CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章9
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 ゴン──と廊下に、不穏な音がとどろいた。
 足元の音源の正体を認め、エレーンは絶句で顔をゆがめる。
「……何やってんのよ、そんな所で」
 廊下の端に座りこみ、涙目で額をさすっていたのは、誰あろう、連れのあのファレス。どこへ行ったかと思ったら。
 今朝方、町に到着し、食事をとって部屋にあがり、ふと、仮眠から目覚めると、ファレスの姿が部屋になかった。なので、探しに出ようと廊下に向かい、だが、部屋の扉がなぜだか開かない。
 何か重たい物がつっかえているらしい。だが、それでは部屋から出られないので、やむなく、ぐい、と力任せに押しやった。すると──
 ゴン──と剣呑な打撃音とともに、転がり出たのがファレスだったという次第。つまり、扉の真裏にいたらしい。どうも開かないと思ったら。
 ファレスがもそもそ膝を立て、顔をしかめて振り仰ぐ。
 はたと気づいたように、動きを停止。ばっ、と壁に飛びのいた。
 両手で壁に張りついて、じりじり様子をうかがっている。て、なんで警戒してるのだ?
 あからさまに距離をおかれてしまい、エレーンはぱちくりファレスを見る。
 ひと気ない廊下を見まわした。「……なんで、廊下で寝てるわけ?」
 部屋代、ちゃんと払ってんのに。
 てか、なんか避難でもしてたみたいに。
「あ、まさか! 黒虫が出たんじゃないでしょうねっ!?」
 それで自分だけ逃げたんじゃ──!?
 ぞわり、と怖気がこみ上げて、我が身をいだいて震えあがる。
 ファレスがすくいあげるようにして、すがめ見た。
「……本当―に、おめえか?」
 未だぴたりと張りついたまま、顔つきは何やら疑わしげ。
「なあに寝ぼけたこと言ってんのよ。あたしでなけりゃ、誰だっていうのよ」
 じぃっとファレスは、警戒も露わにすがめ見ている。
 やがて、のそりと身じろいで、座りこんだ膝を、もそもそ立てた。
「……おう。別になんでもねえ」
 
 食事をして宿を出ると、町はすでに夕景だった。
 ぬるく吹きゆく砂風にさらされ、商店が軒を連ねている。赤く照らされた壁の前、煉瓦の通りを行きかう人々。仮眠のつもりでいたけれど、しっかり眠ってしまったらしい。
 通りの店先を覗きつつ、ちら、と隣の連れを見る。
 ぱっと、ファレスが目をそらした。
「え゛……?」
 顔をゆがめて、エレーンは固まる。
(なによぉー。あたし、何かしたー?)
 やっぱり、 だ。ファレスが変だ。
 今も、じぃっ、と盗み見ていた。何か探りでも入れるように。そのくせ、こっちと目が合うと、ぱっと途端に目をそらすのだ。
「ねー。あたしの顔に、なんかついてるー?」
「別に」
「なら、顔見て話そうよー」
「……お、おう」
 一応、承諾。だが、決して目は合わせない。ファレスはしきりに首をひねって、腑に落ちなげ顔つきだ。
 ついに、首をかしげて訊いてきた。
「おめえ、だよな?」
 て、念押し、そこ か?
「あのねえ……他の誰に見えるっていうのよ」
 呆れて返事をしながらも、店の多い大通りに向かう。
(んもう、なんなのよ)と首をかしげて、エレーンは居心地悪く連れをうかがう。
 ファレスがそわそわ落ち着かない。
 視線を感じて振り向けば、じっとり何やら盗み見ている。解せない顔で首をひねって。だが、一たび目が合えば、たちまち、もじもじ目をそらす。乙女か。
 だが、とある店の前に到着すると、たちどころに「もじもじ」がぶっ飛んだ。

「……おい。この落とし前、どうつけるつもりだ」
 わなわなファレスが打ち震え、まなじり吊りあげ、びしっと指さす。
「閉まっちまったじゃねえかよ、鑑定所が!」
 黒い外観の建物が、重厚な扉を閉ざしていた。手持ちの何かを換金しようとしていたらしい。だが、目の位置にぶら下がっているのは「営業終了」を知らせる札。
