■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章8
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にわかに胸がざわめいた。
夜の街路に姿を見つけ、息せき切ってセヴィランは走る。
「待ってくれ! ちょっとあんた、待ってくれ! おい、あんたっ!」
人もまばらな夜の街路に、あの細身の背格好。両手をズボンの隠しに入れた、少し猫背な歩き方──。
交通の要衝ザルトにいた。
発動の証跡を夜空に見、馬を飛ばして駆けつけたのだ。ああもあからさまなあの異変を、彼が見逃そうはずがない。
その瞬間、パシ──! とどこかで大気が爆ぜた。
星々またたく濃紺の夜空に、萌黄の波頭がひるがえった。瞬時に悟った。彼女の所在を突き止めた。このザルトのどこかにいる、そう見当をつけたに違いない。
そして、予感は、やはり当たった。
ようやく声が届いたか、足を止め、ふと、肩越しに振り向いた。
首元のボタンを二つあけた、白いシャツと黒の上下。 ゆるい癖のある赤い髪。
「誰かと思えば、セヴィランじゃん。なにやってんの、こんな所で」
深みがあるようでいて、軽い響きの独特の声音──。
ごくり、とセヴィランは唾を呑み、気圧され、その場で足を止めた。不意に、感慨がこみあげる。自分の影に追い付いたような──。
困惑を振りきり、レノを見た。
「あんたに訊きたいことがある。話をさせてくれないか」
「いいとも。もちろん」
気軽に応じ、レノは笑って向き直る。
相変わらずの身軽ないでだち。荷物の一つも持っていない。したたる汗を腕でぬぐって、セヴィランは何事もない顔を見る。「あんた、あの子をどうするつもりだ」
「あの子って、どの娘?」
「──とぼけるつもりか? だったら、これからどこへ行く!」
「トラビアだけど?」
レノが軽く肩をすくめた。
「確か言ったはずだけどな。アルの奴に呼ばれてるって。ああ、アルってのはラトキエの息子で、当主の代行でトラビアに──」
「そんなことはどうでもいい! だったら、あれは──あの言葉はどういう意味だ」
「落ち着けって。なに言ってんの」
「──だから、あの時、言ったろう!」
『 怪物になる前に 始末しねーと 』
レノは黙って顔を見ている。この先の出方を考えているというように。
いつものようにのらりとくらりと矛先をかわすかと思ったが、誤魔化すことなく真っ向からきた。
「つまり、止めにきたってわけ?」
思いがけない率直さに、勢いを削がれて口ごもる。「き、決まってるだろ!」
「なに。本気で言ってんの?」
レノが身じろぎ、顔をながめる。
「待ちかねたよ、レノ」
涼やかな、それでいて落ち着いた声がした。
道の、後ろだ。
あわてて背後を向くと、小柄な人影がそこにあった。
「セヴィも一緒か」と見やったのは、利発な少年を思わせる顔つき。淡々とした怜悧な目。
すぐにユージンは目を返し、街路の先のレノを見る。
「来ると思ったよ、ザルトにいれば。異常な発動を示す証しが、夜空にあがっていたからね」
人もまばらな夜の街路に、レノは視線をめぐらせる。
「つまり、お前ら二人して、俺を倒しにきたってわけ?」
「助かるよ、物わかりがよくて。もっとも、こんなおじさんと結託云々は心外だけどね。君をひねり潰すなど、僕にとっては造作もない」
「なに、ここでやろうっての?」
あわててセヴィランは振り向いた。「よ、よせ! ユージン! 街中だぞ!」
「このレノの逃げ足の速さは、あんたもよく知ってるはずだろ」
「だからって街の人を──通行人を巻き込むつもりか!」
「事情が事情だ。是非もない」
わずかに眉をひそめただけで、ユージンは目をそらさない。
舌打ちで、レノを振り向いた。「あんたも馬鹿な真似はよせ。あの子には手を出さないと、明言すれば、それで済む。あの子は、あんたの友だちだろう」
「責任とれんの?」
虚をつかれて口をつぐんだ。
赤褐色のレノの目が、ユージンとこちらを見比べる。
