを使いまわして……
 はあ〜……と深い溜息で、ケネルはゆるゆる首を振る。
 馬を手配し、報告を受け、日課の見回りを済ませて戻れば、彼女はぐっすり眠っていた。見事なほどの大の字で。
 かけた布団から斜めにはみ出た、すさまじい寝相を直してやり、まだ当分は起きそうもないので何の気なしに寝転がれば、いつの間にか熟睡していた。こんなことは滅多にないが、あちこち跳ねまわる楽天家を、やっとのことで捕まえて、どうやら気が緩んだらしい。
 そして、二度寝から目覚めてみれば、隣で寝ていた彼女がいない。
 もそもそ、あぐらで敷布に座り、部屋に視線をめぐらせば、彼女がいつも持ち歩いている、あのポシェットがなくなっている。そして、用をなさない置き手紙……。
 荷物を詰め替えた赤のザックは、壁にほったらかしだから、財布一つで出かけたらしい。だが、行くといっても、一体どこへ──。
 やれやれと窓に目をやれば、陽ざしは強く、すでに高い。朝というより、もう正午ひるだ。そうか。それなら、さっさと先に、
「──食いに行ったか」
 昼飯を。
 連れを起こすでも、声をかけるでもなく。ちょっと待っててくれてもいいのに。
 はあ〜……と寝床で膝をかかえて、ケネルはどんより、たそがれる。
「……もう、俺は、用なし、か」
 昨日のアレは、かなり思い切った決断だったが、あの彼女にしてみれば、どれほどのことでもなかったらしい。つか、あっさりしてるな。ゆうべはあんなに尽くしたのに。
 部隊を率い、戦功をあげ、一目置かれた密かな自信が、ただの一撃でこっぱみじんだ。きのうの熱烈な告白から一転、手のひら返したような、ぞんざいな扱い──。
「……。行くか。食いに」
 部屋でひとり鬱々と、佇んでいても仕方がないので、鈍い動作で膝を立てた。
 使った布団をもそもそ畳み、隅に積んで片づける。
 靴を履いて部屋を出て、昼の気だるい階段を降りる。それにしても、まさか、こうくるとは思わなかった。一人わびしく宿舎を出る羽目になろうとは。
 ああいう色事の翌日というなら、もうちょっとこう、余韻のようなものが、あったっていいじゃないか……とケネルは思う。ちょっとくらい戯れるとか、ちょっと労ってくれるとか。それが朝になったら、はい、さよなら……。
 まったくもって釈然としない。二度寝で起床を待っていた、こっちがまるでバカみたいではないか。それとも、うじうじ考える、こっちの方が女々しいのか……?
「おや。もう、お出になるんで?」
 一階の床に降りたったとたん、外から声をかけられた。
 宿舎の玄関に入って来たのは ゆうべ、やりとりをしたあの男。カレリア西部の鳥師を束ね、通信拠点を取り仕切る、酒場バーに偽装した拠点の店長。「あ、今日はもう、あがりなんで……」などと訊かれもせぬのにへらへら応え、頭を掻き掻きやってくる。
「──おや。今日は、お一人で?」
「見なかったか、あの連れを」
 きょろきょろ背後を捜す相手に、ケネルは思わず苦笑い。むしろ、もう笑うしかない。相手が詳細を知らないのが、せめてもの救いというところ。
「あれ? まだ戻ってません?」
 ぶらりと肩で目を返し、きょとんと店長が首をかしげた。
「いえね、さっき戻った時に、出ていくところを見かけたもんで。かばん一つだったんで、買い物にでも行ったとばかり。──あー。この時間なら、飯すかね。もしかすると、うちの店かな? ここらはよく知らないようだし、うちの店なら、あいつらもいるし。あ、いえね、きのう、ずっとテラス席で、特務の若手を待ってたんすよ。でも、結局戻ってこなくてね。それで、うちの連中と、なんだかんだとだべってて──」
「そういや、ゆうべはすまなかったな」
 ぺらぺら続く長話に、ケネルはやんわり割りこんだ。
「片づけたばかりだったろうに、二階を勝手に使っちまって」
 息つく間もない彼女の話に比べれば、これの阻止など、お茶の子さいさい。
 途中で遮られた店長が、「……はあ」とまなこをまたたいた。
 にへらと一転、思わせぶりに横目で笑う。
「いや、わかってますって〜。大丈夫ですって。覗きに行ったりしてませんて〜」
 ひじで、軽く横腹をつつく。「そんな野暮はしませんて。 恋 人 と部屋にこもってるところに、顔出す奴なんていませんや。ねっ?」
「……ん?」
 なんだか色々引っかかり、ぽりぽりケネルは頬を掻く。
「だ、か、らー。彼女でしょ? 隊長さんのっ」
 階段上を笑って仰ぎ、部屋の辺りを指でさす。「いや、特務の班長が出てく時、二階にはくれぐれも上がらないよう、釘をさして行かれたもんで」