「だっから言わんこっちゃねえ! だからあれほど、早くしろと言ったじゃねえかよ! なのに、見る露店みせ、見る露店みせ、全部道端で座りこみやがって!」
 頭の上からガミガミどやされ、エレーンはふて腐って、そっぽを向く。「えー、なによぉー。あたしのせい〜?」
「完璧にてめえのせいだろが!? 座りゃあ、テコでも動きやしねえし!」
「あー、うっさい。怒鳴んないでよねー」
 顔をゆがめて指で耳栓、エレーンはてくてく引き返す。「しょうがないでしょー? 閉まっちゃったもんはー」
「たく! 路銀なしで、どうしろってんだ。馬の手配ができねえじゃねえかよ」
「えええーっ!? 馬ぁ?」
「なら、街道を歩くってか」
「幌馬車がいいー!」
 ファレスが憤怒にわなないて、青筋たてて振りかえる。「──あア!?」
「あのねー。あの・・ザイだって、幌馬車に乗っけてくれたんだからね? だあって、そうでしょ、こんな女の子が一緒だしぃ」
「女、の子?」
 ぴくり、とファレスが反応し、なぜだか、その語を聞き咎める。
 む? とすかさずエレーンは、口を尖らせて振り向いた。
「なによお。無理がある、とか言うつもりぃ?」
 むろん、そうなら、ただじゃおかない。
 ファレスはもそもそ身じろいで、戸惑いがちに目をそらす。フォローはともかく皮肉の一つも返ってくるかと思いきや。
 若干盛った己の言葉が思いがけず宙に浮き、こっ恥ずかしい事態に陥る。
 そそくさ「──それにしても」と話を変えた。
「ど、どういう風の吹きまわしぃ―? あんたが連れ出してくれるとかー。あんなにあたしに戻れ戻れ言ってたくせに」
 トラビアに行きたいという希望については、ファレスはずっと反対していたはずだった。
「──それは、おめえ……あれだ……」
 なぜだかファレスが返事に詰まる。
「あ、でもでも安心してっ?」
 せっかく乗り気になったというのに、気が変わってはたまらない。エレーンはあわてて話を進める。
「大丈夫。トラビアまでは行かないからっ。バスラに着いたら、誰かにアルベールさま呼んでもらって、お話したら帰るからっ!」
 そう、あのレノさまに「バスラまでなら可」と言われている。
 それは意外な話だったようで、ファレスがふと振りかえる。「──バスラ?」
 その視線をすかさず捉えて、ずい、と視界に割りこんだ。
「ねー。なんか、あたしに隠してなあい?」
 どうも、ファレスが挙動不審だ。日頃ふてぶてしい野良猫が。
 妙にそわそわしているし、ガン見どころか目までそらすし、よそ見で蹴っつまずいたりしているし。そう、何かあったに違いないのだ。
 う゛──の顔でファレスは固まり、そっぽを向いて話を変えた。「──たく。ろくに路銀もねえくせによ、どうやって、こんな所まで来たんだか」
えっ? 聞きたあい? どうやって来たかっ
 ぱあっとエレーンは破顔して、皮肉の言葉尻に食いついた。
「それがさあー。結構ここまで大変でさー。もぉー聞いてよ、信じらんな〜い」
 喜色満面ぺらぺら語る。相手が訂正する前に。
 誰と誰にどこで会って、どんなご飯を食べたのか。どんな連中が追っかけてきて、どんな大事件に巻き込まれたか。どれほどどれほどどれほどあたしが大変だったか──!
 ストレスがたまっていたんである。愚痴る余裕もなかったし。まして自ら水を向けてこようとは。まさに、飛んで火にいる夏の虫。
 それでねー、あのねーと、顔を覗いてペラペラ語る。ストレス発散の報告が、セビー出現の例のくだりに差しかかる。
 ぼう〜と空を見ていたファレスが、まなじり吊りあげ、振り向いた。
「誰だ!? そのセビーって野郎はっ!?」
「……えっ?」
 右斜め上方に首を傾げ、エレーンは人差し指を唇にあてる。
「あ、えっとセビーっていうのは、セヴィランさんの甥っ子で〜──あ、セヴィランさんのことは覚えてる? 初めて天幕群に行った時、あたしと一緒に来てくれた、かっこいいおじさんいたでしょう? ほらあ、あんた、廊下でいきなり、おじさんの腕をねじ上げてさ。あのおじさんの甥っ子が、偶然こっちに来てたとかで──」
そいつとも寝たのか!?