「アレが化け物になり果てて、世界を壊し始めても?」
「──それ、は」
彼女の放つ異常な力が爆発的に増している。暴走といえるほどの驚異的な速さで。それは今や、疑いようのない現実だ。
「負け惜しみは見苦しいよ」
口をはさんだユージンを、小首をかしげてレノが見た。
「来るのが少し遅かったようだね。彼女は僕が保護したよ」
「そ」とレノが肩をすくめた。意地か虚勢か、特に興味もない態で。
「わかってる? 君もここで終わりってことだ!」
ユージンがおもむろに片手をあげた。
その唇が軽く開き、聞きとれない囁きが漏れる。耳慣れない言語の詠唱──
パシ──と、どこかで大気が鳴った。
異様な負荷に耐えかねたように。密度を増して淀んだ大気が息づくように伸縮し、周囲の建物の輪郭を伝って、青白い閃光が瞬時に走る。
思わぬ局面を迎えていた。
不穏な方向に転がり出した速い展開に舌打ちし、セヴィランは交互に二人を見やる。ユージンはレノを、例の《 あわい 》へ送り込む気だ。
レノに逃げる様子はない。詠唱を止めようとするでもなく、言葉巧みに取り成すでもなく、小首をかしげて眺めている。これから何が始まるのか見物しようという態で。
ぐん、と大気が張り詰める。
一気に濃度を増した気が、渦巻き、破裂しそうに膨れあがっていく。
詠唱を終えたらしいユージンが、伏せていた目をゆっくりあげた。
怜悧な瞳でレノを見据え、おごそかな声で宣言する。
「終わりだよ、レノ」
光をまとわせ、片手があがる。
大気をすくい上げるようにして、狙いすました指先が動く。
離れて立った二人の間に、とっさにセヴィランは腕を振る。
「よせっ!」
バン──と激しい音がした。
直後びくりと、ユージンの背が硬直した。
実体をもった突風に弾き飛ばされでもしたように。背をのけぞらせて宙に浮き、背中から地面に倒れていく。
あわててセヴィランは駆け寄った。辛くもその身を抱きとって、ほっと思わず息をつく。
ヒュー、と背後で口笛が鳴った。
「やるじゃん」
はっと肩越しに振り向けば、レノが笑って眺めている。
「そろそろ行くわ。約束あるから」
くるりとレノが背を向けた。
夜の街路を歩き出す。昏倒したユージンをかかえて、セヴィランはおろおろその背を見る。「あ、ちょっと! まだ俺の話は終わってな──!」
「気にならねーの? トラビア」
虚を突かれ、言葉に詰まった。
"西"に頭を切り替える間にも、一瞥をくれたレノの背が、夜のしじまに遠ざかる。
街路灯のある街角に、赤い頭が折れて、消えた。
セヴィランは軽く息をつき、膝をついてかかえていた、自分の懐に目を戻す。
とっさに抱きとったユージンを、煉瓦の街路に慎重に降ろした。ぐったり正体のない首筋に、手を当てて脈を調べる。
確かな反応を確認し、はあ、と脱力、額をぬぐう。どうやら失神しただけのようだ。
やれやれと頭を掻いて、しゃがんだ街路から腰をあげた。
改めて自分の利き手を見、五指を開いてにぎにぎし、指の動きを確かめる。取り立てて異状は見受けられない。どんなにつぶさに見つめても、なんの変哲もない、見慣れた手のひら──。
じわり、と嫌な焦燥がにじんだ。
「俺は、今、何をした……?」
何かを放った自覚はあった。
今の異変を引き起こしたのは、他ならぬ自分だと。
確かに自分の異質さは、幼い頃から自覚している。力を失う以前にも「他人の意識を奪う」ことが何の苦もなくできたのだから。
今にして思えば、あの時も、無意識に力を奮おうとしていた。あの日彼女と踏み入った、遊民の指令棟の一室で。四半世紀もの時を経て、記憶は錆ついてしまっても、体がそれを覚えていた。だが、とっさに放った今の力は、馴染んだ感覚とは別物だ。
腕を振ったその直後、見えない障壁が立ちあがった。
ユージンは障壁に術を阻まれ、防ぐ間もなく昏倒した。己の術が跳ね返り、その威力をまともに食らって。そうでなければ、今頃レノは──
はたとセヴィランは気がついて、ガリガリ頭を掻きむしる。
「──かーっ! もう! なにやってんだ、俺は!」