「……。そ、そうか」
 ケネルは引きつり笑いで突っ立った。気が利きすぎるザイの顔が、部屋をそつなく立ち入り禁止にしていった、キツネの忍び笑いが脳裏に浮かぶ。
 長い茶髪の店長は、しゃれた顎ひげを掻きながら、含み笑いの上目遣い。「で、どうでした、あっちの首尾ほうは」
「……。ま、まあな」
 そそくさケネルは歩き出す。
 仲直りできて良かったっすね〜と、笑って手を振る店長をしり目に。

 カンカン照りの真昼の道を、首をひねって悶々と歩く。
 はー……、と長い溜息で、ケネルはがりがり頭を掻いた。
「……なんかヘマでもしたかな、俺」
 怒らせるようなことでもしただろうか。それとも、ゆうべ、事の後に、寝落ちしたのがまずかったか? それとも、そもそも首尾が不満で──いや、それはちょっと考えたくないが。
 宿舎のある広めの路地を、夏日を浴びて道なりに歩き、通りの角を北に曲がって、石畳の歩道を悶々と進む。
 首尾は上々と高をくくった事の翌日、態度で駄目だしされるとは思わず、何気に地味に打撃を受ける。別に悪気はないのだろうし、ケロッと何事もなく現れるのだろうし、文句をつけるような筋でもないが、どうも、こう、釈然としない。
 ゆうべの首尾を一人ぶつぶつ検証しながら、ひと気ない道を歩いていくと、赤い鉄枠が夏日を弾く小じゃれた酒場バーが見えてきた。
 カレリア西部の通信拠点。鳥師たちの隠れみの。一人で入るなら、ここだろう。店員と面識もあるようだし。むしろ、あのお喋りが、一人で大人しく飯を食うなど、逆立ちしたって想像できない。常に、常に、くっ喋る相手が必要だ。
 ほの暗い店は、がらんとしている。どの卓にも客はない。
 奥のカウンターの片隅で、黒い前掛けの店員たちが、見るからに暇そうにたむろしている。テラス席も、がらんと無人。
「たく。どこへ行ったんだか」
 静かな街路に視線をめぐらせ、ケネルは無為に頭を掻く。
 見立て違いであったようで、あの彼女の姿はない。だが、どの道やってくるだろう。宿舎に戻れば、店長がいるから、ここにいる、と伝えるだろうし。どこかで飯を済ませていたら、何時になるかわからないが……。
 店に入って、飲み物を受けとり、屋外のパラソル席に腰をかけた。すぐに姿を見つけられるように。実は、もう空腹で、こうして飯屋にいるのなら、さっさと食いたいところだが、飲み物だけでやめておく。後から来るだろうあの彼女が、腹ぺこで現れた場合に備えて。先に食ったと発覚すれば、ややこしい修羅場になりかねない。
 足を投げた石畳に、さらさら砂風が吹いていく。
 真夏の暑い昼下がりの街路は、がらんと気だるく静まっている。乾いた道に、日干し煉瓦。延々続く白い町壁。すべてが白っ茶けたザルトの街並み──。
 ふと、店に目を向けた。
 視界の片隅で、色彩が動いた。たむろしていた店員だ。
 見れば、ほの暗いカウンターに、外套姿の小柄な背。注文している客がいる。
 ずっと客はいなかったが、やっと一人、入ったらしい。もっとも、この鳥師の店が不人気というわけではない。肌にべたつく砂風の上、この真夏の暑さでは、どこも商売あがったりだ。
 それにしても、手持ち無沙汰だ。
 まさか、ぼけっと、彼女を待つことになろうとは。いい年をした男が一人、女子供がキャイキャイつどう、歩道の小じゃれたテラス席で。まったく女は分らない。いつもは、あんなに引っ付いて、鬱陶しいくらいついてきて、がむしゃらに告白したくせに。こっちの話を押しやってまで──
 ふと、それを思い出し、ケネルは苦々しく眉をひそめた。
「──言いそびれちまった」
 あのこと・・・・を。
「いいかしら、ここ」
 甘く、涼やかな声がした。
 細く、高い女の声──。カウンターで注文していた、さっきの客か、と気がついて、苦笑いで目をあげる。
「悪いな。連れが、来るはずだから──」
 飲み物片手に立っていた、フードの中の笑顔を認め、ケネルは面食らって瞬いた。
「……クリス」
 
 
「やだもー。遅くなっちゃったー」
 茶色の紙袋を胸にかかえて、エレーンはわたわた宿へと急ぐ。
 袋の中には、数個の丸い紙包み。行列に並んで買ってきたのだ。ジョエルが食べていたあのパンを。
 店で戻りを待つ間、ジョエルが食べていたあのパンが、今、人気なのだ、と店員に聞いた。店の場所も聞いていたので、せっかくなので行ってみたのだ。そうしたら、案の定の大繁盛で、長い行列ができていた。
 この暑いのに、めげそうになったが、じりじり汗ふき、頑張って並んだ。だって、ほら「男子の心を射止めたいなら、胃袋をつかむのが一番だ」とか、そんなようなことをいうではないか。そう、美味しいものが一番なのだ。作ったのはお店の人だが。