「……。はああっ!?」
 ぎょっと引きつり、たじろいだ。
「なっ、なっ、なんなの、いきなりっ!? セビーとあたしがなんでそんなっ!?──てか、そんな訳ないでしょが! セビーと二人きりじゃなかったもん! ユージンくんも一緒だもん!」
 胡乱にまなじり吊りあげたファレスが、ぴた──とそこで停止した。
「……ゆーじん、くん?」
 何が不思議か首をひねって腕組みしている。(どっかで聞いたような?)の顔つきだ。
 はた、と瞠目、顔をあげた。
 けれど、それも束の間で、すぐに額をつかんで、うなだれた。「そこ・・か……」
 エレーンは怪訝に顔をゆがめる。
(なによー。そこってー)
 だが、文句をつける気はなさそうなので、中断していた話を続ける。
「でも、セビーとユージンくん仲悪くって、その他にもレ──」
「れっ?」
 神速でその語を聞き咎め、ぱっとファレスがかぶりついた。
 いつもの胡乱な半眼で「レ」の続きを待っている。おどろおどろしいこの顔は、何かの予感があるらしい。
「あっ、と──その〜……」
 商都での経緯いきさつを思い出し、エレーンはたじろぎ、誤魔化し笑い。
「う、ううんっ? 別になんでもっ?」
 実は、あのレノさまも、しばらく道中一緒だったが、そんなことを言ったらば、まして同じ部屋とか言ったらば、どれだけうるさく吠え猛るか知れない。
 なにせファレスはレノさま嫌い。もっとも、あのレノさまは気に入ってるみたいだが。
「そ、そういうことで、話は以上っ!」
 無理やり話を切り上げた。面倒な事態に陥る前に。
 隠蔽の匂いを嗅ぎとったのか、じぃっとファレスは顔を見ている。疑ぐり深げな顔つきで。
 だが、構わず空口笛を吹いていると、待っても口を割らないと悟ったか、舌打ちで渋々諦めた。
 何事か思うことがあるようで、ファレスは口をつぐんで歩いている。
「──ま、それはそれとしてよ」
 やがて、苦々しく顔をしかめて、片手でばりばり頭を掻いた。
「悪りィ。俺が迂闊だった」
 ん? とエレーンは振りかえる。一体何が起きたのだ? ファレスが素直に謝るとか。
 夏に雪でも降りそうな珍事に、あんぐり口をあけていると、ファレスはゆるゆる首を振る。「そういや、お前も人妻だしな」
「……んん?」
 まあ、確かに間違いではない。一応ダドリーに嫁いだし。
「だったら当然、そっち・・・の方も、とうに経験済みって話だ」
 ついに、エレーンは眉根を寄せた。己はなんの話をしている? さっきから何をごちゃごちゃと。人妻、当然、経験済み……
「ちょ、ちょっと待ってよ!?」
 意味するところに、はたと気づいて、俄然、話に割りこんだ。
「ダ、ダドとはまだ、そういう仲じゃ──!? 確かに領邸に入ったし、挨拶なしじゃ支障があるから、関係者にはお披露目したけど、でも、すぐ喧嘩して、寝室別々になっちゃったから、だから、その、そういうことは──」
 それにしたって、なんだって、こんなこと奴に話してるのだ?
 てか、なんで、この野良猫、ちょっと、ほっとしたような顔をしてるのだ?
 ほう、とファレスは瞠目し、興味津々聞き入っている。
 だが、すぐに眉をひそめた。
「しかし、まさか、そんなに欲求不満とは」
 ぎょっとエレーンは聞き咎め、だが、反論する隙も与えず、くるり、とファレスが振り向いた。
 大真面目な説教面で、両肩つかんで言い聞かせる。
「何も恥ずかしいことじゃねえからな? 動物だったら、当然の生理だ」
「ちょ、ちょっと待っ──」
「いや、そういうことなら任せとけ。俺が満足させてやる!──お、お前とじゃちょっと、照れるけどよ。なんなら変態なことでも俺は──」
 ごん、と後頭部を張り倒し、わなわなエレーンはゲンコを握った。
「なんの話をしてるのよっ!? さっきからっ!」
 欲求不満はどっちの方だ!?
 てか、そんなこと考えてたのか、この野良猫―!?
 ぶっ飛ばされた野良猫ファレスが、涙目で睨んで顔をあげる。「……痛ってえなコラ!」
 打撃点をスリスリさすり、ふと、思い出した顔で見返した。
「そういやお前、なんで、ハジを呼び出した」
「──え? なに。ハジさん?」
「ゆうべ受付に行ったろうが。部屋を出た後、飯の前に」
 エレーンはつらつら思い浮かべ、あー、あのことね、と合点する。
「セレスタンが見つかったか聞こうと思って。だってセレスタン、ひどい怪我で、ハジさんが探してくれていて、だから──」
「ハゲなら、ザイと歩いてたぜ」
「……へ?」
 ぽかんと口をあけ、ファレスを見た。「う、うそっ……え? ザイと歩いて?」
「ピンピンしてたぜ?」
 エレーンは困惑、首をひねる。一体何がどうなっているのだ?
「あ、でもセレスタン、血が出て、ピクリとも動かなくて──」
「騙されたんじゃねえのか、ハゲに」
 眉根を寄せて固まった。
(……ど、どゆこと?)