絶好の機会だったのに。あのレノを制止する──。
ユージンならば、確実に仕留めた。足止めどころか後腐れなく、この場で決着がついていた。だが、なぜだろう。
発動寸前まで昂まったユージンの姿を見た途端、怒涛のごとく気が焦った。あたかもその標的が、己自身であるかのように。
ざわり、と知覚が、雷のごとく貫いた。
愕然とセヴィランは立ち尽くす。宿の一室で休ませた、彼女の様子を見るために、階段へ向かったあの時に、当然のように言って寄越したレノの言葉がよみがえる。
『 だって味方だろ? あんたは俺の 』
あれは上っ面だけの言葉ではなかった。意味するところは片割れだ。
それをレノは知っていた? だから逃げもしなかった? ああなることが、レノには初めからわかっていたから。殺気をまとってユージンが、街路に現れたあの時すでに。
全身が警戒していた。あの反応は理屈じゃなかった。
レノが害されるのは嫌だった……。
「はいっ。痛いの痛いの、とんでけぇー!」
にぱっ、と笑った黒髪の連れが、ぱっと両手を振りあげた。
ファレスは胡散臭げに眉をひそめて、こきこき肩を無言でまわす。
ギロリと連れの顔を睨んだ。
「……てめえ。よそでは絶対やるなよっ!?」
のほほんとした笑いを引っ込め、むに、と連れが口を尖らす。
「なによお。ただのおまじないでしょー」
「いいからやるな! 絶対にだっ!」
「そぉんな怒んなくてもいいでしょー。疲れたー疲れたーあんまり言うから、気を紛らわてあげただけじゃない。それとも、そんなに独り占めしたいぃー?」
「──あァっ!?」
もーなによー冗談じゃない。あー、やったげて損したあー、と、ぷいとふて腐って、そっぽを向く。
ファレスは引きつり顔のドン引きで、じりじり警戒、ふくれっ面を見る。しばらく目を離した隙に、こいつ、ますます、
──人間離れしてやがる!?
ふざけた呪文をお手軽に唱え、ぱっと両手を振りあげたとたん、すっきり疲労が回復したのだ。背負って一晩歩きづめた疲労が、きれいさっぱり跡形もなく。そう、あれを喩えるならば、ざぶん、とバケツでぞんざいに、水を頭からぶっかけられたごとくに。
(……どーなってんだ? こいつ)
首を傾げて、ファレスは腕組み。街道で姿を見つけた時にも、尋常とは思えぬ有り様だったが。──いや、その前からして変だった。
あの時は確かに、誰かに呼ばれた。だから炎天下の街道を歩いて、わざわざ確かめに行ったのだ。不審の源の正体を。そうしたら事もあろうに、そこにいたのはコレだった。
だが、そんなことが世間に知れれば、吊し上げは必定だ。絶対、周囲に知られてはならない!
残滓の"わらわら"を見咎めて、渋い顔で注意する。「──おい、そいつを引っこめろ」
「もー。なに。今度はぁー」
「だから、──ぴゅんぴゅん飛ばしてんだろうがよ、緑の奴を」
さっきのバケツの余りか何かか、ブーツの先から丸っこい黒髪のてっぺんまで、ぴゅんぴゅん萌黄が迸っている。あたかも水が大喜びで、跳ねまわっているように。
ひくり、と連れは赤面で引きつり、爪先立って振り向いた。
「へ、変なこと言わないでよねっ!? あたしがいつ、ぴゅんぴゅんしたのよっ!?」
ぷりぷり床を踏んづけて「ばっかじゃないのっ」と歩き出す。階段に向かう黒髪の背に、ファレスものこのこついて行く。
「いつも何もおめえ、さっきから、ぴゅんぴゅん飛ばしてんじゃねえか(よ──)」
ギッと連れが、鬼の形相で振り向いた。
「なによ、すけべっ! やらしいわねっ!」
ぽかん、とファレスは口をあけた。何がそんなにいやらしい? 何をそんなに怒っている……
な゛っ、と顔を引きつらせた。
「ばっ、おめえ!? ばかっ、違げえぞっ!? 俺はそんな淫らな意味で言ったんじゃ──」
どん、と両手でぶっ飛ばされて、ころころ壁まで転がった。このアマあんがい力が強い。
「なによっ、暴君っ!」
「──あァ!?」
ただちに壁から跳ね起きた。タヌキ寝入りを決めこんで、ちゃっかりここまで運ばせたあげく、町の気配を嗅ぎとるや否や、もそもそ髪を直し始めたのは誰だ!?