 それに、どうせだったら話題のやつを、ケネルと一緒に食べたいではないか。お布団の上で隣り合って。ちょっと、じゃれたりしちゃったりしながらっ。
 うきうき帰途を急ぎつつ、両手でかかえた紙袋を、きゅっと胸で抱きしめる。
「むふふ。ケネル、美味しいって言ってくれるなあ〜」
 食べたら、褒めてくれるかな〜。そしたら、話題のパンだよーって言って、そして、後は甘いひととき──そりゃあ、目当てはモチロンこっち。
 ゆうべは、頬杖で寝そべって、ずぅっと、ずぅっと、ケネルの寝顔を見てたから、起きるのが遅くなってしまった。けれども、なんと驚くべきことに、起きたら、ケネルはまだ寝てた。こんなことって初めてだ。もしや、ゆうべの……
 きゃっ! と一人で顔を赤らめ、我が身を抱いて、ぴょんぴょん跳ねる。
 宿の玄関を「ただいま〜」とくぐり、二階への階段をとんとん上がった。
 折り返して廊下を歩き、開けたままの戸口を覗く。
「ただいまあ、ケネル。ほらあ、見て見て、このパンねー。今、人気のお店のやつで……」
 口をつぐんで、あれ? と見やった。
 向かい全面の腰窓から、夏日がさんさん射していた。部屋はがらんと静まっている。布団もすっかり畳まれて、ぽつん、と隅に赤いリュック。
 むに、と口を尖らせた。
「ひっどーい。ケネル。一人でどっか行くなんてぇー」
 置いてくなんて、信じらんないーっ、と、ふるふる涙目でこぶしを握る。
 だが、とりあえずブーツを脱いで、部屋を横断、リュックを取る。ケネルを捜しに行くにせよ、こうして手元に戻ったからには、肌身離さず持っていないと。中にアレが入っているのだ。リナから借りてる制服が。
 上がりがまちに引き返し、座って、のろのろブーツを履く。
「あれえ? あんた戻ったの?」
 素っ頓狂な声に目をあげると、小首をかしげたエンジの顔。
 エンジは何やら察したらしく、廊下の後ろを親指でさした。
「隊長さんなら、店に行ったぜ?」
 え゛とエレーンは顔をゆがめる。「……えー、なにそれ」
 一人で食べに行ったのか。そりゃ、もう昼時だけど。
 でも、なんて薄情なタヌキなのだ。こっちは汗だらだらで、長い行列に並んできたのに。ケネルが喜んでくれると思って。ケネルと一緒に食べようと思って。なのに──
 ま、男なんて、こんなものか〜……としょんぼり溜息でうなだれる。「……行ってみるね、お店の方に」
「なんだ、そっか。喧嘩したんじゃなかったんだな〜」
 怪訝に、エンジの顔を見た。
 あ、いや、とエンジはたじろぎ、誤魔化し笑いで頭を掻く。「いや、なんか、隊長さん。浮かない顔してたからさ。──あ、さしもの隊長も、あんたが出かけて寂しかったのかな〜?」
 ボッと顔に火がともった。
 すっくと、ただちに立ちあがり、笑みとろけた頬を、両手でくるむ。
「えええーっ? やだもう、だあぁいじょうぶよおっ! あたし、ちゃあんと書き置きしたもんっ! もおっ! やっだあ、エンジってばあー!」
 くふくふ赤面でくねくねしつつ、バンバン肩を張り飛ばす。
 エンジはのけぞるようにして肩を引き(エンジって誰だよ……?)と顔をしかめて、ふと、上目遣いで首をかしげた。「でも、あれは寂しいってより、むしろ釈然としな──」
「行ってきまーすっ!」
 両手を振って、らんらんと、エレーンは鼻歌で歩き出す。
「やだもおー、ケネルってばー。ちょっといなかったくらいで寂しがるとかぁー」
 足取りも軽く階段を下り、るんるん鼻歌で玄関を出た。
 宿の通りを道なりに進み、ふと、足を止め、服の首から手を突っ込む。
 ごそごそ探って取り出した。
 手には、翠玉の首飾り。デートというのに着飾れないが、せめてアクセサリーくらいはつけておきたい──
「……へ?」
 ぱちくり瞬き、思わず二度見。
 うわ、とエレーンは顔をゆがめた。
「え? え? なんで? いつの間に……」
 あのきれいな翠玉に、ヒビが入っているではないか。
 矯めつ眇めつ無言で見、再びゴソゴソ服にしまった。
 予定が狂ったが、仕方がない。デートというのに普段着だけども、これはこれでヨシとする。そうだ、今日の自分には「人気店のパン」という強い味方があるではないか!
 ま、いっか〜、と開き直って、エレーンはきゃいきゃい店へと急ぐ。
 すぐに行くから、待っててね、ケネル。
 
 
 

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