 商会に集った大勢が、地図を開いて、額を寄せ、真剣に捜索していた──はずなのだが? 当のザイと別れた時にも、深刻そうな雰囲気だったし……。
(あれ全部、夢、とかじゃないよね……?)
 まあ、無事だというのなら、それに越したことはないのだが──。
 何かどうも釈然としない。腕組みで首をひねりひねり、ふと、向かいの通りを見咎めた。
「──あっ! ザイっ!」
 ぎくり、とファレスが、弾かれたように振り向いた。
「あ、違った〜……」
 雑踏にさした人差し指を、脱力の溜息でエレーンはおろす。
「そうよね、そんなのあるわけないか〜。ザイはとっくにザルト出てるし、まだ、こんな近場にいるとか」
 ん? と己の肩を見て、口を尖らせ、視線をあげる。
「なんで、肩とか抱いてんのよ?」
 ファレスが片腕で引っ抱えている。
 もそもそ、その手を引っ込めた。「……いや、別に、なんでもねえ」
 そうは言ったが、なんとなく、急いで逃げようと・・・・・していたみたいな?
「そんなにザイが怖いわけえ?」
「んなわけあるか、てめえなんかじゃあるめえし」
「あっ、わかった! あんた、喧嘩したんでしょー」
 ザイを避ける理由に気づいて、なんだー、と呆れて向き直る。
「だから会いたくないんでしょー。てか、なんで、あたしまでー」
「阿呆。よく聞け」
 ファレスがたまりかねたように遮った。
「部隊の連中は、お前の敵だ。姿を見かけたら、すぐに逃げろ、いいな」
 へ? とエレーンは瞬いて、ほりほり指で頬を掻く。
「はあ? 何言ってんの? 喧嘩くらいで大袈裟な。大体あたし、怒られるようなことしてないし。逃げる必要どこにもないし──あ、なら、だったらケネルはー?」
「奴は──」
 とっさにファレスは言いよどみ、視線を惑わせ、脇にそらす。
 吐き捨てるように言葉を続けた。
「あいつのことは、もう忘れろ」
 夕刻の雑踏が、音を止めた。
 外套姿のざわめきが、肩の先を行きすぎる。
 予期せぬ真顔に面食らい、エレーンは「……でも、」と口の先を尖らせる。
「や、やーねー。ケネルだったら平気だってー。なんで怒ってんのか知らないけど、謝れば、たぶん許してくれるし」
「──だから──そんな気軽な話じゃ」
「さては、あんたなんでしょぉー。ケネルに会いたくないのってー」
「ばか。違げえよ。何言って、」
「もーなによお、いくじなしぃ」
 ぷい、とふて腐って、横を向いた。「もー。そんなことだから、腰抜けとか言われちゃうんでしょー月読に・・・
 はっと、ファレスが振り向いた。
「──ツクヨミ?」
 柳眉をひそめたその顔が強ばる。
 思いがけず聞き咎められ、エレーンは「……え?」とたじろいだ。
「な、なに? どうかした?」
 ファレスの表情から、それが知れた。この驚きようは尋常ではないと。
 変なことでも言ったろうかと、新しい記憶をあわててさらう。軽く罵ったことは覚えている。だが、口から何気なく飛び出した、言葉尻など覚えていない。
 ファレスはふっつり口を閉ざして、それきり、上の空の態度になった。


 夜陰に紛れた寝台に、白い肩が横たわっていた。
 薄い毛布にくるまって、彼女はぐっすり眠っている。
 部屋に一台の寝台にもたれて、ファレスは目を閉じている。使いこんだザックに片腕を置き、板張りの床に足を投げ、軽く頭をうつむけて。
 夏虫のが、夜に染みた。
 海の底にいるような、深い沈黙の中にいる。しんと冷えた板床に、月の光が影を作る。
 むくり、と"白"が起きあがった。
 ファレスの肩に手を伸ばし、ぐい、と床に押し倒す。
 寝台を滑り降りた白い寝巻が、仰向けの腹に馬乗りになる。
 硬い木床に髪を広げて、ファレスは瞼を閉じている。ファレスにまたがった白い寝巻は、その顔を見おろして、身を伏せ、頬に手を伸ばす。
 その手首が、つかみ取られた。
 夜の深い暗がりで、ファレスはおもむろに肩を起こす。
「たく。ふざけた真似しやがって」
 闇に浮かびあがった白い姿に、じろりとファレスは目を据えた。
「てめえか、ツクヨミ」



( 前頁 / TOP / 次頁 ) web拍手 


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》