だが、言い返す隙は与えなかった。
「体ふいて着替えるから、まだ部屋に来ないでよねっ!」
ぎろり、とすごんで言い渡される。
「……お、……お、おう」
有無を言わせぬ迫力に押され、あいわかった、とうなずくしかなかった。
ファレスは席に戻って腰をおろし、ざわめきに視線をめぐらせる。宿の飯屋は満席だ。まだ正午前だというのに。
トラビア戦のあおりだろう、宿はどこも、西からの避難民で一杯だ。
だが、町宿を数軒まわり、なんとか部屋を確保した。今朝方、町に到着し、宿探しを始めたが、宿にいた客たちの、入れ替わりの時間帯に当たったのが、どうやら幸いしたらしい。
領家の膝元トラビアから地方都市ザルトまで、街道沿いの町々は満遍なく栄えている。むろん拠点も漏れなくある。だが、鳥師の拠点は使えない。
眠気をこらえて喫煙しながら、宿の飯屋で時間を潰し、頃合いをみて席を立った。
隅の帳場で会計を済ませ、階段をきしませて二階へ上がる。
廊下の突き当りの扉へ歩き、肩のザックを背負い直した。施錠を外し、戸をひらく。
向かいの壁の小窓から、西日が鈍く射していた。
急きょ物置を片づけたような、小さな窓の狭い部屋。寝台を一つ置いただけで一杯になってしまうせせこましさ。だが、それでも野宿より数段マシだ。飛びこみで部屋がとれたのだから、それだけで良しとしなければならない。
陰になった寝台にもぐって、黒髪の連れが眠っていた。移動の大半は寝ていたはずだが、不自然な体勢でいたためか、体は疲れているらしい。
まあ、体力がないのは仕方がねえか、と戸口をまたいて中に入り、板張りの床にザックをおろす。
ふと気づいて、寝台を見た。
そろそろ連れに近寄って、肩の生地を無言でつまむ。薄くて、軽くて、真っ白な──
眉根を寄せて、ファレスはひるんだ。
「……。なんでわざわざ、こんな ぴらっぴら 着てやがる」
どうも阿呆には警戒心が足りねえ……と、腕組みでつくづく首を振る。
連れはぐっすり眠っている。口をあけた無防備な顔で。薄いひだがふんだんについた、ふわふわした白い寝巻で。いやにしどけなく寝そべって──
「……」
──いや、いかん、いかん! とぶんぶん首を横に振った。
これはあの洗濯板だぞ?そうともこれは洗濯板だっ!と己にしかと言い聞かせ、甘やかなモヤモヤを払いのける。
「たく。あんなこと言いやがるから、いやに艶めかしく見えるじゃねえかよ」
誰もいないのに言い訳し 「さっ、寝るか」と、殊更に予定を口にする。
汗だくのシャツを脱ぎ捨てて、隅にあったタライの縁から、タオルを取りあげ、肩にかけた。
シャツの汗をタライで洗い、手すりと壁に渡したロープに、絞ったそれを引っかける。この暑さだ、部屋で干しても乾くだろう。
タオルを濡らし、体をふいた。さっさと眠って、体力を回復しなければ。そう、どうせ、この先も、大荷物をぶら下げた過酷な道のりに違いない。
ザックからシャツの替えを出し、西日射しこむ板床に、寝台にもたれて腰をおろす。枕のザックを整えて、眉をしかめて額を揉んだ。胸の底に自覚はあった。
夢を見ている。
果てしない夢を──。
ガラス窓が、カタカタ鳴った。
国境に近い大陸西部は、常に砂風が吹いている。そう、あれはなぜだったのか。ゆうべ、街道に踏み出した途端、夜風が不意にやんだのは──
もたれた肩を、蹴飛ばされた。
顔をしかめて舌打ちし、ファレスは寝台を振りかえる。「おう、寝ぼけてんじゃねえぞ、あんぽんた──」
ぎくり、と硬直、動きを止めた。
片肘をついて横たわり、いつの間にか、彼女が見ていた。
陰の中の白い寝巻が、確かにこちらを捉えている。これまで見たこともない、艶めかしい眼差しで。そう、はっきりと目覚めている。寝ぼけてなどいようはずもない──。
虚をつかれ、思考が停止する。
妖艶な笑みを口元に浮かべ、彼女の唇がささやいた。
「ねえ、ファレス、」
早くぅー……
*
■ 訂正しました。 14:12 2017/12/17 ■
読者様からご指摘いただき、訂正しました。
レノの服装 「赤の柄シャツ」→「黒の上下」
すみません。うっかりミスでした……(^0^;
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》